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名も無き作者様と愛読者

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 ある寒い冬でした。

 片田舎の森深くの窪地に、この地域を治める男爵家の古ぼけた屋敷があります。その門の前にはさらに年期の入った木製の郵便受けがあり、それを2階の窓辺から眺めるご令嬢がいました。

 彼女の名前は屋敷の主であるエスターナー男爵家の一人娘、ユリア・エスターナーです。読書が大変好きな15才で、黄色のロングドレスにキラキラとなびく栗色の長髪を風になびかせていました。
 
 艶やかな白く肌に、頬を薄桃色に染めていて、目鼻立ちも少しだけ鼻が高く、背が低いくらいで容姿には申し分ありません。ですが、今はすっかりと肌は蒼ざめ、頬に艶はありません。

 3日前に、10才の頃から婚約していた隣の領主のマリウス・オーガスタ子爵令息からの婚約解消という通知がありました。それからというもの、ユリアはこうしてぼんやりと空っぽの郵便受けを眺めているのでした。

「ユリア様、お風邪を召しますわ」 

 侍女のエスタシアが心配そうに羽織りをユリアの肩に掛けました。ユリアが生まれた時から身の回りの世話をしてきたので、彼女のつらく悲しい気持ちは痛いほど分かります。食事もろくに取らず、ひどく憔悴しているのです。

「ありがとう、エスタシア。でも、わたし、まだマリウス様のこと、忘れられないの。だから、あの手紙は実は間違いだったという便りを待っているのよ」

 ユリアは、悲しげに瑠璃色の瞳を暗くして、俯きました。

「では、返事など待たずにマリウス様に手紙をお書きになったらいかがですか?」

「嫌よ。婚約を破棄なさった方に、それは嘘ですよね? とでも言うつもり……」

 するとエスタシアは、妙な提案をしたのです。

「ユリア様、それでは気休めに物語などを書いて、宛名は書かずにそのまま郵便馬車に配送を依頼なさるのはいかが?」

 マリウスの城内の図書館には蔵書が多くあり、彼もずいぶんと読書家です。10才でマリウスと初めて会った時は、高い天井の端から端までの本棚にびっくりしたものです。

 同い年で、両家の結びつきのための婚約、しかも顔を合わせたのは半年に1回でしたが、彼はとても物知りで、古今東西の珍しい話をたくさんしてくれました。
 
「宛名なしで? だれも読んではくださらないわよ。もちろん、マリウス様にも」

「それは違いますわ。毎月来る集配人は特別です。宛名がない郵便物で、封が閉じていなければ必ず読んでくださいます。そして、届けるべきところに届けるのが使命と考えている方です。面白い物語なら、きっとマリウス様に届きます。ひと月に1回、馬車が通りますから、その者にお預けなさいませ」

「ふざけないで。からかっているのね?」

 ユリアはムッツリ顔をしかめると、エスタシアはすまし顔で、

「まさか。これまで、わたくしがお嬢様に嘘をついたことがございますか」

と、こたえました。
 
 ユリアは、エスタシアの顔をのぞき込みます。確かに、いつだって彼女は本当のことを伝えてくれました。

「分かったわ。書いてはみるけど……」

 半信半疑だったものの、その日から、ユリアは物語を作り始めました。まずは周りの森に住む妖精ユーリの話を書いてみました。昔、幼い頃に亡くなったおばあ様が、子守歌代わりに教えてくれた話です。それに、主人公のユーリを自分自身に重ねたのです。


 その月の終わり、いつものようにラッパを吹きながら、郵便馬車が屋敷の前を通りかかりました。

「お待ちくださいませ」

 少女の声に、馬車はとまりました。深緑の制服姿の青年が手綱を引いて、ユリアを見下ろします。深いツバつきの帽子で、顔はよく見えないものの、はみ出した金髪の長髪が風になびいてキラキラ輝いていました。

 ユリアは物語をしたためた封筒を、青年に手渡しました。

「宛先無し郵便でございますね。配送料は2倍の銅貨6枚ですが、よろしいですか」

「構いませんわ」

「承知いたしました。わたしでまずは拝読してから、しかるべき方にお届けいたします」

 それから、ユリアは毎月、ユーリの物語を1話ずつ書き上げて、定期の郵便馬車を待っていました。そして、ラッパの音がするたびに呼び止め、

「郵便屋さん、これをまた、届けてくださいませ」

と、銅銭を手渡します。

 受け取るのはいつも決まって、金髪の青年で、封筒を大切そうに荷台の革袋に入れました。


 6回目にユリアが青年に渡した時のことです。
 
「ユリア様宛てに、お手紙のお返事が来ております」

と、青年は代わりに封筒を差し出しました。
 
 封筒には『名も無き作者様』とあり、差出人には『あなたの愛読者より』とだけあります。

「本当に? ありがとうございます!」

 ユリアは手紙を胸に押し当てたまま自室に戻り、封筒から手紙を広げました。

 手紙には桃色の花びらが挟まっていて、心地よい香りが漂います。文面には、丁寧な文字で、これまでの作品を読んだ感想が書かれているのでした。

『……妖精ユーリのお話の続きが毎月楽しみです。これからも書き続けてください』 

 文末まで読み終えた時、ユリアの胸元からじりじり熱いものがこみ上げてきました。

(素適な感想。マリウス様かしら。でも、だれでもいいわ。誰かが読んで、1人でもお話を楽しみにしてくださる方がいるだけでいい。わたし、この方のために、もっと楽しいものを書き続けていきたいから)

 それからというもの、ユリアは1ヶ月ごとに、もっと面白いものを書こうと、領内だけでなく、あちこちを散策して回るようになりました。そして、書くためには体も元気でないといけないと、食事もしっかりとるようになりました。そして、気になったこと、面白そうなことをどんどん物語にくわえていったのでした。

 ✳✳✳

 こうした生活が3年ほど続いた粉雪の舞う午後のことです。

 今月分の物語を手にして、郵便馬車を待っていると、郵便の青年から返事の手紙が渡されました。

 けれど、それはいつもの返信とは違いました。それはこれまで見た中でも、どれとも違う、王家の紋章入りで、大きくて立派な封筒だったのです。

 差出人は国王直属の秘書官でした。『名も無き作者様』からのお話が面白く、ぜひ王宮の蔵書に加えたいというのです。
 
 郵便は王立司書宛てに3年分がまとめて送られてきたことや、それを読んだ司書の一人が大変面白いと感激し、国王陛下に推挙したとのことです。
 
 手紙の末尾には『名も無き作者様』には王宮で行われる式典に参加して、本名を明かしてほしいと結ばれていました。

「……あなたが読んで、王宮へ届けてくださった?」

 ユリアは、目頭を押さえながら訊きました。

「一読してすぐにマリウス様にお届けしましたが、好みでないと受け取りは拒否されました。それで、わたしが保管しました。ついでに、ぶしつけながら花を添えて率直な感想を述べさせていただいておりました」 

 青年は18才になった少女を見おろして、恥ずかしそうに目をそらして言いました。

「妖精ユーリは、あなた様自身だと思います。毎月、会うたびに瑠璃色の瞳を見れば分かります。最初は深い悲しみに包まれていましたが、けなげに力強く生き抜いて来られました。ユーリの姿はだれもが励まされるものだと確信しました。それでこれまでの3年分を清書して冊子にまとめ、王宮にお届けした次第です」

「ありがとう。わたしの1番の愛読者になってくれて!」

 ユリアは、涙目で目の前の青年を見あげて、微笑しました。

「本になるのは嬉しいわ。でも、ごめんなさい。わたしは式典には行かないつもりです。これまで通り、『名も無き作者様』のままでいいの。そして生きた証として作品に真心こめて、毎月あなたに贈りたいから」

「もちろん。わたしはあなた様の愛読者です」

 青年から笑みがこぼれました。

「ありがとう。これからもよろしくお願いします」
 
 ユリアは、手紙に銅銭を添えて、元気よく差し出しました。
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