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第三章『不穏』~古より紡がれし負の片鱗~

遥か昔の悲劇と魔獣の封印

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「はい、ユキちゃん。昨夜の本、術の狂いを直しておいたから、どうぞ」

 部屋で自習をする事になった私にサージェスさんが差し出してくれたのは、昨夜読めなかった『魔獣』に関する本だった。
 読み手に合わせて、綴られている文字が変化する不思議な術の施された本……。
 私は自習の手を止めて、気になっていたその本を読む事にした。
 一ページ目を開く……。

「え……」

「どうした、ユキ? ……これは、見た事のない文字だな」

「何だこれ……。古代文字にも見えねぇし、魔術の暗号系の文字でもない。おい、サージェス、どうなってんだよ」

「本当だねー。……あ、そういえば、前に見た事あるかも、これ。ルイちゃんが持ってる物の中に、同じような文字が書かれてあるのを見た事あるよー」

 テーブルに置いた本のページに、アレクさん達がそれぞれの疑問や感想を漏らす。
 ……そして、私の肩口からは、にょろ~りと、シュディエーラさんの許から出張してきている触手ちゃん達が興味津々にっ。あぁっ、ひんやりする~!!

「え、えっと、私の、……元いた世界の、文字です。正確には、私が住んでいた国の文字なんですけど、……こんなところで見られるなんて」

「なるほどね。本に施されている術が、読み手であるユキちゃんの記憶や知識を反映させたのか。ねぇ、ユキちゃん、今度俺にもこの文字を教えてくれないかな?」

「え? でも、この世界の人には、あまり意味はないと思いますけど」

 異世界の人が日本の文字を覚えるメリットはあるのだろうかと首を傾げていると、サージェスさんは茶目っ気のある笑みを浮かべて、自分の人差し指をその口許へと当てた。

「俺さ、知らない事を知るのが結構好きなんだよね。そのせいか、剣術や魔術、医術と、気になる物はなんでも手を出してきたし。それと、ユキちゃんの世界の文字を覚えたら、他の人にはわからない、秘密の手紙のやり取りとか出来そうだしねー?」

「堂々と何抜け駆け宣言してやがんだ……、この野郎っ」

「サージェスティン……。ユキに対して、あまり誤解されるような真似は控えてくれないか」

「俺はただ、ユキちゃんの世界の文字で、手紙のやり取りが出来たら良いねーって、そう言ってるだけだよ? 俺達、お友達だもんねー」

 うーん、私とサージェスさんって、どういう関係が一番しっくりくるんだろうなぁ。ガデルフォーンで色々とお世話になっている人という印象が強いのだけど……。
 どうやら、サージェスさんの中で私は、お友達認定をされていた模様。
 ちょっと吃驚してしまう。
 アレクさんとカインさんに睨まれても動じず、飄々とにこやかに笑うサージェスさん。そんな魔竜の騎士様に私は「そうですね」と曖昧に笑って返事を返すと、本を読む事に集中し始めた。

 その昔、ガデルフォーンの地に現れたという悲劇の根源、――魔獣。

「ガデルフォーンの……『外』から現れし、瘴気と強大な魔の塊……」

 遥か古の時代。ガデルフォーン皇国が、ひとつの国として基盤を整え、皇家の威光が確かなものとして国を照らし始めてから、数代の時を経た……、ある時代の話。
 当時の代は、女帝ではなく、皇帝。民を愛する心優しいその人の時代に、――魔獣は現れた。
 何の前触れもなく、平穏な日常に大きな穴を開けるかのように、ガデルフォーン皇国の辺境にあった村の周辺一帯が、……全て、焦土と化した。
 通常、ガデルフォーン皇国内の村や町、特別な『場』や建物がある場所には、術者達の結界が張られており、気性の荒い魔物や魔獣の襲撃を防ぐ為の防衛策がとられているという。
 しかし、その辺境の村の結界は、『巨大な体躯をもつ魔獣』ただ一体に打ち破られ、悪夢以上の悲劇を村へともたらした。
 
「その獣……、天に刃向うかの如く巨大なりし体躯を纏う者なり……。その獣……、鋭き牙と瘴気をその身に宿し、逃げ惑う人々を……っ」

 まるで、その当時の出来事を見てきたかのように、魔獣によって滅ぼされた村の様子が、凄惨さを伴って書き記されている……。
 人々の嘆きの悲鳴、無残にも奪われていった命の最期の慟哭……。
 私はそこまで読んで、一度額を指先で押さえ首を振った。
 すでに過ぎ去った時代の話、だけど……、怖い、とか、可哀想、とか、そんな感情なんて意味がないくらいに……。当時の惨状を伝えてくれる文面は、直視出来ないものだった。

「ユキ、大丈夫か?」

「……はい、大丈夫、です」

 私の肩に手を添え、心配してくれるアレクさんに頷くと、私はサージェスさんに視線を向けた。

「サージェスさん、この本に書いてある『魔獣』は、ガデルフォーンの『外』から来たと、そう書かれてありますけど、それって、エリュセードの表側、という事でしょうか?」

「いや、そっちじゃないよ。ガデルフォーン皇国が存在する領域の外側って意味で、別空間が国のすぐ側に存在しているんだ」

「別……、空間、ですか。そういえば、シュディエーラさんの授業で聞いたような」

 ガデルフォーン皇国の初代皇帝であった人は、表側の世界からエリュセードの裏側、つまり、まだ国が存在していなかった異空間へと飛ばされた。そして、その場所に国を創造した、と。

「そうそう。元々、エリュセードの裏側にある空間を利用して、『宝玉』の力の助けを借りて創り上げたのがこの国だからね。その際に、有害な要素、つまり、瘴気の類だね。それを皇国の創造に取り込まないように、初代皇帝は、エリュセードの神々の助力を得ながら、注意して国を創ったらしいんだ」

「つまり、その時に必要のなかった有害要素だらけの空間が、ガデルフォーンの『外』に在るって事か?」

 私の向かい側の椅子に座っていたカインさんが、頬杖を着きながらサージェスさんを見上げる。確認を込めた問いに頷きを返し、サージェスさんはより詳しい説明を続けてくれた。

「その通り。下手な影響が出るといけないからね。通常は、皇帝・女帝の力によって、国と『外』の境界には見えない結界が張られている。有害要素盛りだくさんの『外』からの影響を遮断しているって感じなんだけど、……その時代に現れた魔獣は、どういう方法でか、その結界をぶち壊して入って来た……。当時の犠牲となった民の気持ちを思うと、……やりきれないね」

「サージェスさん……」

「大切な家族や友人、ありふれた日常が、招かれざる者によって無遠慮に踏みつけられていく……。誰にもそんな理不尽な権利なんてないのに、迷惑極まりないよねー……ん」

 自分はその時代に生きてはいなかったから想像する事でしか、彼らの苦しみに寄り添えない、と。最後に悲しそうに苦笑したサージェスさんだったけれど……。
 その表情は、別の何かを思い出しながら、過去の話に同調しているようにも見えた。

(そういえば、サージェスさんが昔住んでいたフェイシア孤児院って、確か……)

 以前に話して聞かせてくれた、サージェスさんの過去の一部。
 育てる事の出来ない息子を孤児院へと預けたサージェスさんのお母さん。
 そこで育ったサージェスさんは、賊の襲撃を受け、孤児院という居場所を失った。
 もしかしたら、その当時の事を思い出しているのかもしれない……。
 
「ん? どうかした? 俺の顔に何かついてる?」

「あ、いえ、すみません……」

 サージェスさんが孤児院を失った後、一体どんな道を辿って来たのか。
 彼が決して笑顔だけで生きて来たわけじゃない事は、さっきの悲しそうな表情を見ていれば、察する事が出来る。
 
「さてと、そろそろお茶の用意でも頼んで来ようかなー。副団長君と皇子君、少しの間ユキちゃんの事頼んだよ?」

「おう。好きなだけ席外しとけよ」

「了解した……」

 悲しみの気配を消し、いつもの爽やかな笑顔を纏ったサージェスさんが、部屋の外へと出て行く。パタン……、と、扉が閉まると、静かな沈黙が落ちる。

「……なぁ、今どこまで読んだんだ?」

「えっと、魔獣という存在がガデルフォーン皇国と、『外』の空間に張ってある結界を壊して、……辺境の村を襲い、そこに住んでいる人々を襲った、という所まで、ですね」

「ふぅん……。なぁ、ユキ。そっからは声に出して読めよ。その方が、俺達も内容を把握できるからな」

「そうですね。じゃあ、……読みますね」

 続きの文字に視線を落とし、私はカインさんの要望通りに声に出して読み始めた。
 当時の皇帝は、結界が破られた事を察知し、魔術師や騎士の者達を連れ現地へと飛んだ。
 しかし……、魔獣の猛威は想像以上のもので、周辺に潜んでいた魔物達まで呼び込んだせいで、圧倒的な力と数の差を突き付けられ、村は全壊……、死傷者は大多数となった。
 その上、魔獣は転移の術を行えるという最悪な術(すべ)を持っていた為、村を喰い荒し蹂躙し尽した後、いずこかへと、大勢の魔物達を伴いながら消えて行ったという……。

「消えるってのがまた面倒だな……」

「転移が使える、それも、大勢の魔物を同時にとなると、転移先の特定や移動に相当の手間を取らされるな……」

「続き、読みますね……」

 転移した魔獣は、ガデルフォーンに存在する魔物達を使役できる力を有していたらしく、転移先で群れを増やしては、国内を荒らし回った……。
 さらには、魔物達を幾つかのグループに分け、より凶悪に、凄惨に、ガデルフォーンに不幸と嘆きの連鎖をもたらし、当時の皇帝もその臣下達も、止まらない魔獣の猛攻に苦戦を強いられたのだと……。そう、この本には書かれている。

「広がりすぎた被害を憂いた当時の皇帝さんは、やがて知ったそうです。魔獣の正体が、『外』の空間で長い年月をかけて凝り固まり肥大した、瘴気と魔力で誕生した恐ろしい存在なんだ、と」

 当時の皇帝達には、その魔獣を構成する、淀み肥大化した瘴気と魔力の根源を断つ事は出来ず、最後にとった方法が、賭けともいえる『魔獣の封印』だった。
 今、ガデルディウスの神殿が立つその場所に、『宝玉』と『皇帝』を封じの術を行う為の要とし、多くの魔術師団員達が巨大な陣を取り囲んだ。
 その場所は、ガデルフォーン皇国内において、強大な魔力が地下に流れている『場』でもあり、魔獣を封じる為の器として、一番適した場所だったのそうだ。
 術を行使する者達を助ける為の魔力もこれ以上ないほどに満ち溢れた『場』。
 けれど、肝心の魔獣がそこに来なければ術は発動出来ない。
 
「だから、当時の皇帝さんは、『自分の血』を使ったそうです」

「「血を?」」

「はい。魔獣は最初、辺境の村に現れた皇帝さんを執拗に狙ったらしいんですけど、
 皇帝さんは簡単にやられるような人じゃありませんでした。お互いの息の根を確実に止められない中途半端な関係……。魔獣にとって、ガデルフォーンの世界そのものでもある立場の皇帝さんは、……『ご馳走』だったそうなんです。でも、食べる事が出来ない事に腹を立てて、その憎悪と欲は別に向いてしまって……」

「……皇帝以外を殺して食う事で、欲を満たそうとしたってわけか」

「いいえ、この本に書いてある限りでは、魔獣が食べたがっていたのは皇帝さんだけでした。だから、それが出来ない激しい衝動は、『破壊行動』に集中したんです。村や町を破壊し、そこに住まう人々の生活を滅茶苦茶にして……暴虐の限りを」

「胸クソ悪ぃ話だな……」

 助かった人達も勿論いたけれど、それでも、魔獣がもたらした被害は凄惨で残酷なものだった。
 
「だから、皇帝さんは自分を餌にする事にしたんだそうです。自分の血を陣に作用させ、わざと魔物に感知させ、『喰えるものなら喰ってみろ』……、と術者達の召喚に応えるように挑発を」

「で、まんまと召喚されたわけか」

 カインさんの呟きに頷き、私は続きを途中まで読んでは声に出して説明を行った。
 陣に召喚された魔獣は、魔術師達による拘束の術に捕えられたけれど、それも僅かの間だけ。
 その間に、別の魔術師達と皇帝が封印を行う為の詠唱を行い、『宝玉』の力と呼応させ、魔獣を確実に封じる為の絶対的な檻を作り上げた。
 そして……。

「拘束の術を打ち破った魔獣が牙を剥くのと、封印の術が発動するのは同時だったそうです」

 『宝玉』と皇帝、そして魔術師達が発動させた術は絶対的な力を発揮し、魔獣を『場』の奥深くへと封じる為に作用し続けた。
 けれど、魔獣も黙って封じられることに身を委ねる事はなく、『ある二人の人物』を道ずれにしてしまった……。

「二人の人物?」

「はい。当時のガデルフォーン皇帝さんの娘さんと、その双子のお兄さんだそうです。お二人はとても強い魔力を持っていたらしくて、お父さんである皇帝さんの封印の儀に参加していたところ……、魔獣との距離が近かったせいで、最後の抵抗を見せた魔獣の瘴気に呑まれたそうです」

「「……」」

 結果的に、魔獣の封印は成功した……。
 多くの民と、術者や騎士、そして……、皇帝が心から愛した、皇子と皇女の犠牲と共に。
 
「瘴気に呑まれながらも、お二人は最後まで皇帝さんの力であろうとしたそうです。内側から魔獣の力を弱める為に魔力を行使し、封印が終わるまで……」

 ――決して、瘴気の中から出て来ようとはしなかった。

「当時の皇帝の胸の内を思うと……、辛い話だな」

「だな。自分の娘と息子を失って、民や臣下も失ったんだ……。やりきれねぇよ」

「それでも、皇帝さんは皇国の復興に全力を尽くしたそうです。自分の悲しみや絶望よりも、皇帝としての立場を最後まで貫いて……」

 国内の平穏を取り戻す為、残酷にもその命を散らされた民を弔う為、皇帝であり続けた人。
 そして、魔獣を二度と解き放つ事のないように、ガデルディウスの神殿を建設した。……けれど、魔獣は死んではいない。
 封印された存在は神殿の地下奥深くで今も尚眠り続け、その空間の中では、時が全て凍結されているのだという。
 だから、当時の双子の皇子様と皇女様も、魔獣と一緒に封じられているものの、もしかしたら、まだ生きて眠り続けている可能性もある、と。
 けれど、それを確認しようにも、地下に封じられた魔獣の眠る間に近付く事は出来ない。
 封じられようとも、その溜め込んできた瘴気と有害な魔力が、封印の術が展開している周囲に充満しているからだ。だから、近付く事はなかなか難しく、それ相応の対策と、能力を持つ人でないと、中の様子を探る事も出来ないのだと。
 それからのページは、ガデルフォーン皇国の復興と、皇帝さんがどういう風にその後を生きたかという話が綴られていた。
 命の灯火が消える直前まで、皇帝さんは、大切な子供達を救う道を探し続けたけれど、その願いが叶う事は、……とうとう最期までなかった。
 
「……」

 表紙を閉じた私の視界が、じんわりと涙で滲んでいく。
 心に浮かびあがるのは、過去に失われた人々の命を想っての悲しみと、今もまだ魔獣と共に眠り続けているかもしれない当時の皇子様と皇女様。
 そして……、ディアーネスさんのお兄さん達の事。
 彼らは今も、恐ろしい魔獣の許に囚われたまま、どこにも行けずに縛られている。

「ユキ……、大丈夫か?」

「すみません、アレクさん……」

 アレクさんから差し出されたハンカチを受け取り、目許の涙を拭う。
 私が何を思おうと、涙をどれだけ零そうと、変わる事のない過去。
 力になれる事なんて何ひとつなくて……、それでも、魔獣と一緒に封じられている人々の事を思うと、止め処なく涙がハンカチを濡らしていく。

「ユキちゃん、お待たせー。今日のお茶菓子は、DXチルフェートケーキだよ。ウチの料理長自慢の一品だからね、味は期待して……、あれ?」

 女官さんと一緒に戻って来たサージェスさんが、ハンカチを目許に当てている私を発見すると、首を傾げ……、アレクさんとカインさんを見た。

「君達、何しちゃったの?」

「「何もしてない」」

 テーブルの上にお茶の時間の用意がされていく横で、私はアレクさんとカインさんのせいではないと、今に至る経緯を説明する事になった。
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