千夜一夜

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第十六章 悲しみの果てに

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「自分のこと。ちょっと過大評価しすぎなんじゃないの?」

 ちょっと怒ったような声に振り返ればマリンだった。

 弾んだ息を整えて、クレイ将軍の墓前で突っ立っているアベルに近付く。

 そのまま片手でアベルの方を打った。

「マリン」

「誰のせいだとか、今更そんな責任転嫁をすると思っているとしたら、アベルはあたしをバカにしてるわ」

 エルと揉めたのは誰のせいでもないとマリンが言い切り、アベルは言い返すべき言葉を失った。

 彼女が本気でそう思っているのが伝わったから。

「あんたが自分の生まれを誰のせいにもしないのと同じよ。あたしだって自分の信念で生きてる。その信念でエル姉が間違ってると思うから許せない。それはアベルのせいじゃない。例え切っ掛けがアベルだとしても、それは引き金でしかないの。原因はエル姉の価値観なんだから」

「でも、そうさせたのは」

「ほら。また責任転嫁する」

 エルを庇おうとした言葉すら、責任転嫁と言われ、口を噤むしかなかった。

「誰かを憎んで自己を正当化する。そんな行為には、なんの意味もない。国王陛下だって王女様方だって、そして宰相閣下だって皆様、とてもご苦労されているの。気楽に国を治めているわけじゃない。批判するばかりじゃあ、なにも変わらないのよ」

 それはあんたが一番知っているはずでしょうと言われ、なにも言い返せなかった。

 国を治めていく苦労は、アベルが一番知っていることだから。

 それだけは否定できなかった。

 例え国民は結果でしか政治を判断しないとしても、そこに辿り着くまでに味わった辛苦を誰も顧みないとしても。

 血を吐くような想いで国を治めている。

 国を良くしようとして暗殺された前王の子なのだから。

「エル姉の言っていることも確かに事実よ? 横暴な貴族がいて、そのために民が流されているのも事実。でも、すべての貴族がそうだってわけじゃない」

 いつか自分が言った言葉に頷くしかなかった。

 それはエルが怪盗だと知ったときに、アベルも思ったことだったし。

「アベルにとっても他人事じゃないでしょうけど、前王陛下という例もあるわ。一方的な価値観で物事を判断することを、あたしは正しいことだとは思えない。それにのみ囚われて人として当然の行動を起こさないエル姉を批判してなにが悪いの?」

 言っていることが、なにを意味しているかわからなかった。

 アベルはあのとき、かなりの重体で、周囲の事まで気にしている余裕はなかったから。

 マリンがあのときのことを、どう思っているかなんて、わかるはずもなかった。

「あたしが倒れたアベルに付き添わなかったことが、マリンは許せないのよ」

 突然の声に3人が振り返った。

 視線の先にはエルがいる。

 苦い表情で真っ直ぐにマリンを見ていた。

 反感を抱いて睨むのではなく、ただ静かに眺めていたのだ。

 少し変わったようなエルを見て、マリンが表情を動かした。

「今更なにを言っても言い訳になるってわかってる」

「エル姉?」

「でも、マリン。あたし本当はあのとき、アベルに付き添いたかった。ごめんって謝りたかった」

 意外なエルの言葉に3人とも息を呑んだ。

「マリンが言っていたようにアベルの生まれは、アベル自身には関係ない。産まれて直ぐに両親から引き離され、自分の身分すら知らずに育ったアベルを恨むのは筋違い。それもわかってた」

「だったらどうしてあのとき、アベルに付き添わなかったのっ⁉︎   誰のためにアベルはあんな目に遭ったと思ってるの⁉︎」

 憤りをエルにぶつけるマリンに当事者のアベルも、早くからふたりの確執に気付いていたフィーリアも、なにも言えない。

「理性ではわかっていても、感情が割り切れなかったのよ」

 確かに理性では正しいとわかっていても、正しいことを受け入れられないことはある。

 人間なら。

 それはわかったが、納得することもできないらしいマリンに、エルは苦い気分で笑う。

「理性ではわかってた。身分が明らかになる前にアベルが言った言葉が正しいことも、エルがあたしに憤りをぶつけてくるのも当然だってことも」

「わかっていて、それでも?」

「感情で納得できるまで、自分で自分が嫌になるほど自己嫌悪に塗れたわ」

 間違っているとわかっているのに、感情が正しいことを受け入れることを拒否して、それで自己嫌悪を感じていた?

 それはそれで苦しいのではないかとアベルは思う。

 アベルは優しいから、自分が被った被害より、エルの苦痛を気遣うから。

 それはフィーリアやマリンにしても同じだった。

 すべてを突っ撥ねる裏側で、エルが苦しんでいたとは思わなかったから気になった。

「マリンと仲直りしたいと思ってた。あたしが悪かったから許してって言いたかった。そして」

 そこまで言ってエルは、真っ直ぐにアベルを見た。

「もう逢えないとしても、アベルに謝りたかった。あたしのために人生を変えられてごめんって。あのとき付き添わなくてごめんて謝りたかった」

「もういいよ。エル姉はエル姉で苦しんだんだから」

「アベル」

「恨んでなんていない。俺の境遇にエル姉は関係ない。切っ掛けがエル姉だとしても、これは俺が選んだ道。それを誰のせいにもしない。寧ろ感謝してるんだ。エル姉には」

「どうして? あたしは間違ったことをして」

 不思議そうなエルにアベルは「そうじゃない」とかぶりを振る。
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