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第一章 チュートリアル

平川のノート『歴史』⑱

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 ヌエニ人の征服地で起きた動乱はペコサ人が住む地域に限らなかった。プゼーポ湾の東海岸(サウドゥーリ半島の西海岸)でもヌエニ人とフェス二人の支配に対する反抗活動が活発になった。

 海軍はほぼ全滅、陸軍壊滅的な打撃を受けたムヤ人だが、ペルニ島開拓軍とラベゴ大陸大陸方面軍はまだ健在である。

 両軍の最高指揮官は本国の救援に出ることを渋ったが、『フーチェ・ダルプース』は最高指揮官ではなく、彼らの麾下の兵士に問いかけた。

 その一部を抜粋して意味をまとめて日本語に訳すとこうなる。自分の拙い文章では原文と意味の齟齬が生じるかもしれないが、そこは大目に見てほしい。

 『そなたらは皆、故郷には大切な者を待たせているだろう。ある者は父母かもしれない、ある者は伴侶かもしれない、ある者は子供かもしれない、ある者は親友かもしれない、ある者はその全てかもしれない。その者たちが今、北の果てよりやって来た野蛮人どもに虐げられている!故郷にいる大切な者たちは今でも野蛮人どもに慄き、怯えている!彼らは一度我らを打ち破った。しかしここにいる戦友諸君よ!お前たちは皆選りすぐりの精兵である!お前たちがここにいたからあの野蛮人どもは勝ったのだ!お前たちがいればあの野蛮人どもに負けることはない!お前たちの最高指揮官は本国を救援することを既に決めた。野蛮人どもに恐れをなし、故郷を救うことを拒む卑劣な輩はここにいるのか!』

 この問いかけを直後、『否!否!否!』の掛け声が響き渡ったらしい。

 彼女のこの演説の巧みな所を順を追って説明しよう。

 まず、言うまでもないかもしれないが、本国に帰る意思を持たせることが重要である。ゼロに何をかけてもゼロ、元がなくては始まらない。情に訴えることはベタなやり方だが有効的だからベタなのだ。

 次に、『戦友諸君』という言葉を使ったことと本国にいる兵士よりも強いとべた褒めしたこた。
 本来、『戦友諸君』という言葉は自分の麾下の兵士に使う言葉。抜粋部分には一度しか使われていないが彼女は繰り返し何度も使った。これで少なからずこの場の兵士は彼女のことを信じやすくなるらしい。
 本国に常駐している兵士こそが最強なのがムヤ人の常識だった。自分たちは所詮二流兵士だから苦しい戦いを強いられているというのも彼らの常識だった。それを彼女は苦しい戦いを勝ち抜いた強さだと兵士たちに説いた。

 これで兵士たちの彼女への支持は盤石のものとなった。そこで彼女はある賭けに出た。

 彼らの最高指揮官は救援を拒み、そんなつもりも毛頭なかった。それは兵士たちも知っているだろう。しかし彼女が熱狂している兵士に対して、嘘のそぶりもなく演説の最中に切り出せばそれを疑う者はいまい。
 誰もが自分の最高指揮官が本国救援を決定したことを信じて疑わなかった。

 最高指揮官の両名もバカではない。兵士が熱狂している真っ只中でフーチェの嘘を暴く訳にもいかない。それをやってしまえば暴動を起きるのは目に見えている。

 最後に、彼女は兵士たちに自ら救援に向かう決意を固めさせた。兵士たち自身に言葉を発させたのだ。強いられたことと自分で決意したこと、前者の方がやる気が出る者が多い。

 こうして、彼女の計画によりペルニ島開拓軍とラベゴ大陸方面軍は本国救援に向かった。

 彼らが最初に実行したことは当然、掲げている大義のサウドゥーリ半島西海岸の奪還であった。
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