予知姫と年下婚約者

チャーコ

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特別編

夏休み

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 夏休みが近くなり、自宅で予定を征士くんと話していた。

「今年は忙しくて……。あまりまとまった休みが取れそうにありません」
「私もよ。連休が取れないわ」

 あまりお休みがなくても、家族の皆で夏の思い出は作りたい。考え込んだ末、ふと一つのことが頭に浮かんだ。

「あ、そうだわ。しばらく行っていないんだけれど、プライベートビーチ付きの別荘があるのよ。あそこに一泊二日なんてどうかしら」

 私の提案に、征士くんはびっくりしたような顔をした。

「プライベートビーチ、ですか?」
「ええ、そうよ。話していなかったかしら。ここから車で二時間半くらいのところに、うちの別荘があるのよ」

 海に程近い場所に、虹川家所有の別荘がある。征士くんは初耳だったようだ。驚いた表情のまま、それでも言った。

「さすがは虹川の家ですね。プライベートビーチ付きの別荘なんて、普通は持っていませんよ。いいですね。では家族四人でその別荘へ行きましょうか」

 賛成してくれたので、お休みは私と征士くんと娘二人とともに、海辺の別荘へ行くことに決めた。

 ♦ ♦ ♦

 休暇になった。運転手さんに車で別荘まで連れて行ってもらった。明日また迎えに来てくれる手筈である。
 暑い日差しの中でも、青い海が見える綺麗な景色に、娘二人は大喜びだ。

「お父様、お母様、早く海に入りましょう」
「落ち着きなさい、ちーちゃん。もう中等部一年生なんだから」

 征士くんがたしなめても、知乃は興奮を隠せない様子。夢乃も目が海に釘付けである。私は苦笑いした。

「ちーちゃん、夢ちゃん。まずは荷物を片付けましょう。それから着替えて、海に行きましょうね」

 四人で別荘の中へ入る。自宅よりは狭いけれど、リビングもそれなりに広く、寝室も二部屋ある。知乃が発案した。

「私と夢ちゃんは一緒の部屋で眠ります。お父様とお母様は、お二人でごゆっくりお過ごしください」

 からかいを含んだ声音でそう言った。知乃は、私と征士くんが仲良くしているのを、いつも楽しそうに見守ってくれる。よく出来た娘だ。夢乃まで同調した。

「そうですよ。私はお姉様と二人で眠ります。もう初等部一年生ですから、大丈夫です」

 私と征士くんは顔を見合わせ、二人で照れてしまった。仲良し過ぎる私達を、知乃と夢乃は理解してくれて、なおかつ喜んで受け入れてくれる。私達には過ぎた娘二人で、心底感謝する。
 お言葉に甘えて、私と征士くんは二人で寝室に入った。ベッドはセミダブルが二つ。それぞれ荷物を片付け、水着に着替えた。

「え……。月乃さん、ビキニですか?」

 着替えた私を見て、征士くんは目を見張っている。ビキニではいけなかっただろうか。デザインが気に入って、この間衝動買いしてしまった水着だ。

「ビキニじゃダメだったかしら。そんなに露出していないでしょう。家族だけだしね。プライベートビーチだから、他に誰も見る訳じゃないし」

 好きな淡い紫色ベースの、細かい花柄のビキニである。征士くんはしばらく黙って私を見つめていたが、白いパーカーを私に着せかけた。

「何で、パーカー着せるの……?」
「そんな魅力的な月乃さんは、誰にも見せたくないからです」

 言い切った征士くんに、呆れてしまった。

「だって見るのは、征士くんと、ちーちゃんと、夢ちゃんだけでしょ」
「それでも許せません。僕が月乃さんの水着を選べば良かったです」

 この夫は、私をどう見ているのだろう。仕方がないので、新しいパーカーに袖を通した。私がどんな水着を着ていても、所詮は十人並みの顔であることは自覚している。征士くんこそ水着が似合っていて、よっぽど魅力的だ。

「征士くんの水着姿いいわね」
「そうですか? ごく普通のサーフパンツなんですけどね」

 鍛えられた身体にゆったりシルエットの膝丈水着が似合っている。……内緒だが見惚れてしまった。征士くんは、今でもテニスを続けている。なので、ずっと体型は変わらない。程良く筋肉のついた身体に、更にとんでもない程の美形なので、水着姿に魅了されてしまった。……彼には告げないけれど。

「お父様、お母様。支度は出来ましたか?」

 扉の外から聞こえてきた知乃の声に、我に返った。夫に見惚れている場合ではない。慌てて返事をする。

「出来ているわ。リビングで待っていてね」
「わかりました」

 私と征士くんは必要なものを持って、リビングへ向かった。

 ♦ ♦ ♦

 四人で分担して、ビーチパラソルやゴムボートやシート、浮き輪やタオルなどを持ち、浜辺へ向かった。知乃と夢乃は、お揃いの水玉模様のワンピース水着である。征士くんによく似ているので、やはり並外れた美形姉妹だ。プライベートビーチで良かった。親馬鹿だが、この美形姉妹の水着姿を他人に見られたら、誘拐されてしまうのではないだろうかと思ってしまう。

「海ですね! 嬉しいです!」
「すごく青くて綺麗ですね!」

 砂浜で、すぐにでも海へ入ろうとする二人を私は引き止めた。

「待ちなさい! ちゃんと日焼け止め塗って。準備運動もするのよ」

 色白なのは、私譲りの娘達である。日焼け止めを塗らないと、火傷状態確実だ。私の言葉に、二人は引き返してきた。

「はーい……」
「お姉様、早く私に日焼け止め塗って!」

 お互いに日焼け止めを塗っているのを見ながら、私も自分の身体に塗り込む。手の届かないところは、征士くんが塗ってくれた。

「肌をきちんと守らないと。月乃さんは色白で綺麗なのですから」

 背中にたっぷり塗ってくれた。私はお礼を言った。

「ありがとう。征士くんは大丈夫?」
「僕は大丈夫です。男ですから、気にしないでください」

 征士くんも色が白い方だと思うが。どうして日焼け止めを塗らないのに、平気なのか不思議である。
 ともかく日焼け止めを塗り終えたので、娘達は入念に体操してから、改めて海に入った。夢乃はまだ七歳なので、征士くんが付いている。浮き輪ごと押されて夢乃ははしゃいでいた。知乃は運動が不得手だが、そこそこは泳げるので、深くないところで楽しそうに泳いでいる。私はそれを見ながら、ゴムボートで海に出た。

「気持ちいいわね……」

 波間をゴムボートで漂いながら、私は呟いた。潮風が心地良い。時折吹き上げられた飛沫に目を細める。ゆらゆらたゆたいながら、段々と眠くなってきた。ほんの少しだけうつらうつらとしていたら、気が付いた時には皆から遠くなっていた。

「あ……」

 戻らなければ。そう思った途端、大きな波が押し寄せてボートが引っくり返ってしまった。海の中に放り出される。

「きゃっ!」

 小さく悲鳴を上げながら沈んでいくと、急に腕を引っ張り上げられ、海から顔が出せた。私は飲み込んでしまった海水で咳き込んだ。背中を擦ってくれる手。少し経って落ち着いたので、私は振り返った。

「大丈夫? オネーサン」

 視界に入ったのは見知らぬ青年だった。私より若い男性だ。なかなか整った顔立ちに、肩までの金色に近い髪の毛。心配そうに私の背中をまだ撫でてくれている。

「……だ、いじょうぶです。ありがとうございます」

 幾分か詰まりながらもそう言うと、青年は安心したように笑った。

「良かった。オネーサン、砂浜まで連れて行ってあげるね」

 ゴムボートを直してくれて、私を乗せて、青年は砂浜まで送ってくれた。再度私はお礼を伝える。

「何から何までありがとうございました。助かりました」
「いえいえ、どういたしまして。こんなキレーなオネーサン助けられて俺こそ役得かな。パーカーびしょ濡れだよ。脱いだ方がいいんじゃない?」

 言われてみてパーカーに目を落とすと、確かに濡れて重くなっている。肌に張り付いたパーカーを脱ぐと、身軽になった。括っていた髪も下ろすと、青年は目を見開いた。

「うわ、マジでオネーサン美人さんだね。スタイル良いし、髪めっちゃキレイ」
「え、っと。そうですか? あまりそんなこと言われたことないので……」

 私のことを褒めてくれるのなんて、征士くんくらいだ。どう返事して良いかわからない。

「いやいや、真面目にオネーサン美人だよ。言われたことないなんて、周りの連中は何見ているんだろうね」

 青年が私に微笑みかける。私はすっかり困惑してしまった。今まで私を褒めてくれたのなんて征士くんだけだから、本当に何て答えれば良いのか。器量が十人並みなのは承知している。

「ええと……」

 返答に困っていたら、突然肩を抱かれた。

「僕の妻に何をしているんですか?」

 私の身体を抱き寄せてきたのは征士くんだった。険しい表情で青年を睨み付けている。

「え……。妻って、オネーサンはキミの奥さんなの?」
「そうですよ。僕の妻に言い寄らないでください。世界一美しい妻ですから、誘惑したくなる気持ちもわかりますが」

 思いがけない展開に、私は動揺してしまった。慌てて口を挟む。

「征士くん、違うのよ。この人は私を助けてくれたの」

 いきさつを説明すると、征士くんは険しい表情をやや緩めた。それでも強く肩を抱いている。

「失礼いたしました。僕のがお世話になりました。ありがとうございました」
「……いえ」

 ……そこまで「妻」を強調しなくても良いのではないか。金髪の青年も若干引き気味だ。それはそうだろう。全くこの夫は過保護過ぎる。私は頭を下げた。

「誠に大変・・失礼しました。ありがとうございました」

 私も「大変」を強調してみた。助けてもらったのに実に申し訳ないことをした。青年はそれを聞いて軽く笑う。金色の細い髪が可笑しそうに揺れた。

「仲の良いご夫婦さんで。オネーサン……奥さん、美人さんだってわかられているじゃん。いつまでも幸せにね」

 じゃあね、と言って青年は去っていった。私は背中にもう一度頭を下げた。ひたすら申し訳ない。良い人だったのに、無礼ではなかっただろうか。まだ私を離さない征士くんを見上げる。

「ちょっと、征士くん。失礼にも程があるわよ。大体……」

 文句を口に出そうとしたら、塞がれた。彼の唇で塞がれ、物理的に無理だった。
 誰もいない砂浜で長いキス。強く抱きしめられ、逃れることが出来ない。ようやく離れた時には、息がすっかり上がってしまった。

「な、にする、のよ……」
「月乃さんが無自覚過ぎるのがいけないんです。もっと自分が綺麗で可愛いことを把握してください。いつでも僕が守りたいですけど、まずは自覚してもらわないと」

 征士くんは呼吸も乱さず、すごい勢いで言った。ゴムボートと私の手を取り、歩き始める。

「月乃さん。自分が美しいこと、認識してくださいね」
「そ、そうかしら……?」
「そうなんです」

 既に辺りは夕焼け色に染まり始めている。まだ砂は熱を持っていて、素足で歩くと僅かに気になった。下を向くと、手を繋いだ私達の影が地面に伸びている。

「このまま、ちーちゃんと夢ちゃんのところに戻るの?」

 手を繋いだままの姿を、娘達に見られるのは恥ずかしい。だが、征士くんは気にも留めていないようだ。

「夫婦だから、このままでいいんです」
「そういうものなの?」

 さすがに笑いが込み上げた。征士くんはいっそ清々しい。……夫婦なのは事実なので、許してあげようとする私も、大概彼に甘い。つい、言葉にしてしまった。

「征士くん……好きよ」
「僕の方がもっと好きです。愛しています」

 間髪を容れずに返ってきた答えに大笑いした。私の笑い声と波の音が重なる。

「私も、愛しているわ」

 橙色の浜辺で手を繋ぎ、娘二人のところへ帰った。知乃と夢乃は、笑って迎えてくれた。優しい娘達だ。
 別荘で夕食後、征士くんと寝室で二人きりになった。彼は私が座るベッドに並んで座った。身体をぴったりくっつける。

「月乃さん、月乃さん」
「何かしら? 征士くん」
「月乃さんは僕だけじゃなくて、皆から愛される要素を持っていることを知ってくださいね」

 大袈裟だと思うが、私は征士くんの黒髪を撫でた。

「……知るように努力してみるわ」
「約束してください」

 撫でていた手を掴まれ、引き寄せられる。再び彼の唇で口を塞がれた。……これが、約束かしら。長い長い口付け。私は目を瞑り、キスに応えた。
 部屋の中には、外から聞こえてくる波音だけが響いていた。
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