記憶さがし

ふじしろふみ

文字の大きさ
上 下
65 / 81
第七章 対面

予想外

しおりを挟む
 
 公園から少し離れた路上に、満はいた。田島くんが現れたことにより、私の計画は上手くいかなかった。加えて満も逃げたことで、逮捕させるにはもう不可能だろう。
 そうなると。よろよろと、痛む脇腹を抑えつつ歩く彼を見て、心に悪魔が再来する。
 今の彼なら、私であっても?
 私でも、殺せるのでは?
 思うが早く、私は近くに落ちていた大きな石で、彼の後頭部を力の限りに殴りつけていた。
「あがっ!」
 殴った拍子に、彼は前のめりに思い切り倒れこむ。
「はぁ、はぁ」
 自然と息が切れる。心が重い。たった一発殴っただけなのだが、人を殴るという行為が、これ程までとは。
 彼はうずくまったまま動かない。死んだのか、気を失ったのか。私は確認のため、彼の前に回った。
 その時。突然満が顔を上げ立ち上がったかと思うと、私は首を掴まれ地面に叩きつけられた。後頭部がかち割れる程の衝撃、痛み。一瞬目の前が真っ暗になるが、次の瞬間、視界いっぱいに満の顔が広がった。
「お前、何を…!」
 殴られたショックと、それをしたのが妻という事実に、驚きと怒りが入り混じった表情をしている。先程私が与えた一発は、どうやら彼に致命傷を与えるには至らなかったようだ。
「お前まで、俺を」
 裏切るのか。そう訴えているかのように、彼の瞳から涙が流れ出ていた。
 苦しい。両腕で首を絞められ、身動きが取れない。まさか…死ぬ?私が?そんな、まさか。死ぬのはこの男であって、私ではない。こんなところで死ぬなんて、そんな、そんな。
 しかし男の全体重をかけられた状態で、対して力もない私ではどうしようもなかった。次第に意識が朦朧としてくる。
 死ぬ。脳裏にはっきりとその言葉が浮かんだ次の瞬間。急にのしかかっていた力が無くなり、息をするのが楽になった。
 軽く咳き込みつつ満を見ると、彼は口から血の混じった赤い泡を吹き出していた。そのまま私の横、仰向けにどすんと倒れ込む。
 これは…何が起きたのだろうか。
「あ、あの。大丈夫ですか」
 声がした方向に視線を向けると、綺麗な顔立ちの若い男が、私に笑顔を見せていた。
 
 彼は自らを稲本拓哉と名乗った。
 職場からの帰路にここを通りかかったところ、私が襲われているのを見て、止むを得ず足元にあった石で満の頭を殴ったそうだ。
 手を貸してもらい、私は立ち上がる。
「あ、ありがとうございます」とりあえず、助けてもらったことに礼をする。
「いえいえ。しかしまあ良かったですよ、間に合って。もう少し遅ければ、あなたは彼に…殺されていたかも」
 稲本は、隣で仰向けに寝ている満を見ながら言った。
「とにかく、早く警察を呼びましょう。できれば彼の眼が覚める前に」
 その言葉に私は一瞬ほっとした。どうやら、彼は私が最初に満を殴りつけたことを見ていなかったようである。
 しかし安心できたのは本当に一瞬だけだった。もし警察を呼ぶのであれば、それはそれで面倒なことではないか。脇腹はともかく、頭の傷は稲本に加え、私がつけたものもある。これを隠すことはできそうにない。
 くそ。こんなはずでは無かったのに。満が死んでくれるだけで全て綺麗に片付いたのだ。稲本のような目撃者が現れることもなかったはずである。心の中で悪態をつき、満を睨みつける。彼は今もぴくりとも動かないままだ。
 ん?ぴくりとも?
 私は慌てて満の胸に耳を当てた。
「ど、どうしたんです?」
 稲本が不審な様子で問いかけてくるが、私はそれを聞き流し、より強く彼の胸の上から耳を押し当てる。予感は的中した。
「息を、してない」
「——え?」
「死んでいる、みたいです」
「え!」
 彼の驚きの声は、住宅街に響いた。
「そ、そ、そそ。そんな。嘘ですよね」稲本は尻餅をつく。青ざめた表情になる。
「いえ。本当…です。心臓の鼓動が聞こえない」
 彼を追い込みたい訳ではないが、もう一度そう伝える。
「そんな!」私を押しのけ、満の胸に耳をつける。そして、目を見開いた。
「嘘だ!そんな、そんな馬鹿なことって!」
 顔面蒼白。叫びながら、彼は自身の髪を両手で掻きむしった。爽やかで整った顔でも、ここまで取り乱すと見るに耐えないものだ。冷静にそう思いつつも、私は私で別のことを考えていた。
 これは、神が与えたチャンスではないだろうか。予定は狂ったが、上手くやれば面倒なことを一度に葬り去ることができる。心の中で笑みを浮かべ、稲本の両肩に手を置いた。
「稲本さん。一つ考えがあるんです」
「か、考え?」泣きそうになりながら、その潤んだ瞳で私を見てくる。
「ええ。あなたが手伝ってくれれば、この状況を無かったことにできる。どうです、私たちの罪を隠すためにも、私の考えに乗ってくれませんか」

しおりを挟む

処理中です...