先輩に退部を命じられた僕を励ましてくれたアイドル級美少女の後輩マネージャーを成り行きで家に上げたら、なぜかその後も入り浸るようになった件

桜 偉村

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第五章

第125話 巧の異変

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 三葉みわからの告白を受けてから一週間後。
 玲子れいこは相変わらず自分たち以外には若者の見当たらないカフェで、彼と向かい合って勉強していた。

 最初こそ意識してしまっていたが、宣言通り三葉が一切告白のことを持ち出さずに勉強を始めたため、徐々にいつものペースを取り戻していった。

 ——三葉としてはもちろん、好きな人と二人きりなのだから、少しは甘い時間も過ごしたいと思っていた。
 しかし真面目で誠実な——愚直と言ってもいいかもしれない——彼は約束を守ること、すなわち玲子の勉強の邪魔をしないことこそが彼女に好かれる道だと心の奥底から確信していた。
 目先の欲望ではなく将来の願望を見ることで、彼は一層勉強に集中することができていた。

「三葉。ちょっといいか?」
「どうした?」
「この問題なんだが……」
「あぁ、これは——」

 いつものように一時間半から二時間ほど勉強をした。
 最寄り駅までの道で、見知った二人を見つけた。
 紫とルビー色の髪の毛。たくみ香奈かなに相違なかった。

 三葉は気遣わしげに玲子を見た。
 彼女は目を合わせてふっと微笑んだ。

「大丈夫。まだ完全ではないが、結構吹っ切れてきたみたいだ」

 強がりではなかった。
 これまで感じていた胸のざわつきと締め付けられるような苦しさはほとんどなくなっていた。

「……そうか」

 三葉がホッと安堵の息を吐いた。

「すまないな」
愛沢あいざわが謝ることなど何もない」
「ありがとう……だがあの二人、というより如月きさらぎ君の様子が何か少し変じゃないか?」
「そうか? どの辺りが変なんだ?」
「いや、本当になんとなくの感覚なんだが……」

 どこかどうとは言えない。
 それでも、漠然ばくぜんとした違和感を玲子は感じ取っていた。

「珍しく喧嘩でもしたのかもしれないぞ」
「……そうだな」

 玲子は立場上、あの二人の問題に首を突っ込むべきではない。
 ただ喧嘩をしただけには見えなかったが、考えても仕方のないことだと思い直して、それ以上の思考と言及は控えた。

 ——玲子の感じた違和感は、より近くにいた香奈はもちろん感じ取っていた。

 桐海戦が行われた翌日から、少し巧の様子がおかしくなった。ここ数日、ずっとどこか上の空という状態が続いているのだ。
 香奈に対してだけでなく、他の者に対しても同様だった。

 相変わらず甘やかしてはくれるものの、桐海戦のあと以来は性的な接触もない。
 浮気という可能性も頭をよぎったが、どうもそうではなさそうだった。

「巧先輩、巧先輩」
「……えっ、何?」
「聞いてました? 私の話」
「あっ、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」

 やっぱりおかしい、と香奈は思った。ここ数日で何度か行われたこのやりとりは、これまではほとんどなかったものだ。
 昨日彼のお気に入りだった練習着を失くしてしまったらしいが、それが原因ではないだろう。第一、そうだとしたら桐海戦の翌日から様子がおかしいことの説明がつかない。

 桐海戦から一週間後のプレミアリーグ第十六節でも、巧は本調子とはほど遠かった。
 彼が出場していた前半の四十分で、咲麗しょうれいは二点のビハインドを負った。

 後半に一点を返したが、反撃も及ばず、手痛い敗戦を喫した。
 同日に桐海が勝利したため、一週間で首位の座から陥落した。

 香奈が問い詰めても、彼はちょっと最近調子が良くなくてさ、と言うのみだった。
 あんまり体調良くないから早めに休むと言われれば、香奈も家を辞去するしかなかった。

 翌朝、巧はいくらか持ち直しているように見えた。
 プレーにも少しだけではあるが、本来の輝きが戻っていた。

 もしかしたら本当に特別なことはなくて、ただ調子が悪かっただけなのかもしれないと香奈は思った。
 しかし、一度部室に用具を取りに戻ってから、再び彼の様子はおかしくなった。

 それまでよりも明らかに身が入っておらず、らしくないミスを連発した。
 明らかに異常だった。香奈は練習が終わったら即座に家に連れ帰って問い詰めようと決めた。

 ——しかし、その前に事態は急変した。

「がっ……⁉︎」

 ぼーっとしていたのだろうか。
 巧は自分のほうに飛んできたボールを顔面に受け、倒れ込んだ。

「先輩っ⁉︎」
「巧!」
如月きさらぎ君⁉︎」

 香奈は巧の元へすっ飛んでいった。他のメンバーもわらわらと集まってきた

「っ……!」

 巧は顔を押さえたままその場でうずくまって悶絶している。
 意識はあるようだ。

「早く保健室に連れて行こう。誠治せいじ、頼む」
「はいっ」

 誠治がしゃがみ込んだ。他の部員たちが協力して、巧を背中に乗せた。

「私も着いていきます」
「あぁ、頼んだ」

 キャプテンの飛鳥あすかの許可をとり、香奈は誠治の後に続いた。
 保健の先生はいなかった。とりあえず巧をベッドに寝かせた。

「二人ともごめん……」
「おう、気にすんな」
「先輩は安静にしていてくださいね」

 幸いというべきか、目や鼻などに大したダメージはないようだった。出血も見当たらない。
 香奈と誠治は氷水を見つけ出し、巧の顔に押し当てた。

かがり先輩は練習に戻ってください。私が見ていますから」
「おう。巧、お大事にな」
「うん、ありがとう」

 一人の部員が怪我をしたからといって、練習は中断しない。
 誠治は心配そうな表情を浮かべつつも、保健室を出て行った。

「先輩、気分や痛みはどうですか?」
「顔の右側は痛いけど、今のところ頭痛とかはないよ」
「よかったです。ただ、頭痛とかは後になって現れる場合もあるので、このまま安静にしていましょう」

 香奈は努めて優しく言った。
 言いたいこと、聞きたいことはたくさんあったが、今は傷の度合い——病院を受診する必要があるのかということを見定めることが必要だ。

 少し経つと、巧がうつらうつらし始めた。よく見ると、目の下にはうっすらとクマができていた。

「眠っちゃってもいいですよ」
「うん……」

 香奈は巧の代わりに氷水の入った袋を押さえた。
 ありがとう、と寝ぼけた声で言った後、彼はすぐに寝息を立て始めた。

 しばらくすると、彼はうんうんうなされ始めた。

「先輩、先輩」

 香奈が肩を叩いて声をかけると、巧はうっすら目を開けた。
 額には脂汗が浮いている。

「大丈夫ですか?」
「うん……」

 巧がふぅ、と息を吐いた。
 香奈はタオルを濡らして絞った。

「結構汗かいてるので、これで拭いてください」
「ありがとう」

 巧が服にタオルを入れて体を拭く。シャツがめくれて腹筋があらわになった。
 普段なら腹ちらに興奮するところだが、今の香奈はまったくそういう気分にはならなかった。

 汗の処理を終えたところで、誠治と冬美が姿を現した。
 練習着からポロシャツに着替えていた誠治は、カバンを二つ持っていた。

「練習終わったんですか?」
「えぇ。みんな心配していたけど、大勢で押しかけるわけにもいかないから私たちが代表として来たわ」
「巧、カバン持って来てやったぞ」
「うん、ありがとう。久東くとうさんも」

 巧のお礼に対し、冬美は小さくうなずいた。

「体調はどうかしら。吐き気や頭痛はない?」
「特にそういうのはないよ。ボールが当たった部分は痛いけど」
「そう。ひとまず病院へ行く必要はなさそうね」

 冬美と香奈、誠治はホッと息を吐いた。
 三人で顔を見合わせ、うなずき合った。

 香奈は巧の瞳を覗き込むようにしながら、

「先輩。何があったんですか?」
「……何が?」
「誤魔化すな」

 誠治が鋭い声を出した。

「お前が練習中にあんだけ集中欠いてるなんて、どう見ても普通じゃねーだろ」
「桐海戦の翌日あたりからおかしかったわよね。みんな気づいていたわ」
「えっ……」

 冬美の言葉に、巧が目を見開いた。

「今日、途中で部室行ってからもおかしくなりましたよね」

 香奈の指摘に、彼はスッと視線を逸らした。

「先輩、話してください。何があったんですか?」

 香奈は有無を言わせない口調で問いかけた。
 こうして怪我もしたのだ。もう彼が自分から口を割るまで待つなどという悠長な選択をしている場合ではない。

 三人からの鋭い視線を受け、巧は観念したように息を吐いた。

「……誠治。僕のバック開けてみて」
「おっ? おう……あれ、これお前が失くしてた練習着——」

 誠治が息を呑んだ。

「お、おい、なんだよこれ……!」
「誠治、どうしたの?」
「何があったんですか?」

 誠治が無言で巧の練習着を取り出し、広げてみせた。

「「なっ……⁉︎」」

 香奈も冬美も言葉を失った。
 数日前に紛失したはずの巧のお気に入りだった練習着は、ズタズタに切り裂かれていた。
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