孤独な勇者と魔族の少女

かまね🐱

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孤独な勇者と魔族の少女

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 聖剣が、魔王の体を袈裟に斬りおろす。魔王は何が起きたかも分からなかったというような表情で、血反吐を吐いた。たった一振り、一振りで魔王を真っ二つにしてしまったのだ。物理に対する耐性も、聖属性の攻撃を一切通さないとされていた鎧をも斬り裂いて。魔王城で優雅に待ち構えていた魔王は、勇者のたった一振りによって死体と化した。

「終わってしまった…」

 地面に崩れ落ち、血溜まりを作る魔王の死体を一瞥する。魔王を倒した、倒してしまった。勇者は天を仰いだ。

 死んでいった仲間達との最期の誓いを漸く果たしたというのに、どうしてこんなにも…

「惨めなんだ…」

 勇者は強すぎた。仲間を喪っても一人で旅を続け、魔王を一撃で葬り去る事ができてしまう程に。強すぎたから、全てを失った。故郷は炎に巻かれた、仲間は旅の途中で倒れた。自分達を送り出した王国も、四天王との戦いによって滅んだ。そんな中、勇者はいつも生き残った。手の届く範囲で人々を救って、敵を殺して、殺して、殺した。それでも、いつも大切な何かを失った。

 それは呪いにも近しい力。勇者は強すぎるが故に、孤独となってしまったのだ。愛も、希望も、絶望も、何もかもを失った勇者が次に感じたのは…無だった。

「もう、俺の役目は終わった…このまま果てるか」

 魔王城の最奥で魔王の亡骸の側に倒れ込む勇者。外傷など一つもありはしない。空腹もない。ただ静かに消えていきたかった。その思いでこの場所を死に場所とした。

 3日間、そうして何も考えずに倒れ込んでいると、ついにその時は訪れた。

「さ…むい…」

 急激な寒気が勇者を襲った。喉は枯れ、空腹に力も入らなくなってきている。そう、死の前兆だ。やっと死ねる、意識を朦朧とさせながら勇者はそう思った。

「は、はは…やっと向こうに行けるんだ…な…ぁ」

 そうして勇者は魔王と相打ちという形で、この世から姿を消した。

 しかしそれは、後に伝わった勇者伝説における世間一般的な認識である。現実は大分違った。




「う…うぅ……ここは」

 目を開けると、俺はまだ生きていた。どうやらどこかの家に運び込まれたようで、俺が最初に見たのは天井だった。痛みで体が動かない。俺はしばらくの間、ぼーっと天井を眺めていることしかできなかった。そうして冷静になってくると、俺は悟った。また、死に損ねてしまったと。

「俺は、死に場所すら選べないのか…」

 暫くすると、勇者に向かって足音が近付いてきた。自分を運び込んだ人物だろう、勇者はそう思った。自分から死に場所を奪ったそいつに文句を言ってやろうかとも考えたが、やっぱりそんな気は直ぐになくなった。今はただ、自分を救おうとした人物がどんな人間なのかについて興味をひかれていた。

「おや、目が覚めたみたいですね。少し待ってください、お水を持ってきます」

 少女だ。歳は十六ぐらいだろうか、田舎娘というような貧相な服で身を覆い、頭には何か…。まだ視界がぼんやりとしていてよく見えないが、少女の頭には何かが乗っかっていた。

「あ、ぁ…ありが、とう」

 正直、喉が乾いて仕方がなかった。会話をするにも喉が乾いていたらどうしようも無い。勇者は素直に水を受け取ることにした。

「はい、どうぞ」

 水の入った木のコップを渡されると、勇者はそれを流し込んでしまった。相当喉が渇いていたのだろう、少女は二杯目、三杯目と次々におかわりを差し出すが、勇者は結局五杯もの水を流し込んでしまった。ぼやけていた視界がクリアになっていく。少女の姿がようやく捉えられた。フワフワした赤毛に身長は低めの美少女。そして、勇者は少女の頭の上にあった物の正体に気付き驚いた。角だ、二本の角が頭に生えている。よく見れば少女には竜のような尻尾も生えていた。そしてそれは勇者もよく知っている、竜人族、いわゆる魔族の特徴だった。

「君は、魔族か…」

 その言葉を聞くと、少女の顔に影が差した。勇者が魔族を嫌っていたがゆえにその気持ちが言葉に出てしまったのである。勇者はハッとして口を抑えた。しかし訂正する言葉が出てこない。勇者にとって魔族は憎むべき対象でしか無いからだ。

「はい…私は竜人族の生き残りです。勇者様が魔王城で倒れていたので、運び込んでしまいました」

 まだ生き残っていたのか、勇者はそう思った。仲間を殺されたあの日から、勇者はすべての魔族を殺して回っていた。竜人族の村も、滅ぼしたはずなのだ。しかし、こうして眼の前に竜人族だという少女が立っている。

「魔王は?」

 しかし、勇者にとってそれよりももっと気になる事があった。魔王だ、真っ二つにして地面に斬り捨てた魔王が蘇ったりしていないかが心配だった。少女はすこし悲しげな表情でこういった。

「魔王様の亡骸は、魔王城と共に燃やしました」

「どうして、魔王を殺した俺を助けた?勇者だと分かっていたんだろう?」

 勇者は鋭い眼光を少女に向けた。少女はますます悲しそうな表情になるとこう言った。

「もう、殺し合いはうんざりなんです…魔王様がいなくなった今、もう闘う必要はありません」

「そんな嘘をつくな!お前らは…!」

 勇者は無理やり体を起こすと少女を怒鳴った。

「お前らが攻めてこなきゃ、闘いは起きなかった!俺の家族はに仲間は…死ななかった!!!」

「それは魔王国の上層部が勝手に仕掛けた戦争でしょう!私達平民は何もしてません!」

「今更そんな!」

「私達、平民は戦う力を持ちません、平和に暮らしていければそれで良かったんです!それなのに、みんな殺されました!私達は誰も殺していないのに、貴方は私の家族を殺していきました!」

 勇者は何も言えずに、硬直した。勇者は過去の自分を省みる。聖剣で斬り伏せていった魔族達の内、抵抗できていたのは何割だろうか。怒りに身を委ねて、魔族という理由だけで命を奪っていたのではないか。結局、勇者がしていたことは侵攻してきた魔族と同じだった。

 久々に芽生えた怒りの感情が、絶望に変わっていく。こんな形で感情を取り戻したくは無かった。勇者は初めて、少女と目を合わせた。

「私には分かります。貴方も大切なものを奪われたから、怒りに呑まれてしまったんですよね。でも、そんなことをしても心の溝は埋まりません。もう、怒るのも、憎むのも疲れました…」

 勇者には何も言えなかった。眼の前の少女は勇者が憎んでいた魔族の姿ではなかった。人間と同じく、感情があって、心があった。人間とそう変わりはないのだ。少女が勇者の体をもう一度横に倒させると、背中を見せ言った。

「外の世界じゃ勇者は死んだことになってます。死んだことにしようとしてます。…ここにいてもらっても構いません。働いてはもらいますけど」

「それと、もし死のうとしたら許しませんから」

 そうして少女は別の部屋へと去っていった。『死んだことにしようとしている』勇者はまた天井を眺めながら考えた。魔王を一人で討伐してしまうような恐ろしい力を持つ勇者はもう用済みなのだ。人間にとって勇者は化け物以外の何物でもなかった。



 数日後、体が動かせるようになると、勇者は少女に謝罪した。恩人に対して酷い仕打ちだったこと、少女から全てを奪ってしまったこと。床に頭を擦り付けながら、静かに応えを待った。

「…これから、どうするんですか?」

「…外の世界にはもう、俺の居場所はない。出来ればここに住まわせてはもらえないだろうか」

 少女は住まわってもいいと言っていた。しかし実際、家族の仇とともに暮らすというのはどうなのだろうか。それでも少女は変わらない様子でこう返した。

「私はエリ…私一人だと、生活が厳しかったので、これからよろしくお願いします」

「…俺はアレス。家事から力仕事まで何でも任してくれ」

 これが強すぎる勇者アレスと魔族の少女エリとの共同生活の始まりであった。



「また壊してしまったんですか?」

「…すまん」

 出会いから数ヶ月。アレスとエリは順調に日々を送っていた。そして、二人の仲もそこそこ深まり、今はアレスがコップを握りつぶしてしまったことでエリに叱られている。

「街まで行って買ってきてくださいよ?私は行けないんですから…」

「分かった、ついでに欲しいものはないか?どんなに大きいものでも持って帰ってこよう」

 力が強すぎるあまりコップを握りつぶしてしまったアレスは何とか挽回しようと欲しいものを聞いてみるが…

「良いですから、早く買ってきてください」

 追い出されてしまった。数ヶ月共に過ごしてアレスには気が付いたことがある。エリは怒らせてはいけないということだ。抑揚のない声で静かに圧をかけてくるからアレスにとってそれは凄く恐ろしいのだ。

 仕方がないので、アレスは家を出ると、山を下りて街に出ていった。アレスはすぐ物を壊してしまうので、街にはすでに数回訪れている。故に店を見つけることは容易だった。アレスはフードで顔を隠すと店に入っていった。

「あの、これください」

 買うのは金属製のコップ。簡単に潰れてしまわないようにだとエリは言った。もっとも、アレスの馬鹿力にかかればどんなに硬かろうと気を抜けば潰れてしまうのだが…。

 会計を済ますと、アレスはまた山に帰っていった。本来、エリの隠れ家までは数十キロという距離があるのだが、アレスの超人的な脚力にかかれば、三時間とかからずに往復できてしまう。帰り道、木々を飛び移りながら帰っていると、良いものを見つけた。

「エリーお土産があるんだ。見てくれよ」

「…?」

  そう言うとアレスは、帰り道に見つけた良いものを見せるべく、外に連れ出す。エリは庭に置かれたそれを見て驚きの声を漏らす。

「どうだ、美味そうな猪だろ?この間料理してくれた猪肉が凄い美味かったからさ、狩ってきたんだ」

 猪、正確には猪のような魔物なのだが、この肉がとにかく美味しかったのだとアレスは言う。子供のようにはしゃぐアレスを見ると、エリも表情は呆れ気味にこう言った。

「腕がなりますね!」

 それから更に一年。アレス達の日常は流れていった。二人がずっと願っていた平和な日々だ。この平和が永遠に続けばいい、二人はそう思っていた。

 しかし、神はアレスの罪を許しはしなかった。

「アレス!」

「お、おう。どうした?エリ」

 それは、突然やってきた。

「し…新魔王に、アレスの生存がバレてしまったみたいなんです!」

 新魔王。それは、アレスが討ち漏らした魔族の生き残りから生まれた魔王。軍勢を持たず、個の力で世界全部を敵に回せる程の強さだと二人は聞いていた。

 アレスは遂にその時が来てしまった、そう思った。あの時から一度も振るっていない聖剣を持つとアレスは聞いた。

「俺を探してるんだな?」

「はい…あの街でアレスの情報があがってしまったみたいで…このままだと直ぐに見つかると思います」

 エリは自分より三周りは大きな体のアレスを不安げに見つめながらそういった。

「…逃げましょうよ」

 アレスは応えなかった。アレスの応えは随分と昔に決めてしまっていたのだ。

「また、戦うんですか?」

 アレスは首を縦に振った。

「だが、今度は憎しみのためじゃない。お前を、守るためだ。お前を失わないために、戦わせてくれ」

 エリは悟った。覚悟を決めたアレスには何を言っても意味を成さないのだと。そして、エリはとても強い子だ。エリも決意した。

「なら、私も連れてってください!傷付いたあなたを手当させてほしいんです!」

 アレスは静かに首を振った。エリは今にも泣きそうな表情になる。するとアレスは何かを思い付いたかのように、首にかけていたペンダントを外すと、エリに持たせてこう言った。

「これは、俺の大切なものなんだ。戦いの中で壊してしまっては困る。どうか守っていてはくれないか?」

「………」

 それは、かつての恋人からプレゼントしてもらったペンダント。今やそれ以外に彼女を思い出せるものはない。アレスにとってそれは、命と同等に大切なものだった。

 そして、そのような大切な物を預けてしまえるエリに対する気持ちも、愛なのかもしれない。そうアレスは感じた。

「さぁ行ってくるよ。なに、きっちり俺が倒してくるから心配するな。これ以上、負の連鎖は続けさせない」

「あのっ!」

 アレスはエリの前から消え去った。エリはアレスの心の中にある一つの覚悟に気付いていた。アレスはきっと帰ってこない。そう気付いてしまった。

「さようなら…アレス」



 一族の仇を討たんとする魔王の前に、一人の男が立ちふさがった。それは、ずっと探し続けていた人物。魔王は歓喜した。

「生きていると思ってたぞ、アレス」

 魔王は、怒りの炎で身を焼いたのか、全身に大きな火傷を負っている。目は紅く、爪は凶悪に伸びている。それはもはや、化け物と呼ぶに相応しい容貌をしていた。

「お前を殺す前に、言っておきたいことがある」

「…すまなかった!」

 アレスは頭を下げ、誠心誠意込めて謝罪した。魔王にとっては予想に反する反応で少し怯んでしまう。しかし、それで許されるほどに罪は軽くない。もちろんアレス自身も許されるとは思っていない。

「…そうか。なら、死ね!」

 魔王が爆発的な踏み込みでアレスの懐に潜り込む。そして、長く伸びた爪でアレスの腸を引きずり出そうと手を突き出す。アレスは、避けなかった。

 アレスの腹に、大きな穴が開く。致命傷だ。

「ゴフッ…」

「…っな!!」

 そうして、アレスは血反吐を吐きながら右手で剣を振り上げた。急激に迫る死を感じ取り、魔王は逃げようとする。しかし、それは叶わなかった。左手が、自分の腕をがっしりと掴んでいるのだ。

「やめろ!やめ、やめろぉぉ!!!」

 刹那、アレスは剣を振り下ろした。次の瞬間、地面に転がったのは魔王の生首。やはり今度も一撃で葬ってしまったのだ。そして、アレスもまた倒れこんだ。腹の傷は相当深く、時期に死んでしまうだろう。

「これ…で、良い」

 神様は決して自分の罪を許さないから。エリと共にいては、いつかまた自分の呪いに殺されてしまう。そうならないために、アレスは相討ちを選んだ。

 そして、アレスには最後の後始末が必要だった。勇者の生存を無かったことにするために、エリに危害が及ぶ可能性を少しでも削るために。

「消、えろ…」

 アレスがそう呟くと、聖剣から神々しい光が放出させられた。光は瞬く間にアレスと魔王の亡骸を包む。アレスが最期に感じたのは体が金色の粒子と化していく感覚だ。

 球状にアレス達を包んでいた光が突然、天へ柱となりながら昇っていった。光の柱が天を突く。その様はとても美しく、遠くで空を眺めていたものが見惚れてしまうほどだ。そしてそれは目に涙を浮かべ天を仰いでいたエリも同じだった。




 

 



 









 






 



















 




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