【完結】二十五の誓い ― 傷物令嬢の私と銀の騎士 ―

朝日みらい

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第九章 秘密の離宮 ― 癒える時間

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 朝の光が、そっとまぶたを撫でていきました。  

 窓から吹き込む風が薔薇の香りを運び、小鳥たちのさえずりとともに、やわらかな春の光が部屋を満たしていました。  
 ここは王都の外れにある離宮――王に忠誠を誓う騎士団の保養地なのです。  

 わたしは、柔らかな寝台の上で目を覚ましました。  
 白い天蓋、薄いレースのカーテン。  
 こんな穏やかな朝を迎えるのは、本当に久しぶりでした。

「リリアナ、起きましたか?」

 優しい声がして、わたしは横を向きました。  
 そこには銀の鎧を脱ぎ、簡素なシャツ姿になったアレンさまが立っていました。  
 朝の光を受けた銀の髪がきらめき、まるで夢の続きを見ているかのようでした。

「……アレン……ここは?」  
「王の離宮です。君をここで休ませるよう、陛下から命をいただきました」  
「わたしを……?」  

 彼が穏やかに微笑みました。  
 それは戦場で見せる凛々しさとは違い、やわらかくて、どこか照れくさそうな笑顔でした。  
 その微笑みを見ているだけで、胸の奥がぽっと温まっていくのを感じました。

「気を失ったまま、まる三日眠っていたんですよ。体は大丈夫ですか?」  
「三日も……眠っていたの?」  
「ええ。もう熱も引いていますから安心してください。怪我も軽くて済みました」

 アレンさまは小さな木のテーブルに置かれたカップを手に取り、そっと差し出してくださいました。  
 立ちのぼる湯気に混じって、どこか懐かしい香りが鼻をくすぐります。  
 その瞬間、わたしの心は思わず遠い記憶を呼び起こしました。

「……この香り、あの丘の紅茶ですね」  
「そうです。君が好きだった白薔薇の丘の茶葉です。  
 ほんの少しだけ残しておいたんです。まさか使える日が来るとは思わなかったけど」

 わたしは驚いて、そしてふわりと笑ってしまいました。  
 あの丘で過ごした幼い日々が、香りと一緒に胸の中に戻ってきた気がしたのです。

「まさか、あの頃のアレンがこんな立派な騎士になるなんて」  
「君を迎えに行くと誓ったからですよ。それだけが支えでした」  
「アレン……」

 紅茶を持つ手が少し震えました。  
 喜びと感謝と、どうしようもないあたたかさが入り混じり、思わず涙がこぼれそうになります。

「泣かないでください。君に泣いてほしくて、ここまで来たわけではありませんから」  
「……ごめんなさい。ただ、嬉しくて……」

 アレンさまが歩み寄り、そっとわたしの頬に触れました。  
 指先が優しく、包み込むようにあたたかくて、心まで溶かされていくようでした。

「ほら……笑ってください。君の笑顔は、風を春に変えるんです」  
「そんな甘いことをおっしゃいますのね。昔から変わりませんね」  
「変わりません。俺はずっと君の笑顔に救われてきたんですから」

 アレンさまの言葉に、胸がじんわりと熱を帯びました。  
 離宮の外では、庭を渡る風が花弁を舞い上げ、白と薄紅の花びらがひらひらと空を彩っていました。  
 まるで新しい人生の祝福のようでした。

「……この庭、本当に素敵です」  
「ああ。王の許可を得て、君のために整えた庭です」  
「まぁ、わたしのために?」  
「当然でしょう。君がやっと自由を取り戻したんですから」

 “自由”――その言葉が胸に響きました。  
 もう逃げなくていい、誰かの影に怯えなくていい。  
 その事実が、こんなにも心を軽くするものなのだと知りました。

「アレン……ありがとう。でも、まだ不思議な気分ですの。  
 本当に、もう何も怖がらなくていいのですか?」  
「大丈夫です。ロドリックとその一味は、すでに王命で処分されました。  
 君を苦しめた者たちは、もう二度と戻ってこれません」

 アレンさまの真剣な目が、わたしをまっすぐに見つめました。  
 その瞳の中に迷いはなく、静かな誓いの炎が揺らめいていました。  
 わたしはその光を見つめながら、ただ静かに頷くことしかできませんでした。

「……怖かったんです。何もかも失って、立ち上がれないと思っていました」  
「君がこうして生きてくれた。それが俺にとっての全てです。生きてくれて、本当にありがとう」  
「アレン……」

 彼は片膝をつき、わたしの手をそっと握りました。  
 まるでかつて誓いを立てた少年のように、まっすぐな瞳でわたしを見上げながら言いました。

「俺の人生は君に捧げるためのものなんです。  
 あの日の約束を果たした今でも、もう一度誓わせてください」  
「……また誓うの?」  
「はい。何度でも。君の笑顔を守るためなら、誓い続けます」

 その言葉の一つひとつが心に沁みて、視界がまた滲みました。  
 けれど、その涙はもう痛みの涙ではありませんでした。  

「ふふ……アレンって意外と臆病なのね」  
「臆病で結構です。君を失うことだけは、どうしても怖いですから」  
「なら、その時はわたしが隣にいますわ」  
「……約束ですよ?」  
「ええ。わたしは嘘をつきませんもの」

 二人で顔を見合わせ、そっと笑い合いました。  
 その笑顔の中に、やっと“未来”という言葉の意味が灯った気がしました。



 夕暮れの庭。  
 わたしたちはベンチに並び、オレンジ色に染まる空を見上げていました。  
 やがて一番星がかすかに瞬き始め、空気が少しだけひんやりと変わっていきました。

「アレン、丘の薔薇……まだ咲いているかしら」  
「きっと咲いていますよ」  
「どうしてそんなふうに言い切れるの?」  
「なぜなら、あなたが信じてくれている限り、花は枯れませんから」  

 その言葉に胸が温かくなりました。  
 風が髪を揺らすと、アレンさまが軽く前髪を直してくださいます。  
 その手が一瞬だけ頬に触れ、心臓が跳ねました。  
 彼の灰色の瞳がまっすぐにわたしを見つめています。  

「もう、逃げないで生きられるんですね」  
「ええ。あなたが迎えに来てくださったからです」  
「……あの時泣いていた君の顔を、今でも覚えています」  
「なら、これからは笑っている顔を覚えていてくださいね」

 アレンさまは小さく笑い、「もちろんです」と答えました。  
 風が止まり、柔らかな薔薇の香りがあたりに漂いました。  
 この平穏が永遠に続けばいい――そう思いました。

「アレン」  
「はい?」  
「あなたといると、時間がゆっくり流れていく気がします」  
「それが本当の時間です。君が笑う時が、俺の生きる時間なんです」

 胸がまた熱くなってしまい、わたしは彼の肩にそっと頭を預けました。  
 夕の鳥の声が響き、やさしい静けさがふたりを包み込みました。  
 過去の傷も悲しみも、この場所ではすべてが溶けていく気がしました。

「アレン……ありがとう」  
「リリアナ」  
「これが、わたしたちの“始まり”なのですね」  
「ええ。“再会”ではなく、“始まり”にしましょう」

 空に星が一つ、凛と光りました。  
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