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第五章 望み

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 九月二十八日。ここに来てから、二度目の朝だ。
 留置所という場所は、寝心地が悪くてしょうがなかった。
 文句を言える立場では無いことは重々承知だったが、無意識のうちに溜息が出る。
 二日前のあの日。
 スミエがミナを殺害したことを白状した日のこと。
 カヨが理科室を出て行ってから少し経ち、スミエの息の根を止めようとタクヤと二人、部屋を出たところで、それは起きた。

「ス、スミエさん!」
 廊下の暗がりから、彼女は突然飛び出してきた。しかも、それだけではない。彼女は持っていたナイフで、タクヤの脇腹を刺したのである。
「う」
 野太い声を上げ、その場にごろりと倒れこむタクヤ。スミエは震えながら、僕を見た。怒りと焦りの混じった、ぐにょぐにょとした眼。その眼を見て、僕は鳥肌が立った。
「スミエさん。あんた、何てことを!」
 意気込もうにも、声が震える。しかし足を踏ん張り、それを見せないよう力の限り叫ぶ。スミエはそんな僕に、負けじと睨む。
「分かっているから、こうして刺したんじゃないの!」
 ヒステリー。スミエは金切声を上げた。そんな彼女を前に、僕は恐怖からか、何も言えなかった。
 タクヤは縄で彼女をしっかり縛ったと言った。しかし、そんな彼女がどうしてここにこうしているのか。それにナイフを持って、どうして俺達を襲ってくるのか。様々な疑問が頭に浮かびつつも、今はこの危機を脱するのが先決だった。
「やられる前にやってやるのよ。私は」
 ふぅー、ふぅーと、荒い息のまま、何かに取り憑かれたようにスミエはそう宣う。
 そんな彼女の持つナイフの刃先からは、タクヤの血が滴り落ちている。深く突き刺したのだろう。刺された当人は廊下の床に這い蹲り、呻き声を微かに上げる程度。身をよじることもできないようだ。
「やられる、なんて。私達が、あんたを殺すつもりだったって?」
「そうよ!そう聞いたわ」
「そんなこと、誰から…」そこまで言いかけたところで、思い当たる節があった。「カヨ、さんか」
「そう、そうよ」
 しまった。彼女がまさか、スミエを解放するなんて思ってもみなかった。スミエの今の様子から察するに、恐らくタクヤが彼女を殺そうとしていると、少々誇張して伝えたに違いない。
「油断していたわね。あんたも殺せばそれでおしまいよ」
「くっ」
 じりじりと間合いを詰めてくる。少しずつ後ずさりをしていると、耳に聞き覚えのある音が聞こえてきた。
 ——サイレンの音?
 警察が、ここに?
「どうして…」
 その音に、目の前のスミエも焦り出した。それは、彼女にとっても想定外の事態のようだ。その一瞬の隙を、僕は見逃さなかった。
 彼女のもとに素早く近寄ると、前に突き出していたナイフを持つ腕を両手で強く掴んだ。ナイフを床に落としたところを見計らって、彼女の足を思い切り蹴り上げる。バランスを崩させ、そのまま彼女を床に思い切り転ばせた。
 よし、これで…
「大人しくしろ!」
 その時、不意に怒声が辺りに響く。眩しい白い光に目がくらみつつも、僕はその声がした方向を見た。
 そこには、俺と俺の下で組み伏せられたスミエ、瀕死のタクヤへ順々に視線を移す、警官数人の姿があった。

 それからの展開は、飛ぶ様に早かった。
 僕とスミエは、かけつけた警官らに捕らえられた。そうして各々留置所に入れられ、今に至る。
 ちなみに、タクヤはあの後息を引き取った。スミエの刺した箇所が、運悪く心臓に到達してしまっていたようだった。 
 姉ちゃんの仇、とってやりましょうよ———。
 タクヤのあの、野太くも少し軽い口調を思い出す。
 彼女の…アカネの唯一の肉親だったタクヤ。自分を慕うその態度に、義理とはいえども、僕は本当の弟のように感じていた。
 そんな彼を、みすみす殺させてしまった。まだ全てが終わっていなかったのに、どうして気が緩んだのだろう。そう悔もうにも、取り返しがつかないことは分かっていた。しかしそれでも悔やまずにはいられなかった。
「オオヤサトシ、来い」
 突然、自分より数段低い声が響いた。また、取り調べか。昨日から今まで、数回同じ様に呼ばれ、連れ出されている。故に用は言われずとも分かっていた。
 考えていたことを一度全て頭の隅に追いやる。ゆっくりと上体を起こし、がたいの良い警官に連れられ、歩く。そうしてそのまま、五畳ほどの四方均等な個室に連れてこられた僕は、中央に置かれた椅子の上に座らされた。
「よお。気分はどうだ」
 後からやってきた、偉そうな態度の警官に尋ねられる。
「気分も何も。正直言って、最悪ですよ」
「そうか、そうか」
 豪快に笑う強面の警官に、僕は心内で悪態をつく。
「お前はそれ程の容疑でここにいるんだ。それも仕方がないだろう」
「それ程って…」
「女の遺体のことだよ」
「ああ」
 昨日の取り調べで、僕は全てを白状した。人生やりなおしっ子サイトのこと。ミナのこと。逮捕された以上、隠し通すことはできそうになかった。
 しかし、女の遺体の件…つまりミナの件のことを言っているのだろうが、彼女を実質的に殺害したのはスミエなのである。それは状況から見て明らかであり、自分はその後始末をしただけであって、直接的に殺した訳では無い。そう仕向けたということも、タクヤが亡くなった以上、自分しか知らないことである。その罪までかぶる訳にはいかなかった。
「あの、昨日も言いましたが。その人は俺と一緒に捕まった女の人がやったんです。間違いないんです。僕と、彼女に殺されたサクライタクヤは、彼女の罪を暴いて、その結果やり返された。それだけです」
 そう反論すると、強面の警官は眉をひそめた。
「まあ佐藤美奈の件は、そうなのかもしれんがね。ただ、俺がここで言っているのは、もう一人の女の遺体のことだ」
「は?」
 もう一人?なんだそれは。
「あのな。佐藤美奈の遺体があった場所に、もう一人分の遺体があったのさ」
「え、そんな馬鹿な」
 四日前、ミナが死んだ日の夜。彼女の遺体を、人気のない山奥にて埋めた。僕の記憶には、それだけしかない。
「何度も言いましたが。俺は佐藤美奈の遺体を処理しただけです。なんですか、そのもう一人って」
 そう問うと。「えーっとな」と警官は手元にある紙をパラパラとめくっていく。
「あー、あったあった。身元は、尾谷佳代。都内在住の無職の女だ」
「尾谷、佳代だって?」
 佳代…カヨ。思わず大声を上げてしまう。強面の警官は一瞬驚いた風に目を見張ったが、次の瞬間いつもどおりの鋭い獣のような目に戻る。
「うるせえよ。何がそんなに…」
「その名前の女が、本当に遺体で?」
 神妙な面持ちで尋ねると、強面の警官は肯いた。
「ああ。鑑識の結果では、死んだのは三日前の夜らしいな。というより」そこで警官は目の前の机を強く叩いた。その音に驚き、全身が萎縮する。「何、知らねえふりしてんだお前。お前が殺して、佐藤美奈と一緒に埋めたんだろうが」
「み、三日前の夜?」
 三日前というと、九月二十五日か。その日はというと、ミナが死んだ次の日の夜である。
 しかしそれは有り得ない。有り得るはずがないのである。カヨは二日前の夜、スミエの犯罪を暴いてもらうため、僕やタクヤと一緒に、あの廃校にいたのだから。
「その遺体、本当に尾谷佳代だったんですか」
「嘘なんかつかねえさ」
 そんな馬鹿な。
 それならば、僕が、タクヤが、スミエが、ミナが話をしていた、カヨは誰だというのだ。
 僕は強く首を振った。
「や、やってません、そんな死体なんて…」
「証拠があるんだよ。お前がやったっていうな」
「証拠?」
「被害者の手から、煙草の箱が見つかったんだ。その煙草から、お前の指紋が検出されたんだよ」
「僕の指紋?煙草の箱?」
 そんな馬鹿な。
 カヨの遺体が、僕の指紋入りの煙草の箱を持っていた?
 呆然とする僕を見て、強面の警官は淡々と説明していく。
「もう一度確認だ。お前から教えてもらった場所。そこに、二人の遺体が埋められていた。その埋めた場所は確か、自分しか知らなかったんだよな」
「ま、まあ」
「どうなんだよ」
「…はい」
 正確には死んだタクヤも知っているが、生きている人間のうちではもはや自分だけしか…
 いや、待てよ。思い出せ。
 そうだ、ミナの遺体を処理する時。カヨは、遺体処理の手伝いを申し出てきた。もちろん俺は断ったのだが、あの後…僕のことを彼女が尾行していたとしたら。
 いや駄目だ、違う。それをして、彼女に何のメリットがあるというのか。それに、そのカヨは、次の日の夜に死んでいた訳である。訳が分からない。
 それなら自殺決行の日、僕達の前に現れたのが、そもそもカヨじゃなかったのだとしたら。カヨの名を騙る第三者だったとしたら。それなら、尾谷佳代が死んでいる中、僕達が「カヨ」と話すことはできる。
 恐らくカヨを名乗った女は、何らかの理由でカヨを殺害するつもりだった。そしてその罪を、僕達になすりつけるために、人生やりなおしっ子サイトに登録した。
 …待てよ、それも違う。僕は彼女がサイトの登録フォームで入力した住所にある家に行き、実際に彼女…尾谷佳代をこの目で見ているのだ。記憶を呼び起こしてみても、間違いない。事前に見た彼女と、九月二十四日に現れた彼女は、まごうことなく同一人物だった。
 それに…もし僕達に罪をなすりつけることが目的だったのなら、僕達のすることが、最初から自殺のフリであることを知っていなければならない。対外的に、僕達は本気で死にたい者達の集まりなのだから。もしもフリでなかったとしたら、罪をなすりつける以前にあの世行きだ。
 当日の彼女の様子を顧みると、それを知っていたようには見えなかった。慣れてない者であれば、知っていることを知らない風に装うとなると、挙動や言動等から必ず綻びが出てくるものである。しかし記憶の限り、彼女にはそれが無かった。彼女は、僕達が自殺のフリをすることを知らなかったのだ。
「それが本当なら、お前の言うことが嘘っぱちだってことは、馬鹿な俺でも分かることなんだぜ」
 強面の警官から再度凄まれる。が、彼に応対する程、心には余裕がなかった。
 あのカヨを名乗った女とは一体、何者だったのだろうか。頭の中にあった、おどおどとした若い彼女の人物像が濁っていく。かと思えば、二日前のマスク姿の彼女が思い浮かぶ。あれは幻ではない、れっきとした「生きた人間」だった。
 唯一分かっていること。それは僕達、いや、僕が、あのカヨと名乗った女に、まんまとしてやられたということである。
「はは…」
 笑いがこみ上げてくる。
「ははは」
 それを止めることは、もはや自分でもできなかった。
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