辺境騎士が、涙を流すとき【完結】

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第三章 ザハラ王国編

62 神々のざわめき

「痛ってえ……」

 いきなり硬い石床タイルの上に放り出されて、尻が痛い……

「ザグン、もっと丁寧に降ろしてくれよ!」
「急だったんだから、仕方ないだろ!」

 すると、頭上に影が差して、紫色の髪をした少女が、床に転がる俺たちを冷たい目で見下ろしていた。

「うるさいよ、ザグン」
「……リリスか。ということは、無事に神殿に着いたってことか」
「そうよ、屋根の上に落っこちなくて良かったわね」

 屋根の上に着地してたかもって……?
 肝を冷やしていると、リリスと呼ばれた少女が俺の顔を覗きこんだ。

「あんなに派手に脱走したくせに、またここに戻ってきたの?」

 黒いガラス玉のような瞳に見つめられて、なんだか落ち着かない。
 その瞳が、今度はザグンに向けられる。

「どういうこと、ザグン?」
「うるさいな……あるじのためだよ」
「あんたはアシークさまのことしか考えてないんだから。せっかくレイラさまが逃してあげたのに、また彼を連れ戻すなんて……何やってんのよ」

 少女がザグンに向かってため息をつくと、ザグンが不服そうに唸り声をあげた。

 いがみ合う彼らのことは放っておいて、とりあえず起き上がって辺りを見回した。
 足元には滑らかな白い石板が敷かれ、壁には神話を刻んだレリーフ。祭壇の上の女神像が、光を受けて輝く――ここは王宮の奥、女神の神殿だ。

 女神像の前で、レイラ姉さんが静かに祈りを捧げていた。

影の男神ナフリム、どうかロイドにご加護を。光の女神ナヒーラ、ロイドが無事に国に帰ることができるよう、彼をお導きください……」

 ――レイラよ、まさかロイドを逃してしまうとは。国を救うことよりも弟の幸せを選ぶとは、愚かなことをしたものだ。

 男神の重々しい声が、神殿内に響く。

「だって、アシークとロイドが一緒になっても、誰も幸せにはなれないもの。これが、私にできる最善の策だったの。それに、ちゃんとルシアンさんにお願いしたから大丈夫よ」

 ――まあね。彼らがここから逃げ出してすぐ封印は解かれたわけだし。ということは……ふ・ふ・ふ。
 ――そうだな、女神が戻ってきたことだし良しとするか。
 ――ええ、愛しいあなたダーリン

「あのぉ……それで、ちゃんとロイドを護ってくれるんでしょうね?」

 ――心配するな。あの者は既に女神ナヒーラの力を得ておる。心配はいらぬ。
 ――でもレイラ、せっかく再会した弟と別れちゃったけど、良かったの?

「もちろん寂しいわ。でも、きっとまた会えるから……」

 ――ははっ、その願いならもう叶ってるわ。
 ――レイラ、後ろを見よ。

「レイラ姉さん!」
「えっ、ロイド?」

 姉さんは俺を見るなり、驚いたように目を丸くした。

「姉さん、無事で良かった!」
「……どうしてここに? ルシアンさんと一緒に帰国したはずじゃ?」
「帰国って……?」
「あなたを連れて逃げるようルシアンさんにお願いしたのよ。それなのに……!」

 姉さんに睨まれ、ザグンが気まずそうに視線を逸らす。

「ザグンが一緒ということは……まさか、アシークに会いに行ったの?!」

 えっと……

 よくわからないけど、叱られてるよな。
 どうやら、俺は姉さんの好意を無駄にしてしまったらしい。

「もう、ロイドったら……!」

 俺を叱る姉さんの声が震えている。俺を守ろうとして、姉さんなりにいろいろ考えてくれてたんだよな……ごめん。
 でも、今は俺が姉さんを守らないと。

「それより、今は俺のことより、姉さんのことだよ!」
「私のこと?」
「この神殿に刺客が潜んでるかもしれないんだ」
「護衛ならトビアスがいてくれるし、それにリリスもいるから」

 リリスって……あの小柄な少女のことか?
 あんなか弱そうな女の子が、暗殺者に立ち向かえるのか?
 
 俺の不安そうな顔つきを見て、リリスが口を尖らせた。

「レイラさまは私がお護りしますから、心配無用です」
「トビアスならまだしも……その細い腕で敵とやり合えるのか?」
「ふん、面白いことを言うわね」

 リリスが鼻先で笑うと、姉さんが慌てたように俺とリリスの間に割って入った。

「ロイド、本当に大丈夫だから」
「でも……」

 すると、リリスが不満げに鼻を鳴らした。

「まだお疑いのようですね……レイラさま、弟君にも私の力を知ってもらいましょう」

 そう言うなり、リリスの全身から紫炎が立ち昇った。
 次の瞬間――

 煙の中からあのレイヴンが姿を現した。
 
 ひっ、とザグンが情けない声を出した。
 リリスが宙に舞い上がり、俺の頭上を旋回する。そして、翼を大きく羽ばたかせた。

 シュッ!

 風を切り裂くような音がしたかと思うと、

 ズダダダダダッ!

 翼から何本もの黒羽が、ナイフのように俺の足元の床に突き刺さった。

 ピキッ――ピキッ――

 ええっ、石床にひびが入ってる!?
 もし、この羽が俺に突き刺さっていたら――冷たい汗が流れた。
 
「リリス!もうわかったから、降りてきてちょうだい!」

 姉さんの声に、リリスがため息をついたように見えた。
 唖然とする俺の目の前にレイヴンが舞い降りて、あっという間に少女の姿に戻る。
 
「これで、おわかりでしょうか?」
「ああ……十分理解した」
「それは良かった。あ、ところで……」

 急にリリスが、何かを思い出したように、

「……先ほど不審者を捕えたことを、まだ申し上げておりませんでした」
「なんだって!」

 リリスが口を開く前に、神殿の扉が勢いよく開かれた。

「レイラ殿下!」

 ぴんと張りつめた空気を破って、トビアスの声が響き渡った。
 後ろ手に縛り上げた男を引っ立ててくる。服装からして後宮の下働きのようだが、そいつが大臣の手先なのだろうか?
  
 すぐに、リリスが咎めるように声を上げた。

「トビアス、不審者をレイラさまに近づけないで!」
「いや、それが……不審者には違いないんだが……」

 トビアスの歯切れの悪い返事に、不審な男の声が重なった。

「俺だよ! 不審者じゃないってば!」
「でも、こそこそ神殿の中を嗅ぎ回っていたろう!」
「だからって、俺が王女殿下をどうにかする理由がないだろ!」

 その男が、俺を見て叫んだ。

「お前なら信じてくれるよな、ロイド!」
「えっ……ジェイ?」

 なんと、トビアスが捕らえた不審者はジェイだった。

「ジェイ……お前、ここで何やってんだよ」
「俺は、ただ……」

 ジェイが言い訳をする前に、トビアスが厳しい口調で言い放った。

「お前、扉の隙間からずっとレイラ殿下を覗き見してたよな。私の気配を感じて姿を消そうとして……怪しすぎるだろう!」

 すると、リリスがすうっとジェイの前に立った。

「レイラさま、この者の始末は私にお任せを……」

 リリスの冷たい声を聞いて、俺は慌てて二人の間に割って入った。

「ちょ、ちょっと待て! とりあえず拘束を解いてやって、ゆっくり話を聞こうな!」
「でも、拘束を解いた途端、そいつがレイラさまを襲うかもしれない」
「いや、それはないよ」
「どうして、そう言い切れるの?」

 俺は、床に跪いているジェイを見下ろした。

「俺はこいつを誰よりも信じてる。俺の命を託せるくらいには」

 だから、窮地に陥った時もルシアンを預けたんだ。
 そして、こいつはちゃんとルシアンを救出してくれた。

「ロイドぉ」
「ほら、情けない声を出すなよ……どういうことか話してみろよ」

 ジェイの拘束を解いてやると、彼は痺れた手首を摩りながら恨めしそうにトビアスを見た。

「まさか、ここにお前がいるなんて思わなかった。油断したよ」
「油断しすぎだろう。私だってお前が姿を消したままだったら、簡単には見つけられなかった」
「だからさ、王女殿下を狙ってたらそんな油断するわけないだろう」

 いいから、さっさと話をしろっ!
 催促するように彼の頭を小突くと、ジェイはまた情けない表情を浮かべた。

「ザハラの大臣、なんて名前だっけ……まっ、いいや。そいつに雇われたんだよ」
「やっぱりお前、大臣の手先か!」

 瞬時にリリスが身構える気配がして、俺は慌ててリリスからジェイを庇う。

「ジェイ、お前も紛らわしいことを言うな!」
「だからさ、王宮内を探ってる時に、あいつが側近に殺し屋を雇えと命じるのを聞いてさ……」

 ジェイがニヤリと笑った。

「先回りして本物の殺し屋とすり替わったんだ。それなのに誰も俺を疑いもしない。あんなにゆるゆるで大丈夫なのかな?」
「お前が、それらしく殺気を漂わせてたからだろう? 」
「えー、こんな美形イケメン殺し屋がどこにいるんだよ」

 自分で言ってら。
 同意を求めようと姉さんを振り返ったら、なんと姉さんは少し頬を赤らめてジェイを見つめてる?
 確かに、ジェイは女性受けする容姿の持ち主で、騎士としての技量も申し分ない。何より姿を消す魔法インビジブルを操るほど魔力にも秀でてる。

 でも……ジェイだぞ?

「もういいから。それで大臣の企みもちゃんと聞き出してきたんだろうな……って、おいっ、姉さんから離れろよ!」

 気づいたら、ジェイがちゃっかりと姉さんの手を握って、にこやかに自己紹介を始めてる。
 
 バシッ! 

 だが、既にリリスがジェイの後ろ頭を思い切り叩いていた。

「痛ってえ……で、姉さんってなに?それに、その髪……?」
「……詳しいことは後でゆっくり話す。それより大臣の話だ」

 ジェイが表情を引き締め、話し始めた。

「サリーム王が、この婚姻を機に王女と将軍に王位を譲ると言ってるんだ。大臣たち、ものすごく焦ってるぜ」

 すると、姉さんが頷いた。

「当然ね。今まであの子の陰で好き放題してきたのだもの。特にアシークが王位についたりしたら、彼らにとっては文字通り身の破滅ね」
「だからって、王女を始末してしまえなんて……汚いやり方ですよ」

 ジェイ、姉さんの前だからって急に紳士ぶって。
 姉さん……頼むから騙されないで。

「それで、お前は大臣にどう報告するつもりだったんだよ」
「それを考えてたら、トビアスに見つかっちまったんだ!」

 あっ、そ。
 二重スパイなんて難しい役をこなしてると思ったら、何も考えてなかったのか。
 
「まっ、お前らしいよ」
「とりあえず、セリーヌ夫人の耳には入れておいたから」

 ジェイの話によると、この婚姻騒動で停戦交渉は一時中断。ラクロス国からの使者は披露宴に招かれており、このままこの国に止まることになった。
 だが、セリーヌ夫人は諦めずに停戦に向けて策を練っている。
 アシーク将軍を説き伏せるには、王権を利用するしかない。まずはサリーム王を政治の表舞台に引っ張り出さなくては。

「……そのために、ザハラ国内の不正を暴いてその証拠を王に突きつけるって言ってたよ」
「そんな……他国の不正を暴くなんて簡単じゃないよな」

 交渉を進めたいだけなら、俺をアシークに差し出せばすむことなのに。
 でも、セリーヌ夫人は、俺のために必死になって策を練ってくれているんだ。
 そんなふうに俺を思ってくれる人がいる――そう思うだけで、心の奥に光が射しこむような気がした。

「それがさ、ラクロス国側の人間が大臣と裏取引をしていた可能性があるっていうんだ。その人物の不正を暴けば、芋蔓式にザハラ国の汚職の証拠も出てくるだろうって」

 俺たちが命のやり取りをしている裏で、こそこそと敵と繋がって金儲けをしていた奴らがいる。
 その人物に心当たりがないといえば……嘘になるな。

「もう、目星はついてるんだな」
「ああ、サリーム王に媚び諂うように頭を下げていた姿を見れば、誰にだってわかるってもんだ」

 俺たちは目配せをする。
 
「それって……サリームも裏取引に関わっていたのかしら?」

 姉さんが、心配そうに尋ねる。
 確かに、戦時中に国王自らが敵国と裏取引をしてたら大問題だ。
 
 すると、ジェイが姉さんの不安を取り除くように、柔らかな声で応じた。

「いえ、裏取引のをしていたのは大臣です。金の流れを掴めばはっきりするでしょう。王は何も知らないはず、何せただの傀儡……おっと、失礼」
「そう……」

 姉さんは、複雑な表情で考え込んでしまったが、暫くして、意を決したように顔を上げた。

「サリームに何も知らせてこなかった私にも責任があるわ。力のことなど知らないまま、後宮に引きこもっているほうが安全だと思ったから」
「王とは血が繋がっていないのに、仲がいいんだな」

 姉さんの話によると、サリーム王は幼い頃に母親を亡くしてからずっと後宮に放置されていたらしい。だから、後宮で一緒に育った姉さんとアシークのことを、実の姉や兄のように慕っているという。
 今度の婚姻のことも、兄と姉のように慕う二人に一緒になってもらいたいという、彼なりの配慮なのだろう。

「あの子はまだ、私に光の力があると誤解してるの。ただ伝承に従って、光と影が力を合わせてザハラを治めるべきだと思い込んでるのよ」
「自分が正当な王ではないと思ってるから、王位を譲りたいと?」
「そうね、きっと自分が国のためにできることは、それしかないと思ってるのね」

 俺は、広間で見かけた王の姿を思い浮かべた。
 ひざまずく人々に囲まれ、凛とした佇まいでレイヴンを見上げていた。光を浴びて立つ姿は、まさに生まれながらの王だった。
 それなのに、本人は自分は真の王ではないと思い続けてきたというのか。この国の安寧のために、自分は退かねばならないと。

 姉さんも辛そうに吐息を溢す。

「まずは、サリームと話さないと」

 姉さんがそう呟くと、その言葉に呼応するように神殿の灯がゆらりと揺れた。
 どこからともなく、忍び笑う声が響く。

 ――ついに、王が退くですって?
 ――あの忌まわしき前王の系譜は途絶え、正当な王が立つ時が来たのだ。 

 光と影の奥で、二柱の神が笑っていた――女神ナヒーラ男神ナフリムだ。

 ――レイラ、ロイド、この国を浄化するのだ。
 お前たちが出会ったことで、神々は再び一つになった。
 この力を、お前たちに授けよう。
 
 光と影が合わさる時、ザハラに繁栄が訪れる。
 
 王位を継承するのは――お前たちなのだ。
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