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第三章 ザハラ王国編
エピローグ1 〜 そして、ザハラの夜は更ける 〜
「ああ、やっと帰れるんだな!」
酒盃を片手に、ジェイが声を上げた。
上機嫌だな……もう酔っ払ってるんじゃないか?
まあ、ジェイがはしゃぐのも無理はない。
今夜は、帰国する俺たちのための別れの宴だ。食べて飲んで騒いで、別れを惜しんだらそのまま出立だ。
「これでようやく、ロイドとゆっくり過ごせる」
ルシアンの声も、心なしか踊ってる。
ザハラに新しい王が立ち、砂漠が湖へ姿を変えてから、もう一ヶ月余り。てんやわんやの大混乱で、俺も親父どのの補佐をして、寝る暇もないほど働かされた。
やることは山積み。周辺諸国との関係を建て直さなくてはいけないものの、好意的な国ばかりとは限らない。特に、北方のロータス国は厄介だ。
(ザハラが落ち着くまで、ガスト騎士団が北方の守りにつこう)
そんな親父どのの一言で、ルシアンは渋々騎士団を率いて出立していった。
そして昨晩、ようやく戻ってきたかと思えば、俺に抱きついたきりそのまま寝落ちしてしまった。なんでも、夜通し馬を駆けさせたとか。
一ヶ月ぶりに会えたっていうのに……こっちは文句のひとつも言えやしない。
そのおかげもあってか、今夜のルシアンは絶好調だ。艶も色気も撒き散らして、人々の視線を一身に集めてる。俺もそんな彼の姿をちらちら盗み見ながら、何度も惚れ直してるところだ。
「のんびり船旅でも楽しもうか。なあ、ロイド」
「団長……もう、ハネムーン気分ですか?」
「ジェイ、黙れ」
そこへ声をかけてきたのは、マレヴェル男爵だ。
「……ガスト辺境領に帆船を運べとジャンから知らせを受けた時は、何を言われてるのかと首を傾げましたよ。それが辺境領に着いてみれば、こんな巨大な湖があるとは……いやぁ、たまげましたよ!」
マレヴェル男爵の朗らかな笑い声につられて、俺たちの頬も緩む。
男爵はこれからガスト領の特産を一手に引き受けてくれることになっている。頭の中では、既に何通りもの交易計画が練られているんだろう。頼もしい限りだ。
すると、男爵の後ろから顔を覗かせたのは──
「フランツ! 」
癖っ毛は相変わらずで、文官らしくこざっぱりとした服装が似合っている。王宮騎士だった頃は、あんなに派手に飾り立ててたのにな。
「聞いたぞ、マクシミリアン宰相の元で鍛えられてるんだって?」
「うん、今回は父上の代行を任されたんだ。エリス殿下の報告が届いてから、王宮はもう大騒ぎさ」
そうだろうな。エリスが送った書簡には、ローゼンクランツ家の不祥事が事細かに記されていたはずだ。
「それで、ローゼンクランツ家はどうなるんだ?」
「あの家は他国とも手広く交易をしていたからね、取り潰せば国も痛手を負ってしまう。だから、当主を交代させて家を存続させるって事になりそうだよ」
「でも、後継はシルヴィオだったよな? 」
シルヴィオは敵国との裏取引に積極的に関わった上、未遂とは言え、俺の命まで狙ったことで更に罪が重くなったはずだ。
そこに、ジェイが話に割って入ってきた。
「シルヴィオか。今朝、処分が下されたって聞いたけど」
「結局、処分ってどうなったんだ? ラクロス国へ連れ戻されるか、ここでガーリドと同じように斬首か、そのどちらかだろう?」
「それがどうやら、ラクロス国側からの要請で……」
ジェイが意味ありげに何かを言いかけたところで、盛大に拍手が湧き起こった。
サリーム王とレイラ姉さんが姿を見せたようだ。
王の後から、後宮の美少年たちが列をなして入ってきた。以前は置物のように飾られていた少年たちが、今では明るい笑顔を見せ、艶やかに笑いさざめいている。
彼らは奴隷身分から解かれ、今後は彼らの意志で後宮に残るかどうか決められるらしい。手に職をつけて身を立てるもよし、知識があれば王宮で職を得るもよし、希望するなら婚姻先も見つけてやると、王は言っているそうだ。
「あれは……まさか、シルヴィオか?」
思わず言葉を失った。
少年たちの後ろをおどおどと歩いているのは、間違いなくシルヴィオだ。だが、俺とルシアンを見ても、何の反応も示さない。それどころか、俺たちが誰かもわからないようだ。
あの高慢な態度はすっかり消え失せ、翠の瞳を不安そうに揺らしながら、辺りをきょろきょろと見回す姿は――まるで別人だ。
「……哀れだな」
「なんだ、自分を殺そうとした相手を哀れんでるのか?」
そう背後から声をかけてきたのは、カインだった。彼も俺たちと共に帰国するため、今夜はラクロス国の騎士服を纏ってる。
「カイン! サリーム王の側にいなくてもいいのか?」
「ああ、今はレイラ王女と挨拶をして回ってるから。それに、俺の役目ももう終わったしな」
俺たちは並んで、にこやかに談笑するサリーム王を眺めた。
「お前、すっかりサリーム王といい仲になってさ。ここに残れば、贅沢三昧できるんじゃないのか?」
「いい仲って……彼とはそんな関係じゃないよ。あれは多分、俺に甘えてるんだな」
「甘えてるか……まあ、俺だってお前に甘えたくなった時もあったしな……」
「ロイドっ、それ無自覚に言ってんのか……いや、ルシアン団長! 何もしてませんから……誤解ですから!」
振り向くと、ルシアンの瞳から光が消えていた。
俺は、慌てて話題を変える。
「でも、随分引き止められただろう?」
「ああ、一応了承してくれたんだが……今朝のことで、また少し心細くなったのかもな」
カインが、眉を下げた。
「今朝、シルヴィオに裁きを下したせいかな。あれは、結構キツかったから……」
カインの話によると――
元々、ラクロスとザハラ両国の間では、友好の証に王族同士の婚姻を望む声が上がっていた。だが、ラクロス国王としては、可愛い妹を敵国に嫁がせるのはあまりに忍びないと頭を抱えていたところ、デュバル大臣が解決策を囁いたのだ。
(エリス殿下の代わりに、シルヴィオをザハラに献上すればいいのです。その功績として、ローゼンクランツ家の存続を許し、伯爵の一人娘、ミネット嬢に然るべき婿を取らせ後を継がせるのです。 幸い、伯爵家の実務を執り仕切っていたのは彼女だったそうですし、そのまま事業を引き継いでもらえば良いのでは?)
ただし、シルヴィオを他国へ献上するにあたっては、『その身も心も浄めた上で』という謎の条件がつけられた。その不可思議な条件に誰もが首を傾げ、当のシルヴィオに至っては鼻で笑っていたらしい。
だが、裁きが下され、セリーヌ夫人が彼の前に進み出た瞬間――誰もがその条件の本当の意味を理解した。シルヴィオは気づいたのだろうか。それも、今となってはわからない。
夫人の詠唱が終わる頃には既に、シルヴィオはいっさいの記憶を失い、自分が誰なのか、名前さえもわからなくなっていた。残されたのは器ばかり。シルヴィオ・ローゼンクランツの人格は、この世から完全に抹殺されてしまったのだ。
「そんな刑を……言い渡す方だって苦しいに決まってる。それでも、彼は立派にやってのけたんだ」
カインの話を聞いて、俺も重い息を吐いた。
王が公正な裁きを下せなければ、民の信頼は得られない。サリームは、最初の試練を自分の力で乗り越えたんだ。
そして、もう一度シルヴィオへ目を向けると、彼は、まだ途方に暮れたように身を縮ませていた。
「浄化って、魔法も使えなくなったのか?」
「空っぽだろうね」
「まさに、毒気まで抜かれたってわけか」
哀れというべきか、それとも、新たな人生を与えられたと幸運に思うべきなのか。
「サリーム王は、そのうち家臣にでも降嫁させようかと言ってるけど」
「まあ、外見だけは飛び抜けてるからなぁ、もらい手には困らないだろうけどさ」
カインとジェイの会話を聞きながら、俺は心の中で、これからのシルヴィオの人生にわずかなりとも救いがあればいいと祈った。
「それより、あれを見ろよ……」
ジェイが指差す先で、微笑みあっているのはジャンとミネット嬢だ。
「えっ、あの二人って……いつの間にあんなに親しくなったんだよ!」
そう言ってジェイは悔しがってるけど、俺は咄嗟にさっきの話を思い出した。特にジャンの父親、デュバル大臣がラクロス国王へ囁いた言葉を――
(ミネット嬢に、然るべき婿を取らせて……)
大臣は、あの銀縁メガネの奥できらりと目を光らせていたに違いない。
それでもあの二人なら、きっとローゼンクランツ家を建て直せるはずだ。
「ジャン、お前まで俺を置いてゆくのか……くうっ……」
そう言って悔しがるジェイの肩に、ルシアンがそっと手を置いた。
「いつか、お前にも春が来るさ」
「自分が幸せだからって……嫌味っすか!」
「けれど、シルヴィオのおかげで、エリスがザハラに嫁ぐという話は無くなったわけだな」
ルシアンがしれっとジェイをいなしていると、ちょうどエリスが姿を現した。
今、エリスは、愛しい男の隣で幸せそうに笑ってる。
あんなにトビアスを想って泣いてたのに──自分がサリーム王に嫁げば、トビアスを解放してもらえるからと、独りでザハラに嫁ぐ決心までして。
エリスは彼への想いを諦めなかった。そんな彼女の強さに、俺もどれだけ励まされたか。
……って、エリスどうした?
急にトビアスと揉め出して……何やってんだ?
と思ったら、エリスがものすごい剣幕でこっちに駆けてきた。
「ロイド、聞いてちょうだい! トビアスったら、私と踊るのは嫌だって言うのよ!」
「なんだ、もう喧嘩してんのか?」
「それに、まだ名前も呼んでくれないし……」
俺は、呆れたようにトビアスを見るが、彼は黙ってその若草色の瞳を伏せるだけ。
真面目な彼のことだから、ラクロス王の許しが降りるまで、恋人として振る舞うつもりはないのだろう。
「トビアスなら、きっと王も許してくれるさ」
そう言って慰めてやろうとしたら、エリスがちんまり笑った。
「兄さまには、ザハラ兵に攫われた私をトビアスが救ってくれたって言うのよ。その褒美として、トビアスに私を与えようってならないかしら?」
「でも……お前、自分でついて来たよな?」
「……そうだっけ?」
俺が呆れた声を出すと、隣からルシアンも口を挟んできた。
「大体、お前が攫われるなんて、陛下がそんな話を信じるわけがない 」
「んもうっ!」
頬を膨らますエリスの頭を抑えながら、ルシアンが笑った。
「それより、トビアスは踊ってくれないんだろう? しようがないな、私がお前の相手をしてやろう。ほら、こっちへ来い!」
「えー嫌よっ、私はロイドと踊りたいの……ああっ、ロイド……ロイドおぉっ!」
ルシアンが、エリスを引きずるようにして行ってしまった。
そんな二人を見てほっこりしていると、
「じゃあ、ロイドは私と踊るのね」
その声に振り向けば、レイラ姉さんが微笑んでいた。
明るい緑色のドレスがよく似合っている。けれど、その色がなんとなくトビアスの瞳の色を思わせる。
ああ、姉さん、ダメだよ……そのドレスのせいで、エリスが盛大にヤキモチ妬いてるじゃないか。
それにエリスも、いい加減気づけよ。 トビアスが今、どんなふうにお前を見つめてるのかって。
「カインさんは、騎士服もとってもお似合いね。サリームがあなたと離れるのが寂しいってまだごねてるわ」
「そんな……しようがないなぁ」
サリーム王の元へと向かうカインの背を見ながら、姉さんが微笑む。
んっ、これは……ひょっとして?
「姉さんはさ、カインのことをどう思う?」
「どうって……とってもいい人ね!」
「いい人って……それだけ?」
「ええ、どうして?」
どうしてって……あの外見にあの色気で、これまでどれだけの女性を泣かせてきたことか。それにサリーム王だってイチコロだったのに、どうして姉さんには彼の魅力が通じないんだ?
……姉さんの理想って、どれだけ高いんだよ!
弟として、なんだか姉の行く末が心配になってきた。
そんな俺の心配などどこ吹く風とばかり、姉さんは俺の手を引いて踊りに誘う。
「暫く会えなくなるのね……寂しくなるわ」
「すぐに、戻ってくるよ。姉さんこそ、これから忙しくなって寂しいなんて感じる暇もなくなるよ」
「そうね、でも、やりがいのある仕事よ。でも、ちゃんとできるかしら……ちょっと不安かも」
「大丈夫さ、俺たちがついている。それに、ラクロス国も味方になったんだ。カインが大使として派遣されるようだし、その時は、俺も彼と一緒に戻ってくるよ」
「じゃあ、手紙を送るわ。リリスに届けてもらえばいいかしら……」
俺たちはそれからいろんな話をして、冗談を言い合って、たくさん踊った。
軽快な音楽はいつまでも途切れることなく――ザハラの夜が深々と更けていった。
酒盃を片手に、ジェイが声を上げた。
上機嫌だな……もう酔っ払ってるんじゃないか?
まあ、ジェイがはしゃぐのも無理はない。
今夜は、帰国する俺たちのための別れの宴だ。食べて飲んで騒いで、別れを惜しんだらそのまま出立だ。
「これでようやく、ロイドとゆっくり過ごせる」
ルシアンの声も、心なしか踊ってる。
ザハラに新しい王が立ち、砂漠が湖へ姿を変えてから、もう一ヶ月余り。てんやわんやの大混乱で、俺も親父どのの補佐をして、寝る暇もないほど働かされた。
やることは山積み。周辺諸国との関係を建て直さなくてはいけないものの、好意的な国ばかりとは限らない。特に、北方のロータス国は厄介だ。
(ザハラが落ち着くまで、ガスト騎士団が北方の守りにつこう)
そんな親父どのの一言で、ルシアンは渋々騎士団を率いて出立していった。
そして昨晩、ようやく戻ってきたかと思えば、俺に抱きついたきりそのまま寝落ちしてしまった。なんでも、夜通し馬を駆けさせたとか。
一ヶ月ぶりに会えたっていうのに……こっちは文句のひとつも言えやしない。
そのおかげもあってか、今夜のルシアンは絶好調だ。艶も色気も撒き散らして、人々の視線を一身に集めてる。俺もそんな彼の姿をちらちら盗み見ながら、何度も惚れ直してるところだ。
「のんびり船旅でも楽しもうか。なあ、ロイド」
「団長……もう、ハネムーン気分ですか?」
「ジェイ、黙れ」
そこへ声をかけてきたのは、マレヴェル男爵だ。
「……ガスト辺境領に帆船を運べとジャンから知らせを受けた時は、何を言われてるのかと首を傾げましたよ。それが辺境領に着いてみれば、こんな巨大な湖があるとは……いやぁ、たまげましたよ!」
マレヴェル男爵の朗らかな笑い声につられて、俺たちの頬も緩む。
男爵はこれからガスト領の特産を一手に引き受けてくれることになっている。頭の中では、既に何通りもの交易計画が練られているんだろう。頼もしい限りだ。
すると、男爵の後ろから顔を覗かせたのは──
「フランツ! 」
癖っ毛は相変わらずで、文官らしくこざっぱりとした服装が似合っている。王宮騎士だった頃は、あんなに派手に飾り立ててたのにな。
「聞いたぞ、マクシミリアン宰相の元で鍛えられてるんだって?」
「うん、今回は父上の代行を任されたんだ。エリス殿下の報告が届いてから、王宮はもう大騒ぎさ」
そうだろうな。エリスが送った書簡には、ローゼンクランツ家の不祥事が事細かに記されていたはずだ。
「それで、ローゼンクランツ家はどうなるんだ?」
「あの家は他国とも手広く交易をしていたからね、取り潰せば国も痛手を負ってしまう。だから、当主を交代させて家を存続させるって事になりそうだよ」
「でも、後継はシルヴィオだったよな? 」
シルヴィオは敵国との裏取引に積極的に関わった上、未遂とは言え、俺の命まで狙ったことで更に罪が重くなったはずだ。
そこに、ジェイが話に割って入ってきた。
「シルヴィオか。今朝、処分が下されたって聞いたけど」
「結局、処分ってどうなったんだ? ラクロス国へ連れ戻されるか、ここでガーリドと同じように斬首か、そのどちらかだろう?」
「それがどうやら、ラクロス国側からの要請で……」
ジェイが意味ありげに何かを言いかけたところで、盛大に拍手が湧き起こった。
サリーム王とレイラ姉さんが姿を見せたようだ。
王の後から、後宮の美少年たちが列をなして入ってきた。以前は置物のように飾られていた少年たちが、今では明るい笑顔を見せ、艶やかに笑いさざめいている。
彼らは奴隷身分から解かれ、今後は彼らの意志で後宮に残るかどうか決められるらしい。手に職をつけて身を立てるもよし、知識があれば王宮で職を得るもよし、希望するなら婚姻先も見つけてやると、王は言っているそうだ。
「あれは……まさか、シルヴィオか?」
思わず言葉を失った。
少年たちの後ろをおどおどと歩いているのは、間違いなくシルヴィオだ。だが、俺とルシアンを見ても、何の反応も示さない。それどころか、俺たちが誰かもわからないようだ。
あの高慢な態度はすっかり消え失せ、翠の瞳を不安そうに揺らしながら、辺りをきょろきょろと見回す姿は――まるで別人だ。
「……哀れだな」
「なんだ、自分を殺そうとした相手を哀れんでるのか?」
そう背後から声をかけてきたのは、カインだった。彼も俺たちと共に帰国するため、今夜はラクロス国の騎士服を纏ってる。
「カイン! サリーム王の側にいなくてもいいのか?」
「ああ、今はレイラ王女と挨拶をして回ってるから。それに、俺の役目ももう終わったしな」
俺たちは並んで、にこやかに談笑するサリーム王を眺めた。
「お前、すっかりサリーム王といい仲になってさ。ここに残れば、贅沢三昧できるんじゃないのか?」
「いい仲って……彼とはそんな関係じゃないよ。あれは多分、俺に甘えてるんだな」
「甘えてるか……まあ、俺だってお前に甘えたくなった時もあったしな……」
「ロイドっ、それ無自覚に言ってんのか……いや、ルシアン団長! 何もしてませんから……誤解ですから!」
振り向くと、ルシアンの瞳から光が消えていた。
俺は、慌てて話題を変える。
「でも、随分引き止められただろう?」
「ああ、一応了承してくれたんだが……今朝のことで、また少し心細くなったのかもな」
カインが、眉を下げた。
「今朝、シルヴィオに裁きを下したせいかな。あれは、結構キツかったから……」
カインの話によると――
元々、ラクロスとザハラ両国の間では、友好の証に王族同士の婚姻を望む声が上がっていた。だが、ラクロス国王としては、可愛い妹を敵国に嫁がせるのはあまりに忍びないと頭を抱えていたところ、デュバル大臣が解決策を囁いたのだ。
(エリス殿下の代わりに、シルヴィオをザハラに献上すればいいのです。その功績として、ローゼンクランツ家の存続を許し、伯爵の一人娘、ミネット嬢に然るべき婿を取らせ後を継がせるのです。 幸い、伯爵家の実務を執り仕切っていたのは彼女だったそうですし、そのまま事業を引き継いでもらえば良いのでは?)
ただし、シルヴィオを他国へ献上するにあたっては、『その身も心も浄めた上で』という謎の条件がつけられた。その不可思議な条件に誰もが首を傾げ、当のシルヴィオに至っては鼻で笑っていたらしい。
だが、裁きが下され、セリーヌ夫人が彼の前に進み出た瞬間――誰もがその条件の本当の意味を理解した。シルヴィオは気づいたのだろうか。それも、今となってはわからない。
夫人の詠唱が終わる頃には既に、シルヴィオはいっさいの記憶を失い、自分が誰なのか、名前さえもわからなくなっていた。残されたのは器ばかり。シルヴィオ・ローゼンクランツの人格は、この世から完全に抹殺されてしまったのだ。
「そんな刑を……言い渡す方だって苦しいに決まってる。それでも、彼は立派にやってのけたんだ」
カインの話を聞いて、俺も重い息を吐いた。
王が公正な裁きを下せなければ、民の信頼は得られない。サリームは、最初の試練を自分の力で乗り越えたんだ。
そして、もう一度シルヴィオへ目を向けると、彼は、まだ途方に暮れたように身を縮ませていた。
「浄化って、魔法も使えなくなったのか?」
「空っぽだろうね」
「まさに、毒気まで抜かれたってわけか」
哀れというべきか、それとも、新たな人生を与えられたと幸運に思うべきなのか。
「サリーム王は、そのうち家臣にでも降嫁させようかと言ってるけど」
「まあ、外見だけは飛び抜けてるからなぁ、もらい手には困らないだろうけどさ」
カインとジェイの会話を聞きながら、俺は心の中で、これからのシルヴィオの人生にわずかなりとも救いがあればいいと祈った。
「それより、あれを見ろよ……」
ジェイが指差す先で、微笑みあっているのはジャンとミネット嬢だ。
「えっ、あの二人って……いつの間にあんなに親しくなったんだよ!」
そう言ってジェイは悔しがってるけど、俺は咄嗟にさっきの話を思い出した。特にジャンの父親、デュバル大臣がラクロス国王へ囁いた言葉を――
(ミネット嬢に、然るべき婿を取らせて……)
大臣は、あの銀縁メガネの奥できらりと目を光らせていたに違いない。
それでもあの二人なら、きっとローゼンクランツ家を建て直せるはずだ。
「ジャン、お前まで俺を置いてゆくのか……くうっ……」
そう言って悔しがるジェイの肩に、ルシアンがそっと手を置いた。
「いつか、お前にも春が来るさ」
「自分が幸せだからって……嫌味っすか!」
「けれど、シルヴィオのおかげで、エリスがザハラに嫁ぐという話は無くなったわけだな」
ルシアンがしれっとジェイをいなしていると、ちょうどエリスが姿を現した。
今、エリスは、愛しい男の隣で幸せそうに笑ってる。
あんなにトビアスを想って泣いてたのに──自分がサリーム王に嫁げば、トビアスを解放してもらえるからと、独りでザハラに嫁ぐ決心までして。
エリスは彼への想いを諦めなかった。そんな彼女の強さに、俺もどれだけ励まされたか。
……って、エリスどうした?
急にトビアスと揉め出して……何やってんだ?
と思ったら、エリスがものすごい剣幕でこっちに駆けてきた。
「ロイド、聞いてちょうだい! トビアスったら、私と踊るのは嫌だって言うのよ!」
「なんだ、もう喧嘩してんのか?」
「それに、まだ名前も呼んでくれないし……」
俺は、呆れたようにトビアスを見るが、彼は黙ってその若草色の瞳を伏せるだけ。
真面目な彼のことだから、ラクロス王の許しが降りるまで、恋人として振る舞うつもりはないのだろう。
「トビアスなら、きっと王も許してくれるさ」
そう言って慰めてやろうとしたら、エリスがちんまり笑った。
「兄さまには、ザハラ兵に攫われた私をトビアスが救ってくれたって言うのよ。その褒美として、トビアスに私を与えようってならないかしら?」
「でも……お前、自分でついて来たよな?」
「……そうだっけ?」
俺が呆れた声を出すと、隣からルシアンも口を挟んできた。
「大体、お前が攫われるなんて、陛下がそんな話を信じるわけがない 」
「んもうっ!」
頬を膨らますエリスの頭を抑えながら、ルシアンが笑った。
「それより、トビアスは踊ってくれないんだろう? しようがないな、私がお前の相手をしてやろう。ほら、こっちへ来い!」
「えー嫌よっ、私はロイドと踊りたいの……ああっ、ロイド……ロイドおぉっ!」
ルシアンが、エリスを引きずるようにして行ってしまった。
そんな二人を見てほっこりしていると、
「じゃあ、ロイドは私と踊るのね」
その声に振り向けば、レイラ姉さんが微笑んでいた。
明るい緑色のドレスがよく似合っている。けれど、その色がなんとなくトビアスの瞳の色を思わせる。
ああ、姉さん、ダメだよ……そのドレスのせいで、エリスが盛大にヤキモチ妬いてるじゃないか。
それにエリスも、いい加減気づけよ。 トビアスが今、どんなふうにお前を見つめてるのかって。
「カインさんは、騎士服もとってもお似合いね。サリームがあなたと離れるのが寂しいってまだごねてるわ」
「そんな……しようがないなぁ」
サリーム王の元へと向かうカインの背を見ながら、姉さんが微笑む。
んっ、これは……ひょっとして?
「姉さんはさ、カインのことをどう思う?」
「どうって……とってもいい人ね!」
「いい人って……それだけ?」
「ええ、どうして?」
どうしてって……あの外見にあの色気で、これまでどれだけの女性を泣かせてきたことか。それにサリーム王だってイチコロだったのに、どうして姉さんには彼の魅力が通じないんだ?
……姉さんの理想って、どれだけ高いんだよ!
弟として、なんだか姉の行く末が心配になってきた。
そんな俺の心配などどこ吹く風とばかり、姉さんは俺の手を引いて踊りに誘う。
「暫く会えなくなるのね……寂しくなるわ」
「すぐに、戻ってくるよ。姉さんこそ、これから忙しくなって寂しいなんて感じる暇もなくなるよ」
「そうね、でも、やりがいのある仕事よ。でも、ちゃんとできるかしら……ちょっと不安かも」
「大丈夫さ、俺たちがついている。それに、ラクロス国も味方になったんだ。カインが大使として派遣されるようだし、その時は、俺も彼と一緒に戻ってくるよ」
「じゃあ、手紙を送るわ。リリスに届けてもらえばいいかしら……」
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寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。
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だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。
学院での出会い。
貴族社会に潜む差別と陰謀。
そして「番」という、深く重い絆。
レオンは学び、考え、
自分にしかできない魔法理論を武器に、
少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。
獣人と人族。
価値観も、立場も、すべてが違う二人が、
それでも選び合い、家族になるまでの物語。
溺愛×成長×異世界BL。
読後に残るのは、
「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。