【完結】仮面夫婦ですが、今日も毒舌が止まりません

朝日みらい

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第1章:冷たい契約書

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 エヴァレット侯爵家の書斎は、いつにも増して冷たい空気に満ちていました。

 窓越しの陽光は暖かくても、重厚な木の壁と沈黙に包まれたこの部屋では、心まで凍えそうになります。

 わたくしは椅子に腰を掛け、父が静かに差し出した一枚の紙に目を落としました。

 それは――婚姻契約書。

相手の名前は、“レオニス・アーデン伯爵”。三十五歳。

政務にも軍務にも精通したと噂される、冷徹な貴族です。

(また、人生を他人に委ねるのね)

 そう、口には出しませんが、心の中では明確な嘆息をもらしておりました。

家のために結婚です。

わたくし自身のためではないのです。

「クラリス、お前の返事は?」

 父の声はまるで裁判官の宣告のように重たく響きます。

「異存はございません。侯爵家の娘としての責任を果たします」

 それがわたくしの答えでした。

 感情は込めておりません。

言葉は凛としていても、心は静かに反発しておりました。

(愛情も絆も、最初から望んでおりません。生まれてから、わたくしの自由なんてありませんでしたけど……)

「期待しなければ、失望しないだろう?」

と、父が言いました。

 傍らの母が、そっとつぶやきました。

「でも、幸せになれるのかしら……」

 その言葉は、あまりにも優しくて、あまりにも痛くて。

わたくしは、ほんの少しだけ笑みを浮かべました。

「母様、この結婚は形式的なものですから」

 父も母も言葉を失い、そのまま静かにわたくしを見つめておりました。

 その瞬間だけ、わたくしは“自分の意志”という名の盾を持った気がいたしました。

***

 翌朝。

 荷造りを終え、玄関前に馬車が待っておりました。

 わたくしは、絹の旅装束を身にまとい、すっきりとまとめた髪に軽く手を添えて乗り込みました。

後ろを振り返ることはしません。

 扉が閉じ、馬車が走り出します。

(わたくし、最初から何も期待しておりませんから)

 窓の外には春の陽射しと芽吹く木々。

けれど、わたくしの心の奥には、まだ、小さな炎が灯っておりました。
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