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第四章 新出ちづると柳瀬川和彦の場合2
一 ◯新出 ちづる【 1月10日 午後4時45分 】
しおりを挟む「おはようございます!」
愛彩の店内に、はっきりとした挨拶が轟く。
いよいよ、柳瀬川が崇を消すと明言した当日となった。今朝方、彼より「telco」にて、連絡が入った。
『約束した日になった。また連絡する』
この連絡が来た時、少しだけ安心した。彼は、自分の言ったことを忘れていなかったようだ。確か、彼が行動に移すのは午後十時過ぎだったか。可能であれば完了後に立ち会いたいと思っているが、この仕事が午後八時までなので、余裕で間に合うだろう。
しかしやけにさっぱりとした内容だ。それに幾分か不安を拭えない部分はある。場所も、方法も、私に教えない。崇を消すための情報を、私は彼から全く知らされていない。聞いてもはぐらかされてしまった。
そういったことが要因で、昨夜は夜遅くまで寝付くことができなかった。故に昼過ぎから眠気が急に襲ってくるが、私は眠ることが無いよう、我慢していた。どんなやり方にせよ、もしかすると彼の働きにより、これまで私を犯していた精神的な病も改善するかもしれないのだ。そう思うと、目を閉じて夢の世界に現を抜かすことなど言語道断であった。
そして当然ながら、夕方からの仕事も休むことはできない。ふらふらな状態になりながらも仕方なく、職場へと向かった。
出勤している女性従業員の数は八人だった。通常の三分の一の人数である。若干心許ないが、仕方がない。今日はこの人数でやっていくしかない。
私を含めた八人の前で、一人の女が姿勢良く立った。玲子さんだ。
「皆、おはよう」
彼女は開店前、必ず従業員全員を集めて挨拶の時間をとる。ものの数十秒程度ではあるが、従業員はそれを聴いてから仕事に入ることが、ここで働く上で習慣となっていた。
玲子さんは、私たちに向かってにっこりと笑顔を見せる。
「これから開店になるわね。でも、見て分かるとおり今日は出勤人数が少ないの。おそらく忙しくなるとは思うけど、来店されるお客様に失礼の無いよう、普段どおり落ち着いて、精一杯のおもてなしをして頂戴ね」
はい、と八人揃って声を出す。玲子さんは頷く。
「そして、これは毎回のこと。お客様を楽しませるだけじゃなく、あなたたちも一緒に楽しむこと。これが肝心よ。良いわね」
先程と同様、一同の大きな発声が店内に響いた。
まもなく午後五時。店が開く時間である。玲子さんからの挨拶が終わり、それぞれ持ち場に着く。
そわそわと落ち着かない。どうせ全て柳瀬川がやってくれるのだ、私はいつもどおり仕事に打ち込んでいれば良い。そう考えてはいても、それを迎えるまでの時間、平然と仕事をこなすことは苦痛であった。
「あっ」
そんな焦燥感にかられている中、私は瑞季さんを見つけた。そうだ、今日は同じ時間帯だったのか。まだ開店まで時間はある。こんな気持ちの中一人でいるくらいなら、誰かと話す方が落ち着くだろう。彼女に近付く。
「カオルさ…」
しかし、近くに寄ったところで、彼女の様子がおかしいことに気づいた。俯き、ぶつぶつと何かを呟く彼女の表情は暗く、目は大きく見開いている。とてもこれから客を出迎えるような様子ではない。
「やっぱり、駄目だ。もう…」
「カオルさん?」
そんな彼女の背に向かって話しかけると、余程驚いたのか、その場で高く飛び上がった(ように見える程であった)。そしてゆっくりと私に顔を向ける。
「!アンナちゃん。お、おはよう」
「おはようございます。…なんだか、驚かせちゃったようで。すいません」
「い、良いよ、全然。気にしてないからさ、はは」
そう言いながら笑う彼女は、明らかにおかしかった。焦っているというのか、追い詰められているというのか…先程から目がずっと泳いでいる程、戸惑いを隠せていない。
「だ、大丈夫ですか?」
「う、うん、大丈夫。さあアンナちゃん、そろそろ開店だから、またね」
取り繕うように笑い、彼女は店長の元へと早足で行ってしまった。私は呆然と、その場に立ち尽くす。
何だろう、話した感覚でしか無いが、避けられているような。彼女から私に対して、そこはかとない余所余所しさを感じた。
あ。…もしかして。そこで私は一つ、彼女のその態度に思い当たる節があった。柳瀬川だ。彼が瑞季さんに、彼らの関係について私が脅迫してきたことを伝えたに違いない。心の内で舌打ちを打つ。
まあ仕方ない。彼に「誰にも言うな」と言ったわけでもない。しかしそれによって瑞季さんとの関係が気まずくなることは、なるべく避けたかった。彼女は少々抜けているところはあるが、私のようなはぐれ者にも変わらない態度をとってくれる、数少ない理解者だったから。そうは言っても、間接的だが彼女にも起因する事柄で柳瀬川を脅迫したのだ。その可能性が高かったことは、予め理解していたはずである。
それに…私がこう脅迫することで、ついでに瑞季さんと柳瀬川との関係が切れてしまえば良い。そうとも考えていた。元々不倫の関係なんて背徳的であり、世間体も良いものではない。何より、そのまま続けても最後に待っているのは不幸だけだ。そんな邪な関係など、切れる内に切っておく方が良い。
「…うん」
私は間違っていない。誰に言うまでもなく一言呟いた。
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