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第9章 国王の視線
極寒の北境。雪がすべてを白く塗りつぶす過酷な地で、私はついに彼を見つけました。
急造の陣幕、篝火の爆ぜる音。馬から転げ落ちるように降りた私の目に飛び込んできたのは、返り血を浴び、鬼神のような形相で地図を睨みつけるリオネル様の姿でした。
「……セレフィナ? 幻か、これは」
彼が呆然と呟き、剣を落として駆け寄ります。私の凍えきった体を、彼の厚い胸板が、熱い腕が、壊れ物を扱うように強く抱きしめました。
「馬鹿か、あんたは! こんな戦場に、なぜ……!」
「……補給の、目処を……つけましたわ。それと、族長への、親書も……」
言葉を最後まで紡ぐ前に、視界が急激に暗転しました。三日間の不眠不休、そして馬を飛ばし続けた代償。私は彼の腕の中で、深い闇へと沈んでいきました。
次に目を覚ました時、私は揺れる馬車の中にいました。
首元まで毛皮に包まれ、手元には懐かしい革の匂いのするスカーフ。
「……ここは?」
「王都へ向かう馬車だ。あんたが持ち込んだ補給物資と交渉材料のおかげで、戦況は一変した。族長どもは矛を収め、俺の軍は凱旋することになったんだ」
傍らで私を見守っていたリオネル様が、安堵したように息を吐きました。彼は私の頬にそっと触れ、その指先で涙を拭うように優しく撫でます。
「だが、あんたは王宮へ戻る必要はない。そのまま伯爵邸へ送ってやる」
「……いいえ、リオネル様。私を呼んでいる方がいらっしゃいますから」
王宮へ戻った私を待っていたのは、病床の国王陛下からの召喚状でした。
重厚な扉が開き、死の香りが漂う寝所へと入ります。そこには、王国のすべてを見通してきた老王が、青白い顔で横たわっていました。
「……よく来た、セレフィナ・アルヴェイン。いや、我が国の影の王妃よ」
国王の掠れた声に、私は深く膝を折りました。
「もったいないお言葉です、陛下。私はただの側妃、それも契約の身に過ぎません」
「ふん、謙遜はよせ。カイルが投げ出し、アメリアが壊した盤面を、たった一人で修復したのはお前だ。……お前がいなければ、この国は北の雪に埋もれていたであろう」
国王は苦しげに咳き込み、震える手で私の手を取りました。その眼差しは、父様の「期待」とも、カイル殿下の「依存」とも違う、すべてを悟った者の哀れみに満ちていました。
「お前は強い。ゆえに、皆がお前に甘え、お前を礎にしようとする。……だがセレフィナ。君は、王妃になれたかもしれぬな」
その一言に、私の心臓が大きく跳ねました。
「……ですが、陛下。私は中立派の娘。政略的にそれは――」
「法や派閥などは、王の一言でどうとでもなる。私が悔いているのは、お前を『駒』としてしか使わなかったこの国の愚かさだ。……カイルもアメリアも、お前の献身という毒に酔いしれ、自ら歩むことを忘れてしまった。あれらは、王にはなれぬ」
国王の言葉は、残酷な真実でした。
私が完璧であればあるほど、周囲は無能になっていく。私が耐えれば耐えるほど、国は腐っていく。
「お前は、この盤面をどうしたい? 復讐か、あるいは再建か」
「……私は」
私はそっと、扉の向こうで控えているであろうリオネル様の気配を感じました。
「私は、盤面から『静かに消える』ことを望みます。……ただし、利用された一年の清算は、きっちりとさせていただきますわ」
国王は、満足げに目を細めました。
「……よかろう。お前の望む通りの証拠と、力を与えよう。お前を使い潰そうとした者たちに、真の『強さ』を教えてやるがいい」
部屋を出ると、リオネル様が壁に背を預けて立っていました。
彼は何も言わず、私の手を取り、その指先を自分の髪に導きました。
「……終わったか」
「ええ。国王陛下から、最高の『贈り物』をいただきましたわ」
私は彼の広い背中に額を預け、静かに微笑みました。
一年の契約満了まで、あとわずかです。
急造の陣幕、篝火の爆ぜる音。馬から転げ落ちるように降りた私の目に飛び込んできたのは、返り血を浴び、鬼神のような形相で地図を睨みつけるリオネル様の姿でした。
「……セレフィナ? 幻か、これは」
彼が呆然と呟き、剣を落として駆け寄ります。私の凍えきった体を、彼の厚い胸板が、熱い腕が、壊れ物を扱うように強く抱きしめました。
「馬鹿か、あんたは! こんな戦場に、なぜ……!」
「……補給の、目処を……つけましたわ。それと、族長への、親書も……」
言葉を最後まで紡ぐ前に、視界が急激に暗転しました。三日間の不眠不休、そして馬を飛ばし続けた代償。私は彼の腕の中で、深い闇へと沈んでいきました。
次に目を覚ました時、私は揺れる馬車の中にいました。
首元まで毛皮に包まれ、手元には懐かしい革の匂いのするスカーフ。
「……ここは?」
「王都へ向かう馬車だ。あんたが持ち込んだ補給物資と交渉材料のおかげで、戦況は一変した。族長どもは矛を収め、俺の軍は凱旋することになったんだ」
傍らで私を見守っていたリオネル様が、安堵したように息を吐きました。彼は私の頬にそっと触れ、その指先で涙を拭うように優しく撫でます。
「だが、あんたは王宮へ戻る必要はない。そのまま伯爵邸へ送ってやる」
「……いいえ、リオネル様。私を呼んでいる方がいらっしゃいますから」
王宮へ戻った私を待っていたのは、病床の国王陛下からの召喚状でした。
重厚な扉が開き、死の香りが漂う寝所へと入ります。そこには、王国のすべてを見通してきた老王が、青白い顔で横たわっていました。
「……よく来た、セレフィナ・アルヴェイン。いや、我が国の影の王妃よ」
国王の掠れた声に、私は深く膝を折りました。
「もったいないお言葉です、陛下。私はただの側妃、それも契約の身に過ぎません」
「ふん、謙遜はよせ。カイルが投げ出し、アメリアが壊した盤面を、たった一人で修復したのはお前だ。……お前がいなければ、この国は北の雪に埋もれていたであろう」
国王は苦しげに咳き込み、震える手で私の手を取りました。その眼差しは、父様の「期待」とも、カイル殿下の「依存」とも違う、すべてを悟った者の哀れみに満ちていました。
「お前は強い。ゆえに、皆がお前に甘え、お前を礎にしようとする。……だがセレフィナ。君は、王妃になれたかもしれぬな」
その一言に、私の心臓が大きく跳ねました。
「……ですが、陛下。私は中立派の娘。政略的にそれは――」
「法や派閥などは、王の一言でどうとでもなる。私が悔いているのは、お前を『駒』としてしか使わなかったこの国の愚かさだ。……カイルもアメリアも、お前の献身という毒に酔いしれ、自ら歩むことを忘れてしまった。あれらは、王にはなれぬ」
国王の言葉は、残酷な真実でした。
私が完璧であればあるほど、周囲は無能になっていく。私が耐えれば耐えるほど、国は腐っていく。
「お前は、この盤面をどうしたい? 復讐か、あるいは再建か」
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私はそっと、扉の向こうで控えているであろうリオネル様の気配を感じました。
「私は、盤面から『静かに消える』ことを望みます。……ただし、利用された一年の清算は、きっちりとさせていただきますわ」
国王は、満足げに目を細めました。
「……よかろう。お前の望む通りの証拠と、力を与えよう。お前を使い潰そうとした者たちに、真の『強さ』を教えてやるがいい」
部屋を出ると、リオネル様が壁に背を預けて立っていました。
彼は何も言わず、私の手を取り、その指先を自分の髪に導きました。
「……終わったか」
「ええ。国王陛下から、最高の『贈り物』をいただきましたわ」
私は彼の広い背中に額を預け、静かに微笑みました。
一年の契約満了まで、あとわずかです。
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