森のエルフと養い子

マン太

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9.思い

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 館に帰ると、すっかり介抱の準備を整えたニテンスが待っていた。
 温かい部屋に整えられたベッド。湯につかるための準備。それらにタイドはほっと息をつく。

「スウェル様、タイドに湯あみさせますから、お放しください」

「…わかった」

 いい加減、抱きしめたまま離さないスウェルに、痺れを切らしたらしいニテンスがそう声を掛けた。
 それでも、スウェルは渋々と言った具合に、腕を差し出したニテンスにタイドを引き渡す。
 受け取ったニテンスは、そのまま湯舟の傍の椅子へ座らせると、手早く服を脱がせて行った。

「そっとな? そっと。まだ完全に傷は癒えていない」

「心得ております。スウェルさまもあちらで湯あみを。ここは私が済ませますので」

 洞窟に分け入ったせいで、スウェルも泥だらけだった。

「いや、俺も手伝おう。つぎ足しの湯は準備できているのか? 着替えの支度は──」

「スウェル様…」

 湯舟ヘタイドを移した後、ニテンスがどこかたしなめるように名を呼べば、スウェルは困ったように表情を曇らせ。

「…傍を、離れがたくてな」

「分かっております。ですが、ここはもう安全です。誰もタイドを奪うものなどありません。安心してあちらで身支度を整え下さい」

「分かった…」

 うなだれたスウェルはとぼとぼと部屋を出ていく。タイドはその背に向けて。

「スウェル、後で髪を乾かして。乾かすの、とても上手だから…」

 すると、ぱっとその表情が明るくなり。

「分かった! あとでな? タイド」

 今度は弾む様に部屋を後にした。その姿を見たニテンスはスポンジに泡を立てながら。

「…まったく。今の姿を見れば、みな、目が覚めるでしょうに」

 王族の威厳も英雄の勇ましさも、微塵もない。そこにいるのは養い子の様子に、ただおろおろするだけのひとりのエルフなのだ。
 タイドはふふっと笑って。

「スウェルはもう、俺に興味なんてないんだって思ってた…」

「タイド?」

 ニテンスは泡立てていたその手を止めた。驚いたのだろう。

「だって…。もう一緒に寝ようとしてくれないし、抱きしめてもくれないし…。俺が他のエルフともめても、突き放してる…」

「それは──」

「分かってる。俺に強くなって欲しいんだって。人間がエルフの世界で生きることは大変なんだって、教えてくれようとしてるんだって。分かってる…。けど、時々、凄く寂しかったんだ。スウェルが俺から離れようとしているのが…。やっぱり、人間だから一緒じゃだめなんだって…」

 笑って見せたが、ニテンスは笑わなかった。そうして首を振ると。

「スウェル様は、ずっとタイドを大切に思っています。あなたに見えない所で、先ほどと同じように、いつもおろおろしていたのですから。あなたの前では強い姿を見せようとしてはいましたが」

「ニテンス…?」

「昔の、タイドに出会う前のスウェル様はかなり自暴自棄でした。理由はあったのですが…。しかし、タイドを得たことでスウェル様は変わりました。あなたの為に生きようと決意されたのです」

「そんな、大袈裟だよ…」

 タイドは赤くなった頬を隠すように、顔の半分ほどを湯に浸けた。
 ニテンスは泡を立てながら、タイドの髪を洗う。赤茶の髪がくるくると巻いた。

「いいえ。本当の事です。今のスウェル様があるのはタイドのお陰です。あなたの自立を促すためわざと距離を取っていただけ──。ただ、今回の件でそれも変わるかもしれませんが」

「変わる? それって?」

「…そんな気がするだけです。さあ、身体も洗いますよ。少し上半身を起こしてください」

「うん…」

 まだ身体がきしむ様で、ぎこちなく起こした。あらかたの怪我はスウェルが治してしまったが、打撲の衝撃はまだ残る。
 それを、ニテンスは手際よく、タイドが痛みを訴えないよう、そっと洗いあげていった。

「タイドはもっと自信をもっていいのですよ」

「自信?」

「スウェル様に大切に思われていると言う事です」

 ニテンスはそう言うと、微かに笑みを浮かべて見せた。それまでのタイドならにわかに信じがたかったが、今回の出来事でそれは理解できた。

「…うん。そうだね。ちょっとは自信、もてるかな?」

「大いに持って結構です。頭から湯を掛けますから、目を閉じて」

「ん」

 温かな湯が流れ落ち身体を包み込む。それは、まるでスウェルの思いの様だと思った。

✢✢✢

 湯から上がると、スウェルが待ち構えるようにそこにいた。
 自身の湯浴みも終えた様だが、その銀糸はまだしっとりと湿気を帯びている。それなのに──。

「さあ、髪を拭こう。こっちへおいで」

 そう言うとニテンスの傍からタイドを引き離し、寝室へと手を引いて行く。
 引かれながら、ニテンスに目を向ければ、やれやれとその顔に書いてあるのが見て取れた。
 部屋に着くと、早速タイドをベッドの上に座らせ、自分はその背後に胡座をかいて、せっせと髪をタオルで拭き出した。
 確かにスウェルの拭き方は丁寧で、自分で拭くより乾きが早い。スウェル自身の身支度は適当でも、タイドの身支度にはいつも時間をかけていた。
 思い返せば、ずっとそうだった。
 何をしていても、声を掛ければ、必ず手を止め。
 幼い頃。蝶が飛んでる、ネコが遊びに来た、鹿の子どもが歩いている。他愛もない会話でも、必ず目線を合わせ聞いてくれた。
 少し熱を出せば、ニテンスを追い出し、ずっと傍にいてくれもした。
 勉強も剣術も弓術も、学校で習うまではずっとスウェルから教わっていて。
 いつも自分より、タイドを優先してくれていた。

 それなのに、離れて寂しいなんて。分かっていなかった。

 向けられている思いに気づいていなかっただけ。距離を置くのだって、タイドの為を思っての事だと承知している。自分はスウェルに愛されている、そう思い直す。

 それなら、これから頼むことも、きっと断らないはず。

 それは、ずっと思っていた事で。

「そら、きちんと拭けた。これで跳ねないで済む」

 そう言うと、拭き終えた髪を手櫛で整えてくれる。

「うん、ありがとう。スウェル…、その…」

 いざ、口にしようとすると、気恥ずかしいのだけれど。

「なんだ?」

「今晩は…一緒に寝てくれる?」

 タイドの髪を梳いていた手が、一瞬止まるが。

「…いいよ。寝よう。久しぶりだな?」

 その返事に嬉しくなって振り返ると、スウェルは口元に笑みを浮かべていた。
 窓から差し込む淡い昼下がりの明りに照らし出されたスウェルはとても綺麗で。
 月の光を溶かしたような銀の髪。透き通った春の若葉を思わせる翡翠の瞳。

 スウェルが好きだ。

 唐突にそう思った。
 いや。今、気づいたのだ。自分がスウェルを好いていたことに。
 物心ついた頃からずっと傍にいた。
 記憶のどこにもスウェルの姿があって。それは景色の一部、あって当たり前のものだった。

 スウェルのいない世界なんて、考えられない。

 洞窟の中で、光を失い暗闇に堕ちた時、思いだされたのはスウェルの事だけだった。
 遠くなる意識の中、彼とこのまま終わる訳にはいかない、そう思った。

「さあ、夕食まで一休みだ。っと、その前に、これを渡しておこう」

 そう言うと、スウェルは一振りの短剣を差し出してきた。
 鞘にも柄にも竜の彫り物が施された美しい短剣だった。竜の目の所には赤いルビーがはめ込まれている。

「これはお守りだ。タイドが木の根元にいた頃からずっと君を守っていた。これならいつでも武器として手元においておけるだろう?」

「いいの? こんな高価なもの…」

「もともと、タイドの持ち物だった。君が大きくなるまではと思い、手元に置いていたんだが、そろそろいいだろう。今日のように危険な目に今後も遭わないとも限らない。持っていても邪魔ではないさ」

「ありがとう…。スウェル」

 受け取って鞘から引き抜くと、刀身にも竜が刻まれていた。
 武器というより、確かにお守りにも近い気がする。実際に使うことはないように思えた。
 それを再び鞘に収めた所で。

「さて、そろそろ身体を休める時間だ。身体がまだ痛むだろう? 頃合いになったら起こそう」

 引き上げようとしたスウェルの手を、タイドは掴んで引き留めた。おやと、スウェルの眉が上がる。

「スウェル…。眠るまでここにいて欲しい」

 すると、笑んだスウェルは。

「もとよりそのつもりだ」

 そう言って、手にした本を掲げて見せる。ここで読むつもりで持ってきてあったのだろう。

「眠るまでここにいる。それに──眠った後も、ここに。さあ、寝るんだ」

 そう言うと、横になったタイドの額にキスを落としてきた。
 間近で瞳を見つめると、なんだか照れ臭い。けれど、逸らすつもりはなかった。
 頬に触れる銀糸がくすぐったい。タイドは手を伸ばすと、そのスウェルの頬に触れる。

「おやすみ、スウェル…」

 スウェルは暫くこちらをじっと見下ろしていたが。

「…お休み。タイド」

 そう言うと、もう一度、今度は唇の端にキスを落としてきた。
 いつもより、長めのキス。
 それで、タイドはようやく目を閉じた。

✢✢✢

 ま、まずい。

 スウェルは夕食までの間、眠りについたタイドの傍らで分厚い本を開きながらも、目でその文字を追う事はなく。
 ただただ、先ほどからの自分の動揺を抑えるのに必死だった。
 タイドの傍を離れがたく、休むその傍らで夕食までの間過ごそうと、読みかけの本を持ちより傍らに準備していた。
 しかし、タイドはもっと長い間、夜寝る間、一緒にいたいと願い。それをタイドの方から望まれるとは、思ってもみなかった。
 いや、元々タイドは自分から離れようとしていなかったのだ。スウェルが勝手に彼の将来を思い、距離を置こうとしていただけで。
 もしかしたら、ずっとそうしたいと思っていたのかも知れない。半ば強制的に距離を置き出して、なのにタイドの方から求められ。
 思わずたがが外れた。
 タイドは人の生で十年生きただけ。まだまだ子どもだ。

 それなのに──。

 洞窟でタイドを見つけ出した時から、もう、二度とタイドを失いはしないと誓い。タイドを突き放すことなど出来ないと思った。
 それが何を意味しているのか。
 タイドにじっと見つめられ、つい、その唇にキスを落としそうになって。慌てて途中で逸らした。

 俺はキスをしようとしたんだ。

 単なるおやすみのキスではなく。もっと先の、大人のキスを──だ。

 まずいこと、この上ない。

 子どものタイドに俺はいったい何を考えているのか。
 いや、既に分かっていたことだ。自分のこの思いの種類がどういうものか。
 今まで出会った相手誰にも感じたことのないくらい、深い思いをタイドに向けている。それは自覚していた。
 それがどういう種類のものなのか、気付かないふりをしてきた。気付いてしまえば、取り返しがつかなくなると分かっていたからだ。

 その思いに、ずっと蓋をしてきたのに。

 タイドに間近で見つめられた瞬間、勝手に身体が動きキスしていた。
 それで、気付いたというわけだ。蓋はもう、どこかへ吹き飛んでしまった。

 俺はタイドを好いている。

 それもただの親愛の情ではなく。恋人を見るように、タイドを愛していた。抱きしめて、自分のものにしたいと思う程に。

 俺は──。

 もう、ごまかせない。
 けれど、気付いたからと言って、タイドから離れるつもりもない。そんなこと、今更出来るはずもなく。一緒に眠りたいと申し出たタイドを、突き放すことができなかったのだから。

 愛しくて仕方ない。

 本を閉じ、眠るタイドに目を向けた。
 まだ湿気を帯びる赤茶の髪。日に焼けた頬。薄っすらとピンクに染まる唇。なにより、深い森の奥のような瞳。
 タイドは美しい。どのエルフの子らにも引けを取らないくらい。
 けれど、あえてそれを本人には気付かせないでいた。周囲にも、タイドをただの平凡な人の子として映る様に、前髪で表情を隠し、本人にも人並みなのだと思わせるため、容姿を褒めはしなかった。
 自覚すれば自分の美しさに気づき、それを表に出すようになるだろう。そうなれば、周囲も気づく。
 幾ら人の子とは言え、美しいものには皆素直に反応を示すだろう。中にはタイドに好意を持つ者もあらわれるはず。
 そんなことにはさせたくなかったのだ。

 タイドは俺だけのもの。

 ずっと、そうであって欲しかったのだ。
 いつだったが、友人の薬師、シリオの元へ、タイドと共に遊びに行った際、ルフレと熱心に薬草の話で盛り上がっている様を見つめながら、シリオが口にした。

「…なんで、彼を隠す?」

「は?」

「惚けるな。タイドをわざと目立たせないように仕向けてる…。本人も自覚していないようだしな。彼は美しい青年になるだろう。──皆に知られるのがそんなに嫌か?」

「う、うるさい! タイドは──べ、別に、並みだ。普通だ!」

「まったく。それが、育ての親とは聞いて呆れる。タイドの未来を奪うつもりか?」

「奪うだって? そんなつもりは──」

「じゃあ、なんで隠す。彼は美しい。注目されれば、彼を慕うものも出てくるだろう。そうなればもっと交友関係も広まる。もしかしたら未来を決める出会いがあるかもしれない。それが、今のままでは狭い世界で生きることになる…。せいぜい出会うのは私かルフレか。その程度だ。──いや、まさか…」

「な、なんだ?」

「お前、タイドを──?」

「か、勘違いするな! 俺は、タイドの未来を思ってそうしているだけだ! 人とエルフでは先はない。辛い思いをするのはタイドだ。だから俺は──」

「人とエルフだって、婚姻した例はある。太古のエルフにもいただろう? どちらで生きるか、選択ができる。エルフが人と生きるか、または、人がエルフと同じ時を生きるか──。王族のお前が知らないはずがない。近い所では、お前の祖父の弟にあたるエルフ、ブロンテ様は、人の世界に降りただろう? その逆もありえる」

「…俺は…。別に…」

 シリオはため息をついた後。

「スウェル、人の子は成長が早い。後悔しないよう、素直になった方がいい。これは友人としての忠告だ。失くしてからでは遅い。…そうだろう?」

「…いわれなくとも、分かってる…」

 シリオは過去のスウェルの失恋を知っている。今は兄の妻となった女性に恋をして破れた。素直にならなければ、また失ってしまうと言いたいのだ。
 この時、シリオには自身の思いがばれてしまったのだが、今更隠しようもなく。シリオの前では認めた事になる。

 けれど、リュウールの時とは違う。

 タイドにはもっと別の愛情を抱いているだけだ。
 それはリュウールに対するものとは違うと、その時は蓋をした。
 けれど、シリオの指摘の通り、タイドを他のエルフの目から欺いていたのは確かで。
 ニテンスは傍らで何も言わずに見ていた。分かってはいただろう。スウェルがタイドを隠そうとしているのを。その理由がどこにあるのかも、知っていたのかもしれない。
 シリオに指摘された通り、スウェルはリュウールに向けた思いよりもっと深く、タイドを愛していたのだから。


「スウェル様、タイド、そろそろ夕餉の支度が整いました。──スウェル様?」

 ニテンスは僅かに開けられた扉の隙間から声を掛けたが、返事はない。
 不思議に思って中をのぞくと、ベッドの上に眠るスウェルとタイドを見つけた。
 タイドに寄り添うように眠るスウェル。その寝顔はとても幸福に満ち足りたもので。
 ニテンスは微笑を浮かべると、そっと身を引き静かに扉を閉めた。

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