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一枚板の看板とおかしな隣人-2
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道を渡って、小学校の敷地に入る。
何年ぶりだろう。卒業してから、一度も入っていない。自分が通っていた頃は、子供たちの笑い声でうるさいくらいだったし、毎日チャイムの音や校内放送の声が聞こえた。人気の無い校舎は寂しく、少し不気味で、できるだけ視界に入れないように、存在を感じないようにしてきたような気がする。
正門をくぐると、二宮金次郎の像が建っている。元々は校舎の裏手にあったのだが、閉校と同時に門のそばに移設された。校歌の歌詞を刻んだ閉校記念碑が二宮金次郎像の前に建っている。子供達に夜中の二時になると勝手に歩くだとか根も葉もない噂を立てられて、さぞ迷惑だっただろう。
二宮金次郎のすぐ横に、体育館の入り口が見える。焦げ茶色の板張りの壁にクリーム色の引き戸が目立つ。恐る恐る近づく。引き戸の向こうは薄暗い空間。窓の明かりが差し込んではいるが、中の様子はうかがい知れない。
美葉は気配を消しながら、入り口の引き戸を観察した。手提げ袋を引っかけることができる場所はどこにもない。雪解け水で濡れてしまいそうで、地面に置いておくのも気が引ける。引き戸に手をかけてみたが、鍵がかかっているようだった。
誰もいないのかな。
美葉は体育館の入り口から少し離れ、どうしたものかと考える。そして、体育館の窓から中を覗いてみようと思いつき、体育館を回り込むように歩を進めた。屋根から落ちた雪の山と体育館の壁の間に人が一人通れる位の隙間が出来ている。そこを、壁にへばりつくような体勢で中をのぞき込みながら進んで行く。体育館の中はがらんとしている。ただ、窓のすぐそばに四角いテーブルのようなものが見えた。暗くて詳細が分からない。つま先立ちになり、目をこらすと、向かい側の窓の下に椅子が一脚ぽつんと置かれているのが見えた。あれが、吹雪の中後生大事に抱えて運ばれてきた椅子なのだろう。
人の気配を見つけられないまま、体育館の裏手にある大きな蝦夷赤松の木に突き当たる。体育館の影から顔だけを出して校庭の方を覗くと、松の木の方に男が歩いて行くのが見えた。
男は、足音を立てないように気をつけているのか、雪を踏みながらゆっくりと歩を進めている。なにかを凝視している。その視線の先を探ると、目の前の蝦夷赤松の木につがいの島柄長が停まっていた。しかし、次の瞬間には飛び立ってしまった。男性はため息をつき、見送っている。そのまま、しばらくその場に佇ずむ男の姿を美葉は警戒しながら見守っていた。邪悪な、自分を脅かすような気配を感じたらすぐ、逃げ出すつもりだった。
すると、男の影がぐらりと揺れ、ゆっくりと後ろ向きに地面に倒れていった。
美葉は驚き、手提げ袋を放り出して駆け出した。
横たわる男の顔は口元まで伸びた前髪と無精髭に覆われていた。頬は痩け、唇はカサカサに乾いている。肌に生気が無く、死んでしまっているのではないかと思った。
「だけどまだ、約束を果たしていないんだ……。」
乾いた唇を微かに動かし、うわごとのように男性がつぶやく。
生きてる。
美葉は安堵した。
「約束?」
美葉は男性に向かって問いかける。意識を失えば、そのまま死んでしまうかもしれないと思ったからだ。
「もしもし?」
美葉はもう一度声をかけた。間が抜けている声かけだと思ったが、こんな時にどんな言葉をかけていいのか分からなかった。
「大丈夫ですか?もしもし?」
男性の痩せこけた頬に手を触れると、ぞっとするほど冷たい。
男性は、美葉の声に反応しうっすらと目を開けたが、すぐに閉じてしまった。しかし、唇の端が持ち上がり、締まらない笑みを浮かべる。
笑ってる!?キモッ!
美葉は頬に当てた手を反射的に引っ込める。でも、このまま放置して死んでしまっては困る。これから一生、窓の外を見られなくなる。隣で死人が出たなんて、そんなの絶対に困る。
「ちょっと!!しっかりして!!」
美葉は男の肩をつかんで揺さぶった。男の頭が上下にガタガタと揺れ、顔半分を覆っている長い前髪がゆさゆさと揺れた。男ははっと目を覚ました。
バチクリ、と何度か瞬きをした後、美葉を見て、慌てて自力で起き上がった。美葉の姿をまじまじと見つめながら、ゆっくりと雪の上に正座をする。身を乗り出すように、男は美葉を見上げた。
「どちら様ですか。」
男は美葉に訪ねた。
「はぁ?」
と美葉は首をかしげてから、そういえばここは男の家であり、不法に侵入しているのは自分であることを思いだした。
「隣に住んでいる谷口美葉です。回覧板を持ってきました。」
そう言って、ぺこりと頭を下げた。
「おお!」
今度は男が体をのけぞらして驚いた。
「そういえば、引っ越しの挨拶を忘れていました。隣に引っ越してきた木全正人といいます。よろしくお願いいたします。」
正人という男は、正座をしたまま深々と頭を下げる。毒っ気がなく、礼儀正しい姿に脱力してしまう。
「よろしくお願いします。」
美葉も頭を下げた。
「お茶でも、といいたいところなんですけど、水道水ぐらいしか提供できるものがなくて…。」
男は立ち上がったが、すぐにふらついて松の木の幹に手をついた。
「二週間ほど、何も食べていなくて…。あ、昨日蕗の薹見つけて食べたんですよ。でも、空きっ腹にあくが強いもの食べたらおなかがびっくりしたみたいで、下痢しちゃって。」
はは、と正人が乾いた笑いを浮かべる。
この人、このままだと確実に死ぬな。
どうしていいのか分からず、美葉も同じくはは、と笑い返した。
何年ぶりだろう。卒業してから、一度も入っていない。自分が通っていた頃は、子供たちの笑い声でうるさいくらいだったし、毎日チャイムの音や校内放送の声が聞こえた。人気の無い校舎は寂しく、少し不気味で、できるだけ視界に入れないように、存在を感じないようにしてきたような気がする。
正門をくぐると、二宮金次郎の像が建っている。元々は校舎の裏手にあったのだが、閉校と同時に門のそばに移設された。校歌の歌詞を刻んだ閉校記念碑が二宮金次郎像の前に建っている。子供達に夜中の二時になると勝手に歩くだとか根も葉もない噂を立てられて、さぞ迷惑だっただろう。
二宮金次郎のすぐ横に、体育館の入り口が見える。焦げ茶色の板張りの壁にクリーム色の引き戸が目立つ。恐る恐る近づく。引き戸の向こうは薄暗い空間。窓の明かりが差し込んではいるが、中の様子はうかがい知れない。
美葉は気配を消しながら、入り口の引き戸を観察した。手提げ袋を引っかけることができる場所はどこにもない。雪解け水で濡れてしまいそうで、地面に置いておくのも気が引ける。引き戸に手をかけてみたが、鍵がかかっているようだった。
誰もいないのかな。
美葉は体育館の入り口から少し離れ、どうしたものかと考える。そして、体育館の窓から中を覗いてみようと思いつき、体育館を回り込むように歩を進めた。屋根から落ちた雪の山と体育館の壁の間に人が一人通れる位の隙間が出来ている。そこを、壁にへばりつくような体勢で中をのぞき込みながら進んで行く。体育館の中はがらんとしている。ただ、窓のすぐそばに四角いテーブルのようなものが見えた。暗くて詳細が分からない。つま先立ちになり、目をこらすと、向かい側の窓の下に椅子が一脚ぽつんと置かれているのが見えた。あれが、吹雪の中後生大事に抱えて運ばれてきた椅子なのだろう。
人の気配を見つけられないまま、体育館の裏手にある大きな蝦夷赤松の木に突き当たる。体育館の影から顔だけを出して校庭の方を覗くと、松の木の方に男が歩いて行くのが見えた。
男は、足音を立てないように気をつけているのか、雪を踏みながらゆっくりと歩を進めている。なにかを凝視している。その視線の先を探ると、目の前の蝦夷赤松の木につがいの島柄長が停まっていた。しかし、次の瞬間には飛び立ってしまった。男性はため息をつき、見送っている。そのまま、しばらくその場に佇ずむ男の姿を美葉は警戒しながら見守っていた。邪悪な、自分を脅かすような気配を感じたらすぐ、逃げ出すつもりだった。
すると、男の影がぐらりと揺れ、ゆっくりと後ろ向きに地面に倒れていった。
美葉は驚き、手提げ袋を放り出して駆け出した。
横たわる男の顔は口元まで伸びた前髪と無精髭に覆われていた。頬は痩け、唇はカサカサに乾いている。肌に生気が無く、死んでしまっているのではないかと思った。
「だけどまだ、約束を果たしていないんだ……。」
乾いた唇を微かに動かし、うわごとのように男性がつぶやく。
生きてる。
美葉は安堵した。
「約束?」
美葉は男性に向かって問いかける。意識を失えば、そのまま死んでしまうかもしれないと思ったからだ。
「もしもし?」
美葉はもう一度声をかけた。間が抜けている声かけだと思ったが、こんな時にどんな言葉をかけていいのか分からなかった。
「大丈夫ですか?もしもし?」
男性の痩せこけた頬に手を触れると、ぞっとするほど冷たい。
男性は、美葉の声に反応しうっすらと目を開けたが、すぐに閉じてしまった。しかし、唇の端が持ち上がり、締まらない笑みを浮かべる。
笑ってる!?キモッ!
美葉は頬に当てた手を反射的に引っ込める。でも、このまま放置して死んでしまっては困る。これから一生、窓の外を見られなくなる。隣で死人が出たなんて、そんなの絶対に困る。
「ちょっと!!しっかりして!!」
美葉は男の肩をつかんで揺さぶった。男の頭が上下にガタガタと揺れ、顔半分を覆っている長い前髪がゆさゆさと揺れた。男ははっと目を覚ました。
バチクリ、と何度か瞬きをした後、美葉を見て、慌てて自力で起き上がった。美葉の姿をまじまじと見つめながら、ゆっくりと雪の上に正座をする。身を乗り出すように、男は美葉を見上げた。
「どちら様ですか。」
男は美葉に訪ねた。
「はぁ?」
と美葉は首をかしげてから、そういえばここは男の家であり、不法に侵入しているのは自分であることを思いだした。
「隣に住んでいる谷口美葉です。回覧板を持ってきました。」
そう言って、ぺこりと頭を下げた。
「おお!」
今度は男が体をのけぞらして驚いた。
「そういえば、引っ越しの挨拶を忘れていました。隣に引っ越してきた木全正人といいます。よろしくお願いいたします。」
正人という男は、正座をしたまま深々と頭を下げる。毒っ気がなく、礼儀正しい姿に脱力してしまう。
「よろしくお願いします。」
美葉も頭を下げた。
「お茶でも、といいたいところなんですけど、水道水ぐらいしか提供できるものがなくて…。」
男は立ち上がったが、すぐにふらついて松の木の幹に手をついた。
「二週間ほど、何も食べていなくて…。あ、昨日蕗の薹見つけて食べたんですよ。でも、空きっ腹にあくが強いもの食べたらおなかがびっくりしたみたいで、下痢しちゃって。」
はは、と正人が乾いた笑いを浮かべる。
この人、このままだと確実に死ぬな。
どうしていいのか分からず、美葉も同じくはは、と笑い返した。
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