【完結】蒼月の魔女は二度と愛さないはずでした ―呪われた王太子と幽閉の塔―

朝日みらい

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第3章「王宮に舞い降りた蒼月の魔女」

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 ​王城に足を踏み入れてから、日を重ねるごとにわたくしは後悔を覚えていました。

​ ここは大陸南部最大の国家を治める王家の居城。静謐だけが支配する「蒼月の塔」では決して感じることのなかった熱気が、廊下のひとつ、石畳の一枚にまで脈打っているのです。

 赤と金の絨毯は陽光を飲み込み、壁を覆うタペストリーは戦勝と繁栄を誇らしげに謳い、香木と花の芳香が甘く鼻をくすぐります。

​けれど、なによりも強烈なのは──周囲から注がれる視線でした。

​「……あれが、蒼月の魔女……?」「まあ、噂どおり……妖しいほどに美しい……」
「殿下が彼女を伴って……まさか……」

 ​ひそひそ声が途切れることなく背後に降りかかります。視線は剣よりも鋭利で、肌を焼かれるように痛かったのです。

​(やはり、来るべきでは……)

 ​孤塔にこもり孤独を選んだわたくしにとって、この喧噪と熱はあまりに耐えがたいものでした。逃げ帰りたい一心で胸を抑えた瞬間、ユリウス殿下はすっと歩みを止め、無言のままわたくしの手を取ってきたのです。

​「ひっ……。ちょっと、何を……」

​「大丈夫。胸を張って俺について来てください」

​「は、離し……」

​「嫌です」

​ 堂々とした声音と、大きくあたたかな手のひら。耳が熱くなるのを悟られたくなくて、思わず声を荒らげてしまいました。

​「も、もう……。本当に人騒がせな……」

​ けれど彼は視線を気にする様子もなく、まるでわたくしを誇示するように歩みを進めました。

​ 広々とした謁見の大広間。煌めくシャンデリアの光は宝石のように降り注ぎ、王侯貴族たちが一斉に振り返りました。音という音が消える中、ユリウスの澄んだ声が響きます。

​「皆に紹介しよう。この方こそ、蒼月の魔女セリーヌ・アルディアだ」

​ そのまま、さらに。

​「俺の伴侶候補です」

​「なっ――――」

 ​ざわめき、ざわめき、そして怒涛の非難のどよめき。

「殿下が、魔女を……?」
「なんということだ……」

​ わたくしは慌てふためき、両手で顔を覆いました。耳まで真っ赤に染まるのを抑えられなかったのです。

​「ちょっ……勝手に決めないでよ……」

​「本気です」

​ 返される瞳は、炎を宿した真剣さそのもの。──ずるい方です。本当に。

 ​謁見のあと、王城の一室でようやく人目から解放されたわたくしは、抑えきれず声を荒らげてしまいました。

​「あなたはいつもいつも……。一体何を考えているのです?」

​ ユリウスはどこ吹く風とばかりに紅茶を傾け、穏やかに答えます。

​「考えるまでもない。俺には決まった目的があります」

​「ならば、妻ですとか、伴侶ですとか、二度と人前で口になさらないで!」

​「……では契約者で」

「ち、違います!」

「なら、どう呼べば君は安心するのです?」

 ​皮肉ともとれる微笑。胸が妙に痛みます。

​「わたくし……いずれ破滅を呼ぶものになるのです。あまり近くにいてはならないのよ」

​「それでもいい。いいえ、それがいい」

 ​あまりに即答。わたくしは声を失いました。

​(愛したら呪われてしまう。何も……知らないくせに……)

 ​わたくしの呪い。愛した相手を必ず破滅へと導く宿命。

それは、かつて愛した彼の祖父ガンダルス様を守ろうとしたときの代償なのです。当時、わたくしは王専属の魔術師としてお仕えしていたのです。

​──およそ百年前、ガンダルス王率いる王国軍と魔王軍との戦で、わたくしは波濤のような闇を相手に禁忌を犯しました。

「愛する者を守るために魔女の心臓を差し出せ」という契約を。

 魔力を捧げる代わりに最愛の命を救おうとした結果、契約はねじ曲がり、愛した者そのものを呪い殺す力として定着してしまったのです。

 ​愛せば愛するほど、相手は破滅に近づく。

 ​それが、蒼月の魔女セリーヌへと転じたわたくしの罰。

(だから、もう二度と……わたしは──)

​ そう思っても、ユリウスの真っ直ぐな声や視線に触れるたび、震える心が少しずつ温かさを思い出してしまうのです。

​「おやおや、なにやら甘い空気ですねえ」

​ ――唐突に割り込む声。

 扉口に立つのはレオン・ヴェルク。殿下の従者にして幼馴染らしい青年。口元に皮肉気な笑みを浮かべ、からかうようにこちらを見やります。

​「蒼月の魔女も、殿下にかかればすっかり乙女ですか。いやあ、見ものですね」

​「なっ……。べ、別にわたくしは……」

​「はは。顔が真っ赤ですよ、魔女殿」

​ 言葉通り、頬が熱く燃えるのを抑えられませんでした。からかわれるたび、素直に否定できなくなるのが悔しい。

 ✴✴✴

​ 数日が過ぎ。日中の廊下を歩けば、貴婦人たちの別け隔てない視線が突き刺さります。

「王太子妃の座を狙うなんて……」「魔女ごときが……」

 ​耐え続けた孤独の年月があるのに、こうした悪意は意外なほど心を蝕みました。

 ──本当は、誰かに認められたかったのかもしれない。それを痛感させられたのです。

​ ため息をついたそのとき、「気にするな。俺がいます」

​低く落ち着いた声。気づけばユリウスがわたくしの髪をそっと撫でていました。

​「ひゃっ……。ちょ、ちょっと」

​「落ち着くようにと」

​「こ、この……」

​ 羞恥で声が上ずる。呪詛よりも、この仕草の方がよほど心を壊しかねません。

​そんな折、ある令嬢が謁見室前で立ちふさがりました。よく整えた笑顔に、鋭利な瞳。

​「まあ、殿下。ご機嫌麗しゅうございます。……そのお傍にいるのが噂の魔女様? なるほど、奇異でいらっしゃいますね」

 ​皮肉と挑発。明らかな侮蔑に、背筋が粟立ちます。

​ けれどユリウスは一歩も退きません。

​「俺の伴侶候補に無礼はゆるさない」

​ わたくしの肩を抱き寄せ、断固とした意思を示しました。

​「ひゃっ……」

​ 熱を帯びたその腕の中で、心臓が跳ねあがる。視線を集めて尚揺らがぬ彼の瞳が、かえって恐ろしいほど真剣でした。

​(どうして……どうして、あなたはそんなにも……)

​ 胸の奥に眠る渇望が音を立てるのを感じ、わたくしはただ唇を噛むしかありません。
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