記憶さがし

ふじしろふみ

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第二章 違和感

対話②

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 日も暮れ、私は自宅へと向かう帰路につく。
 今日は酷く疲れた。風呂も入らず食事もせず、帰宅したその瞬間、深い眠りに入ってしまいたいくらいに。
 ———今日の喫茶店での判断は、間違っていなかっただろうか。いくら目的のためとはいえども、あんな人道に反するようなことに了承するなんて、許されるのか。
 いや。私はそれを承知で決めたのである。今更誤っていたなんて、思いたくない。

 その話を持ちかけられたのは一週間前。自分の身の周りが漸く落ち着いてきた頃の夕暮れ時。自宅にて一人呆けていたところに、彼はやってきた。
 彼…名前は何といっただろう。私は鞄から、彼の名刺を取り出す。表面には、『北橋警察署 犯罪対策特別課主任 来須宏くるすひろし』と、大きく書かれていた。

「刑事…さん、なんですか」
 私は名刺と来須の顔を見比べ、そう呟いた。
「ええ。あまりふさわしい外見はしておりませんがね」
 来須はそう言って、ぼさぼさの髪の生えた頭を掻く。無精髭を周りにこしらえた口で、コーヒーを啜る。
 今、私達はファミリーレストランに来ている。数刻前、自宅に彼がやってきた。「あの事件」のことで、折り入って話があるとのことだった。
 巷では警察官と偽り犯罪行為をする者が多いと聞く。刑事といえども、男と二人きりという状況は作りたくなかった。故に彼を引き連れ、ここに来たということになる。
 店内は雑多な客達で溢れており、騒然としていた。二人で空いた端の席に座る。隣は空いており、特別な会話をするにはうってつけの場所だった。
「特別課って、具体的に何をやるところなんですか」
 聞いたことがない部署名であることと、「特別」というフレーズから好奇心が芽生え、聞いてみる。すると来須は、よくぞ聞いてくれたとばかりににっこりと笑った。
「何といいますか。その名のとおり、普通は扱わない事を担当としておりまして」
 答えになっていない。反論しようとするが思い留まる。彼が一拍置いたのち、続きを話し始めたからだ。
「あなたは、この世の中。どれ程の事件が起こっているのか、知っていますか」
 鋭い目つき。それまでのへらへらとした様子もあって、彼の態度の変わり様に少々面食らった。
「いえ、知らないです」
 正直に答えると、来須はそうでしょうねえと息をついた。元々私の答えに期待はしていなかったようだ。
「後で、ネットで警察白書でも見ていただければと思いますが、刑法犯の数で言えば、過去五年平均でも数十万件以上。それ程多くの犯罪が、日常的に起きている。加えて、表沙汰になっていない凶悪犯罪も、まだ沢山あるに違いない」
「は、はあ」
「そのどの事件も解決できているかといったら、そういうことでもないんですわ」
 身内の恥を晒す訳にもいきませんがと、来須はフォローにならないフォローを挟む。
「それに、時には捜査上の不手際より、冤罪も起きている。由々しき事態です。なんたって、真の犯人は捕まらず、善良な人間が不利益を被ることになるので。本来は、あってはならんのです」
 彼の言うことはごもっともである。特に何も誤りは無い。しかし結局、何が言いたいのだろう。日本の犯罪件数云々の話が、彼の関わる業務と関係があるとは思えない。
 私がやきもきしていることを知ってか知らずか、来須はふんっと勢いよく鼻を鳴らした。
「そのために。そう、凶悪犯罪、未解決事件の解決と、冤罪の撲滅のために。私達がいるのです」
 それを聞いてもなお、私の脳内は整理がついていない。どうやら彼も分かっているようで、それまでの固い表情をやめ、柔和な顔つきとなる。
「まあ。前座は置いておきましょうかね。ものすごく端的に言えば、そういった通常の捜査で手に負えないような事件を担当し、解決する。それが我々の仕事なのです」
 そう自信満々に言われると、妙に胡散臭く思えてならない。しかし、そんな来須の表情は、とても冗談とは思えない大真面目なものだった。
 私が黙っていると、彼は笑い出した。
「ここまで言われたら、気になりますか?」
「え、ええ。まあ、そうですね」
その言葉に動揺しつつ、私は賛同する。と、来須は大きく頷いた。
「これからお話しいたします。どうか、一切他言はしないようにお願いします」
そう言ったのち、隣の空いた席に若い男女が座った。彼は横目でそれを確認すると、できる限り聞かれることがないよう、声のトーンを少し落とした。
「つまり…」
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