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TIPS/いつかの、誰かの記憶
TIPS 3-5 【P】
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そりゃ驚くさ。これを初見で驚かない奴がいたら一時間ぐらい話し合いたい。
ただでさえ力が入らない膝腰が驚きのあまりとうとう砕け、私は冷たいリノリウムの床にへたり込んでしまった。
『!』
項垂れる様にだらんと力無く甲を見せる右手。少しずつ、壁の中に吸い込まれていく。
その手は、すぐに分かった。っていうか普通に気付け!
私は座姿勢のまま膝で床を蹴ると、両手でその手にしがみ付いた。
いつも綺麗だなと羨んでいたあの子の手に。
『ダメ! 待って! 行かないで!!』
膝の感覚が戻り再び立ち上がると、片足を壁に押し付け全力で手を引っ張る。
けれど掴んだ手はびくともせずに壁にミリ単位で沈んでいく。
『何で! どうしてさ! 畜生、何処行こうってんだ馬鹿野郎!!』
引き戻す力になればもう何だっていい。訳も分からずに私は叫んだ。
ズズッ…
一瞬、引き込まれる力が弱まった気がした。
『!!』
一気に力を入れる。
ぐぢゅっ。
抜けた。
" 手 " が。
ちぎれて。
『───え?』
ただ引っ張る事だけを考えていた体は、支えとなっていた " 手 " を掴んだまま後方に吹っ飛び、窓枠の下の壁に背中から叩きつけられた。
『ぐぁっ!!』
あまりの衝撃に呼吸が止まり、視界がハレーションを起こす。
タイムラグを挟んで戻ってきた意識が最初に目にし、理解した物は───
『あ…あああ…ああ…』
私の両手の中にある、あの子の、" 手 "。……と、引き千切られた手首。
外の世界の僅かな光しか差さない校舎の暗闇の中だというのに、垂れ下がる肉の切れ端が、滴り落ちる血液が、色鮮やかに瞳に映された。
『うわ…、わあああああああああああああああああああ!!!!!!』
反射的にその手を投げてしまった。
力無く投げられたそれはわずか数メートルの位置にびちゃっ!と落ちる。
断面から血が流れ、それを中心に血だまりが広がっていく。
「ヒドイ」
スピーカーからまたあの声。
『ち、違う…』
「諦メタンダネ」
『違う…チガウ…』
血が、どんどん辺り一面を埋めていく。あの子の血が。
座り込んだ私の足を真っ赤に染め上げていく。
手が生えていた壁を見上げる。
何も残されていないのっぺりとした壁。
その壁の、手の生えていた辺りが次第に赤く滲み出し、やがて赤い水を噴き出し始める。血飛沫の様に。
真正面にいた私は放心状態でその液体を被り、顔が、制服が、全身が鉄臭い液体で赤く濡れていく。
「嘘吐き」
冷ややかな声が聴こえた。あの子の声で。
『わた…私…ち、ちが…』
「嘘吐き」
『あああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!』
血の海からバシャッと弾かれる様に立ち上がり、勢い良く鮮血が噴き出る壁を全力で叩きつけた。クソッタレな【とびら】を。何度も。
『開けろ! 開けろ!! 開けろ!!!』
「嘘吐き。嘘吐き。嘘吐き。」
叩きつける度に手の骨が砕ける様な鈍い衝撃に襲われた。それでもお構いなしに叩き続けた。
『開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開げろ開げろ開げろ開げろ開げろ!!!!!』
喉が切れて血を吐いてたと思う。
ベギッという耳障りな鈍い音を立てて、叩き続けていた腕があり得ない方に折れ曲がり垂れ下がった。
痛みは既に麻痺していた。自分の体の癖に自分の思い通りにならなくなった体を心から呪った。
「アハハ…アーハッハッハッハッハッハッハッハッハ!!!!!」
狂った様な哄笑が耳をつんざく。
もう、出来る事なんか無い。
もう、どうでもいい。どうでもいいんだ。
血の海の中に、再びバシャンと膝から落ちる。血が水嵩を増していく。喉、顎、唇、鼻、目…。気管を生臭い血液が圧し潰し、咳なのか嗚咽なのか分からない痙攣を繰り返す。このまま私も消えるんだろうか。それならそれで…もういいや。
意識が遠ざかる。
赤い水の中で、私は多分泣いていたんだと思う。
ごめんね。私、嘘を───
「大好きだよ」
『えっ!?』
凛とした声が響き、目を見開く。
何もない。白い壁が目の前にあるだけだ。
『今のは…?』
血の海もない。腕も折れていない。少し痛いような感覚が残る程度だ。
ジジ…ザザザ…
また、スピーカーからノイズが流れる。
「…ありがとう…。待ってて。」
『!!』
ブヅン。
そしてスピーカーは完全に沈黙した。
校舎内に、完全なる静寂が訪れる。耳が痛い程に。
ゆっくりと立ち上がり、目の前の壁にそっと両の手で触れる。
灯が、ついた。
大きく全身で息を吸い込む。上体をゆっくりと逸らす。
ドゴォ!!!!!
恐ろしく鈍い音が校舎の静寂を打ち破った。
衝撃が脳の隅々まで神経を叩き起こす。
額の辺りから熱い液体が鼻の横を伝い、唇を濡らし、顎から足元へポタポタと落ちていった。
馬鹿か私は。いや、馬鹿だ私は。大馬鹿野郎だ。
何を勝手に諦めている。何に勝手に飲み込まれている。
ペロッと、唇を濡らす液体を舐めた。
灯が、大きく揺らめく。
熱が体を駆け巡る。手に、足に、頭に、そして心臓に。
何がごめんねだ。悲劇のヒロイン気取りか? いつからお前はヒロインになった。ヒロインはあの子だ。お前はそれを救うために泥臭く走るだけのモブだろう。いつか主人公になる為の。
考えろ。考えろ。考えろ。ヒントの欠片が粉々になるまで。
絶望しても…諦めない限り物語は続く!
脇腹辺りがビリっとした。この感じ…時空の歪みか? 【とびら】は閉まったというのにまだこの校舎の空間は歪んでいるのだろうか。
『時空…?』
後頭部がチリチリしている。なんだっけ? 何か忘れてる。この状況を打破し得る可能性を。打破し得る、って言ってもこちらから【とびら】を開く事が出来ないとすれば、向こうから開けてもらうしか…いや、" 通行者 " であるあの子が向こうに行ってしまった以上、戻ってきて開けてもらいでもしない限りは───
『戻る…!?』
戻る…戻す…例えば時間とか…
あ──。
あるじゃないか。
『【時間の巻き戻る理科準備室】!!』
閃きと同時に床を蹴る。袖で顔の血を乱暴に拭うと、背後の中央B階段を二段飛ばしで駆け上がる。
体が軽い。嘘みたいに。
『嘘でも何でも構うもんか!』
三階に上がるのに費やした時間の何十分の一という驚異的な速度で四階へと躍り出て、そのまま先程目の前を通過したばかりの理科準備室の前に駆け込む。
ゔ…わん…
" 場 " に入った歪みが波打つ。でも明らかにさっきより弱い。
校舎の空間の歪みが治まってきてるんだ。急がなきゃ。
理科準備室の扉に手をかける。
ガチッ。
『なっ…!?』
鍵が、閉まってる。
そりゃ、確かに考えてみりゃ当たり前だろうけど、でもさぁ!!
絶望的な気持ちで閉ざされた扉をガタガタ激しく揺する。けれど悲しいかな、小娘の力程度で壊れてくれるような鍵ではなかった。
どうする!? 外に回り込んで窓を割るか…ダメだ、そもそもベランダ無いじゃんかウチの学校は!! 外壁面にわずかな出っ張りはあるけど、そこを伝ったとしても窓を割るだけの姿勢を整える事なんて中二のガキには無理だ。
『…はは、そっか、そうだよな。ガキだった…主人公じゃなくて、私はモブだ。モブならモブらしく…』
私は準備室の扉から距離を取り、体を縮め───
『開けええええええええ!!!!』
全力全身で体当たりをぶちかますッ!!
みっともなく。でもそれが私の役割だ。
バガシャアアアアン!!!!
想像していたよりも派手に奥倒しになった扉は、資料の収められているキャビネットのガラス戸を叩き割りながら準備室内に転がり込んだ。
いよいよ私もやばいかもしれないな。まあそんなのは後で考えよう。
『いっ痛つ…、よし、やった…!』
打ち身の痛みに耐えつつ立ち上がり、そこで見たのは…
『なん…だよ、これ…?』
埃が舞う準備室の真ん中あたりの空間に、ぼんやりと明るいスポットが浮かび上がっている。
大きさは両手を広げたくらいだろうか。球形の空間は光ではない何かによって明るく照らされ存在していた。そこだけ昼間か夕方を切り取ったみたいに。
内側には小刻みに動く、細い棒が一本だけ。
『…秒針?』
印象をそのまま口に出したが、恐らくそれが限りなく正解に近いと思う。長針も短針も文字板も無い時計の中を、秒針だけが淡々と孤独に回っていた。
『これを一体どうしろと…?』
部屋に入ればそれで済むかと思っていたので面食らった。
けれど悩んだ瞬間、その空間時計が大きく歪み、明るさが急速に薄れる。
『考えてる暇は無いってか!』
巻き戻す、巻き戻す…つまり、これしかない!
私は右手を床と平行に大きく振りかぶると───
『少しでもいいから…戻れぇぇぇぇぇぇぇ!!!』
秒針を、反時計回り方向に、思い切りひっぱたいた。
猛スピードで逆回転する秒針に、空間時計から眩い光が溢れる。
『──────!』
部屋全体が、激しく捻じれた気がした。またこの気持ち悪いヤツか…!
目を閉じて体が、世界が折り畳まれ終わるのを待つ。
やがて光がおさまると…。
『…戻った…のか?』
空間時計は消えていた。それだけだ。
『いや、戻った…戻ってる!』
出入口の扉が閉まっていた。
たった今破壊したハズなのに。
どれくらい戻った!? ていうか同じ日か!? 今何時だ!?
ゔ わ ん ! !
ひときわ大きな歪みが部屋全体を、校舎を揺らした。
私は直感した。
『【とびら】が開いた…!?』
結果的には時間は殆ど戻ってはいなかったが、それでも私にとっては十分すぎる巻き戻しだった。
出入口の扉に駆け寄ると鍵の辺りを手探りで調べる。鍵を掛け外しするツマミみたいなのがあった。
外そうとガチガチ動かすが、老朽化した建物はこういう時に邪魔をする。
またぶち破ろうかと頭を過ぎった刹那、やめてくれと言わんばかりに鍵が外れた。
『クソが!!』
そのまま目の前のA階段を駆け下り三階へ。
三階廊下に飛び出すと、遥か前方、中央B階段の辺りに───
『──────!!!!!!』
脳が何かを考えるよりも早く、私はあらん限りの声でその名を叫んだ。
同時に奔る。
「えっ!!??」
彼女が驚きのあまり目を見開いてこちら見た。見開いたかどうか前髪で見えないけどな!
畜生、畜生、畜生! もう少しなのに!!!
体が、半分壁の中へ吸い込まれていた。彼女が、必死に手を伸ばす。
クソッタレ! 一旦進み出したらもう戻れないのかよ!!
間に合え! 間に合え! もっと早く!! もっとだ!!!
私は無意識に絶叫しながら泣いていた。
何て言ってたかなんて覚えていない。
頭の中で否定しながら、理解してて、否定して、どうしようもなく理解してた。
この速度じゃあの手にもう間に合わない、って。
涙でぐしゃぐしゃに歪む視界の真ん中で、それでもはっきりと見た。
「ねえ!」
あの子が、伸ばしていた手を目元に、ピンクのハーフフレームのメガネを外して前髪を上げた。そして───
「私達───、親友だよ!」
笑顔で、いっぱいの笑顔で、そう叫んだ。
『あたりまえじゃん!!!!! うわああああああああああああああ!!!!!!!』
何度目の叫びだろうか。
最後まで私が大好きだった笑顔のまま、あの子が【とびらのむこう】に消えていく。いっぱいに伸ばされた腕も、肘へ…手首へ…、
『紫音!!!!!!!』
せめて、この声だけでも届け。
手が、微かに動いた気がした。けれど……それも溶けるように消えた。
何もなかったような白塗りの壁の前に今更辿り着き、私は荒い息を吐きながらまたしても繰り返す。両手を叩きつけて。
『畜生! 畜生!! 間に合わなかった! クソが!!! …クソが…!! うう…うううううう…!!!』
涙が止まらない。今度こそ、奇跡は起きない。体で分かってしまった。空間の歪みが、消えた。
八不思議が役目を終えて眠りについたんだ。
壁にもたれかかったまま、ずりずりと膝をつく。
『紫音…。紫音…ッ!!』
壁についていた手をだらりと床に下ろす。
その手に、何かが触れた。
『…!』
ピンクのハーフフレームのメガネ。間違いない、これは───。
その時、背後から気配を感じて振り返った。
『なっ…!!?』
『なっ…!!?』
B階段を上ってきた私が、そこにいた。
そうか、そうだよな。
空間の歪みが解けて、交差した時間が繋がったんだろう。
私は理解不能といった顔をしている間抜けな " 私 " に吐き捨てた。
『遅ぇよ。置いてかれちまっただろ、馬鹿野郎』
私の様子を見て " 私 " は結末を理解した様だ。苦虫を噛み潰したような顔をしてる。不細工だな。
しかし我ながら流石リアリストだわ。普通なら発狂するシーンだ。
『馬鹿野郎って…私は、お前だろうが』
『そうだな』
" 私 " が、歯ぎしりしながら、涙を流していた。これはあの時惑わされて歩みを止めてしまった後悔の涙だろうか。
…そうか、この時の私はまだ " あの幻覚 " を見ていないんだっけか。
でも、あんなモノは見ないで済むなら見ない方がいい。
私がちゃんと知っている。
私が、覚えている。
『お前は、どうするんだよ』
『お前は、どうしたいんだ』
私は握りしめていた紫音のメガネを見せた。
" 私 " はそのメガネにそっと手を置く。
『『 そんなの、決まってるだろ 』』
気が付くと校門前に立っていた。どれくらいの時間のズレがあるかは分からない。実は今までのは夢で、今度は間に合うかもしれない!って一瞬思ったけど、それは無いとすぐさま理解してしまった。
…紫音のメガネを、握っていたから。
校門はもう、立ち入る者を締め出す事は無かった。
ドアのチャイムを押す。何度も来ててもう慣れっこのハズなのに、ボタンを押すまでに相当の時間を要した。
心臓が破裂しそうだった。何て言えばいいのか。そして何て言われるのか。
責められる覚悟はしたつもりだった。私が傷付くのは耐えられる。
でも、おばさんは何の覚悟も出来ていない。
そんな人をきっと傷付ける事になる。
…それがとてつもなく恐ろしかった。
「はーい。あら桃ちゃん、どうしたの…って、なにその顔!? えっ、血!? やだそのオデコどうしたのよ!!?」
『あ、あの! おばさん、それよりも…その…』
私は、意を決して紫音のメガネを見せた。
『あの、その…、し、紫音が…紫音が…!』
◆◇◆◇◆
(TIPS 4へ続く)
応援ありがとうございます!
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