叫ぶ家と憂鬱な殺人鬼(旧Ver

Tempp

文字の大きさ
上 下
46 / 81
第4章 芸術家変死事件

芸術家の奇行 残されたメモ

しおりを挟む
 まずは喜友名晋司という人物の詳細を確認しよう。
 喜友名晋司は日本の抽象画家である。
 絵具を多層に積層するスタイルで独創的な作品を制作した。月展を始め、短期間に複数の賞を受賞し、個展なども数回開かれていた。
 元来資産家の一族で本人は就職せず絵を描いて過ごしていたが、注目を集めたのは『落日の悲歌』で月展入選した38歳の時。当時から作品の評価は大きく分かれ、賞は逃したものの画壇で話題になった。ある選者は特徴のない茫洋な絵と評し、ある選者はこの世にこれまで存在しなかった新しい価値観を生み出したと評する。
 喜友名晋司は当該作品の入選以前は静物画を主として描いていた。以前の作品とは画風が根底から異なり、一時は身代わり疑惑まであったらしい。
 へぇ。あれはそんな凄い絵だったのか。
 丸が描かれているだけだと思ったのによくわからないもんだな。茫洋かどうかすらわからない俺は、それ以前なのだろう。続きに目を滑らせる。
 人気が高まる中、喜友名晋司は何者かに斬殺された。惨殺。惨殺ということは殺人事件なんだろうな。当時の新聞のデータをを開く。

芸術家変死事件。
 9月8日午後2時過ぎ。個展の打ち合わせに美術商が自宅を訪れたが玄関が閉まっていた。喜友名晋司は自宅2階をアトリエにしていたことから、直接呼び掛けようと庭に回ったところ、庭に切断された左手肘から先の部分を発見した。美術商は通報し間もなく警察が臨場。邸内でバラバラになった喜友名晋司が発見された。

 ふうん。バラバラか。
 何でバラバラにしたんだろう。通常人体をバラバラにする目的は、小さくして隠すためだ。法医学の授業でもそう習ったし、納得できる。けど庭に捨てるなんて見つけてくれと言っているようなものだろ? 何のためにバラバラにした?
 結局のところ犯人は見つからず、お蔵入りになったようだ。

 続けて同時期の該当する雑誌を開く。
 死亡推定時刻は同日の午前8時から9時ごろと思われる。平日の通勤時間帯であるが、不審な物音や人影についての目撃情報はなかった。
 1つだけ、気になる記事があった。
『大芸術家の奇行』
 要約すると、生前の喜友名晋司は家で夜な夜な人を殺してその血を絵具に混ぜて絵を描いているというもの。よくこんなの掲載したなぁ。真実かどうかはともかく、名誉棄損で訴えられてもおかしくないぞ。ライターは芝山彰夫しばやまあきお。勇気あるなこの人。
 表紙を見ると『スクープOK!』。またこの雑誌か。すげぇ。

 検討すべき事項。
 現在のところ、喜友名晋司が今のバイアスの一番上にいるのだとしても、その呪いはどのようなものか皆目見当がついていない。確認する前に柚に弾き出されてしまった。まずは1度中を見てみないと話が始まらない。
 もう1つ。柚に会いに行くかどうか。
 確認したいことがある。あの『扉』を通してどの程度俺を特定しているか、だ。それによって接触の危険性が多少異なる気がする。
 昨夜、柚がこちらを認識したのは確かだろう。けれども認識したものが俺の姿なのか、それとも影にすぎないのか、それがわからない。小藤亜李沙は俺の姿を影だと認識していたようだ。俺も小藤亜李沙の姿自体をはっきりとは認識していない。柚が小藤亜李沙と同様に俺を個別認識していないのであれば、あまり気にせず覗いても問題がないのかもしれない。
 俺と特定されている場合はどう影響するかな。同じ人間が再びいるように見えるのなら、それが家の中を彷徨いているなら、それは通常、不快だし恐ろしいだろう。
 柚のキャラクターを知っている公理さんの意見も踏まえた方がいい。

 図書館を出て空を見上げると、明るい水色に白の縞が入っていた。春の風が柔らかく耳朶を抜ける。心地いい。ピルルと雲雀の鳴く声が聞こえる。ピクニックにでも行きたい日和だ。
 スーパーで買い物をして帰ると、公理さんはまだ寝ていた。
 昼はどうしようかな。昨夜は小藤亜李沙と直前まで打ち合わせをしていたから晩飯はカップ麺で済ませた。それから俺は倒れてしまったから公理さんもまともなものは食べてないだろう。朝はポテチとか芋けんぴとかの菓子の袋が散らかってたし。芋けんぴってワインと合うのかな? 朝床に転がっていた何本かの瓶を思い浮かべる。飲まないからわからない。
 昨日は随分公理さんにも負担をかけた。
 次の事件は喜友名晋司だ。惨殺死体。それは腐乱死体よりは少しはましなんだろうか。俺に芸術はわからない。大量不審死事件のような流れになるなら、ますます公理さんの協力が必要だ。少しでも気分を上向きにしなければ。
 うまい飯をたくさん作ろう。……米はまだ無理だろうから、ブルスケッタとかピンチョスとかひと口サイズのをたくさん作るか。華やかだし、ピクニックっぽい感じで。
 公理さんが眠るソファの向こうの空は優しく明るい。街並みからのぞく若葉の色からも春の気配が漂っていた。
しおりを挟む

処理中です...