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第8章 崩れない仮面
カイル殿下が執務室で頭を抱え、情けない声を上げている間も、私の脳内では瞬時に「盤面」が再構築されていました。
「北方の族長たちが、リオネル様の軍を包囲……。殿下、その報告の出処は? 斥候の報告書をここへ。それと、現在の第一補給路の積雪状況、および中央軍の予備食糧の目録を、今すぐ」
私の矢継ぎ早な指示に、カイル殿下は呆気に取られたように目を丸くしました。
「あ、ああ……分かった。だが、そんなものを集めてどうするんだい? 軍を動かすには大臣たちの承認が――」
「承認など待っていては、リオネル様は雪山の露と消えますわ」
私は立ち上がり、殿下の机に両手を突いて覗き込みました。
「殿下、あなたは理想を語るのがお仕事ですが、私は現実を動かすのが仕事です。……いいですか、殿下。私にすべてを任せると、ここでお約束ください」
私の瞳に宿る、絶対的な自信。
カイル殿下は、まるで見知らぬ猛獣を目の当たりにしたかのように、こくりと喉を鳴らして頷きました。
「……分かった。すべて、君の指示に従おう」
その言葉を聞くや否や、私は仮面を完璧に固定しました。
『強い私』――それはもはや呪いではなく、愛する人を守るための武装です。
それからの私は、まさに嵐のような働きでした。
アメリア様の泣き言も、中央貴族たちの嫌がらせも、すべて事務的に切り捨てます。
「セレフィナ様、そんな勝手な兵糧の融通は……!」
「静かにしてください。これは伯爵家の私産を用いた『売買』です。文句があるなら、アルヴェイン家と絶縁してからおっしゃることですね」
商人の才と、戦時補給の経験。それらすべてを総動員し、私は不可能を可能に変えていきました。
けれど、体力の限界は刻一刻と近づいています。三日間、一睡もせず、食事も喉を通らないまま。
深夜、書庫室の床に散らばった地図を見つめていた時、不意に視界が真っ暗になりました。
「……っ、あ」
膝から崩れ落ちそうになった私の体を、誰かが後ろから支えました。
リオネル様の匂いを期待しましたが、そこにいたのは、青い顔をしたアメリア様でした。
「セレフィナ! 大丈夫? 顔色が……本当に死人みたいよ……」
「……アメリア様。大丈夫です、私は平気ですから。……さあ、この書類にサインを。これで補給部隊が動けますから」
震える手でペンを差し出す私に、アメリア様は初めて、恐怖を覚えたような顔をしました。
「……あなた、壊れているわ。どうして、そこまでしてリオネル様を……自分の身を削ってまで……」
「……壊れてなどいませんわ。私は、自分の価値を証明しているだけです」
私は無理やり微笑みました。
けれど、心の中ではリオネル様のあの言葉が反芻されていました。
――『強い者を使い潰す国に未来はない』。
もし、私がここで倒れたら。
もし、リオネル様が戻ってこなかったら。
この国は、アメリア様もカイル殿下も、無知という名の罪に溺れて沈んでいくでしょう。
「……行かなければ。直接、北方の族長に会える場所に……」
「何を言っているの!? 側妃が戦場に近い場所へ行くなんて……!」
「アメリア様。……あなたは、ここで『完璧な妃』を演じ続けてください。泥を被るのは、私の役目です」
私は彼女の手を振り払い、夜の闇へと駆け出しました。
翌朝、私は馬を飛ばし、王都郊外にある秘密の会合場所へと向かっていました。
そこには、かつて父と取引のあった、北方連合に繋がる「闇の仲裁人」が潜んでいるはずです。
冷たい朝霧が、私の頬を叩きます。
寝不足と過労で指先は震え、馬の手綱を握る力も限界でした。
(待っていてください、リオネル様。……あなたが私を見つけてくれたように、今度は私が、あなたを盤上から救い出してみせますから)
不意に、背後から荒々しい蹄の音が近づいてきました。
刺客か、あるいは追手か。
私は剣も持たぬまま、懐に忍ばせた「劇薬」の小瓶を握りしめました。
「止まれ! そこで何をしている!」
現れたのは、王宮警備隊の一部隊――いいえ、それはリオネル様を慕う、彼の部下たちでした。
「セレフィナ殿下……!? なぜ、お一人でこのような場所に!」
「……騎士様。私を、北の国境まで連れて行きなさい。……リオネル様を、救う方法を見つけましたわ」
朝日に照らされた私の顔は、冷酷なまでに美しく、そしてボロボロでした。
「北方の族長たちが、リオネル様の軍を包囲……。殿下、その報告の出処は? 斥候の報告書をここへ。それと、現在の第一補給路の積雪状況、および中央軍の予備食糧の目録を、今すぐ」
私の矢継ぎ早な指示に、カイル殿下は呆気に取られたように目を丸くしました。
「あ、ああ……分かった。だが、そんなものを集めてどうするんだい? 軍を動かすには大臣たちの承認が――」
「承認など待っていては、リオネル様は雪山の露と消えますわ」
私は立ち上がり、殿下の机に両手を突いて覗き込みました。
「殿下、あなたは理想を語るのがお仕事ですが、私は現実を動かすのが仕事です。……いいですか、殿下。私にすべてを任せると、ここでお約束ください」
私の瞳に宿る、絶対的な自信。
カイル殿下は、まるで見知らぬ猛獣を目の当たりにしたかのように、こくりと喉を鳴らして頷きました。
「……分かった。すべて、君の指示に従おう」
その言葉を聞くや否や、私は仮面を完璧に固定しました。
『強い私』――それはもはや呪いではなく、愛する人を守るための武装です。
それからの私は、まさに嵐のような働きでした。
アメリア様の泣き言も、中央貴族たちの嫌がらせも、すべて事務的に切り捨てます。
「セレフィナ様、そんな勝手な兵糧の融通は……!」
「静かにしてください。これは伯爵家の私産を用いた『売買』です。文句があるなら、アルヴェイン家と絶縁してからおっしゃることですね」
商人の才と、戦時補給の経験。それらすべてを総動員し、私は不可能を可能に変えていきました。
けれど、体力の限界は刻一刻と近づいています。三日間、一睡もせず、食事も喉を通らないまま。
深夜、書庫室の床に散らばった地図を見つめていた時、不意に視界が真っ暗になりました。
「……っ、あ」
膝から崩れ落ちそうになった私の体を、誰かが後ろから支えました。
リオネル様の匂いを期待しましたが、そこにいたのは、青い顔をしたアメリア様でした。
「セレフィナ! 大丈夫? 顔色が……本当に死人みたいよ……」
「……アメリア様。大丈夫です、私は平気ですから。……さあ、この書類にサインを。これで補給部隊が動けますから」
震える手でペンを差し出す私に、アメリア様は初めて、恐怖を覚えたような顔をしました。
「……あなた、壊れているわ。どうして、そこまでしてリオネル様を……自分の身を削ってまで……」
「……壊れてなどいませんわ。私は、自分の価値を証明しているだけです」
私は無理やり微笑みました。
けれど、心の中ではリオネル様のあの言葉が反芻されていました。
――『強い者を使い潰す国に未来はない』。
もし、私がここで倒れたら。
もし、リオネル様が戻ってこなかったら。
この国は、アメリア様もカイル殿下も、無知という名の罪に溺れて沈んでいくでしょう。
「……行かなければ。直接、北方の族長に会える場所に……」
「何を言っているの!? 側妃が戦場に近い場所へ行くなんて……!」
「アメリア様。……あなたは、ここで『完璧な妃』を演じ続けてください。泥を被るのは、私の役目です」
私は彼女の手を振り払い、夜の闇へと駆け出しました。
翌朝、私は馬を飛ばし、王都郊外にある秘密の会合場所へと向かっていました。
そこには、かつて父と取引のあった、北方連合に繋がる「闇の仲裁人」が潜んでいるはずです。
冷たい朝霧が、私の頬を叩きます。
寝不足と過労で指先は震え、馬の手綱を握る力も限界でした。
(待っていてください、リオネル様。……あなたが私を見つけてくれたように、今度は私が、あなたを盤上から救い出してみせますから)
不意に、背後から荒々しい蹄の音が近づいてきました。
刺客か、あるいは追手か。
私は剣も持たぬまま、懐に忍ばせた「劇薬」の小瓶を握りしめました。
「止まれ! そこで何をしている!」
現れたのは、王宮警備隊の一部隊――いいえ、それはリオネル様を慕う、彼の部下たちでした。
「セレフィナ殿下……!? なぜ、お一人でこのような場所に!」
「……騎士様。私を、北の国境まで連れて行きなさい。……リオネル様を、救う方法を見つけましたわ」
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