Innocent World −Side Story−

マン太

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第五話 闇と光と

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 ルークスが意識を取り戻すと、見覚えのある彫刻の入った天井に目が行った。いつの間にか光の館に戻って来ていたらしい。
「ここは…」
 規則違反をしたものを罰するための懲罰部屋だ。
 ここでは全ての力を奪われる。どんなに光の力を使っても扉はびくともしない。そういう作りになっているのだ。
 シャワーや洗面所等はあるものの、窓もなく食事用の小さな小窓が足元に開いているだけ。
 明かりを消されれば闇しかない。
 外の様子が全く分からず、次第に焦ってきた。

 オレオルは闇の館へ襲撃をかけると言っていたが──。

 シンはどうなったのか。
 あのまま闇の館へ戻されたなら、無傷で済むはずがない。アルドル達が後を追ったが、彼らに救えるかどうか。

 シン──。

 出会って間もないと言うのに、何故か惹かれた。あの瞳に強く惹きつけられ、気が付けば深いつながりを求め。
 しかし、一方でオレオルに身体を開かれ搾取され。

 心が、壊れそうだ。

 膝を抱え蹲る。衣装は長く白い長衣のみ。
 一度だけ触れたシンのぬくもりを唇に探す。
 オレオルに触れられたことよりも、そちらに意識を向けた。

 無事でいてくれればいいが…。

 ここを出る手だてを考えるが、一人で出来ることは限られている。

 それでも、何とかしなければ。

 唇を噛みしめた。こうしている間にもシンの身に何かが起こっているかもしれないのだ。
 深く息をし、心を決めた。

+++

「ルークスと言ったか。あの光の神子の方はどうなっている?」
 デセーオは斬られた右肩の手当を受けながら、地下牢に繋がれたシンから目を離さず、報告を受ける。
「は、それが炎の部族が邪魔をいたしまして、苦戦しております。奴らの村に光の神子達が兵を集めたようで…」
「そうか。そこを拠点にこちらを攻めるつもりか…。私が出ていった方が早いな。彼の事は一旦、置いておこう。どうせ近いうちに手に入る…。目覚めはもうすぐだ」
 デセーオは自らの手を地下牢の薄明かりにかざし、暗い笑みを浮かべる。
 その指先に黒い炎が揺らいで見えたのは気のせいではないはず。
 虚ろな眼差しでシンはそれを眺めていた。

 闇の覚醒が近いと言う事か。

 すでにその為の力は十分蓄えてきたのだろう。デセーオは配下の者に目を向けると。
「今から光の館に向かう。奴らの裏をかいてやろう。こいつはここへ捨てておけ。攻め入った光の神子が処分するだろう。いや。その前に消滅するか…」
 ニヤリと冷たい笑みを浮かべて見せたあと、包帯を巻かれた肩をローブの下に隠し、踵を返し地下牢を出ていった。
 命令を受けた配下の者がシンの手枷を外すと、途端にその場へ崩れる様に蹲った。
「こいつには構うな。どうせ闇に食われる。巻き添えを食わない内に行くぞ」
 足音が去っていく。
 足元には自らの血だまりが出来ていた。鞭やナイフでつけられた傷は一つや二つではない。意識はあるかないか。
 アルドルの命により、この屋敷の傍まで連れて来られ開放された。その時点でかなり痛めつけられてはいたが。
 それでも、逃げようと思えばできただろう。デセーオの配下の者の腕など、たかが知れている。
 しかし、逃げなかった。
 捕らえようとした手下を斬り捨て、屋敷に飛び込むと、自室で休んでいたデセーオに有無を言わさず斬りかかったのだ。
 一太刀は右肩へと浴びせられたものの、あとは闇の力によって弾かれた。
 その後、捕らえられ地下へと繋がれ、デセーオに闇を植え付けられ、今に至る。
 出入口に見張りも立てていかなかった。
 そうだろう。植え付けられた闇は、なんの手を打たなくとも、徐々に身体を浸食し、内側から食らっていく。
 それは想像を超える激痛を与えるはず。
 デセーオはこの屋敷内でそうして幾つもの命を奪ってきた。
 今も彼らの断末魔の声が耳に残る。逃げ出そうとした下僕を消した時もそうだ。
 気に入って手元においていたが、その残忍さに下僕が逃げ出したのだ。
 下僕は闇に囚われながらも屋敷の外へ逃げ出したがそこで力尽き。それを、アルドルが見たのだろう。
 闇に呑まれる中、必死に伸ばした、その手が苦痛を物語っていた。
 後を追ったシンはただ、そこに佇んで呆然と見つめる事しかできなかった。
 ああなれば、助けることなど不可能だ。
 それが、今自分自身の中にある。

 これで、俺は滅びるのか…。

 まだ苦痛は訪れていない。だが、やってくるのは確実に分かっていた。

 もう、人には戻れない。

 デセーオに闇を植え付けられた闇の神子は、その力も得る代わりに闇に呑まれる。
 ごく普通の人間なら闇に直ぐに呑まれるが、ある程度の力がある者、闇の神子に選ばれる者なら、闇に侵されつつも、分け与えられた力を操ることができるのだ。
 その代わり、徐々に闇に染まり自我を失っていく。失ったあとはデセーオの操り人形となり、人を襲う獣と化すのだ。
 元々、闇の色を持つと言うだけで、シン自身はその身に闇を負っていなかった。
 他の配下の者たちは、力を得るためデセーオから闇の力を分け与えてもらっていたが、それなりに剣術の腕前をもつシンには必要を感じなかったからだ。

 闇に染まるのは、この髪だけでいい。

 そう思っていた。
 だが、今。自由を奪われ、デセーオから闇を植え付けられた。
 この闇は強い。気を確かに持たねば、直ぐに呑まれるのが感覚的に分かった。
 このままでいれば、闇と化した自分は、いずれ乗り込んでくる光の神子に消されるだろう。

 それが、ルークスだったなら。

 本望だと思う反面、彼にこんな姿を見せたくは無かった。闇に侵され、闇そのものになる。
 自我を無くし狂う自分など見せたくなかった。まして、彼に襲い掛かるなど、考えられない。

 せめて、デセーオに一太刀浴びせられたのが、救いだが。

 それも致命傷にはなってはいない。

 死ぬ前に、せめてデセーオをこの手で。

 それが、滅びる前、今の自分がルークスにしてやれる事だった。
「ルークス…」
 初めて見た時、光そのものが、人の形をしてそこにいるのかと思った。
 暗い森に湧く一筋の光り。目を離すことが出来なかった。暗い自分の心の中に、救いの光が訪れたようで。
 最後に触れた唇の熱を思い起こす。
 闇に侵された今、もう、触れることは敵わない。触れあえば、互いを傷つける。
 それなら、せめて彼の為、闇のおおもとであるデセーオを滅ぼしたかった。
 まだ、闇の力は完全に復活はしていない。
 それはデセーオの身体を媒体に増殖している状態だ。
 今、そのデセーオを倒せば、それは宿主を無くし消滅するしかない。
 デセーオが完全に闇と同化する前に行わねばならなかった。
 そう考えていた矢先、内側にチリと焼け付く様な痛みを感じた。闇の侵食が始まったらしい。
「く…っ」

 闇の神子が、闇に食われるとは…。

 痛めつけられた身体は相当痛んではいたが、これくらいで根を上げるようには出来ていない。
 ただ、闇の力が与える苦痛は根をあげたくなる。
 これ以上、内側の痛みの訪れない内に、デセーオに追いつきたかった。
 震える身体を起こし、なんとか立ち上がる。と、そこへ犬の吠える声が聞こえた。
「ノヴァ…」
 その口に剣の入った袋を咥えている。
 シンがその袋を受け取ると、ノヴァは切なげな声を上げて額をこすりつけてきた。
 主人の身体が闇に侵されていようと構わないらしい。その鼻面を撫でる。
「大丈夫だ…。だがもう、ここへは戻って来るな。ノヴァ、お前は賢い。新しい主をみつけろ」
 しかし、ノヴァはクンクンと鼻で鳴きながら、シンの手に額を擦りつけてくる。離れるつもりはないらしい。
「仕方ない。途中までだ…」
 シンは剣を支えに、そこへ立ち上がると、厩に繋がれた愛馬に跨り、ノヴァと共にそこを後にした。

 デセーオを追って光の館まで来ると、俄に騒がしくなっていた。
 闇の神子の姿も見えるが、それらと相対している兵がいたのだ。
 光の館にこれほど兵が残っていたとは。
 てっきりオレオルがそのほとんどを闇の館へ差し向けたと思っていたのだが。

 あれは──。

 胸当ての紋章はこの地方を治める領主のものだった。中心に立って、勇ましく声を上げ、激を飛ばす者がいる。
 濃い茶色の髪に蒼い瞳。
 容姿や体躯は違うのに、凛としたその様が彼の人を彷彿とさせた。
「引くな! 館を守れ! これ以上、入らせるな!」
 光の神子でも下の者と思われる者たちが立ち向かっているが、兵の様にはいかないらしい。
 手間取った所を闇の神子が襲う。
 それを蒼い瞳の青年が、素早く対応し斬り倒した。
「神子は中へ! 手出しは無用! ここより広間に向かえ! 闇の神子の本体はそちらだ!」

 本体?

 ハッとして、慌ただしく中へかけていく神子に目を向ける。

 もしや、デセーオか?

「ノヴァ、お前はここで馬と待て!」
 馬をひと目につかない安全な木陰へ隠すと、指示を出し一人館へと向かった。

+++

「闇の神子の館は?」
 オレオルは馬に跨がり、暗い森の先に目を向ける。
「この先です。しかし、奴らも撃って出ている様で。今は炎の部族の者が応戦しております」
「まったく。奴らの親玉はどこにいる? 館にいるのか? ルークスの話しではまだ人の姿をしているようだが…」
「見えてきました! あの屋敷がそうです」
 そう言って部下が指示した屋敷は、かなりの時代を経た代物で、廃屋とも見間違う程の建物だった。蔦が城壁を覆い鬱蒼としている。
「さっさと親玉をやって帰りたい所だな…」
 うんざりしたようにそう口にした。
 光の館に置いてきたルークスを思う。
 意識を取り戻せば、なんとしてもあそこを出て、こちらに向かおうとするだろう。
 しかし、あの部屋の警備は硬い。それに光の神子の持つ力は使えない様にできていた。

 大人しくしているといいが。

 ルークスには再び光の守護の力を施した。
 次にまた闇が触れても身の安全は確保されている。だが、一度触れられれば解かれてしまう。完全ではない。
 その為、ルークスが逃げ出さないよう、厳重に警備させた。
 闇の神子はルークスに目をつけたのだろう。
あの光の力を闇に変えれば相当なものになる。しかし。

 誰にも触れさせない。あれは──私のものだ。

 本人は自覚していないが、ルークスは人を惹きつける。
 光の神子は誰もが似たような金髪をしているのに、彼の金糸は光を受けてまばゆく光る。
 青い目は透き通り、澄んだ明け方の空の様。肌は白く燐光を放つ。
 ルークスは特別だった。闇が彼に目をつけるのは当然だ。

 私もうかつだった。単なる調査だと思い込んでいたからな。でなければ、一人でなど行かせなかった。

 ふと、先ほどのシンと呼ばれた男を思い出す。ルークスは完全にシンに心を開いていた。思いを向けていた。
 それは、自分が得ようとしたものだ。
 いつかは身体だけでなくその心も得たいとそう願っていたのに。

 邪魔さえ入らなければ、この手に堕ちたはずなのに。それを──。

 余計なものと出会わせてしまった。
 横合いから突然現れた男に、しかも闇の神子の配下に奪われるなど、あってはならない事だった。

 認めない。

 なんとしても、二人を引き合わせることを阻止しなければ、そう思った。
「オレオル様、ここは危険です。背後にお下がりください」
 前線では闇の神子との戦闘が始まっている様だった。しかし、思ったより敵の手勢が少ない気がするのは気のせいか。
「いい! それより、館の主はどこだ?」
「は! それが…たった今入った報告では、館をたったらしいとのことで…。向かったのここから南西の方角──」
「まさか、光の館か?」
「確かではありませんが…」
「ここはいい! それより光の館にもどる!」
「は!」
 隊の長が皆に指示を伝え、すぐに光の館へと踵を返した。
 光の館には神子たちがいる。兵が手薄であっても、そう簡単にはやられることはない。
 だが、相手の力量を計り切れていない。その主人の力がどれ程のものなのか。
 もし、完全に覚醒しているのなら、光の神子が束でかかっても危うい。

 それに、館には──。

 急いで馬を走らせた。

+++

「どうした? 具合が悪いのか?」
 警備していた兵は、床に伏したまま動かないルークスに不審に思い声をかけてきた。
 先ほど、手にした食事のトレーを手にしたまま倒れた。
 派手な音が響き、先ほどのやりとりとなる。
 声をかけても動かない事に業を煮やした警備兵が、用心しながら扉の鍵を開けた。
 そこは二重になっていて、どちらか一方を閉めなければ、一方の鍵が開かない仕組みになっている。それでも、内側の鍵が開けばどうとでもなる。
 ルークスは警備兵が近づくまで待った。
「どうした? 意識がないのか?」
 兵の手が肩にかかった所で、突然、起き上がり警備兵を押し倒すと、その手首をひねり上げ、背に回した。
「お、おまえ…!」
「済まない。暫く大人しくしていてくれ」
 言うと男の背へ首元へ手刀を入れ、気絶させる。兵を端へ避け、鍵を奪い締まっていた外側のドアを押し開いた。

 警備が手薄だ…。

 オレオルの事だ。もっと厳しく監視していると思ったが。
 と、上階が騒がしいのに気がつく。

 何があった?

 別棟にあった部屋の階段を上がり、上階へと出ると、慌ただしく走る警備兵とすれ違った。光の神子ではない。
「何があった?」
 自分が囚われの身になっていたことは、知らなかったらしいその兵士は、目を見開くと。
「ここにおいででしたか!ルークス様。全ての神子はすぐに上階の広間へお集まりください! 闇の神子が兵を引き連れて来たのです!」
「闇の神子が…」
「そうです! 皆、光の神子は広間で対峙しております! どうかすぐに!」
「わかった!」
 兵士の言った先、広間へと駆けた。

 闇の王、デセーオが乗り込んできたと言うのか。

 彼にとって、光の神子は邪魔な存在だろう。力が覚醒したのなら、真っ先に倒しにくるはず。

 であれば、力が満ちたと言う事なのか。

 シンを思いつつも、それだけでは済まされない事になってきていた。

 オレオルは、まだ帰って来てはいないのか…。

 自分を抱きながら、配下の者を引き連れ闇の神子の館へ向かうと語っていた。
『君は休んでいるといい』
 そう冷たく言い放ち、ルークスが意識を飛ばすまで苛んだ。
 確かにルークスの身体には、闇の力を受け付けない力を施してはいるのだろう。
 身体に薄く膜を張るようなものではなく、内側からも守護を施す。上級者でなければ出来ない芸当だ。
 抱いているようでいて、それは全てに守護を施している。しかし、受け入れられる行為ではない。

 これが、シンだったなら──。

 ふとそんな思いが過る。

 これが、彼の手によるものなら、どれだけ嬉しかったか。

 バカな願いだと直ぐに頭を振って打ち消す。
 気がつけば辺りが騒々しくなってきていた。広間に近付くにつれ、警備兵や神子が走り回る。
 そのうちの一人を捕まえて状況を尋ねた。グレーの着衣は修行中の神子だ。
「今はどうなっている?」
「それが、闇の神子同士で争っているようで…」
「神子同士?」
 その言葉にまさかと思った。動悸が激しくなる。急いで広間に向かった。
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