6 / 20
第6章 氷の将軍
しおりを挟む
冬の風はまだ厳しく、庭の雪もなかなか溶けません。
それでも、少しずつ春の兆しが見えてきました。
この領地に来てから、もう十日ほどが経ちます。
最初に見た荒れた庭も、今では穏やかな景色に変わりつつありました。
「アメリア様、お花の芽が……!」
「本当? まあ……!」
地面を押し分けるようにして、小さな花のつぼみが顔を出していました。
その可憐な黄色を見た瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなります。
「よかった……これで、この庭にも春が来ますね」
兵士たちも顔を見合わせて笑いました。
あの無骨だった人たちが、今では花壇の水やりまでも手伝ってくれるようになったのです。
「ほんと、不思議な娘さんだよな。将軍まで様子を見に来るなんて」
「え、えっ、将軍が!?」
思わず振り返ると、遠くの回廊から見慣れた黒衣の背中がありました。
庭を見下ろす位置に立ち、静かにこちらを見ています。
ゆらぐ雪空を背に、まるで氷の彫刻のように美しい。
「……今日も“監視”でしょうか」
「違うと思いますぜ」
兵士たちがにやりと笑って去っていきました。
頬が少し熱くなるのを、冷たい風のせいにしました。
~~~~~~~~~~
その夜。
王都では考えられないほど静かな夜が訪れます。
暖炉の火がぱちぱちと音を立て、木の芳ばしい香りが部屋に満ちていました。
ふと廊下を歩いていると、訓練場の方から鉄の音が聞こえました。
気になって外へ出てみると、夜明け前の空の下で――
ライナルト様が一人、剣を振っていました。
「……こんな時間に……」
夜明けの冷気の中、息さえも白くなるほどの寒さ。
それでも彼の動きは静かで力強く、氷を砕くように鋭く正確でした。
「剣は嘘をつかない。誤魔化せば、命を奪われる。」
独り言のように呟く声が耳に届きました。
思わず立ち止まり、見惚れてしまいます。
その表情は、鋼の面影の中にどこか悲しげで――。
「……アメリアか」
気づかれていました。
振り向いた彼の額に、薄い汗が光っています。
「申し訳ありません、驚かせてしまって」
「いや。見物客は久しぶりだ」
そう言って剣を鞘に収める仕草が、どこか穏やかで優雅でした。
寡黙な将軍――というより、本当はとても繊細な人なのかもしれません。
「夜明け前から訓練されているのですか?」
「眠れない夜もある。昔の戦のことを思い出す」
「……“氷の将軍”と呼ばれているのは、その戦のせいですか?」
聞いた瞬間、胸がどくんと鳴りました。
失礼かもしれないと思ったのに、彼は静かに頷きました。
「そうだ。三年前の北方戦で、多くの部下を失った。守れなかった命の分だけ、心が凍った」
低く落ち着いた声に混じる、痛みの響き。
雪の冷たさよりも静かに、心に沁みてきました。
「……ライナルト様」
「民は俺を“冷たい将軍”と呼ぶ。だが、戦場で泣く時間があれば、誰かを救えたかもしれない。だから凍るしかなかった」
そう言って彼は微かに笑いました。
その笑顔があまりにも哀しくて、見ていられませんでした。
ふらりと歩み寄って、無意識に手を伸ばしてしまったのです。
「……それでも、凍らない心もあります。
誰かを想う気持ちは、きっと消えないから」
自分でも驚くほど自然に出た言葉でした。
指先が、ライナルト様の手の甲に触れた瞬間、彼は息をのんだように動きを止めました。
「アメリア……」
呼ばれた名前が、そのまま心の奥に落ちていきます。
その声は、雪を溶かすように優しかった。
わたしたちは小さく笑って、視線を交わしました。
「寒いでしょう。中に入れ」
「はい。けれど――」
言いかけて、思いきって言葉を継ぎました。
「もしまた夜眠れない時があったら……お話を聞かせてください。
戦のことでも、昔のことでも。黙って聞くくらいなら、得意です」
ライナルト様はほんの一瞬だけ驚いたように目を見開き、それからわずかに口角を上げました。
「変わった娘だな。……だが、頼もしい」
その笑顔はどこまでも静かで、そしてやさしかった。
~~~~~~~~~~
その夜、寝台の上で目を閉じても、心臓が落ち着きませんでした。
あの人の瞳。冷たく見えて、実はあんなにも優しい光。
「……氷の将軍、なんて嘘ですよ」
小声でそう呟いた瞬間、窓の外で雪がひとひら溶けるのを見ました。
心の中で暖かな炎が灯るのを感じながら、そっとまぶたを閉じます。
この屋敷にいる限り、もしかしたら――。
もう一度、自分の運命を信じられるかもしれない。
静かな寒夜の中、暖炉の音だけがやさしく響いていました。
それでも、少しずつ春の兆しが見えてきました。
この領地に来てから、もう十日ほどが経ちます。
最初に見た荒れた庭も、今では穏やかな景色に変わりつつありました。
「アメリア様、お花の芽が……!」
「本当? まあ……!」
地面を押し分けるようにして、小さな花のつぼみが顔を出していました。
その可憐な黄色を見た瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなります。
「よかった……これで、この庭にも春が来ますね」
兵士たちも顔を見合わせて笑いました。
あの無骨だった人たちが、今では花壇の水やりまでも手伝ってくれるようになったのです。
「ほんと、不思議な娘さんだよな。将軍まで様子を見に来るなんて」
「え、えっ、将軍が!?」
思わず振り返ると、遠くの回廊から見慣れた黒衣の背中がありました。
庭を見下ろす位置に立ち、静かにこちらを見ています。
ゆらぐ雪空を背に、まるで氷の彫刻のように美しい。
「……今日も“監視”でしょうか」
「違うと思いますぜ」
兵士たちがにやりと笑って去っていきました。
頬が少し熱くなるのを、冷たい風のせいにしました。
~~~~~~~~~~
その夜。
王都では考えられないほど静かな夜が訪れます。
暖炉の火がぱちぱちと音を立て、木の芳ばしい香りが部屋に満ちていました。
ふと廊下を歩いていると、訓練場の方から鉄の音が聞こえました。
気になって外へ出てみると、夜明け前の空の下で――
ライナルト様が一人、剣を振っていました。
「……こんな時間に……」
夜明けの冷気の中、息さえも白くなるほどの寒さ。
それでも彼の動きは静かで力強く、氷を砕くように鋭く正確でした。
「剣は嘘をつかない。誤魔化せば、命を奪われる。」
独り言のように呟く声が耳に届きました。
思わず立ち止まり、見惚れてしまいます。
その表情は、鋼の面影の中にどこか悲しげで――。
「……アメリアか」
気づかれていました。
振り向いた彼の額に、薄い汗が光っています。
「申し訳ありません、驚かせてしまって」
「いや。見物客は久しぶりだ」
そう言って剣を鞘に収める仕草が、どこか穏やかで優雅でした。
寡黙な将軍――というより、本当はとても繊細な人なのかもしれません。
「夜明け前から訓練されているのですか?」
「眠れない夜もある。昔の戦のことを思い出す」
「……“氷の将軍”と呼ばれているのは、その戦のせいですか?」
聞いた瞬間、胸がどくんと鳴りました。
失礼かもしれないと思ったのに、彼は静かに頷きました。
「そうだ。三年前の北方戦で、多くの部下を失った。守れなかった命の分だけ、心が凍った」
低く落ち着いた声に混じる、痛みの響き。
雪の冷たさよりも静かに、心に沁みてきました。
「……ライナルト様」
「民は俺を“冷たい将軍”と呼ぶ。だが、戦場で泣く時間があれば、誰かを救えたかもしれない。だから凍るしかなかった」
そう言って彼は微かに笑いました。
その笑顔があまりにも哀しくて、見ていられませんでした。
ふらりと歩み寄って、無意識に手を伸ばしてしまったのです。
「……それでも、凍らない心もあります。
誰かを想う気持ちは、きっと消えないから」
自分でも驚くほど自然に出た言葉でした。
指先が、ライナルト様の手の甲に触れた瞬間、彼は息をのんだように動きを止めました。
「アメリア……」
呼ばれた名前が、そのまま心の奥に落ちていきます。
その声は、雪を溶かすように優しかった。
わたしたちは小さく笑って、視線を交わしました。
「寒いでしょう。中に入れ」
「はい。けれど――」
言いかけて、思いきって言葉を継ぎました。
「もしまた夜眠れない時があったら……お話を聞かせてください。
戦のことでも、昔のことでも。黙って聞くくらいなら、得意です」
ライナルト様はほんの一瞬だけ驚いたように目を見開き、それからわずかに口角を上げました。
「変わった娘だな。……だが、頼もしい」
その笑顔はどこまでも静かで、そしてやさしかった。
~~~~~~~~~~
その夜、寝台の上で目を閉じても、心臓が落ち着きませんでした。
あの人の瞳。冷たく見えて、実はあんなにも優しい光。
「……氷の将軍、なんて嘘ですよ」
小声でそう呟いた瞬間、窓の外で雪がひとひら溶けるのを見ました。
心の中で暖かな炎が灯るのを感じながら、そっとまぶたを閉じます。
この屋敷にいる限り、もしかしたら――。
もう一度、自分の運命を信じられるかもしれない。
静かな寒夜の中、暖炉の音だけがやさしく響いていました。
2
あなたにおすすめの小説
◆平民出身令嬢、断罪で自由になります◆~ミッカン畑で待つ幼馴染のもとへ~
ささい
恋愛
「え、帰ってくんの?」
「え、帰れないの?」
前世の記憶が蘇ったニーナは気づいた。
ここは乙女ゲームの世界で、自分はピンク髪のヒロインなのだと。
男爵家に拾われ学園に通うことになったけれど、貴族社会は息苦しくて、
幼馴染のクローにも会えない。
乙女ゲームの世界を舞台に悪役令嬢が活躍して
ヒロインをざまあする世界じゃない!?
なら、いっそ追放されて自由になろう——。
追放上等!私が帰りたいのはミッカン畑です。
オネェ系公爵子息はたからものを見つけた
有川カナデ
恋愛
レオンツィオ・アルバーニは可愛いものと美しいものを愛する公爵子息である。ある日仲の良い令嬢たちから、第三王子とその婚約者の話を聞く。瓶底眼鏡にぎちぎちに固く結ばれた三編み、めいっぱい地味な公爵令嬢ニナ・ミネルヴィーノ。分厚い眼鏡の奥を見たレオンツィオは、全力のお節介を開始する。
いつも通りのご都合主義。ゆるゆる楽しんでいただければと思います。
虐げられてきた妾の子は、生真面目な侯爵に溺愛されています。~嫁いだ先の訳あり侯爵は、実は王家の血を引いていました~
木山楽斗
恋愛
小さな村で母親とともに暮らしていアリシアは、突如ランベルト侯爵家に連れて行かれることになった。彼女は、ランベルト侯爵の隠し子だったのである。
侯爵に連れて行かれてからのアリシアの生活は、幸福なものではなかった
ランベルト侯爵家のほとんどはアリシアのことを決して歓迎しておらず、彼女に対してひどい扱いをしていたのである。
一緒に連れて行かれた母親からも引き離されたアリシアは、苦しい日々を送っていた。
そしてある時彼女は、母親が亡くなったことを聞く。それによって、アリシアは深く傷ついていた。
そんな彼女は、若くしてアルバーン侯爵を襲名したルバイトの元に嫁ぐことになった。
ルバイトは訳アリの侯爵であり、ランベルト侯爵は彼の権力を取り込むことを狙い、アリシアを嫁がせたのである。
ルバイト自身は人格者であり、彼はアリシアの扱われた方に怒りを覚えてくれた。
そのこともあって、アリシアは久方振りに穏やかな生活を送れるようになったのだった。
そしてある時アリシアは、ルバイト自身も知らなかった彼の出自について知ることになった。
実は彼は、王家の血を引いていたのである。
それによって、ランベルト侯爵家の人々は苦しむことになった。
アリシアへの今までの行いが、国王の耳まで行き届き、彼の逆鱗に触れることになったのである。
馬小屋の令嬢
satomi
恋愛
産まれた時に髪の色が黒いということで、馬小屋での生活を強いられてきたハナコ。その10年後にも男の子が髪の色が黒かったので、馬小屋へ。その一年後にもまた男の子が一人馬小屋へ。やっとその一年後に待望の金髪の子が生まれる。女の子だけど、それでも公爵閣下は嬉しかった。彼女の名前はステラリンク。馬小屋の子は名前を適当につけた。長女はハナコ。長男はタロウ、次男はジロウ。
髪の色に翻弄される彼女たちとそれとは全く関係ない世間との違い。
ある日、パーティーに招待されます。そこで歯車が狂っていきます。
人形令嬢は暗紅の公爵に溺愛される
oro
恋愛
生まれた時から妹の代わりでしか無かった姉フィオラ。
家族から愛されずに育った少女は、舞台に立つ操り人形のように慎ましく美しい完璧な令嬢へと成長した。
全てを諦め、平穏な人生を歩むために。
妹の代わりに婚約させられた相手は冷淡で冷酷な「暗紅の白銀狼」と呼ばれる公爵様。
愛を知らない令嬢と公爵様のお話。
不機嫌な侯爵様に、その献身は届かない
翠月るるな
恋愛
サルコベリア侯爵夫人は、夫の言動に違和感を覚え始める。
始めは夜会での振る舞いからだった。
それがさらに明らかになっていく。
機嫌が悪ければ、それを周りに隠さず察して動いてもらおうとし、愚痴を言ったら同調してもらおうとするのは、まるで子どものよう。
おまけに自分より格下だと思えば強気に出る。
そんな夫から、とある仕事を押し付けられたところ──?
転生したら、乙女ゲームの悪役令嬢だったので現実逃避を始めます
山見月あいまゆ
恋愛
私が前世を思い出したのは前世のことに興味を持った時だった
「えっ!前世って前の人生のことなの。私の前の人生はなんだろう?早く思い出したい」
そう思った時すべてを思い出した。
ここは乙女ゲームの世界
そして私は悪役令嬢セリーナ・グランチェスタ
私の人生の結末はハーッピーエンドなんて喜ばしいものじゃない
バットエンド処刑されて終わりなのだ
こんなことを思い出すなら前世を思い出したくなかった
さっき言ったこととは真逆のことを思うのだった…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる