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第二章『竜呪』~漆黒の嵐来たれり、ウォルヴァンシア~
夢の不安と禁呪の果て……
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「……」
レイフィード叔父さんからの気遣い=大量の食事とデザートを堪能してから部屋に戻った私は、添い寝に来てくれる予定のロゼリアさんを待ちながら、つい、夢の中へと身を委ねてしまっていた。
闇の中に小さな灯りが生じ、そこから優しい光が私の周りへと広がっていく……。
目の前には、今日の広間で食べたような美味しそうな料理やデザートが並び、その周りに見知った人々の幸せそうな笑顔が、その姿と共に浮かび上がる。
レイフィード叔父さんやお父さん、お母さんにレイル君に三つ子ちゃん達……。
大好きな人達の楽しそうな様子を眺めていた私は、傍に現れたカインさんの姿に表情を和ませた。
すっかり顔色が良くなって、自分の足で立っているカインさんの表情は、とても幸せそうで、私を見る眼差しは優しい気配を宿している。
何もかもが、全て良い方向に向かい、幸せに満ちた世界……。
心の中に広がる大きな安堵感を感じた私は、カインさんが差し出してくれた手に温もりを重ねようとして……、ビクリと身体を震わせた。
カインさんの手が、べっとりと血に濡れて……どろりとその形が溶け始めている。
嫌……、これは、……何? 恐る恐るカインさんの顔へと視線を移動させた私は、さらに身体と心を恐怖に凍り付かせた。
顔には確かに笑顔が浮かんでいるはずなのに……、その目からは紅の筋が伝い、どろりと肌が溶けだしている……。
怖い……、怖い……、何なの……これ。目を瞑っても見えてしまう、恐ろしい光景。
幸せだった心は一気にその優しい色を塗り替えられ、受け止めきれない恐怖と不安の大きさに、押し潰されそうになってしまう。
――……様っ、……キ、姫、様!!
瞬間、誰かに身体を強く揺さぶられているかのような感覚が生じ、私は急速に意識を引っ張り上げられていく。
私を大きな声で呼ぶ声が、どんどん近く、感覚がしっかりとしたものへと変わった瞬間、見開いた視線の先、とても近くに、ロゼリアさんの心配そうなブラウンの瞳が在った。
「大丈夫ですか、ユキ姫様……」
「あ、……ロゼ、リア、さん?」
「尋常でない魘されように、また悪夢でも見ておられるのかと、心配いたしました」
「……私、眠っていたんですね」
「はい。添い寝の任でお訪ねしたのですが、応答がありませんでしたので……。幸いな事に、お部屋の鍵は開いておりましたので、申し訳ありませんが、勝手に入らせて頂きました」
「そうだったんですか……。すみません、ご迷惑をおかけしてしまって」
お腹いっぱいになったせいか、部屋に辿り着いた私は、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
だけど……、夢の中での光景は、まだ脳裏に焼き付いていて、ただの夢のようには思えない、何か……、生々しさのような嫌な感覚が心と身体に残っている。
血を流し、身体が醜く溶けだした……カインさんの姿。
(何だろう……、凄く、嫌な予感がして……具合が悪い)
「ユキ姫様、お顔の色が……」
「ロゼリアさん、申し訳ないんですけど、王宮医務室まで、一緒に行ってくれませんか?」
「王宮医務室……、カイン皇子の許にですか?」
「はい。……今すぐに、カインさんの様子を確認したいんです」
気のせいかもしれない。ただの夢だと思いたい。
だけど……、何かが、身体と心に纏わり付く不快感が、何かを訴えている気がしてならない。
「……わかりました。ユキ姫様が何か気にかかっておられるのなら、このロゼリア、どこまでもお伴いたします」
「ありがとうございます、ロゼリアさん」
カインさんの無事を確かめられれば、気のせいだったのだと納得する事が出来る。
私は頷いてくれたロゼリアさんにお礼を言って、王宮医務室へと向かった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
憩いの庭園を抜け、もう少しで王宮医務室のある廊下へと入れると思ったその時、何か違和感を感じて、歩みを止めた。
何故だろう、……少し前から、自分の足音しか……聞こえない気がする。
後ろにはロゼリアさんがいるはずなのに、そういえば、途中から会話も途絶えた気が……。
まさかと思い振り返ると、そこに在るはずの、ロゼリアさんの姿が……ない。
「ろ、ロゼリアさん……?」
彼女の姿がない事も一気に不安を煽り立てたけれど、周りの景色を見回した私は、自分を囲むその気配が揺らぎ、景色がその姿を変え始めるのを目にしてしまった。
王宮医務室に続く廊下に入る少し手前、回廊にいたはずの私は、いつの間にか……、拓けた場所、草地の広がる一角に立っている。
「何で……、こんな所に」
灯りのひとつも見えない暗がりの中、足元が草地だという事だけはわかった。
周りに佇んでいる樹木が風に揺れる音を聞きながら、自分がおかれている状況が酷く異質で油断出来ない状態である事を感じる……。
草地を踏みしめ、とりあえず自分がどこにいるのかを確かめようとした、――その時。
「え……」
足元に、何か……、ぞわりと寒気がするような気配が纏わり付いているような気がした瞬間、私は暗がりの中、視線をそこに落とした。
「何か……、いる?」
肌に触れる嫌な気配の正体を探ろうと目を凝らすと、急に蛍のような淡い光が周囲に生まれ、私の瞳は『それ』を視覚に捉えてしまった。
黒い靄のような存在が、私の足に纏わり付き……徐々に上へと這い上ってくる。
「い、嫌ぁっ……、何、これ」
あまりの恐怖に身体を震わせ凍り付いた私は、動く事も出来ず目に涙を浮かべた。
得体の知れない黒い靄。霧とか、そういうものじゃない……。
肌に触れているだけでも、気持ちが悪くなるほどの悪寒を覚えるそれは、間違いなく私にとって害となる存在だ。
だけど、動く事も出来ない今、どうやって逃げればいいのか……。
「こ、来ないで……、お願い、だから」
黒い靄が蛇のような動きで腰まで上がってきたその時、――『声』が、私の耳を震わせた。
「よぉ……、こんな時間に一人でお散歩か?」
「だ、誰……っ」
嘲笑の気配と、その低く艶やかな声音に、――『彼』の姿が思い浮かぶ。
だけど、こんな所にあの人がいるわけがない。
まだ一人で歩く事も、あの部屋から出る事も……、出来ないはず、なのに。
「今夜は、番犬野郎の護衛はなしか? いくら王宮の中でも、か弱いお姫様一人じゃ無防備すぎると思うが……。あぁ、もしかして、『俺』と二人きりで会いたくて、こっそり抜け出してきたのか?」
人をからかうようなこの悪戯めいた口調、確かに覚えがあるはずなのに、どこか違うようにも感じるのは、嘲笑の気配と不気味さが強いせい?
「貴方は……『誰』、なの?」
身体と心を苛む恐怖を我慢しながら、私は背後にいる人物に向かって声を搾り出した。
「毎日、甲斐甲斐しく見舞いに来てくれてるだろう? 俺の手を握って、早く治るようにって……健気に祈ってくれているだろう」
確かに、その声は間違いなくあの人のもの。
だけど、私の心はその存在を否定するように叫んでいる。
「貴方は、カインさんじゃない!!」
恐怖に震えていた身体が、今の自分の大声で喝を入れられたように、私の心に反応して動き出す。
背後にいる人から逃げるように身体が前へと動く。
だけど、急に力を取り戻した身体は、草地の上で足をもつれさせ、私は前へと倒れ込んでしまった。
「痛っ……」
「せっかく会いに来たのに、逃げる事はないだろ……? お前が俺の事を気にかけてくれていたように、俺もお前を想って、ここまで来たんだ」
「い、嫌……、こ、来ない、で……」
「お前に会いたくて、辛い身体を引き摺ってやって来たんだ。その労を労ってくれてもいいんじゃないか? ……ユキ」
這ってでも逃げようとする私の足を、まだ姿を確認していないその人が掴み、痛いほどに握り締めてくる。怖い……怖い!! 誰か……誰か……!!
「嫌ぁああああああああああああああああああ!!」
闇夜に響き渡った私の絶叫に反応するかのように、どこからか硝子が大きく割れるような音が響いた。
「ユキ!!!!!!!」
足を掴んでいた力が緩まり、馴染のある低い声が私の名を叫ぶ声がしたかと思うと、背後で剣を払うような音が聞こえ、その気配が私の傍へと膝を着くと、力強い腕で私を抱き起こし、顔を覗き込んできた。
「あ、アレク……さんっ」
「すまない、遅くなった」
片腕に私を抱き、一瞬だけ安堵した様子を表情に乗せ、また険しい表情に戻って目の前を睨んだアレクさんが、急いで立ち上がり、剣を一度鞘へと仕舞うと、地を蹴って飛んだ。
そして、私の足を掴んでいた人から離れた場所、回廊がある場所へと着地すると、そこには、レイフィード叔父さんを始めとし、途中で姿が見えなくなったロゼリアさん、レイフィード叔父さん、セレスフィーナさんにルイヴェルさん、そして、騎士団長のルディーさんの姿が在った。
「皆さん……どうして、ここに」
「遅くなってごめんね、ユキちゃん。君がいなくなった報告を受けた後、王宮医務室のカインにも異変が起こってしまってね。君を見つけ出すのに、時間がかかりすぎてしまった」
「ユキ姫様、本当に申し訳ありませんでした。貴女様を、異質な結界の中に閉じ込めたあの男は、私共の不手際によるものです」
「同じく、お詫び申し上げます。まさか、カイン皇子の身に取り憑いた禁呪が……『意思』を持つとは、予想外でした」
私達の前に立ち、目の前を見据えていた王宮医師のお二人が振り返り、私に対する申し訳なさと、微かな苛立ちを声音に滲ませて、また前を向く。
私もその視線の先を追って、蛍のような淡い光に照らし出されているその人を、初めて正面から直視してしまった。
カインさんと同じ顔をしていながらも、その口許には狂気を思わせる嘲笑を浮かべ、黒い靄を身体から溢れさせている男性……。
顔だけ見れば、確かにカインさんと見間違えそうだけど、その男性の瞳は真紅ではなく、髪も目も、漆黒の闇に包まれていて、カインさんとはまるで纏っている気配が違っていた。
「あれは……、『誰』、なんですか」
「本物のカインは王宮医務室の奥で、王宮医師の二人が施した術によって、まだ禁呪の力と闘っている最中だよ……。そしてあのカインそっくりの悪い子は、禁呪が自我を持ち、形を成した存在なんだ」
「自我を……?」
「本来、呪いが自我を持つ事なんて有り得ないんだけどね……。これも、予想外の暴走のひとつと言えるかもしれない」
術が暴走し、自我を宿した存在に……、変化、した?
その場の誰もが険しい気配と共に、カインさんの姿を纏っている男性を睨み付けている。
アレクさんが私をレイフィード叔父さんに預けると、ルディーさんと共に剣を構え、その男性、禁呪へと斬り込んでいく。
けれど、禁呪は二人を嘲笑うかのように跳躍し、身体から溢れ出る黒い靄を纏いながら、背筋がぞくりと悪寒を覚えるような笑いを零した。
「ただの術でしかない俺が、まさか自我を抱けるなんてなぁ……。あの男を呪う術者の思念が予想以上に術を膨れ上がらせたかと思ったら、俺という存在が確かな形を持って実体化された……。術者には感謝だなぁ……。俺はもうただの術じゃない。この世界に存在する、ひとつの命と意思だ。ククッ……ハハハハハっ」
禁呪の嘲笑が、闇夜の中に恐ろしい恐怖と共に響き渡り、その存在の異質さを浮き上がらせるかのように、黒い靄が草地のある一帯を浸食し、最悪の事態を予感させていた……。
レイフィード叔父さんからの気遣い=大量の食事とデザートを堪能してから部屋に戻った私は、添い寝に来てくれる予定のロゼリアさんを待ちながら、つい、夢の中へと身を委ねてしまっていた。
闇の中に小さな灯りが生じ、そこから優しい光が私の周りへと広がっていく……。
目の前には、今日の広間で食べたような美味しそうな料理やデザートが並び、その周りに見知った人々の幸せそうな笑顔が、その姿と共に浮かび上がる。
レイフィード叔父さんやお父さん、お母さんにレイル君に三つ子ちゃん達……。
大好きな人達の楽しそうな様子を眺めていた私は、傍に現れたカインさんの姿に表情を和ませた。
すっかり顔色が良くなって、自分の足で立っているカインさんの表情は、とても幸せそうで、私を見る眼差しは優しい気配を宿している。
何もかもが、全て良い方向に向かい、幸せに満ちた世界……。
心の中に広がる大きな安堵感を感じた私は、カインさんが差し出してくれた手に温もりを重ねようとして……、ビクリと身体を震わせた。
カインさんの手が、べっとりと血に濡れて……どろりとその形が溶け始めている。
嫌……、これは、……何? 恐る恐るカインさんの顔へと視線を移動させた私は、さらに身体と心を恐怖に凍り付かせた。
顔には確かに笑顔が浮かんでいるはずなのに……、その目からは紅の筋が伝い、どろりと肌が溶けだしている……。
怖い……、怖い……、何なの……これ。目を瞑っても見えてしまう、恐ろしい光景。
幸せだった心は一気にその優しい色を塗り替えられ、受け止めきれない恐怖と不安の大きさに、押し潰されそうになってしまう。
――……様っ、……キ、姫、様!!
瞬間、誰かに身体を強く揺さぶられているかのような感覚が生じ、私は急速に意識を引っ張り上げられていく。
私を大きな声で呼ぶ声が、どんどん近く、感覚がしっかりとしたものへと変わった瞬間、見開いた視線の先、とても近くに、ロゼリアさんの心配そうなブラウンの瞳が在った。
「大丈夫ですか、ユキ姫様……」
「あ、……ロゼ、リア、さん?」
「尋常でない魘されように、また悪夢でも見ておられるのかと、心配いたしました」
「……私、眠っていたんですね」
「はい。添い寝の任でお訪ねしたのですが、応答がありませんでしたので……。幸いな事に、お部屋の鍵は開いておりましたので、申し訳ありませんが、勝手に入らせて頂きました」
「そうだったんですか……。すみません、ご迷惑をおかけしてしまって」
お腹いっぱいになったせいか、部屋に辿り着いた私は、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
だけど……、夢の中での光景は、まだ脳裏に焼き付いていて、ただの夢のようには思えない、何か……、生々しさのような嫌な感覚が心と身体に残っている。
血を流し、身体が醜く溶けだした……カインさんの姿。
(何だろう……、凄く、嫌な予感がして……具合が悪い)
「ユキ姫様、お顔の色が……」
「ロゼリアさん、申し訳ないんですけど、王宮医務室まで、一緒に行ってくれませんか?」
「王宮医務室……、カイン皇子の許にですか?」
「はい。……今すぐに、カインさんの様子を確認したいんです」
気のせいかもしれない。ただの夢だと思いたい。
だけど……、何かが、身体と心に纏わり付く不快感が、何かを訴えている気がしてならない。
「……わかりました。ユキ姫様が何か気にかかっておられるのなら、このロゼリア、どこまでもお伴いたします」
「ありがとうございます、ロゼリアさん」
カインさんの無事を確かめられれば、気のせいだったのだと納得する事が出来る。
私は頷いてくれたロゼリアさんにお礼を言って、王宮医務室へと向かった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
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何故だろう、……少し前から、自分の足音しか……聞こえない気がする。
後ろにはロゼリアさんがいるはずなのに、そういえば、途中から会話も途絶えた気が……。
まさかと思い振り返ると、そこに在るはずの、ロゼリアさんの姿が……ない。
「ろ、ロゼリアさん……?」
彼女の姿がない事も一気に不安を煽り立てたけれど、周りの景色を見回した私は、自分を囲むその気配が揺らぎ、景色がその姿を変え始めるのを目にしてしまった。
王宮医務室に続く廊下に入る少し手前、回廊にいたはずの私は、いつの間にか……、拓けた場所、草地の広がる一角に立っている。
「何で……、こんな所に」
灯りのひとつも見えない暗がりの中、足元が草地だという事だけはわかった。
周りに佇んでいる樹木が風に揺れる音を聞きながら、自分がおかれている状況が酷く異質で油断出来ない状態である事を感じる……。
草地を踏みしめ、とりあえず自分がどこにいるのかを確かめようとした、――その時。
「え……」
足元に、何か……、ぞわりと寒気がするような気配が纏わり付いているような気がした瞬間、私は暗がりの中、視線をそこに落とした。
「何か……、いる?」
肌に触れる嫌な気配の正体を探ろうと目を凝らすと、急に蛍のような淡い光が周囲に生まれ、私の瞳は『それ』を視覚に捉えてしまった。
黒い靄のような存在が、私の足に纏わり付き……徐々に上へと這い上ってくる。
「い、嫌ぁっ……、何、これ」
あまりの恐怖に身体を震わせ凍り付いた私は、動く事も出来ず目に涙を浮かべた。
得体の知れない黒い靄。霧とか、そういうものじゃない……。
肌に触れているだけでも、気持ちが悪くなるほどの悪寒を覚えるそれは、間違いなく私にとって害となる存在だ。
だけど、動く事も出来ない今、どうやって逃げればいいのか……。
「こ、来ないで……、お願い、だから」
黒い靄が蛇のような動きで腰まで上がってきたその時、――『声』が、私の耳を震わせた。
「よぉ……、こんな時間に一人でお散歩か?」
「だ、誰……っ」
嘲笑の気配と、その低く艶やかな声音に、――『彼』の姿が思い浮かぶ。
だけど、こんな所にあの人がいるわけがない。
まだ一人で歩く事も、あの部屋から出る事も……、出来ないはず、なのに。
「今夜は、番犬野郎の護衛はなしか? いくら王宮の中でも、か弱いお姫様一人じゃ無防備すぎると思うが……。あぁ、もしかして、『俺』と二人きりで会いたくて、こっそり抜け出してきたのか?」
人をからかうようなこの悪戯めいた口調、確かに覚えがあるはずなのに、どこか違うようにも感じるのは、嘲笑の気配と不気味さが強いせい?
「貴方は……『誰』、なの?」
身体と心を苛む恐怖を我慢しながら、私は背後にいる人物に向かって声を搾り出した。
「毎日、甲斐甲斐しく見舞いに来てくれてるだろう? 俺の手を握って、早く治るようにって……健気に祈ってくれているだろう」
確かに、その声は間違いなくあの人のもの。
だけど、私の心はその存在を否定するように叫んでいる。
「貴方は、カインさんじゃない!!」
恐怖に震えていた身体が、今の自分の大声で喝を入れられたように、私の心に反応して動き出す。
背後にいる人から逃げるように身体が前へと動く。
だけど、急に力を取り戻した身体は、草地の上で足をもつれさせ、私は前へと倒れ込んでしまった。
「痛っ……」
「せっかく会いに来たのに、逃げる事はないだろ……? お前が俺の事を気にかけてくれていたように、俺もお前を想って、ここまで来たんだ」
「い、嫌……、こ、来ない、で……」
「お前に会いたくて、辛い身体を引き摺ってやって来たんだ。その労を労ってくれてもいいんじゃないか? ……ユキ」
這ってでも逃げようとする私の足を、まだ姿を確認していないその人が掴み、痛いほどに握り締めてくる。怖い……怖い!! 誰か……誰か……!!
「嫌ぁああああああああああああああああああ!!」
闇夜に響き渡った私の絶叫に反応するかのように、どこからか硝子が大きく割れるような音が響いた。
「ユキ!!!!!!!」
足を掴んでいた力が緩まり、馴染のある低い声が私の名を叫ぶ声がしたかと思うと、背後で剣を払うような音が聞こえ、その気配が私の傍へと膝を着くと、力強い腕で私を抱き起こし、顔を覗き込んできた。
「あ、アレク……さんっ」
「すまない、遅くなった」
片腕に私を抱き、一瞬だけ安堵した様子を表情に乗せ、また険しい表情に戻って目の前を睨んだアレクさんが、急いで立ち上がり、剣を一度鞘へと仕舞うと、地を蹴って飛んだ。
そして、私の足を掴んでいた人から離れた場所、回廊がある場所へと着地すると、そこには、レイフィード叔父さんを始めとし、途中で姿が見えなくなったロゼリアさん、レイフィード叔父さん、セレスフィーナさんにルイヴェルさん、そして、騎士団長のルディーさんの姿が在った。
「皆さん……どうして、ここに」
「遅くなってごめんね、ユキちゃん。君がいなくなった報告を受けた後、王宮医務室のカインにも異変が起こってしまってね。君を見つけ出すのに、時間がかかりすぎてしまった」
「ユキ姫様、本当に申し訳ありませんでした。貴女様を、異質な結界の中に閉じ込めたあの男は、私共の不手際によるものです」
「同じく、お詫び申し上げます。まさか、カイン皇子の身に取り憑いた禁呪が……『意思』を持つとは、予想外でした」
私達の前に立ち、目の前を見据えていた王宮医師のお二人が振り返り、私に対する申し訳なさと、微かな苛立ちを声音に滲ませて、また前を向く。
私もその視線の先を追って、蛍のような淡い光に照らし出されているその人を、初めて正面から直視してしまった。
カインさんと同じ顔をしていながらも、その口許には狂気を思わせる嘲笑を浮かべ、黒い靄を身体から溢れさせている男性……。
顔だけ見れば、確かにカインさんと見間違えそうだけど、その男性の瞳は真紅ではなく、髪も目も、漆黒の闇に包まれていて、カインさんとはまるで纏っている気配が違っていた。
「あれは……、『誰』、なんですか」
「本物のカインは王宮医務室の奥で、王宮医師の二人が施した術によって、まだ禁呪の力と闘っている最中だよ……。そしてあのカインそっくりの悪い子は、禁呪が自我を持ち、形を成した存在なんだ」
「自我を……?」
「本来、呪いが自我を持つ事なんて有り得ないんだけどね……。これも、予想外の暴走のひとつと言えるかもしれない」
術が暴走し、自我を宿した存在に……、変化、した?
その場の誰もが険しい気配と共に、カインさんの姿を纏っている男性を睨み付けている。
アレクさんが私をレイフィード叔父さんに預けると、ルディーさんと共に剣を構え、その男性、禁呪へと斬り込んでいく。
けれど、禁呪は二人を嘲笑うかのように跳躍し、身体から溢れ出る黒い靄を纏いながら、背筋がぞくりと悪寒を覚えるような笑いを零した。
「ただの術でしかない俺が、まさか自我を抱けるなんてなぁ……。あの男を呪う術者の思念が予想以上に術を膨れ上がらせたかと思ったら、俺という存在が確かな形を持って実体化された……。術者には感謝だなぁ……。俺はもうただの術じゃない。この世界に存在する、ひとつの命と意思だ。ククッ……ハハハハハっ」
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