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しおりを挟む王宮に続く大橋の手前、学院の北側に境会の大講堂がある。その一角、祭司の間に灰色の外套を纏う者達が数人。
外では頭まで覆う外套は、学院内では身に纏うだけ。何れも灰を混ぜた様なくすんだ色の髪色だが、瞳はそれぞれ明るい色を持つ。その中で一人だけ、全てが陰鬱に濁った色を纏う者がいた。
「新たな異物エヌはエルとは違い、年齢的にも知識が多いと考えられる。今度こそ失敗は許されない」
最後尾でそれを聞いていたエンヴィーに、一人の祭司が近づく。
「君は以前と同じ様に、ダナー家の娘の件に専念する様に」
「そのダナー家の大公女の懸念は、主祭司様はなんと?」
赤い外套を身に纏う、境会では高位の主祭司たち。そして彼らとは違う灰外套の下位祭司たち。
「報告はした。だがそれについては特段の指示はない」
「……そうか」
集会が終わり散り散りに持ち場へ戻る。だが二人の祭司は、鈍色の髪の祭司の去った後を見て声をひそめた。
「あの暗い瞳。いつ見ても、彼の方が呪われた者の様だ」
「本当に、ダナー家の娘に害を与える役割に、ぴったりだと思わないか?」
「彼は我々とは違う。特別だからな」
**
『ごめんごめん、今日は人にぶつかる日みたい』
「!」
聞こえた異物の声に、エンヴィーは立ち止まる。大祭司に報告はしたが問題とならなかった懸念。その二人が廊下で差し向かい話をしている。
『……』
『でも貴女ついてるよ。主人公私だから、大丈夫。悪役と関係無いところで動くから』
一方的に話しかけるフェアリーン。異物と呼ばれる彼女の声は、やはり音がぶれている。
異物の話す異界言葉は、境会が維持する魔法によって翻訳される。だがエンヴィーたち灰外套の祭司は、異界言葉も音になって二重に聞こえるのだ。
(リリエル・ダナー)
エンヴィーが物陰から様子を窺っていると、今まで無言でフェアリーンの話を聞いていた大公女が口を開いた。
『……奴隷?』
(やはり)
『そうだよ、奴隷。まあでも、奴隷回避したいんなら、念のため、あの子には近寄らない方がいいかもね。あの子、見境なくなりそうだし』
『…何を言って、いるのかしら。あの子って』
(聞き間違いではない)
言うだけ言って去って行ったフェアリーン。だがエンヴィーは、残された大公女を注視する。
「……」
(リリエル・ダナーは、我々と同じ様に異物を見分ける事が出来る)
珍しく右側の一門が傍に侍っていない。隙だらけの令嬢に近寄り、至近距離から見下ろしてみる。美しい顔に冴える蒼の瞳は、怪訝にエンヴィーを見上げていた。
(いや、我々と同じではないダナーの娘。この者は、何故、異界言葉を話せるんだ?)
「…………」
立ち去ろうとする令嬢を、無意識にそれを遮る。見つめたままの蒼の瞳が、段々と苛立ちに眇られていくのを、エンヴィーは逸らさずに観察していた。
(何故だ)
「ステイ大公令嬢!」
「!」
背後からの厳しい声に振り返ると、旧教の神官が立っている。足音もなく突然現れた気配に驚いた。
「境会の、祭司エンヴィー。旧教の生徒が、何かありましたか?」
いつも穏やかで評判のセオル・ファルが、珍しく語調を強める。険のある問いかけにエンヴィーは首を傾げたが、その横を、黒制服の令嬢は軽やかに走り抜けセオルの傍に寄り添った。
「いえ、何も」
掴んでも手にしてもいないが、何か大きなものを逃した感覚。
「境会の生徒と話をしていたようなので、少し、気になっただけです」
「境会の、生徒とですか?」
「はい、とても親しげに」
「……」
セオルはリリーを見下ろしたが、本人は未だ境会司祭を剣呑と睨んだまま。
「…そうですか、融和の理念は国王陛下の望むところでありますね」
穏やかに話を終わらせたセオルに頷き返す。教師に促されてエンヴィーに背を向けた大公令嬢だったが、数歩進んだところで振り返る。
「?」
そして子供の様に、ツンと分かりやすく不満を表して結ばれた波打つ黒髪を揺らすと、ようやくその場を後にした。
「融和の理念ね」
残されたエンヴィーは、言ったそばからそれを覆したリリーの姿にふと笑う。それと同時に、処分する対象として心に刻み込んだ。
**
スクラローサ王国の南。怪我の療養とする長期休暇を使い、険しい山脈を越えてたどり着いた密林の神殿。更にそこから一番会いたい人を思い浮かべると、学院の廊下に立っていた。
すると目の前には、境会のエンヴィーと対峙するリリーの姿。
続く歴代大公女の不幸。それに関係する境会。微かに動いた様に見えたエンヴィーの右手に、思わず強く呼び掛けた。
そしてリリーを引き離したが、今も不安は拭いきれない。
「なんなのかしら、あの祭司。……彼のお名前は、ご存知かしら?」
「……境会名はエンヴィー。エンヴィー・エクリプスです」
「そう……」
明らかに善くない事を思案している。そんな顔をしていたリリーだったが、くるりとセオルに向き直ると全身を眺めて笑顔になった。
「改めてセオさん、ご無事で良かったわ」
「!」
それはこっちの台詞だと、すんでのところで飲み下す。「腕はもう大丈夫?」と暢気に笑いかけるリリーの姿を見て、込み上げた憤りは静かに下に落ちていった。
「境会の生徒と、親しげにとは、お聞きしても宜しいですか?」
「……深緑色の制服の方が、話しかけてきただけよ」
「リリー様、何度も言うようですが、御身を大切になさって下さい。絶対に、境会の者には、近寄らないように」
「ありがとう。ごめんなさい」
感謝と謝罪を同時に口にしたリリーは、いつもの様に少し悲しそうな顔で笑った。
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