Take On Me 3

マン太

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40.暗い瞳

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 部下達は大和を捕らえそこねた。
 どうやら、誰かに先回りされていたらしい。それが誰か、部下の報告で分かった。

 鷗澤岳──。

 自らも出張って来るとは。
 相当、あの宮本大和が大事らしい。狙い所は間違っていなかった様だが。

 そこまで、人を思えるものか?

 久我には分からない。

「仕方ねぇ…。そのまま、奴も囲め。ガキ共々、ここへ連れてこい」

「はっ」

 恭しく頭を垂れた部下が、足早にそこを後にする。久我は銃の弾を確認し、それを背に差し込んだ。
 それまで、部屋の隅でじっとしていたラルフが口を開く。

「…どうするの?」

「どうするも何も、聞いていただろ? せっかくだから、二人まとめて手厚く歓迎してやるさ」

「どうしてそこまで? 彼らは直接、隆一に手を出してはいないだろ?」

 久我は笑うと、
 
「古山さんを陥れた。それで十分だろ。──俺としては、遊びたいのが本音だがな。まあ、向こうもこのままで終わらせようとは思っていないだろう…」

「でも──!」

 ラルフが声を上げた所で、部下が慌ただしくドアをノックした。

「入れ。どうした?」

「それが、奴が──っ!」

 戸口で口を開きかけ部下が、唐突に言葉を切って、どっとこちら側に倒れ込んでくる。見れば気を失っていた。

「あ──」

 ラルフが声を上げる。
 床に倒れた部下の背後から、ユラリと人影が現れた。それを見た久我は薄ら笑う。

「えらく早い到着だな? ──鷗澤岳」

「面倒事は早く済ませるたちでね…。大和と藤が面倒をかけたな? 随分、丁重に扱ってもらった様だ──」

 言うが早いか、部屋に入ったと同時に久我に向かって足蹴りを喰らわしてくる。勿論、久我はかわしたが。

「随分、荒っぽい挨拶だな。──だが、早く終わらせる事ができると思うなよ? …お前は存分に可愛がってやる」

「遠慮する──!」

 更にずいと近寄り、左顔面に拳を叩き込んで来る。素早く避けた久我は、お返しとばかりに蹴りをいれた。岳はそれをかわし一旦、距離を取る。
 
「逃げんなよ──」

 ニヤリと笑った久我は、そこからスピードを上げた。更にキックやパンチを繰り出し、岳の動きを止める。岳は素早い攻撃に防戦一方となった。

「どうした。こんなもんか? あのガキの方がまだ根性があったぞ?」

「…大和を何発殴った」

「さあな。まあ──大人しくなる程度には」

 そこでようやく岳が鋭いフックを繰り出し、久我の左頬にヒットさせた。
 だが、僅かに反らせた為、当たったものの致命傷にはならない。久我は軽く血の滲んだ唇を舐めると。

「…ふん。久しぶりにやり甲斐のある相手に会ったな…。あのデカ物もかなりのモンだろ? 惜しいことだな。今じゃ、ガキのお守りだ。お前だって幾らでもやれただろうに。──そんなにあのガキが良かったか? そいつの方が可愛がりがいがあるだろ?」

 そう言って、部屋の隅で恐怖に動けなくなっていたラルフヘ顎をシャクって見せた。
 しかし、岳は苦笑し口元に笑みを浮かべると。

「今のお前に、大和の良さは分からない。分かれとも言わない──」

 言い終わるか終わらないうちに、久我に詰め寄り、脇腹目掛け蹴りを喰らわしてきた。
 これもヒットした。
 久我は一歩、後退する。その後の攻撃も、岳が押していく。
 気がつけば、はじめこそ防戦一方だった攻撃は、いつの間にか岳が優勢になっていた。

「っ…。様子見してやがったか…!」

「藤と大和を痛めつけた分は返してもらう」

「フン…。やられると思うか?」

「やれる──だろ!」

 言うと、そこから一気にギアを上げた。
 久我も怯まないが、手数は岳の方が多い。
 素早い攻撃に、久我の足元が一瞬、揺らいだ。それを見逃さず、腹めがけ強力なパンチを繰り出してくる。

「──ッ!」

 久我の身体が初めて床に沈んだ。

「隆一…!」

 思わずラルフが声を上げ、駆け寄ろうとするが、

「来るんじゃねぇ! 邪魔すんな。面白くなってきた所だ…」

 久我は腹を押さえ立ち上がる。かなり効いたのは確かだ。

「もう終わりだろ? 沈められるまでやりたいのか?」

 岳も息が上がっていた。ヒットした幾つかのパンチのせいで唇に血が滲み、頬も腫れる。

「…やってみせろよ?」

 久我はニヤリと笑う。
 
「いい心構えだ──」

 岳は再び、拳を振り上げた。
 更に攻防は続く。五分にも見えたが、やはり岳の方が一歩リードした。
 先程のパンチが効いているのだろう。動きが鈍る。脇腹に岳の蹴りが決まり、久我が再び床に片膝をつく。

「これでおしまいだ…」

 岳は最後の仕上げとばかりに、久我の前に立った。
 と、それまで床に伸びていた筈の部下が目を覚まし、状況が久我に不利と分かると懐に手を伸ばす。

「野郎…っ!」

 銃口が岳に向けられる。
 岳は部下を背にしていた為、反応が遅れた。振り返るが間に合わない。

「危ない…!」

 それを見ていたラルフが、咄嗟に部下に体当たりした。
 銃声が辺りに響く。
 弾は岳を逸れ、天井に穴を空けた。岳はすぐに部下を蹴り上げ、銃を奪う。
 それを見た久我は膝をついたまま笑った。

「フン…。情夫に裏切られるとは。俺もついてねぇな」

 ラルフはハッとしたが、唇を噛み締め俯く。岳は奪った銃を久我に向け、

「あんたこそ、何故銃を使わなかった? 一発で仕留められただろうに」

「…それじゃ、面白くねぇだろ? …俺は強い人間とやり合うのが好きなんだ。そいつを更に力でねじ伏せる──。這いつくばって、許しを請うまでな──」

 そう言うと、素早く立ち上がり、蹴りで岳の手にした銃を弾き落とした。そうして、胸倉を掴んでみせる。
 あっと言う間の出来事で、流石の岳も反応仕切れなかった。

「銃じゃ直ぐに終わるが、ナイフならそうは行かねぇ。生かしたまま、幾らでも苦しませる事ができる。──それが、堪んねぇんだ…」

 腹にピタリと鋭い切っ先が当たる。
 銃以外にナイフはいつも忍ばせていた。実はこちらの方が久我の得意とする得物だった。

「……」

 岳の額に冷たい汗が浮かぶ。

「このまま、腹刺すだけじゃつまらねぇ。ついでに両腕の腱切り刻んで、二度とカメラなんて持てねぇ身体にしてやる。目も潰してやろうか…。一生、苦しみにのたうち回れ。古山さんを陥れた事、後悔するんだな。──覚悟しろ」

 グッとその手に力を入れた所で。

「警察だ! 手を上げろ」

 どっと人が雪崩れ込んできた。

+++

「ナイフを捨てろ! 手を頭に乗せるんだ!」

 突然、入って来た警官は、銃を構え久我を狙う。岳には目もくれなかった。

「は…」

 これ以上の攻撃は無理だった。
 久我は諦めた様に、岳の胸倉から手を離すと、ナイフを放り首を振って苦笑する。
 ガチャンと音を立て、ナイフが床を滑った。

「…やるな。サツに知り合いでもいたのか?」

「友人は多い。中にはいるさ…」

「俺とのやり合いは時間稼ぎか…。ったく、嵌められた。──完敗だ」

 言う間に、ザッと久我の周りを警官が取り囲み拘束した。久我はチラとラルフに目を向けると。

「そいつはここにたまたま居合わせただけだ。間違って逮捕すんじゃねぇぞ」

 同じく警官に取り囲まれたラルフに、周囲の警官に向けてそう告げた。

「隆一…」

「お前とは、これきりだ」

 そう言い残し、警官に連行される久我の背をラルフは見つめる。

「あなたも署で事情を聞かせてもらいます」

 呆然と立ちすくむラルフを警官が促す。
 と、一人の私服警官が久我と入れ違いに入って来た。
 身長はそう高くないが、目が良く動き、抜け目ない感じだ。寝起きのままの様なクセ毛が渦を巻いてフワフワ揺れている。
 ラルフを認めて目を丸くすると。

「わっ、本当に綺麗だね? 女性!──じゃないか…。ああ、大人しくね。暴れると捕まっちゃうよ? そっちは俺が着くまで聴取待ってね」

 部下に指示する。そっちとは久我の事らしい。ラルフも見送った後、岳に向き直り。

「で? 後輩は元気かな? 顎で先輩を使う気分はどうだい?」

「助かりました…。一条先輩。でも、もう少し早くても良かったですけど」
 
 すると、一条と呼ばれた男は、不敵に笑い。

「…僕に文句を言うのは、君と奥さんくらいなもんだよ。ったく。ほら、サッサと行け。君は透明人間だ。ここにはいない。──待っているんだろ?」

 最後のセリフは声を潜めた。岳は笑みを浮かべると。

「ありがとうございます…」

 そう言って、そこを後にした。

+++

 一条は大学時代、山岳部の先輩だった。
 一年の時、三年生で。小柄だがパワーがあり、皆をグイグイ引っ張る、そんな存在だった。
 当時から面倒見が良く、岳も世話になっていた。自分が紗月と付き合っていた時も、そう言う事もあるだろうと、別段、気にする風もなく。
 ただ、二人きりになると、男同士はどうやるんだと、真剣な顔で聞かれることは度々あったが。
 真面目だけれど機知に富み、頭の回転が早い。それは晴れて警察官となってからも変わらず。
 今回の件も途中から相談に乗ってもらい、久我の逮捕まで至った。
 久我を抑えるのには、ヤクザの繋がりだけでは限界だと感じたからだ。あの磯谷が言っても聞かないのだ。勿論、古山の言うことなど、聞くはずもなく。
 動きを封じるにはこの手しかなかった。
 久我は違法薬物の売買、障害罪、脅迫罪、その他諸々、叩けばいくらでも出てくる人物で。
 警察でも要注意人物として注視していたらしい。その為、今回は協力を得やすかった。

 一条先輩には、感謝だな。

 勿論、大和との関係も知っている。
 磯谷の友人の上役も含め、情報は共有され。だから、この件で警察から追求されることはなかった。
 マンションを出ると、すぐに藤と大和が待つ車を見つけた。そこでずっと待っていたらしい。約束の三十分はとうに過ぎていた。
 藤は岳の姿を認めると、車から飛び出してくる。

「ったく。部下失格だ」

「…もう、部下ではありません。不遜ですが、友人のひとりとして、お待ちしていました」
 
 すると、岳は苦笑してみせ。

「不遜じゃない。──大事な友人だ。ありがとう。藤」

 ポンと胸元に拳を当てた。

「いいえ。無事で何よりでした…。それでは、これで──」

 そこで藤は大和を引き渡すと、自分の車に戻って行った。
 岳はひとり、車中に眠る大和を見つめる。助手席で、ぴくりともせず眠り込んでいた。

 大和。

 ようやく、この手に戻って来た。
 もう、離さない。

 岳の瞳に暗い光が灯った。

+++

「岳。それで、大和はどこにいる?」

 久我の元まで大和を迎えに行ったはずの岳は、帰ってきた時、大和を伴ってはいなかった。岳の頬には腫れが残り、唇の端には絆創膏が貼られている。
 途中連絡があり、帰るまで時間がかかるとは言われていたが。今も必要なものだけまとめてすぐに出ていく気らしい。

「別に…。安全な所にいる。俺も当分、そこにいる。仕事はうまく調整したから気にしなくていい」

「仕事の事なんて、どうでもいい。大和を何処へ連れて行ったんだ?」

 亜貴も七生も寝ている時刻。
 リビングではなく、岳の仕事場にしている隣の棟の一階で腕組みして、ソファに座った岳を見下ろすのは真琴のみ。
 その岳の脇には大きなソフトバッグが置かれている。大和の衣類が入っている様だった。岳は深々とため息をつくと。

「大和は俺のパートナーだ。どこに連れて行こうと俺の自由だ」

「大和は俺たちの家族だ。心配するのは当然だろう? …家族に言えないとはどういう事だ? そこまで信用がないのか?」

「今はなんと言われようと、言うつもりはない」

 岳は頑なだ。それに、いつもと様子が違う。目に光がないのだ。その様子に真琴は訝しむ。

「お前、可笑しいぞ? 何かあったのか?」

「…可笑しくなんかないさ。大切なものを安全な場所に隔離しただけだ。安全になったと思えるまで、ここへは連れてこない」

「岳…。やはり可笑しいぞ。前のおまえなら、そこまで頑なにはならなかったはずだ。何があった?」

 岳はしかし、口を開かない。ただ、黙って腕を組んだままソファに座っている。

 これは、梃子でも話さない気だな…。

 真琴もため息をつくと。

「わかった、もういい…。だが、大和は無事なんだな? それだけは確認させてくれ」

「勿論だ。元気にしている…」

 岳の瞳には暗い色が浮かんでいる。
 こんな目をするのはいつ振りか。ヤクザになったと告げられた時以来か。岳の中で何かが起こっている。
 岳が手を回し、久我は逮捕された。
 久我の相手だった、ラルフというモデルの男も捕まった。こちらは違法薬物所持の罪だ。初犯ということで、久我よりは軽く済むだろう。
 それらの情報を、楠を通した磯谷からと、岳の山岳部時代の先輩からの報告で知った。だが、大和の行方が知れないのだ。
 岳はバックを手におもむろに立ち上がると、

「大和のことは気にしなくていい。俺がなんとかする…」

「なんとか、か? 何があったかは聞かないが…。思いつめてバカな気を起こすなよ?」

「……」

 それに対して一瞥しただけで、岳は真琴の横をすり抜け、別棟の玄関から出ていった。

 長く付き合ってきたのだ。普通ではないことくらいすぐわかった。

 仕方ない。藤に聞くか──。

 唯一、この状況を知っている男だ。
 藤は岳に忠誠を誓っている男で。そう簡単に口を割るとは思えないが、やはり大和の状況が心配だ。それを告げれば藤も口を開くだろう。
 岳の瞳を思い出すにつけ、気が重くなる真琴だった。


 藤とは直接会って話した。仕事終わり、近場の喫茶店に入る。
 藤の顔には所々、大ぶりの絆創膏が貼られていた。顔も一部分がまだ腫れている様子。
 今回の件で負った傷だ。医者の副島がこの程度で済むなんて化け物だと言っていたようだが。
 ジムの関係者には、派手に転んだと言ったようだが、果たしてそれを信用したかは分からない。
 一連の事情を話すと、藤は仕方ないとばかり、ある事を話してくれた。
 大和を助けに久我のマンションへ向かった際、大和が岳とは終わりだと告げたと言うのだ。

「それを岳さんに報告した時は、特に変わった様子はなかったんですが…。岳さんの様子がおかしいのなら、原因はそれしかないかと」

「終わり、か…。なんでそんなことを…」

 それで、あれか。

 ようやく合点がいって、真琴は溜飲を下げるが。

「大和は、その後どうしているんですか?」

 藤の問いに逡巡したが、話してくれたのだ、答えないわけには行かない。余計な心配をかけるのはどうかと思うが。

「分からない…。帰って来ないんだ。岳が何処かに匿っているらしいんだが、一向に行き先を教えてくれない。本人は無事だと言っているから、大丈夫だとは思うが…」

「そうですか…」

「藤は岳がヤクザになったばかりの頃の事を覚えているだろう? あの時とよく似ている。バカな真似はしないと思うが」

 藤は少し考えるようにしたのち、

「俺は──岳さんを救えるのは、大和だけだと思っています。そうなった原因が大和との事にあるなら、尚更。大和が決断すれば、岳さんは従わらざるを得ません」

「まあ、そうだが。そうなるまでの大和が心配でな…。あいつの事だ。脅すようなことはしないだろうが…」

「そこは、俺にもなんとも…」

 藤も岳の気性は知っている。決して激高して無茶苦茶をするタイプではないが、その分、キレている状態が分かり辛いのだ。
 表では分からないから、スイッチがいつ入ったのか分からない。気付くと、無茶をしていることがあった。
 だが、それも頻繁にあったのではなく、ごくまれで。当時は亜貴の事がからむとそうなっていた。
 一度くらいなものだ。
 まだ幼い亜貴に手を出そうとした変質者を瀕死の状態にした。
 あの時はまったく誰もキレていることに気付かなかったが。止めに入らなければ相手は生きてはいなかっただろう。

 暗い瞳。

 あれが表に見えているときは危ない。

 酷いことはしないと思うが。

 藤と共に大和の行方を案じる事しかできなかった。

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