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第二章『竜呪』~漆黒の嵐来たれり、ウォルヴァンシア~

呪われた我が身と……

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※前半は、イリューヴェル第三皇子、カインの視点。
※後半は、第三者視点でのイリューヴェル皇宮での不穏です。
(後半部分は残酷表現あり、流血と狂気ありですので、ご注意ください)


 ――Side カイン

 淀んだ闇の中を漂うような感覚に沈んでいた俺は、ふと、どこからか人が話し合う声が聞こえ、ゆっくりと……現実に還り始めた。
 白いカーテンで囲われた天蓋付きの寝台は、もう見慣れた俺の生活の場となっている。
 その向こうから、王宮医師の一人である男、ルイヴェルという名の眼鏡白衣の声が聞こえてくるが、もう一人……どっかで聞いたような年若い男の声が聞こえてくる。

『で、どうなんだ? 皇子さんの呪いは解けそうなのか?』

『解呪用の術構築は進んでいるが、禁呪がまたいつ不穏な異変を起こすかわからないからな。油断だけはせずに最後まで辿り着きたいものだ』

『ご苦労様だなぁ。お前、あんまり寝てねぇだろ。顔色悪いぞ』

『寝る時間も惜しいという事だ。お前の方こそ、騎士団の仕事はいいのか?』

 ……俺の話か。
 起き上がる事も出来ない身体で、ぼーっと寝台の天井を見上げ、今までの事を振り返る。
 今度こそ……、イリューヴェル皇国の面倒な柵から、解放されると思ったんだがな。
 ウォルヴァンシアでの滞在期間が終われば、親父が俺にかけた術も解ける。
 そうすれば、もう二度と親父の術を喰らう危険もねぇし、本当の意味で自由になれると……、そう、期待したのに。結果は惨敗だ。他国に来た俺は、無様にも禁呪とかいうクソ面倒な呪いにかかっちまった。内側から得体の知れない毒のような物に蝕まれ、身体中には紋様が浮き出てるし、日に何度も吐き気や苦痛に襲われる事も多々ある。
 その度に、王宮医師の二人に面倒を見て貰ってるわけだが……。
 
「情けねぇ……っ」

 自由になって、一人で生きて行くって決めたのに、何で俺は呪いなんかに煩わされてるんだ。
 王宮医師達の話じゃ、禁呪ってのは、術者の命を代償に、他者の命を蝕み奪うモンだって聞かされたが……、俺みたいな、どうしようもない奴を呪って何の得があるってんだよ。
 テメェの命まで投げ出して、奪うような価値なんかねぇだろ……。
 もうイリューヴェルには帰る気なんかねぇってのに、大方イリューヴェル皇宮に巣食う汚物共の誰かが仕掛けてきたんだろうが、本当に命の投げ出し損ってやつだぜ。
 
「……今日はまだ、……来ねぇな、アイツ」

 自分の人生も、イリューヴェル皇国の馬鹿共や親父も……俺にとっては何の価値もないモンだったが、このウォルヴァンシアに来て、俺は興味を抱ける存在を見付けた。
 馬鹿みてぇにお人好しで、一見して大人しい温室の世間知らずかと思えば、全身全霊で俺に噛み付いて来る……、面白ぇ女。
 俺の事なんか憎んで憎んでどうしようもなく大嫌いだったはずなのに、禁呪に蝕まれた俺を心配し、毎日見舞いに来るアイツを思い浮かべながら、俺はありもしない未来を思い浮かべた。

(禁呪の件さえなきゃ、掻っ攫って行くのも面白いと思ったんだけどな……)

 アイツなら、俺に遠慮なんてしねぇし、気を遣う必要もなく、一緒にいられると思った。
 そんなに気も強くねぇくせに、変なとこ頑固で自分を押し通そうとしてきやがるし……。
 俺にとっては、このウォルヴァンシアでの、良い暇潰しの相手でもあった。
 
「ユキ……早く来いよ。暇で……暇で……しょうがねぇんだよ」

 力の入らない弱々しい声で、アイツの名を呼ぶ。
 ユキが俺の傍にいる時だけは、その存在に応えようと、俺の心は息を吹き返す。
 生きているのだと、アイツの前に、確かに俺が存在しているのだと、強く感じられるのに……。
 
「今日も馬鹿みてぇに……俺の事、励まして……くれるん、だろ」

 何だろうなぁ……。女なんて、ただの小うるさい虫ぐらいにしか感じてなかったのに……。
 アイツが傍にいないだけで……こんなにも。

(寂しい、とか……ガキか、俺は……)

 顔を手で覆って隠したくても、力が入らない……。
 もう俺は、自分一人じゃ、立つ事も出来ねぇのか……。
 アイツの……、ユキがいる場所へ走って行く事でも……出来ねぇ。
 それが悔しくて悔しくて……、ガラにもなく、涙腺が緩みそうになった時、寝台を囲むカーテンの一部が開いた。

「お目覚めですか? カイン皇子」

 気が付けば、俺の枕元のすぐ傍に、王宮医師のルイヴェルがカーテンを手で避けて、俺の顔を見下ろしていた。泣き顔になる前で良かったぜ……。そんな、どうでもいい安堵感を抱えながら、俺は力なく「あぁ……」と言葉を返す。

「体調の方は如何ですか? きついようなら、緩和させる術をかけますが」

「……頼む」

 銀フレームの眼鏡をかけた王宮医師、ルイヴェルは俺の胸の辺りに手を翳し、短い詠唱を唱え、禁呪による症状の緩和を促してくれる。
 そのお蔭か、身体に少し力が入るようになった気がするし、次に発した言葉はさっきよりも力があった。

「サンキュ」

「いえ、礼には及びません」

「そういや、さっきまでもう一人いなかったか? 声の若そうな……、聞いた事はあるんだが」

「あぁ、ルディーの事ですか。彼は先ほど騎士団の方に戻りましたよ。カイン皇子によろしくと申しておりました」

「ふぅん……」

 そこで会話が終わり、俺は顔を横に向け、ルイヴェルを見上げながら、ずっと気になっていた『違和感』を口にした。

「お前さ……、何で俺に対して敬語なんだよ。さっき、ルディーって奴と、普通に素で喋ってたろ」

「皇族と、王宮に勤める同僚相手では、礼儀の違いというものがあると思いますが?」

「いらねぇ……。俺はそういうクソ面倒な礼儀とか嫌いなんだよ」

「そうは申されましても……、貴方はイリューヴェル皇族の第三皇子殿下ですから」

 こいつ、本当は俺に対して礼儀なんか心に抱いちゃいねぇ……。
 それを望む気もねぇが、このルイヴェルという眼鏡野郎と話していると……、馬鹿にされている気がして堪らなく腹が立つ。それに……。

「テメェ、礼儀とか口にしてるくせに、俺が禁呪にかかる前、――すげぇ殺気を向けながら、俺の事を影から見てたろ」

「……何の事でしょうか?」

 とぼけるのはわかってたが、本当に表情ひとつ変えずに躱してくれるな、こいつ。
 俺がウォルヴァンシアに滞在するようになってから、王宮内を歩く度に感じた視線。
 それは、隙でも見せれば、すぐにでも首を落とされそうな危機感を覚える殺意の籠った気配だった。
 
「とぼけるのはナシだぜ……。途中から殺気を向けるのはやめたみたいだが……テメェだって事はわかってんだよ」

 むしろ、わざと殺気を俺に気付かせようとしていた節がある。
 それは恐らく、『牽制』だったんだろうな……。
 何に対してかは、徐々に気付き始めた俺だったが、今生きているのが不思議なくらい、この男の殺気は生々しく背筋が震えるような危機感を覚えさせるものだった。
 だから、本当なら俺相手に敬語なんか使いたくもないはずだ。
 それなのに、あえて敬語のまま接してくるのは、嫌味を込めてんだろうな。

「ともかく、その鳥肌立ちそうな敬語、今すぐやめろ!! 俺の事が気に入らねぇんだろ。猫被ってんじゃねぇよ……!!」

 威力のない大声だが、俺はいい加減この眼鏡野郎の敬語にはうんざりしてたんだ。
 丁度今この部屋には、俺とルイヴェルの二人だけ。腹を割って話すには、お誂(あつら)え向きだ。場がシン……、と静まる。
 
「……『あれ』がお前を許した。だから、見逃しておいただけなんだがな?」

「はっ……、ようやく本性表しやがったな」

 俺に対し、一応の礼儀を整えていたルイヴェルが、その気配を自分本来のものに変え、口調を一転させた。

「まぁ、そろそろ頃合いかとも思っていたが、ひとつ訂正しておく。俺は別に、お前の事を嫌いとは思っていないぞ。最初は『あれ』を手酷い目に遭わせてくれた礼をしようかとも考えていたが、結果的に、『あれ』がお前を許したのならいい。俺はその意思に従う」

「さっきから、『あれ』『あれ』うるせぇんだけどよ……。それ、もしかしなくても、――ユキの事だろ?」

 と、口にした瞬間、眼鏡野郎ルイヴェルの気配に殺気が生じる。

「げっ……!!」

「すまん。手が滑ったようだ」

「どこがだ!! マジ殺る気だっただろ!! げほっ、かはっ」

 俺の枕元、顔のスレスレに突き立てられた氷の刃は、どっからどう考えても、殺る気満々だった!! 禁呪に蝕まれながら、今度は物理的に命を狙われるとは思わなかったぜ……。

「安心しろ。お前に危害を加える気はない。さっきも言ったが、俺はお前の事を嫌いではないし、むしろ……強気に振る舞ってはいても、根底がお子様だからな……。生きる事に不器用なお前の足掻きを見ているのは、なかなか面白いぞ?」

「げほっ、げほっ。……テメェ、本当に凄ぇ性格してんなっ」

 自分で引き摺り出しちまったモンだが、予想以上だったっつーか……。
 下手にこの眼鏡野郎の逆鱗に触れちまったら、即あの世行きな気がビシバシした!!
 禁呪より怖ぇっつーか、こいつ、要注意危険人物レベルだろ……。
 寝台に腰かけ、手の中に生じさせたミニサイズの氷の刃を弄びながら、王宮医師……、いや、大魔王はドSな笑みを浮かべて、俺に症状緩和の術をかけてくる。

「お前が素に戻れと言ったのだから、当然の結果だろう?」

「だからって、最初から本性全開なのもどうなんだよ……っ。一応こっちは病人だぞ……」

「気合を入れてやっただけだ。禁呪のせいで、大分精神的に弱っていたみたいだからな」

「んな事ねぇよ……」

「その割には、『ユキ』と恋しそうに呼んでいたようだが?」

「うぐっ……」

 何であんな小せえ声が聞こえてんだよ!!
 しかもこの野郎、それをネタにして、人をいじる気満々の気配を醸し出してやがるっ。
 もう殺気はねぇみたいだが……、それ以上に面倒な事になってきた気がした。

「お前のように、不器用で我を張ってばかりでは、世の中が生き難いだろう? 昔の……の、ようにな」

「うっせぇよ!! ……ってか、何か最後の方言ったか?」

「いや、気にするな」

 何か、昔がどうとか言ってた気がするが……、まぁいいか。
 とりあえず、俺は自分から面倒な奴を表に引き摺り出した事を若干の後悔を抱きつつ、症状緩和のお蔭で、上半身を起こすところまで回復する事が出来るようになった。
 そして、奴のいじりは、ルイヴェルの双子の姉であるセレスフィーナが、俺が食べる為の食事を持って来るまで続いた……。クソッ、本当に何で本性暴いちまったかなぁっ。
 
「カイン皇子、食事の方は食べられそうですか?」

「あぁ……、すまねぇな」

 寝台傍の椅子に座り、トレイに載せた野菜と肉を適度に混ぜ合わせたスープを掬ったセレスフィーナが、甲斐甲斐しくも俺の口許まで運んでくれる。
 不甲斐ない事だが、手にスプーンを持っても、いつ落とすかわかんねぇからな。
 こうやって毎回、セレスフィーナには食事の介助をして貰っているというわけだ。

「私と弟の解呪用の術構築が完成するまで、どうかもう暫く御辛抱ください」

「あぁ……、色々迷惑かけて、悪ぃな。本当だったら、お前らが俺の為にそんな苦労なんかする必要ねぇのに……」

「気を遣う事はないぞ? これは仕事と興味の一環でもあるからな。滅多にお目にかかれない禁呪の解呪が出来るんだ。術者にとっては貴重な経験だ」

「ルイヴェル、カイン皇子に失礼でしょう!! ……貴方、いつの間に敬語をやめたの?」

 俺の足がある辺りの傍に腰かけているルイヴェルの礼儀の無さに説教を飛ばしたセレスフィーナが、やっと気付いたように、俺達の顔を交互に確かめてくる。
 あぁ、そういや、セレスフィーナの方にも言っといた方がいいだろうな。

「あのよ、面倒見てくれてんのは、本当、有難いんだけどさ。俺に対して、敬語とか、使う必要ねぇから……。そういう立場に相応しくねぇ生き方してるし」

「カイン皇子……。なるほど、ルイヴェルにも同じ事を仰ったんですね」

「あぁ……」

「後悔されたでしょう?」

「……あぁ」

 納得顔のセレスフィーナが、同情の気配を漂わせながら俺の口許をハンカチで拭ってくる。
 まぁ、確かにな……。ここまで凶悪極まりないドSが出て来るとは、流石に予想外過ぎたというか、ちょっと迂闊過ぎたかもしんねぇとは思ってる。
 だが、腹の中を隠したまんまよりはマシだと感じられるから、敬語をやめさせた事に後悔はない。

「申し訳ありませんが、カイン皇子……。ウチの弟にかなり気に入られておられますよ」

「は?」

「これから色々と大変でしょうが、……頑張ってくださいね」

「……え?」

 俺は一体、何を頑張れと哀れまれているんだろうか。
 セレスフィーナから千切ったパンを口に放り込まれた俺は、ルイヴェルの方を窺い見た。

「捻くれた不器用なお子様は、からかい甲斐があるからな……」

「んぐっ……げほっ」

 やっぱり俺の判断間違ってたんじゃねぇのか!!
 俺、確実に……この眼鏡野郎の玩具に認定されただろ!!
 禁呪に面倒をかけられている上に、今度はドSの餌食とか絶対に拒否だ拒否!!
 俺は咽て咳き込みながら、飄々とした笑みを浮かべるルイヴェルの視線から逃れるように、寝台に身を丸めた。

「食事は落ち着いて食べるものだと思うぞ」

「うっせぇ……ごほっ、けほっ」

「ルイヴェル、カイン皇子で遊ぶのは程々にしておきなさい。でないと、……お姉ちゃん、本気で怒っちゃうわよ?」

 俺の背を擦り、ルイヴェルを牽制してくれるセレスフィーナの存在が心底有難いっ。
 牽制を受けたルイヴェルが肩を竦め、寝台から立ち上がると、思い出したように自分の姉に振り返った。

「で? セレス姉さんは、カインに敬語を使う事をやめるのか?」

「そうね~……。一応公式的な立場もあるし、急には無理ね。申し訳ありません、カイン皇子。ゆっくりとでもよろしいでしょうか?」

「あぁ……、それで構わない。無理強いするモンでもないしな……」

「有難うございます。それと……、レイフィード陛下が、イリューヴェル皇帝陛下に連絡を取ってくださっているようなのですが、申し訳ありません。ご到着までには、まだ時間がかかるらしく……」

「……」

 呆れと怒りが混ざったような感情で、禁呪にかかっている苦しさを紛らわせていたと思ったら、セレスフィーナが今言った内容を聞いた途端、根底から冷えていくような虚無感に襲われ始めた。
 誰が親父を呼べなんて頼んだ? あのおっさん……、俺が望んでもいない余計な真似をしやがったな。

(まぁ、あのクソ親父がウォルヴァンシアまで来るとは思わねぇけどな……)

 俺が禁呪にかかっている事は報告済みなんだろうが、誰も心配なんてするわけがねぇだろ。
 それとも何か? こっちで死んだ場合の相談でもしてんのか……。
 どんなに救いようのないロクデナシの皇子でも、一応は正妃の生んだ子供だからな。
 扱いが面倒過ぎて、さぞかし向こうでは困り果ててる事だろうよ。
 誰も俺を必要となんかしやしない……。また第三皇子が面倒事を起こした、と、嫌な顔を浮かべてんだろう。
 だが、逆に言えば、目障りな俺が他国で死ねば、喜ぶ奴は幾らでもいる、か……。

(死んで喜ばれるってのも変な話だが、そういう立場だしな……)

 俺というお荷物がこの世から消え去れば、親父の悩みの種も、神殿の奥に引き籠もったお袋の心の病も……全部、救われるんだろう。
 初めから、いなければ良かった皇子だからな、俺は……。

「レイフィードのおっさんに伝えてくれるか? 親父、……イリューヴェル皇帝は、俺みたいなクズが死んでも、何とも思わねぇよ。遥々、北のイリューヴェルから引き摺り出すだけ時間の無駄だ。だから、連絡も、こっちに来いっていう催促も、もうするな、ってな」

「カイン皇子……。それはあまりにも、ご自分を卑下しすぎなのではありませんか?」

「本当の事だからな。どんな角度から見ようが、変わらねぇよ。……悪ぃけど、ちょっと寝るわ。禁呪のせいで、……身体が疲れてるからな」

「カイン皇子っ」

 俺を励まそうとしてくれているのはわかるが、自分が周りからどう思われているか、……そうなるように行動してきた事を自分で自覚しているからこそ、セレスフィーナに気遣わせる事を拒んだ俺は、毛布を被り込みその中に身を丸めて瞼を閉じた。
 出来れば……、禁呪が無事に解呪されて、晴れて自由の身になれれば、俺も少しは楽になれるんだがな……。
 イリューヴェルとは一切関わりのない地で、狂った俺の人生をやり直したい。
 もう……誰にも、必要だとか、必要じゃないとか、勝手な枠組みに嵌められないような環境で、ただのカインとして……生きて行きたい。
 眠りへと誘われる途中、俺は次に目が覚めた時、アイツの笑顔が傍に在る事を祈った。
 三つ子や、レイル、そして……ユキが俺の周りで賑やかに騒いでいてくれれば、この胸の奥で疼く辛い痛みも……いずれ溶け消えていきそうな気がしたから。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 ――その夜・イリューヴェル皇宮の一室。
 
「何故だ……、何故……まだ死なん!!
 貴様など生きていても、何の価値もないゴミ屑同然の命だというのに!!」

 灯りひとつ見当たらない闇夜の中、室内の丁度品に八つ当たりでもするかのように荒々しい怒りをぶつける一人の醜悪な人相の、丸く太り回した男がいた。
 憤怒の表情を刻み、何度も何度も怨嗟の言葉を呻いては叫ぶ。

「『禁呪』を発動しても尚、何故生き永らえようとする!! 早くその小賢しい息の根を止め、冥界の狩人に引き摺り込まれればいいものを! ウゥゥゥゥッ……!! 死ねぇっ、……正妃の血を継ぐ忌まわしき竜の皇子!!」

 男がこれほど大声で叫び回り、室内を荒し回っているというのに、駆け付ける者は一人もいない。
 人払いをしてあるのか、それとも、邪悪な気配の漂う男が自分の所業を外に漏らさぬよう細工をしてあるのか、定かではない。
 窓辺に向かい、重厚で豪奢なカーテンを力任せに引き千切り、絨毯へとぶちまける。
 奇行とも言うべき、男の狂気さを感じずにはいられない行動と言動……。
 カーテンが役目を果たさなくなったせいで、窓の外からは、三つの月の光が室内を照らし出し、男の肌に刻まれている『紋様』をしっかりと浮かび上がらせる……。
 ウォルヴァンシアの地にて、いまだ禁呪の影響によって苦しんでいるカインの肌にも浮かんでいた禍々しい紋様……。
 それはまさしく、同じ紋様を描き男の肌を這っている……。

「死ねぇっ……、貴様が死ねば、イリューヴェル皇家は……!!」

『そうだね……、そうなれば、全部貴方の一族の物になる……』

 月明かりだけが頼りの室内に、ふいに生じた気配……。
 男は目の前に現れた、揺らぐ黒銀の光。それを目にすると、男はそれに向かって罵声の限りを吐き出した。

「貴様!! これは一体どういう事だ!! 正妃の子供がまだ死なぬ!! 我が一族を脅かす竜の血族!! あの皇子が生きている限り、いつ皇帝陛下が気まぐれを起こさぬとも限らぬというのに!!」

『それは、貴方の怨嗟が、皇子を呪い殺そうとする思いが足りないんだよ……。もっと恨んで……、もっと……もっと……怨嗟と呪いの念を』

 揺らめく黒銀の光が、人の姿をとる事はなく、ただ……男とも女ともつかない奇怪な声で男を煽り、その呪いの効力を高めようと誘っていく。
 男の目からは、血の涙が溢れ、肌に浮かんでいる模様からも、幾筋もの紅が滴り落ちていく。

『そう……、呪いの効力をもっと高めて……。皇子を殺す為に、新たな災いの種を蒔こう』

 絨毯へと倒れ、苦しみながら皇子の絶命だけを願う狂った傀儡……。
 黒銀の光はそれを見届け、また闇へと溶け消えるかのように……同化していった。
 あとに残るは、醜い男の怨嗟の雄叫びだけ……。 
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