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第二章:廊下の崩壊
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舞踏会の喧騒が、ようやく遠ざかり始めた頃でした。きらびやかな会場を後にし、私はそっと人混みを抜けて、客殿をつなぐ長い廊下へと足を踏み入れました。銀灰色の髪が、肩に落ちるのを整えながら。淡い紫の瞳で周囲を確かめます───誰も、いません。ようやく、取り繕う仮面を外せる場所です。
足音が、タタンと廊下の絨毯に吸い込まれます。シャンデリアの残光が、壁の彫刻を優しく照らし、夜風がカーテンを揺らす音だけが響きます。完璧なお姉様を演じきった疲れが、一気に押し寄せてきました。レナード様の冷たい宣言、リアナの涙、母の囁き……。すべてが、胸の奥で渦を巻きます。
(ああ、私は祝福役よね。いつものように)
その思いが、膝から力を奪いました。私は壁に手をつき、ゆっくりとその場に崩れ落ちます。ドレスの裾が広がり、冷たい床に触れる感触が、ぼんやりとした現実を教えてくれました。頰を伝う涙が、ぽたりと落ちます。冷静沈着なルシア・エヴァレットなど、所詮仮面。繊細な素顔が、こんな時だけ顔を覗かせるのです。
「はあ……愛されない側、か」
独り言が、静かな廊下に溶けました。幼い頃から「お姉さんなんだから」と、妹の身代わりで叱られた日々。紅茶を淹れ、裁縫をする時間が、唯一の安らぎなのに。
嗚咽が漏れそうになったその時───足音が、近づいてきました。慌てて顔を上げ、涙を拭おうとしますが、間に合いません。私はただ、膝を抱えて縮こまりました。
「ルシア」
低く、理知的な声。聞き覚えのある、金色の瞳が、私を見下ろしています。紺色の髪を夜風に揺らし、完璧な夜礼服姿のユーリ・アルヴィン・アストレア王太子陛下。どうして、ここに? 舞踏会の主役であるお方が、こんな辺鄙な廊下に?
「ユ、ユーリ様……し、失礼を」
私は慌てて立ち上がろうとしますが、足がもつれて転びそうに。すると、陛下は素早く手を差し伸べ、私の手首を優しく掴みました。その温もりが、ドキリと胸を突きます。強いのに、優しい握力。まるで、壊れ物を扱うように優しく。
「無理をするなよ。耐えるのは辛いだろうな」
陛下の金色の瞳が、私の顔をじっと見つめ、ハンカチを差し出されます。純白の布地が、月明かりに輝きます。私は戸惑いながら、それを受け取りました。指先が触れ合い、また胸がざわつきます。
「耐える……ですか」
私はハンカチで頰を拭き、かすれた声で呟きます。内心では、波立つ思い。(どうして、知っていらっしゃるの? 誰も、私の弱さなど見てこなかったのに)
陛下はそっと私の隣にしゃがみ、壁に背を預けました。紺色の髪が、額に落ちるのを、長い指で払います。
「舞踏会の主役は、君だったはずだ。あの微笑みは完璧だった」
その言葉に、私は目を丸くしました。主役? 祝福役の私ですら? 陛下はくすりと笑い、私の銀灰色の髪に、そっと触れます。指先が、乱れた一房を優しく撫で整えてくれました。温かな感触が、頭皮に伝わり、心臓が早鐘のように鳴ります。
(こんな……優しい触れ方。王太子様に、髪を撫でられるなんて)
私は頰を赤らめ、視線を落としました。
「ありがとうございます。でも、私は平気です。いつも通りですわ」
強がりが、口をついて出ます。陛下は首を振り、金色の瞳を細めました。
「平気、か。なら、なぜ震えている?」
そう言って、陛下は私の手を、もう一度取りました。両手を包み込むように。大きな掌が、私の細い指を覆い、優しく擦ります。冷えていた指先が、じんわり温まりました。
「ルシア。君は強い。だが、一人で抱え込む必要はないんだ」
その言葉が、胸を刺しました。私は思わず、陛下の胸に視線を落とします。礼服のボタンが、月光に輝き、心臓の鼓動が聞こえそうなほど近くて。
(何か……知らないけど、この温かさは、信じてもいいの?)
心の揺れが、静かに芽生えます。陛下は私の手を離さず、立ち上がるのを促しました。自然に、手を取って支えてくれます。
「一緒に、休憩所まで。紅茶を飲まない?」
陛下の言葉に、私はびっくりしました。紅茶が好きだなんて、知っていらっしゃるの? いえ、そんなはずありません。でも、その気遣いが、嬉しくて。
「ええ……ありがとうございます、ユーリ様」
私は小さく頷き、陛下の隣を歩きます。廊下の先で、かすかな笑い声が聞こえました。振り返ると、遠くにリアナの姿。蜂蜜色の髪を翻し、レナード様に甘えるように寄り添っています。
「レナード様ぁ、もっと踊りましょうよぉ! あんなお姉さまみたいに固くならないでよ♪」
リアナの声が、コミカルに響きます。まるで、わざと聞こえるように。レナード様が慌てて「しっ、声が大きいよ!」と取り繕う姿に、私は内心でくすり。重くなく、むしろ滑稽です。
(まったく、妹ったら!)
陛下が、私の手を少し強く握りました。守るような力加減に、またドキリ。
「気にするな。ああいう茶番は」
陛下の言葉に、私は微笑みました。
~・~・~・~・~
休憩所に着き、陛下が淹れてくださった紅茶の香りが、廊下の疲れを溶かしました。温かなカップを手に、二人で静かに語らいます。陛下の金色の瞳が、優しく私を見つめ、時折頰に触れるような仕草で髪を直してくれます。胸がときめき、でも安心できる距離。
「ルシア。家に帰ったら、ちゃんと休むんだ」
忘れていた、これから始まる帰宅という地獄───わがままな妹と、いつもの母の説教が、待っています。でも、今は、この温もりが支えに。
(一人で強くなくていい……少しだけ)
足音が、タタンと廊下の絨毯に吸い込まれます。シャンデリアの残光が、壁の彫刻を優しく照らし、夜風がカーテンを揺らす音だけが響きます。完璧なお姉様を演じきった疲れが、一気に押し寄せてきました。レナード様の冷たい宣言、リアナの涙、母の囁き……。すべてが、胸の奥で渦を巻きます。
(ああ、私は祝福役よね。いつものように)
その思いが、膝から力を奪いました。私は壁に手をつき、ゆっくりとその場に崩れ落ちます。ドレスの裾が広がり、冷たい床に触れる感触が、ぼんやりとした現実を教えてくれました。頰を伝う涙が、ぽたりと落ちます。冷静沈着なルシア・エヴァレットなど、所詮仮面。繊細な素顔が、こんな時だけ顔を覗かせるのです。
「はあ……愛されない側、か」
独り言が、静かな廊下に溶けました。幼い頃から「お姉さんなんだから」と、妹の身代わりで叱られた日々。紅茶を淹れ、裁縫をする時間が、唯一の安らぎなのに。
嗚咽が漏れそうになったその時───足音が、近づいてきました。慌てて顔を上げ、涙を拭おうとしますが、間に合いません。私はただ、膝を抱えて縮こまりました。
「ルシア」
低く、理知的な声。聞き覚えのある、金色の瞳が、私を見下ろしています。紺色の髪を夜風に揺らし、完璧な夜礼服姿のユーリ・アルヴィン・アストレア王太子陛下。どうして、ここに? 舞踏会の主役であるお方が、こんな辺鄙な廊下に?
「ユ、ユーリ様……し、失礼を」
私は慌てて立ち上がろうとしますが、足がもつれて転びそうに。すると、陛下は素早く手を差し伸べ、私の手首を優しく掴みました。その温もりが、ドキリと胸を突きます。強いのに、優しい握力。まるで、壊れ物を扱うように優しく。
「無理をするなよ。耐えるのは辛いだろうな」
陛下の金色の瞳が、私の顔をじっと見つめ、ハンカチを差し出されます。純白の布地が、月明かりに輝きます。私は戸惑いながら、それを受け取りました。指先が触れ合い、また胸がざわつきます。
「耐える……ですか」
私はハンカチで頰を拭き、かすれた声で呟きます。内心では、波立つ思い。(どうして、知っていらっしゃるの? 誰も、私の弱さなど見てこなかったのに)
陛下はそっと私の隣にしゃがみ、壁に背を預けました。紺色の髪が、額に落ちるのを、長い指で払います。
「舞踏会の主役は、君だったはずだ。あの微笑みは完璧だった」
その言葉に、私は目を丸くしました。主役? 祝福役の私ですら? 陛下はくすりと笑い、私の銀灰色の髪に、そっと触れます。指先が、乱れた一房を優しく撫で整えてくれました。温かな感触が、頭皮に伝わり、心臓が早鐘のように鳴ります。
(こんな……優しい触れ方。王太子様に、髪を撫でられるなんて)
私は頰を赤らめ、視線を落としました。
「ありがとうございます。でも、私は平気です。いつも通りですわ」
強がりが、口をついて出ます。陛下は首を振り、金色の瞳を細めました。
「平気、か。なら、なぜ震えている?」
そう言って、陛下は私の手を、もう一度取りました。両手を包み込むように。大きな掌が、私の細い指を覆い、優しく擦ります。冷えていた指先が、じんわり温まりました。
「ルシア。君は強い。だが、一人で抱え込む必要はないんだ」
その言葉が、胸を刺しました。私は思わず、陛下の胸に視線を落とします。礼服のボタンが、月光に輝き、心臓の鼓動が聞こえそうなほど近くて。
(何か……知らないけど、この温かさは、信じてもいいの?)
心の揺れが、静かに芽生えます。陛下は私の手を離さず、立ち上がるのを促しました。自然に、手を取って支えてくれます。
「一緒に、休憩所まで。紅茶を飲まない?」
陛下の言葉に、私はびっくりしました。紅茶が好きだなんて、知っていらっしゃるの? いえ、そんなはずありません。でも、その気遣いが、嬉しくて。
「ええ……ありがとうございます、ユーリ様」
私は小さく頷き、陛下の隣を歩きます。廊下の先で、かすかな笑い声が聞こえました。振り返ると、遠くにリアナの姿。蜂蜜色の髪を翻し、レナード様に甘えるように寄り添っています。
「レナード様ぁ、もっと踊りましょうよぉ! あんなお姉さまみたいに固くならないでよ♪」
リアナの声が、コミカルに響きます。まるで、わざと聞こえるように。レナード様が慌てて「しっ、声が大きいよ!」と取り繕う姿に、私は内心でくすり。重くなく、むしろ滑稽です。
(まったく、妹ったら!)
陛下が、私の手を少し強く握りました。守るような力加減に、またドキリ。
「気にするな。ああいう茶番は」
陛下の言葉に、私は微笑みました。
~・~・~・~・~
休憩所に着き、陛下が淹れてくださった紅茶の香りが、廊下の疲れを溶かしました。温かなカップを手に、二人で静かに語らいます。陛下の金色の瞳が、優しく私を見つめ、時折頰に触れるような仕草で髪を直してくれます。胸がときめき、でも安心できる距離。
「ルシア。家に帰ったら、ちゃんと休むんだ」
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