βなんか好きにならない

切羽未依

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αの欲望

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 ドタバタ、走って行く笙悧しょうりの後ろ姿を見送って、宇宙そらは追い駆けることさえできなかった。

 追い駆けてしまえば、笙悧を背中から強く抱き締めて、うなじに歯を立ててしまいそうだった。

 笙悧をこわがらせたくないのに。
 歯がうずく。


 宇宙は、αのフェロモンも薄く、Ωのフェロモンにも、あんまり興奮しなくて、
「ほんとに、α?」と、誰からも言われ続けて来た。
 ぶっちゃけ、「宇宙くんって、αらしくないよね」って、Ωにフラれたこともある。あっちから告って来たのに。

 でも、結局、笙悧にヘンなことをしようとしてたαと、自分は同じだった。


 市民文化会館の搬入口の大きなシャッター横の鉄のドアが押し開けられる音は、薄暗い駐車場の植え込みの雑草で鳴く虫の声にかき消されて、宇宙は気付かなかった。


「珍しいな。君がそんなにαのフェロモンを撒き散らしてるなんて。」
 背後に、かぼそい男の声を、宇宙は聞いた。と同時に、Ωのフェロモンを嗅ぐ。

 笙悧のΩのフェロモンとは全く違う、冷たい匂い。

「振り向かないで。――知ってる?『まぐわう』という言葉は、『目が合う』ことなんだよ」
 知識をひけらかし、無知をあざける口調。


 宇宙は、自分の後ろ髪に、細くて長い指が絡み付くのを感じる。
 髪に触覚なんてないはずなのに、指の冷たさまでを感じていた。


「君は、みずから望むことなく、人の上に立てるだけの才能と、誰からも愛される魅力を持っている。わざわざαのフェロモンで、他のαを威嚇いかくする必要も、Ωを魅き付ける必要もない。だから、抑制剤も必要ないほど、αのフェロモンが薄いんだ」
 推測を、まるで真実のように話す。

「なのに、こんなに濃くて、美味しそうなフェロモンをらして」

 髪に嗅覚なんてないはずなのに、触れる甘い息を感じる。


 振り返って見なくたって、わかってる。
 先生。いわおさんのバンドでキーボードを弾いている。
「先生」と呼ばれているのは、高校の音楽の先生をしているからで、誰もが、そう呼んでいて、ほとんど仇名あだなのようなものだった。


 宇宙は振り返らないまま、聞いた。
「先生も、Ωだから、ピアノを辞めたんですか?」

 ふふっと、笑い声が聞こえた。
 聞いただけで、宇宙は、まるで全身を撫で上げられたように、ぞわっと鳥肌が立つ。鳥肌が立つのは、寒い時のはずなのに、全身は、ぼわぼわ、熱い。

「辞めてないよ。今だって、弾いてる」


 一昨日のリハーサル。
 スポットライトの中、先生はグランドピアノを弾いていた。
 児童館で独り、先生が弾いているのは、何度も見たことがあったけど、ステージで、バンドメンバーとして、ピアノを弾いているのを見るのは、初めてだった。
 さっきまで笙悧が弾いてた同じピアノなのに、そっと、寄り添ってくれるみたいな笙悧の音とは、全く違う音。

 音楽的なことは、何にもわかんない宇宙にも、とにかく「すげえ」とわかる演奏だった。
 なのに、ピアニストではなく、高校の音楽の先生をしていて、バンドでキーボードを弾いている。


「ステージに、ピアノ出すなら、『僕、弾く』って言って、セットリスト演奏する曲目全捨ぜんすて、ぜんつくなおしだよ。ヘンに対抗心、燃やして欲しくないよね~」
 ぽぽんたの2階のははそ楽器店がっきてんで、エレキギターの練習をしながら巌が、ぼやいていた。


「僕が音楽を辞めても、辞めさせてくれないひとがいるからね」
「俺だって!」
 宇宙は自分で、自分の声の大きさに驚いた。大声は、あふれ出て、止まらない。
「笙悧にピアノを弾いて欲しかったから!笙悧をこわがらせたくなかった!抑制剤だって飲んでたのに!なんなんだよ?!この体!!」

 ぐしゃっと、宇宙は自分の胸を掴み、黒いネクタイが歪んで、細い銀のネックレスが揺れる。

「笙悧が、こわがること、したくない…でも、俺、」
 宇宙は唇を閉じ合わせ、奥歯を噛み締める。歯がうずく。
 自分の体からがるαの本能を、言葉にして言いたくもなかった。けれど、掴んだ胸の奥底で、熱く渦巻いている。
 Ωに触りたい。Ωを撫でたい。Ωを抱き締めたい。Ωにキスしたい。Ωとセッ

「抑制剤は、フェロモンを抑制するものなんだよ」
 誰もが知っていることを、まるで自分だけが知っている真理しんりのように話す。

「恋を抑制できるものじゃない」
「『こい』………」
 先生に言われた言葉を、生まれて初めて知った子どもみたいに、宇宙は繰り返した。






――宇宙は、思い出す。
 笙悧が弾くピアノに、自分の歌がバッチリ!合った時、サッカーでシュートが決まった時みたいに、笙悧を抱き締めたかった。

 リハーサルで、ピアノが上手く弾けなくて、ワイシャツのうしえりから、うなじが剥き出しになるほど、うつむいた笙悧を抱き締めたかった。

 本番の前の日の夜、LINE通話して来た笙悧に、添い寝で、腕枕をして、頭を撫で、羊を数えて、眠らせてあげたかった。

 笙悧の唇を、つい見てしまうのは、何でも、いつも本当に美味しそうに食べるからだった。
 楽屋の冷蔵庫の中の、笙悧に食べてもらいたかった焼きそばを思い出して、宇宙は悲しくなる。

 笙悧と、いっしょに焼きそばを食べたい。
 笙悧と、ずっと、いっしょにいたい。
 笙悧のピアノで、これからも歌いたい。
 笙悧に、他のαと番なんか、なって欲しくない。


「本番前に、どこ、行ってんだよっ?!」
 大声に、びくっと、宇宙は振り返ってしまった。
 けれど、先生も大声に振り返っていたので、目合まぐわうことはなかった。

 か細い、先生の後ろ姿。肩に触れるほどの長さの黒髪が、うなじを覆っている。
 ジャケットのすそが膝まで届くオフホワイトのロングレン長さグスのスーツ。

「宇宙、こいつに近付いちゃダメって、言ってんだろ!!」
 ドアを押し開けて立ついわおに、先生の後ろ姿の肩越しに、宇宙は怒られる。

「勝手に近付いてきたんだよ…」
 ごにょごにょ、宇宙は言い訳する。

 巌は、きょろきょろして、聞いた。
「笙悧くんは?」
「フラれた」
 先生が答えた。

「お前が、ちょっかい出したからか?」
「僕が、ちょっかい出したのは、フラれた後。」
「後でも、前でも、よくねえよ!」
 巌と先生の会話をBGMに、宇宙は、俺、やっぱ、フラれたってことになんの?と思う…

「ちょっかい出してるヒマじゃねえよ。ボーカルが来てねえ。」
「えっ?」
 巌が言って、声を上げたのは、宇宙だった。

 イライラと、巌は状況説明する。
「LINEしても、既読つかねえし、電話しても、スマホの電源、切れてる」
「いいこと、思いついた」
「お前の『いいこと』が、いいことだったことがない」
 突然、言い出した先生に、巌は言い返す。

「この子に歌ってもらえば?――僕たちの歌、知ってるよね?」
 先生は、背中を向けたまま、宇宙に聞く。

「どうして、ボーカルが来ない前提で、そんなこと言ってるんですか?」
 ていねいな口調で巌は、先生に質問した。

「昨夜、明日、ライブなのに、イラマしようとするから、」
「お子様に聞かせちゃダメなこと、言うなっ!!」
「喉を痛めて、コーラスできなくなったら、どうすんだよ?って、僕、拒否ったの」
 巌に止められても、先生は説明した。

 巌は、自分の額を掴むように押さえて、うなだれた。
「それで、夜中に、俺ん家、来たのかよ…」
「うん」
「『うん』じゃねえよっ。あなたに、ボーカルにだけは『手、出すな』って、毎ッ回まいっかい、言って聞かせてるよね?俺。」
「それ、ボーカルの人に言い聞かせてくれる?僕に、『手、出すな』って。」
「加入条件で、毎回、言って聞かせてるよッ!!」
「βでも手を出さずにはいられないΩで、ごめん」
「βでもダメだったかぁ~…問題、そこじゃねえよっ」
「文化会館の事務室に、プリンターあるよね?A3で、歌詞を、大きな文字で印刷して、ステージのあちこちに、置いておけば?」

 巌は額を押さえたまま、顔を上げ、次の瞬間、両手で頭を抱えた。
「『イケる』と一瞬、思ってしまったぁぁぁ!」


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