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3 アルザの負傷兵

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 エルテメルは、差し出された花束に、戸惑いを隠せない。

「ご冗談はよしてください。わたくしは、婚約を破棄された、聖女でもない身分の者なのですよ」

「ぼくこそ、あなた様が婚約されていたので、求婚はできまいと、ほとんど諦めていました。しかし、ガーランド公爵からの一方的な婚約破棄の知らせを聞きつけ、陽の出ないうちから、早馬で休まず、走りついた次第です。こうして、あなた様と五年ぶりにお会いできて、しかも求婚できるなんて、夢のようです」

 エルテメルは、彼の髪が乱れ、服や革靴のあちこちが砂埃で汚れていることに気づいた。

「まずは、求婚のお話は後にしましょう。それより、こちらで少し、休息をおとりください。お花はお預かりしますから」

「分かりました。では、お言葉に甘えて、少し休ませていただきます」

 エルテメルは、フォルクを中に手招き入れ、馬屋に案内した。

 彼の黒い馬は長距離を走り抜いてきたので、荒い息をはいていた。しかし、水を飲み干すと、長い脚と尻尾をリズミカルに動かしながら、さらに先へと駆け出せそうだった。

 エルテメルは、黒光りする美しい毛並みを撫でながら、

「立派なお馬ね。馬は買い主に似ると、聞いたことがあります」

と、頬笑んだ。

「それは、光栄です。ぼくらは、ずっと怪物たちと厳しい戦いをしてきましたから。特に五年前のあの時は瀕死の状態でした。辺境のアルザに住む獰猛なドラゴンの牙が、ぼくの腹に刺さり、死にかけたことがありました」

「五年前……。もしかして、あの時の?」

 五年前、この地方で暴れていた怪物の戦いで負傷した騎士たちを治療しに、母親に従って二日間、馬車でアルザまで出かけたことがあった。

 まだ十二歳の彼女だったが、次々と現れる若者たちの命を救っていった。

 数十人の兵士たちを治療したのち、母親は途中で体力を使い果たして倒れ、代わりにエステメルが面倒をみたのだった。

 その中に、野生の馬に担がれて、十七歳の農奴の青年が野営地に運びこまれた。

 農奴は、領主の土地を借りて耕す、最下層の者だから、他の負傷兵に比べられて、見向きもされない。

「早く、彼を助けないと」
 
 貴族騎士たちの制止を顧みず、彼女は、すぐさま、腹から噴き出した血を止血したのだった。

 剣や盾などなく、鍬一つで立ち向かった、勇敢な泥だらけの青年に、エステメルは安堵の頬笑みを浮かべていた。
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