[R18]トロンプ・ルイユ(旧Ver

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9.新しい皮膚に変わらないキスを。大丈夫、何も変わらないから。

真意だけど、試しに言ってみただけの言葉。

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 食事は少し豪華にフレンチ。優しく微笑む片桐さんを眺めながらカジュアルな軽いコースでおなかいっぱいになって家に帰ると21時を回っていた。
 寝るまであと3時間ほど。そっと片桐さんが俺を抱きしめる。片桐さんの首に腕を回してキスをする。唇の表面を舌でなぞっていると片桐さんの舌が少し出てきて口の中にギリギリ入らない範囲でちろちろ絡める。柔らかい舌先がくすぐったく俺の唇を湿らせる。小さな音がする。したい。舌が入ってこないのは片桐さんの遠慮。ううん、どうしよう。まだ考えてる期間中なのにしたくてたまらない。片桐さんが欲しい。俺が我慢できない。でも、俺は片桐さんの意思で抱いて欲しい。だから我慢。

「あの、啓介、今日はどうしましょう」
「どうしましょうか」
「まだ考え中でしょうか?」
「そうですね……。なかなかすぐには」
「そう、ですか」
「片桐さんはしたいですか?」
「私は、その、そろそろしたい、です」

 おずおずとした声。したい? 片桐さんからの表明は初めてだ。本当に? 嬉しいな。
 本当にしたいと思ってくれているのなら嬉しいけど、でも俺がここのところ毎晩ずっと勃ってるからのような気もするな。なんとなく、遠慮というか、どうしていいかわからないというような空気も感じるから。
 でも俺もしたい。片桐さんが俺を気遣ってくれるのだとしても嬉しい。片桐さんがしたいと言ってくれるそのこと自体が。求められた気になるし。

「そう? じゃあ、しましょうか」
「いいんですか?」
「もちろん」

 なるべく冷静を装うけど、すると思うと我慢ができない。期待に勝手に息が浅くなる。でももう少し触れていたい。そうでないとまるで俺がねだっているみたいな。まあ実質はそんな気がするけど。背中に手を入れる。とても愛しい。欲しい。中が疼く。
 それ以外のことを考えようとして、ふと昼間の会話を思い出す。

「全部描いたら俺に裸をみせてくれるんですよね?」
「あの、嫌でなければ」
「嫌じゃないです。でも治していない今の片桐さんも好きですよ。怪我は気にしていないです。それは、わかる?」
「一応、はい」
「だからあの、今見ては駄目でしょうか」
「今?」

 一瞬片桐さんの体が硬直する。

「嫌なら絶対言ってください。嫌なことはしたくない。『お願い』。本当に嫌なら教えてください」
「……どうしたらいいんでしょう」

 嫌、では、ない? でも『わからない』または『どちらでもいい』か。桜川さんはこういう時は押し付けて大丈夫とか言ってたけど、俺はそういう時は保留がいい。大事なことだから、片桐さんの意思で決めて欲しい。それがとても難しいのだとしても。わからなくて、やってみたら嫌だった、というのは嫌だし。それに急いでない。俺と片桐さんは『付き合っている』。だから急がない。こういうのはゆっくりでいい。

「わからないなら、保留ということです。また今度に」
「いえ、そういうわけでは」
「そういう?」
「あの、なんだかその、見てほしい気持ちで、でもとても怖くて」
「見てほしい? 怖い? 怖いは心配しなくていいですよ。片桐さんを嫌いになることは絶対ないから。わかりますよね?」
「その、お腹は腕より酷いんです。背中はもっと酷いんです。触って、わかりますよね?」
「大丈夫です。でも片桐さんが躊躇うなら見ようとは思いません。本当に。この背中も大好きです」

 シャツの下に入れたままの手で片桐さんを抱き寄せる。片桐さんの体は硬直し続けている。片桐さんの喉がごくりと鳴った。

「あの、では試しに背中を少しだけ見てもらって、それで大丈夫そうでしたら。あの、背中の下の方を少しだけ」

 とてもおそるおそる、という感じの声。
 見ていいのかな。嫌じゃないなら本当に。それなら背中でよかった。嫌いにならない確信はあるけど驚かない自信は完璧じゃなかった。右上腕を見た時のあの悲しそうな片桐さんの顔が思い浮かぶ。もうあんな顔はさせたくない。
 片桐さんは不安そうにゆっくりと後ろを向いた。

「あの、でも気持ち悪かったら、そこでやめてくださいね。本当に」
「はい。大丈夫です、気持ち悪くなんてないから」

 気持ち悪かったら? そう思わない自信はある。でも、片桐さんはひどく怖がっている。やめたほうがいいだろうか。いや、もう後戻りはできない。ここで辞めてしまったら気持ち悪いと思われたと勘違いするかもしれない。それは絶対嫌だ。絶対に。

 意を決して恐る恐る裾をめくる。喉がごくりとなる。酷い。
 引き攣れて、色が変わって、雑に盛り上がって、削られて、盛り上がったり凹んだりしていて、縮れている部分があると思えば妙に水ぶくれのようになって固くなっている部分があって、雑に縫われたまま固定されたり押したら凹むところとか、ところどころ何故か何かをひっかけるように穴が空いている。触った時に妙に凹んでるなと思ってたけどこれは肩甲骨に穴があいてるのか? あぁ。今は塞がってるけど変な感触だった理由が、わかった。疑問の答えは最も単純だった。想像以上に単にそのままだった。
 一体何が会ったんだ。誰がこんなことを。でもそんな怒りよりもただ哀しくて、でも見せてくれて嬉しくて。
 こんな風に体が痛んで、どんなに苦しかっただろう。それにこれはやっぱり……見られたくないだろう。でも見せてくれた。ありがとう片桐さん。片桐さんの装いの、内側。

 思わず口づける。抱きしめる。
 大丈夫。全部好きだから。過去に何があったとしても、過去のマイナス分を埋めて積み上がるたくらいの幸せを片桐さんにあげたい。裾をもっと持ち上げて、背中の真ん中に舌を這わせる。大丈夫。どこもちっとも嫌いじゃないです。全部好き。
 背中から手を回して片桐さんを抱きしめて、服のボタンを外していく。手にぽたりと冷たいものが滴った。大丈夫。全部好きだから。
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