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第8章:嫉妬という名の痛み
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春の夜会は、侯爵邸の庭で開かれておりました。
葡萄酒色のドレスに身を包んだわたくしは、笑顔を絶やさずに客人たちに挨拶を重ねておりました。
そのはずなのに。
グラスを持つ指が、痛みを覚えるほど力が入っていたのは――視線の先にいた人のせいでした。
レオニス様が、美しい令嬢の言葉に応じて微笑んでおられたのです。
彼が笑う姿はめったに見られません。
それも、そんなに柔らかい笑みを浮かべて……。
(なぜ、こんなにも……)
息が少し詰まりました。
その笑みが、自分に向けられていたときなど、一度もなかったのに。
どうして、他の令嬢に向けた笑みを見るだけで、こんなにも胸がざわつくのでしょう。
吐息とともに、視線をそらしました。
グラスの中の琥珀色の液体だけが、何も知らないふりをして、静かに揺れていました。
***
帰り道、屋敷の馬車で並んで座っているというのに、わたくしは一言も話せませんでした。
彼もまた、黙って外を見ておられました。
沈黙は心地よいはずでした。少し前までは。
今は、ただ冷たく、重たく。
「……どうかしたか?」
彼がぽつりと尋ねました。
やや不器用な響きに、思わず苦笑しかけて――でも。
「いいえ、何も」
その言葉が出るのに、少しだけ時間がかかりました。
グラスを見つめる代わりに、自分の心を見つめるような時間でした。
***
寝室に戻って、鏡の前に立ったとき、思わず吹き出してしまいました。
自分で驚いてしまうくらい、表情が曇っていたのです。
(私が……嫉妬を?彼に?)
頬を撫でるように手を添えながら、そっと微笑みました。
苦笑のような、呆れのような――でも、否定できない何かがそこにありました。
だって。心の奥が、少しだけ痛かったのです。
***
翌朝。
庭の窓を開けると、春の風が香りを運んできました。
ふと扉が開いた音がして、振り返るとレオニス様が花束を手にしておられました。
「……君が好きそうだったから、庭から摘んだ」
数本の香草と可憐な花が、静かに束ねられていました。
装飾もなく、ただ清らかで、わたくしの好きな香りに包まれておりました。
でも、昨日の感情がまだ胸の奥に残っていたせいで、どうしても素直にはなれなくて。
「奇遇ですね。わたくしも、それをあなたに投げつけたくなるほどの花でしたわ」
そう言った瞬間、彼は吹き出すように笑われました。
「……その棘も、嫌いじゃない」
その声が、わたくしの心に柔らかな火を灯した気がしました。
あの痛みは、嫉妬でした。
でも、それだけではないのです。
(……少しだけ、好きなのかもしれません)
でも、言葉にするには早すぎて。
その感情にはまだ名前がなくて……。
葡萄酒色のドレスに身を包んだわたくしは、笑顔を絶やさずに客人たちに挨拶を重ねておりました。
そのはずなのに。
グラスを持つ指が、痛みを覚えるほど力が入っていたのは――視線の先にいた人のせいでした。
レオニス様が、美しい令嬢の言葉に応じて微笑んでおられたのです。
彼が笑う姿はめったに見られません。
それも、そんなに柔らかい笑みを浮かべて……。
(なぜ、こんなにも……)
息が少し詰まりました。
その笑みが、自分に向けられていたときなど、一度もなかったのに。
どうして、他の令嬢に向けた笑みを見るだけで、こんなにも胸がざわつくのでしょう。
吐息とともに、視線をそらしました。
グラスの中の琥珀色の液体だけが、何も知らないふりをして、静かに揺れていました。
***
帰り道、屋敷の馬車で並んで座っているというのに、わたくしは一言も話せませんでした。
彼もまた、黙って外を見ておられました。
沈黙は心地よいはずでした。少し前までは。
今は、ただ冷たく、重たく。
「……どうかしたか?」
彼がぽつりと尋ねました。
やや不器用な響きに、思わず苦笑しかけて――でも。
「いいえ、何も」
その言葉が出るのに、少しだけ時間がかかりました。
グラスを見つめる代わりに、自分の心を見つめるような時間でした。
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寝室に戻って、鏡の前に立ったとき、思わず吹き出してしまいました。
自分で驚いてしまうくらい、表情が曇っていたのです。
(私が……嫉妬を?彼に?)
頬を撫でるように手を添えながら、そっと微笑みました。
苦笑のような、呆れのような――でも、否定できない何かがそこにありました。
だって。心の奥が、少しだけ痛かったのです。
***
翌朝。
庭の窓を開けると、春の風が香りを運んできました。
ふと扉が開いた音がして、振り返るとレオニス様が花束を手にしておられました。
「……君が好きそうだったから、庭から摘んだ」
数本の香草と可憐な花が、静かに束ねられていました。
装飾もなく、ただ清らかで、わたくしの好きな香りに包まれておりました。
でも、昨日の感情がまだ胸の奥に残っていたせいで、どうしても素直にはなれなくて。
「奇遇ですね。わたくしも、それをあなたに投げつけたくなるほどの花でしたわ」
そう言った瞬間、彼は吹き出すように笑われました。
「……その棘も、嫌いじゃない」
その声が、わたくしの心に柔らかな火を灯した気がしました。
あの痛みは、嫉妬でした。
でも、それだけではないのです。
(……少しだけ、好きなのかもしれません)
でも、言葉にするには早すぎて。
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