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第九章 世継ぎの帰還
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しおりを挟むアベルを部屋に連行するとケルトが苦々しく言ってきた。
「全く。そなたは油断も隙もないな。ちょっと目を離すとあんなことに巻き込まれるとは」
寝台に腰掛けさせられて叔父を見上げてアベルは困った顔だ。
「だって俺は普通に散歩してたんだ。そうしたらあの女性がきて」
「無視することもできたはずだ。だが、そなたは無視しなかった。違うか?」
指摘されてアベルは俯く。
それは事実だったので。
「陛下」
それまで黙っていたリドリス公爵がふと口を挟む。
「なんだ?」
振り向いたケルトに公爵はここ最近考えていたことを言ってみた。
「もうアルベルト王子の素性を明らかにしては如何ですか?」
「え?」
アベルはギョッとしたが、ケルトは思案しているようだった。
そうするべきかどうかを。
「陛下は不特定多数の前でアルベルト王子が、お世継ぎであることを明かしてしまわれました。おそらくそう時間が経たない間に謁見を求められるでしょう。このことについての説明を求めて。そうなるとなんらかの事情は打ち明けざるを得ません」
「それはそうだが」
簡単に彼を世継ぎだと認めさせる方法はある。
だが、それにはこれまで以上の危険が付きまとうのも事実だ。
「素性を明かしてしまえば……これまで以上に危険にならないか?」
「なるでしょうね。おそらくこれまでした推測がすべて事実なら、黒幕にとって前王陛下の忘れ形見である世継ぎの王子は恐怖の対象です。忌むへき存在。なんとしても殺そうとするでしょう」
「それがわかっていて打ち明けるのも」
気が進まないと言いたげなケルトに、公爵は自分の考えを打ち明ける。
「わたしはこう思うのですよ、陛下」
「なんだ?」
「おそらく黒幕は今も前王陛下の影に怯えている。前王陛下の柩に縋って流したあの涙。あれが演技だとは、わたしには思えないのです」
「まだ庇うつもりか、リドリス公?」
「いえ。そのようなつもりは毛頭ありません。公爵としてそして宰相として冷静に判断してのことです。あの涙は教え子を手にかけたことへの後悔ではないかと」
ふたりが交わす会話をアベルは黙って聞いていたが、とても意外な気がした。
話を聞いていれば、とても意外な人物が敵だったらしいが。
それに前王のことを教え子と言った。
つまり前王を育てた人が前王を殺したのだ。
(やっぱり父さんは殺されていたんだ……)
自覚なんてなくても怒りが沸いてくる。
逢えたかもしれない父を殺した人物に対して。
「あの状況から考えて盛られた毒は、おそらく遅効性。もしだれかがそのことに気付いていたら前王陛下は助かったかもしれない。それがあの人物の躊躇いに思えて仕方がないのです。だれかが発見してくれないか。助けてくれないか。毒を盛っていながら、それを期待していたような気がして仕方がないのです」
「それを身勝手と言わずになんと言う? そもそもどうして兄上を手にかけたのかすら不明だ。兄上は……彼を信頼していたのに」
「はい。言い訳の余地はないと、例え後悔していても庇う余地はないと、わたしも思います。ですがあの涙が後悔の涙なら、おそらく彼は今も前王の影に怯えている。そっくりなアルベルト王子を見ただけで殺すことを決意するほど」
「……ふむ」
アベルを殺そうとした動機が、過去の亡霊に怯えてのことだとしたら、確かに辻褄は合う。
あまりに早すぎた暗殺劇の。
「すべてが当たっていたと仮定した場合、そっくりなだけで殺したいほど目障りなアルベルト殿下が、実は前王の忘れ形見で正当な世継ぎであると彼が知ったら、一体どんな反応を見せると思われますか?」
「……怯えてボロを出す?」
掠れた問い掛けに公爵はしっかり頷く。
「その可能性が高いと思われます。過去の亡霊が実体を伴ったようなものです。なんとしても殺さなければ……という妄想に取り付かれるでしょう」
「アルが余計に危険になるだけの気もするが、尻尾をつかみやすくなるのも事実だな」
ケルトが気掛かりそうに黙って成り行きを見守っているアベルを見る。
アベルは敢えてなにも言わなかった。
父を殺した仇を捕まえたい。
それは彼も思っていることだったので。
「このままでは手が出せません。彼の関係者から得た話を聞いても常軌を逸しているのです。怯えてだれも本当のことは言いません。だったら本人に言わせるしかない。わたしはそう思います」
「アルベルトはどう思う? 素性を打ち明けられるのは嫌か? もちろん狙われても、そなたの身は必ず護るが」
「……父さんは……殺されたのか? 本当に?」
「ああ。爺がそう言っていた。そなたが毒を盛られたことで、それがハッキリした。兄上は毒殺されたと」
「そしてその犯人と俺を殺そうとした犯人は同一人物?」
「おそらくな。まだ状況証拠の段階ではあるが、ほぼ間違いないだろう。彼が犯人であることは」
「だったら俺はその犯人を捕まえたい」
「アルベルト」
ハッキリした意思表示にケルトは痛ましそうな顔になる。
例え面識なんてなくても、自覚もなくても、やはり父を殺した相手は憎いのだろう、と。
聖人君子のようなアベルでも。
「15年も野放しにされたんだ。このままじゃ父さんが浮かばれないよ。俺が囮になることで、そいつを捕まえられるなら、俺は……囮になるよ」
そこまで言ってから、アベルは気になっていたことを言ってみた。
「そいつが捕まるのも家を潰されるのも仕方ないと思う。でも、それ以上のことはしないよな?」
答えないケルトにアベルは不安になる。
「まさかあの侍女を処刑するように、そいつの家系の人をすべて殺す、なんて言わないよな?」
「そこまでされても仕方のない罪を犯したのだ。助かりたいと縋られても、わたしには助けるつもりはない」
「叔父さん」
「このことを明らかにした場合、おそらく民衆も一族朗党の処刑を望むだろう。わたしひとりの独断というわけではないのだ。
これについてはリドリス公も納得していることだ。やり過ぎとそなたは思うかもしれない。だが、そうではないのだ。必要だからする。それだけのことなのだから」
「必要……か」
俯いてアベルは諦めた。
本当はあの侍女を助けてくれと言うつもりだったが、事がそこまで大きくなっているなら、おそらくそれは望んでも無理だ。
アベルを、世継ぎを殺そうとしただけでなく、黒幕は前王まで手に掛けている。
それがどれだけ大きなことか、アベルにだってわかる。
だから、口を噤むしかなかった。
自分のせいで14歳という幼い少女が殺されることを苦く噛み締めながら。
「うっ。ちょっと待て」
アベルが突然ぼやき支度をしていた侍従たちが不思議そうに彼を見上げた。
今アベルは謁見のための支度の最中で、なにやら特別な服を着せられているらしい。
着方もわからないだろうからと、それまで拒絶していた侍従に手伝ってもらうように指示されたのが先程のこと。
ケルトがアベルが次期国王だと明かしてすぐに公爵の指摘通り、臣下たちから詳しい事情説明を求める声が上がった。
その場には是非当事者のアベルも出してほしい、と。
ケルトはそれを認め、アベルに支度をするように命じたという次第である。
支度が始まってすぐに侍従たちは不思議そうな顔をしていた。
何故かというと下着姿になったアベルの左腕に国王でも持っていなさそうな、それは見事な腕輪があったからだ。
身分的に侍従たちは王位継承権の腕輪については知らないらしく、ここではそのことで騒がれることはなかった。
だが、アベルが黙っていると侍従たちは複雑な顔で支度をしていったが、それは明らかにおかしな服だった。
左腕がすべてシースルーになっているのだ。
肌が透けてみえる布地で、くっきりと腕輪が浮き上がっている。
それだけでも特殊な服だが、重ね着に次ぐ重ね着の上に、これでもかというアクセサリー類を身につけられ、さすがのアベルも異変に気付いた。
それで「ちょっと待って」と言った次第だった。
「あのさ、これ、普通の服? なんかすごく特殊な気がするんだけど?」
「いえ。普通の服ではございません」
「だったらどんなときに着る服?」
そもそもだれの服だとアベルは思う。
この王宮にアベルの服があるわけもなく、今までは適当な服を着ていたが、これはあきらかに年代物だ。
アベルの身体に合っていない。
問いかけると侍従は恭しく頭を垂れた。
「前の国王様がお世継ぎの頃に召されていたお衣装です」
父さんの服?
「それも謁見などのときに召されていたお衣装らしく、我々も直に目にするのは初めてです。現王陛下は第二王子でしたので、こういったお世継ぎの正装を身につけられたことがございませんので」
なるほど。
だから、左腕の部分がすべてシースルーになっているのだ。
世継ぎであることを証明する腕輪を見せ付けることができるように。
今になって気付くのもマヌケだなとは思うが、腕輪が見える部分は特に布地が薄い。
デモンストレーションは効果的に、ということだろうか。
「さあ。お支度を急ぎませんと。そろそろアルベルト様のご登場のお時間です」
謁見はすでに始まっていて、アベルは後で呼ばれることになっていた。
その時間は刻々と迫っている。
気が重いなとアベルはため息をついてみせた。
「アルベルト様の御成りです」
そんな声に導かれてアベルは渋々玉座に向かって歩いていった。
王族専用の扉から入ってきたアベルの姿を見て、すべての者が息を飲んでいる。
それまでも前王に生き写しだとは思っていた。
だが、前王が身に纏っていた世継ぎの正装を着たアベルは、まるで前王の若かりし頃の姿そのまま。
前王が生き返ってきたようにしか見えなかった。
アベルが玉座の隣に立って正面を向く。
人々はすべて青ざめて固まっているが、ひとりだけ明らかに挙動不審な者がいた。
驚いているとかそんな顔ではなく、まるで怯えているよう。
(?)
アベルは首を傾げて彼を見る。
すると彼は怯えて後ずさった。
(まさか、あいつなのか?)
アベルの目が据わる。
父王そっくりなアベルを見て怯える者。
それは暗殺者以外考えられなかった。
「皆に紹介するのが遅れたが、ここにいるのはアルベルト・オリオン・サークル・ディアン。正当なる第一王位継承権を継ぐ者。現在の正式なる世継ぎの王子だ」
「……申し訳ございませんが陛下のお子さまですか?」
「レイティア様やレティシア様の兄君ですか?」
臣下たちの問いかける声にケルトはうっすら笑う。
「何れそうなる」
「叔父さん……俺はまだ認めてない。勝手に話を進めるなよ」
アベルがそう呼べば、またざわめきが広がっていった。
アベルがケルトを「父」ではなく「叔父」と呼んだからだ。
そう呼べる者がいるとしたら、それは前王の子以外あり得ない。
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