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初めての手料理
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笙悧は、冷蔵庫・冷凍庫・野菜室を見て、調味料を見て、調理器具を見て、ため息をついた。
「ほんと、お兄ちゃんって、ちゃんと料理してるよね…」
「ごはんは炊くと、時間かかるから、冷凍ごはん、チンで、いいよ。朝は、いつも、そうしてる」
暖は、にこにこ、笑顔で、青いエプロンを差し出す。
「いいよ、新品じゃなくても。お兄ちゃんが、いつも使ってるの、貸して。」
「笙悧が、ぼくに手料理を食べさせてくれる、その日のために、買ったエプロンだよ」
言いながら暖は、笙悧のパジャマの上から、エプロンを掛けて、後ろに回り、リボン結びをした。
暖のはしゃぎっぷりは、続いた。
「お兄ちゃん、おみそ汁の味、見てくれる?」
「味見イベント、キター!!」
ダイニングテ―ブルに新聞を広げて読んでいた暖は、スキップと呼んでもいいような足取りで、やって来た。
「もう死語だよ、それ…」
笙悧は、右手に、おたまを持ったまま、左手で、味見の小皿を差し出した。
小皿を、両手で暖は受け取り、うやうやしく飲み干す。
「うん。ちょうどいい」
「本当に?」
笙悧は聞き返した。最初は薄味にしておいて、味噌を足すつもりだった。
「うん」
そういえば、お兄ちゃんの家のごはんは、何でも薄味だった。
チンした冷凍ごはん。
あぶらあげと、ほうれん草のおみそ汁。ほうれん草は、暖が茹でて、小分けに冷凍してあったのを、使った。
オムレツに、キャベツの千切りと、きゅうりの薄切り。
何の魚かわかんないけど、冷凍庫にあったパックの干し魚を焼いた。
「いただきます」
「いただきます」
二人で、手を合わせて、声を合わせて、言った後、暖はオムレツの皿を、笙悧に差し出した。
「オムレツに、ハートマーク書いて、『萌え萌えキュンキュン』って、してくれないの?」
笙悧は無言で、トマトケチャップを取り上げると、バツを書いた。
「ひどいなあ」
暖は悲しんで、皿を置くと、笙悧の手からトマトケチャップを取り、×を、器用にハートマークに変えた。
食べ物の香りも、αのフェロモンの嫌な臭いを紛らせてくれる。
暖は、箸で、オムレツを一口、食べる。
「こんなちゃんとしたオムレツ、久しぶりだよ」
「そこしか、ホメるところ、ないよね…」
笙悧は暗い声で言って、箸を持ち、ごはん茶碗を持って、一口、食べた。
ちょっと固い。冷凍ごはんのせいで、固いのか、暖の好みが、固めのごはんなのか…もぐもぐ、笙悧は悩む。
「昼ごはんは、何かな~?」
お兄ちゃんの独り言は、聞こえなかったふりをした。
食後のコーヒーは、コーヒーメーカーもあるのに、意外と、お湯を入れるだけの、スティックコーヒーだった。
「そうだ。ぽぽんたに、ケーキ、買いに行って来ようか」
「あ、今、臨時休業中なんだよ」
コーヒーを飲んでいると、突然、暖が言い出して、思わず笙悧は言ってしまった。
「えっ。何かあった?」
「店長さんが、……――体調、よくなくて……」
「ああ…」
とても言いにくそうに、もごもご、言う笙悧の様子で、暖は察したようだった。
「よく、ぽぽんたに行ってるんだ?」
暖に聞かれて、笙悧は、頭の中で文章を作ってから、勇気を出して言った。
「市民祭で、宇宙の伴奏でピアノを弾く」
「『そら』?」
聞き返されて、笙悧は戸惑った。
「ぼくがαに絡まれた時に助けてくれた、βの人。宇宙って書いて、『そら』って読む」
説明しながら、インパクトのある名前なのに、忘れちゃったのかな?と、笙悧は思う。お兄ちゃんは、ぼくなんかより、ずっと記憶力がいいのに…
「ああ、うん。覚えてるよ」
暖は、飲みかけのコーヒーを見下ろすふりをして、うつむいた。
「名前を呼び捨てしてるんだなと思って…」
「年齢は、ひとつ上なんだけど、宇宙が。でも、いろいろ、言い合うのに、さん付けで、敬語だと、言いづらいだろって、」
「『言い合う』?」
暖は顔を上げた。
暖の表情の険しさを、笙悧は不思議そうに見返した。
「『言い合う』って、笙悧のピアノに、あれこれ、言ったりするのか?」
「えっ!ううん。そんなじゃないよ」
笙悧は首を横に振り、自分の説明が下手で、嫌になってしまう。
「宇宙が、ぼくに、文句を言うとかじゃなくて。演奏と歌を合わせるために、お互い、言いたいことを言う、ってことだよ」
暖の表情の険しさは消えたが、やっぱり少し怒っているような感じがして、笙悧は、視線をコーヒーに落とした。
「この前、『ピアノとは合わなかった』って、笙悧、言ってたよね?」
「うん。でも、今は、合うようになった」
本当は、笙悧は話したかった。
歌とピアノを合わせるためにしたことが、サッカーのパス練習だったこと。
でも、自分の下手な説明じゃ、全然、お兄ちゃんに伝わらない。
「ピアノを弾くのは、つらくない?笙悧。笙悧が断れないなら、ぼくが断ろうか?」
「え……」
思いもよらないことを暖に言われて、笙悧は顔を上げた。
暖に心配顔で見つめられて、笙悧は何も言えなくなる。
「ぼくは、」
暖は言い出して、口を閉じた。そして、口を開き、喘ぐように息を吸うと、言った。
「笙悧がピアノを辞めて、安心したんだ」
今にも泣き出しそうな瞳が、笙悧を見つめる。
「笙悧、いつも、コンクールが近付くと、どんどん、やせていって、目の下にクマ、作ってたよね?」
笙悧は答えられず、うつむいた。
コンクールが近付くと、笙悧は食欲がなくなり、眠れなくなった。
「ステージに、真っ青な顔で、ふらふら、出て来て、ピアノに辿り着けるのかも、心配なくらいだった」
揺れる視界の中、明るいステージにある、真っ黒な巨大な塊が、白い歯を剥いて、待ち構えている。
足元は、ふわふわして、鉄でできているみたいに重い黒い靴が、一歩ごとに沈み込んで、全く先に進めない感覚を、笙悧は思い出す。
ピアノの前に辿り着き、椅子に座って、ペダルに足を置いても、白鍵と黒鍵のどこに、最初に両手を置けばいいのかさえ、わからなくなる。
思い出すだけで、心臓は胸を突き破るくらいに、ドキドキして、体は凍り付くみたいに、冷たい。
――また、こうなっちゃうんだろうか……
「ピアノを辞めて、もう、笙悧が、あんなつらい目に遭わなくて済むんだって、ぼくは安心したんだ」
暖は、うつむいている笙悧に言った。
「笙悧が断れないなら、ぼくが断るよ」
きゅっと、笙悧は唇を閉じ合わせた。そして、開いた。うつむいたまま、言った。
「だいじょうぶ。こうなっちゃったら、ぼく、自分で、宇宙に言う」
「――……そう?」
「うん」
笙悧が答えると、暖は、それ以上、何も言わず、コーヒーを飲んだ。
「ほんと、お兄ちゃんって、ちゃんと料理してるよね…」
「ごはんは炊くと、時間かかるから、冷凍ごはん、チンで、いいよ。朝は、いつも、そうしてる」
暖は、にこにこ、笑顔で、青いエプロンを差し出す。
「いいよ、新品じゃなくても。お兄ちゃんが、いつも使ってるの、貸して。」
「笙悧が、ぼくに手料理を食べさせてくれる、その日のために、買ったエプロンだよ」
言いながら暖は、笙悧のパジャマの上から、エプロンを掛けて、後ろに回り、リボン結びをした。
暖のはしゃぎっぷりは、続いた。
「お兄ちゃん、おみそ汁の味、見てくれる?」
「味見イベント、キター!!」
ダイニングテ―ブルに新聞を広げて読んでいた暖は、スキップと呼んでもいいような足取りで、やって来た。
「もう死語だよ、それ…」
笙悧は、右手に、おたまを持ったまま、左手で、味見の小皿を差し出した。
小皿を、両手で暖は受け取り、うやうやしく飲み干す。
「うん。ちょうどいい」
「本当に?」
笙悧は聞き返した。最初は薄味にしておいて、味噌を足すつもりだった。
「うん」
そういえば、お兄ちゃんの家のごはんは、何でも薄味だった。
チンした冷凍ごはん。
あぶらあげと、ほうれん草のおみそ汁。ほうれん草は、暖が茹でて、小分けに冷凍してあったのを、使った。
オムレツに、キャベツの千切りと、きゅうりの薄切り。
何の魚かわかんないけど、冷凍庫にあったパックの干し魚を焼いた。
「いただきます」
「いただきます」
二人で、手を合わせて、声を合わせて、言った後、暖はオムレツの皿を、笙悧に差し出した。
「オムレツに、ハートマーク書いて、『萌え萌えキュンキュン』って、してくれないの?」
笙悧は無言で、トマトケチャップを取り上げると、バツを書いた。
「ひどいなあ」
暖は悲しんで、皿を置くと、笙悧の手からトマトケチャップを取り、×を、器用にハートマークに変えた。
食べ物の香りも、αのフェロモンの嫌な臭いを紛らせてくれる。
暖は、箸で、オムレツを一口、食べる。
「こんなちゃんとしたオムレツ、久しぶりだよ」
「そこしか、ホメるところ、ないよね…」
笙悧は暗い声で言って、箸を持ち、ごはん茶碗を持って、一口、食べた。
ちょっと固い。冷凍ごはんのせいで、固いのか、暖の好みが、固めのごはんなのか…もぐもぐ、笙悧は悩む。
「昼ごはんは、何かな~?」
お兄ちゃんの独り言は、聞こえなかったふりをした。
食後のコーヒーは、コーヒーメーカーもあるのに、意外と、お湯を入れるだけの、スティックコーヒーだった。
「そうだ。ぽぽんたに、ケーキ、買いに行って来ようか」
「あ、今、臨時休業中なんだよ」
コーヒーを飲んでいると、突然、暖が言い出して、思わず笙悧は言ってしまった。
「えっ。何かあった?」
「店長さんが、……――体調、よくなくて……」
「ああ…」
とても言いにくそうに、もごもご、言う笙悧の様子で、暖は察したようだった。
「よく、ぽぽんたに行ってるんだ?」
暖に聞かれて、笙悧は、頭の中で文章を作ってから、勇気を出して言った。
「市民祭で、宇宙の伴奏でピアノを弾く」
「『そら』?」
聞き返されて、笙悧は戸惑った。
「ぼくがαに絡まれた時に助けてくれた、βの人。宇宙って書いて、『そら』って読む」
説明しながら、インパクトのある名前なのに、忘れちゃったのかな?と、笙悧は思う。お兄ちゃんは、ぼくなんかより、ずっと記憶力がいいのに…
「ああ、うん。覚えてるよ」
暖は、飲みかけのコーヒーを見下ろすふりをして、うつむいた。
「名前を呼び捨てしてるんだなと思って…」
「年齢は、ひとつ上なんだけど、宇宙が。でも、いろいろ、言い合うのに、さん付けで、敬語だと、言いづらいだろって、」
「『言い合う』?」
暖は顔を上げた。
暖の表情の険しさを、笙悧は不思議そうに見返した。
「『言い合う』って、笙悧のピアノに、あれこれ、言ったりするのか?」
「えっ!ううん。そんなじゃないよ」
笙悧は首を横に振り、自分の説明が下手で、嫌になってしまう。
「宇宙が、ぼくに、文句を言うとかじゃなくて。演奏と歌を合わせるために、お互い、言いたいことを言う、ってことだよ」
暖の表情の険しさは消えたが、やっぱり少し怒っているような感じがして、笙悧は、視線をコーヒーに落とした。
「この前、『ピアノとは合わなかった』って、笙悧、言ってたよね?」
「うん。でも、今は、合うようになった」
本当は、笙悧は話したかった。
歌とピアノを合わせるためにしたことが、サッカーのパス練習だったこと。
でも、自分の下手な説明じゃ、全然、お兄ちゃんに伝わらない。
「ピアノを弾くのは、つらくない?笙悧。笙悧が断れないなら、ぼくが断ろうか?」
「え……」
思いもよらないことを暖に言われて、笙悧は顔を上げた。
暖に心配顔で見つめられて、笙悧は何も言えなくなる。
「ぼくは、」
暖は言い出して、口を閉じた。そして、口を開き、喘ぐように息を吸うと、言った。
「笙悧がピアノを辞めて、安心したんだ」
今にも泣き出しそうな瞳が、笙悧を見つめる。
「笙悧、いつも、コンクールが近付くと、どんどん、やせていって、目の下にクマ、作ってたよね?」
笙悧は答えられず、うつむいた。
コンクールが近付くと、笙悧は食欲がなくなり、眠れなくなった。
「ステージに、真っ青な顔で、ふらふら、出て来て、ピアノに辿り着けるのかも、心配なくらいだった」
揺れる視界の中、明るいステージにある、真っ黒な巨大な塊が、白い歯を剥いて、待ち構えている。
足元は、ふわふわして、鉄でできているみたいに重い黒い靴が、一歩ごとに沈み込んで、全く先に進めない感覚を、笙悧は思い出す。
ピアノの前に辿り着き、椅子に座って、ペダルに足を置いても、白鍵と黒鍵のどこに、最初に両手を置けばいいのかさえ、わからなくなる。
思い出すだけで、心臓は胸を突き破るくらいに、ドキドキして、体は凍り付くみたいに、冷たい。
――また、こうなっちゃうんだろうか……
「ピアノを辞めて、もう、笙悧が、あんなつらい目に遭わなくて済むんだって、ぼくは安心したんだ」
暖は、うつむいている笙悧に言った。
「笙悧が断れないなら、ぼくが断るよ」
きゅっと、笙悧は唇を閉じ合わせた。そして、開いた。うつむいたまま、言った。
「だいじょうぶ。こうなっちゃったら、ぼく、自分で、宇宙に言う」
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笙悧が答えると、暖は、それ以上、何も言わず、コーヒーを飲んだ。
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