記憶さがし

ふじしろふみ

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第五章 システム

抽出

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ここまで話を聞いていて、美琴が嘘をついているとは思えなかった。しかし、いくつか腑に落ちない点がある。
「そこまでは分かった。でも、どうして記憶さがしなんだ。事件の記憶を知りたいなら、もっと良いやり方がありそうだけど」
 もしも本当に記憶を見ることができるなら、その選別もできるのではないか。何も、死んだ当人の記憶に、探させる必要はないだろうに。
 美琴は腕を組み、眉間にしわを寄せた。
「私もよく分からないの。ても来須さんの話では、それはできないらしいのよ」
 それから美琴は、来須より聞いた話を俺に聞かせた。

「記憶修復システムですって?」
「ええ、そうです。それを使えば、彼が亡くなられた理由も、分かるかもしれない」
 私の前にいる来須は、淡々とそう述べた。
 私たちは今、近所のファミリーレストランに来ている。「ご主人の件であなたにお願いしたいことある」と、来須は私の家に来るなり、そう述べた。その言葉に、若干の好奇心が沸いたことは否めない。
「どうやって。はは。あの人に聞こうにも、もう…もういないんですよ」
 しかしいざ来てみると、先述のようにおかしなことを言う。彼の死を馬鹿にされたように感じ、怒りを覚えたが、それ以上におかしく思えた。
「あのですねえ、奥さん…」
「奥さんはやめてください」
 彼の馴れ馴れしい態度が気に障り、ぴしゃりと言い渡す。来須は「失礼」と一言、続けて小さく咳払いをした。
「わかりました。えー、あー。それなら関口さん。で、良いですかね。さて、説明しますよ。少しくどくなるかと思いますが。その点は許してください」
 前置きをしつつ、来須はそのシステムについて説明し始めた。
 記憶修復システムは、警視庁が秘密裏に開発し、新たに導入した捜査手法だという。その概要は、被害者の生前の記憶を抽出し、データ化するというもの。必要な物は、その者の遺体である。ただし検死とは異なり一部のみ…その者の脳細胞のみを使用する。脳細胞をシステムに投入し作動することで、記憶たる成分がデータとして抽出されるという訳である。
 しかしこのシステムは、使用する上ではいくつかの条件があるという。
「何分私が作ったもんではないんで、詳しくないですがね。そもそも記憶ってもん自体が、システムそのものなんです。例えば、うーんそうですね。なんかしらの映画を見たとしますよね。まず、映像や音声から受けた刺激を網膜、鼓膜、各々受容体と呼ばれる器官が、それをキャッチします。キャッチしたものは刺激として神経細胞へと伝わり、海馬と呼ばれる、記憶を司る器官に到達するという」
「海馬…」
 風貌と話し方から適当な人物と勝手に判断していたが、どうもそうではないらしい。聞き覚えのない単語をぺらぺらと並べる来須は、一念不動な面持ちで私を見る。
「この海馬が刺激を記憶として扱うようですが。これ自体非常に小さく、全ての記憶を溜め込む場所には不相応なんだそうです。…関口さんは、短期記憶と長期記憶について、聞いたことは?」
 短期と長期、聞いたこともない。私が首を横に振るも、来須の顔色は何も変わらなかった。知っていようがいまいが、話すつもりだったのだろう。
「海馬にて記憶は、二種類に分けられます。まず短期、これは一時的な記憶を言います。関口さん、今日の朝食は何を食べましたか」
「え。…コーヒーしか飲んでいませんが」
「あまり胃によろしくないですね、起きて早々のコーヒーなんて」
 来須の小言混じりの返答に少々頭にくるが、反論する間も無く彼は話し始める。
「そういった『今日の朝食のメニュー』とか、他にも『テスト前にやっつけで覚えた数式』とか。そんな短い記憶を、そう呼ぶそうです」
「へえ…」
「ですが。この短期記憶は、記憶修復システムには関係が無い」
「え?」
 私が想像以上にとぼけた表情していたのだろう。彼はいやいやと手を振った。
「次に話す長期記憶を聞けば、分かると思いますよ」
 長期記憶。短期が名の通り短い記憶なら、長期はその逆か。そう考えていると、来須はにやりと口許に笑みを浮かべた。
「ご想像のとおり。こちらは短期のように一時的な記憶じゃありません。刺激の反復または強い刺激により長い間脳に保たれる、そういったものを長期記憶と呼ぶんです」
「は、はあ」
「ただ、長期記憶には沢山種類があります。とは言いつつも、今回関係するのは一つだけ。他のやつは、後で興味があればご自身でどうぞ」
「一つだけ…ですか」
「ええ」来須は自分の頭の上を指で円を描くようにぐるりと回した。
「この頭の中のことを長々と話しましたが、関口さんは次のことだけ覚えていてくれれば良い」
「分かりましたから、それは一体なんですか」
 随分と勿体づけるものだ。若干説明に飽き飽きしていたこともあり、溜息混じりに尋ねると、来須はふぅと息をついた。
「『エピソード記憶』と呼ばれるものです。例えば、高校の体育祭で、リレーの選手として首位独走したとか、就職活動の際面接官に褒められたとか。その時点において、各々が経験した個人的な感情を交えた体験の記憶。それがこれに当たります」
「体験の、記憶」そう呟き、ハッとなって彼を見る。「まさか、それが…」
「そうです」
 私の発言を遮る形で、来須は笑みを浮かべて頷いた。
「このエピソード記憶を、脳細胞から抽出する。それが記憶修復システムを使うと、できてしまうのですよ」
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