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第21章 王都からの使者
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城の門に、見慣れぬ黒い馬車が停まったとき、わたしはちょうどラベンダーの束を抱えて廊下を曲がったところでした。
馬車の装飾――漆黒の車体に、銀で縁どられた王紋入りのエンブレム。それを見て、思わずラベンダーを落としそうになりました。
よりによってこのタイミングで。
よりによって、この花冠姿で。
「奥方、急ぎお着替えを!」
侍女のマーサが小走りでやってきて、わたしの肩を押しながらぐいぐい居室へと連行していきます。
「ど、どうしてわたしが先に出なければいけないんですか……!」
「旦那さまは今、武具庫の視察中でして!」
「ちょうど今日じゃなくても……!」
「それが“ちょうど今日”なんですってば!」
こういうときのマーサの手際は鬼のように早く、気づけばあれよあれよという間に豪華な金糸入りのドレスに着替えさせられ、髪もきっちり巻かれて、鏡の前には完璧(らしい)な貴婦人が立っていました。
……中身は中の下ですが。
さて、王都からの使者とやらは、わたしの予想どおり、たいへんお堅いお方でした。
黒い衣装に身を包んだその男は、目に見えぬ氷の剣を背負っているような雰囲気で、第一声から冷たく言い放ちます。
「地方領主の統治状況について、上からの視察命令です。文は提出済みかと」
「ようこそお越しくださいました。ご遠路、さぞお疲れのことでしょう」
わたしは、にっこりと一礼しました。
こういうとき、まずは笑顔です。
穏やかな顔は鋼より強し、です。
「この地の政務はすべて主が担っておりますが、私も可能な範囲で補佐しております。どのようなことでも、お答えできる限りお応えしますわ」
使者はちらりとわたしを一瞥し、口の端をわずかに歪めました。
――あら、わかりやすい。
この方、わたしのことを「田舎貴族の使用人」として、たいそう見くびっていらっしゃる。
というわけで、わたしは心のなかでひそかに肘をまくりました。
見ていてください。
フィオナ、本日全力の貴婦人モードでございます。
「文書の整理、会計の記録、村民との協議の頻度について――このような地方で、まともな統治など可能ですか?」
「ええ。私どもの地方は、主の統治のもと、大変穏やかでございます」
わざと少し笑みを深くして答えます。
「ご覧ください、この陽の光。城の前には子どもたちが花輪を投げ合って遊び、村人は笑顔で畑に立ち、衛兵たちは決して怠慢せず、毎朝しっかり見回りをしています。ここには、争いも不満もございませんの」
使者は目を細めて、それが警戒か不信か、あるいは単なるまぶしさかを読み取るのは難しいものでした。
「……貴女、ご出身は?」
「エルステッド侯爵家の長女として生まれました。教育は一通り受けておりますの。ご安心を」
「……ふむ」
使者は一度だけ短く鼻を鳴らしました。
それから、何やら分厚い帳簿に目を通しはじめ、わたしは丁寧に、けれども自信をもって応答を続けました。
貴婦人の役目は、主の顔に泥を塗らぬこと。
今日はそれに徹しましょう。
そして夕暮れ。
使者が去ったあと、廊下の突き当たりで、レオニードさまが壁にもたれて立っていました。
「お、お疲れさまでした。ご覧になってました?」
「……ああ、途中からな」
「やはり、お堅いお方でしたね。氷みたいでした。きっと朝ごはんに氷をかじっている方に違いありません」
わたしが肩をすくめて笑うと、彼はなぜか目を伏せて、しばらく黙ったままで。
それから、ぽつりと。
「……お前の言葉は、俺を救うな」
「……え?」
聞き返すと、彼は少し顔をそらして、まるで小さな子どもが照れたような声で言いました。
「……あれを聞いたら、誰だって、俺が無能だとは思えなくなる」
「まさか。そんな、私こそ救われてます」
「……褒めすぎると調子に乗るな?」
「ええ、ええ、もう乗っておりますとも。今日の私は、完璧な貴婦人でしたから!」
わたしが得意げにドレスの裾を翻してみせると、彼はようやく、ほんのすこしだけ口元をほころばせました。
ほんの少し――でも、確かに。
春の光のなかで咲く、薄紅の蕾のような、そんな笑顔でした。
馬車の装飾――漆黒の車体に、銀で縁どられた王紋入りのエンブレム。それを見て、思わずラベンダーを落としそうになりました。
よりによってこのタイミングで。
よりによって、この花冠姿で。
「奥方、急ぎお着替えを!」
侍女のマーサが小走りでやってきて、わたしの肩を押しながらぐいぐい居室へと連行していきます。
「ど、どうしてわたしが先に出なければいけないんですか……!」
「旦那さまは今、武具庫の視察中でして!」
「ちょうど今日じゃなくても……!」
「それが“ちょうど今日”なんですってば!」
こういうときのマーサの手際は鬼のように早く、気づけばあれよあれよという間に豪華な金糸入りのドレスに着替えさせられ、髪もきっちり巻かれて、鏡の前には完璧(らしい)な貴婦人が立っていました。
……中身は中の下ですが。
さて、王都からの使者とやらは、わたしの予想どおり、たいへんお堅いお方でした。
黒い衣装に身を包んだその男は、目に見えぬ氷の剣を背負っているような雰囲気で、第一声から冷たく言い放ちます。
「地方領主の統治状況について、上からの視察命令です。文は提出済みかと」
「ようこそお越しくださいました。ご遠路、さぞお疲れのことでしょう」
わたしは、にっこりと一礼しました。
こういうとき、まずは笑顔です。
穏やかな顔は鋼より強し、です。
「この地の政務はすべて主が担っておりますが、私も可能な範囲で補佐しております。どのようなことでも、お答えできる限りお応えしますわ」
使者はちらりとわたしを一瞥し、口の端をわずかに歪めました。
――あら、わかりやすい。
この方、わたしのことを「田舎貴族の使用人」として、たいそう見くびっていらっしゃる。
というわけで、わたしは心のなかでひそかに肘をまくりました。
見ていてください。
フィオナ、本日全力の貴婦人モードでございます。
「文書の整理、会計の記録、村民との協議の頻度について――このような地方で、まともな統治など可能ですか?」
「ええ。私どもの地方は、主の統治のもと、大変穏やかでございます」
わざと少し笑みを深くして答えます。
「ご覧ください、この陽の光。城の前には子どもたちが花輪を投げ合って遊び、村人は笑顔で畑に立ち、衛兵たちは決して怠慢せず、毎朝しっかり見回りをしています。ここには、争いも不満もございませんの」
使者は目を細めて、それが警戒か不信か、あるいは単なるまぶしさかを読み取るのは難しいものでした。
「……貴女、ご出身は?」
「エルステッド侯爵家の長女として生まれました。教育は一通り受けておりますの。ご安心を」
「……ふむ」
使者は一度だけ短く鼻を鳴らしました。
それから、何やら分厚い帳簿に目を通しはじめ、わたしは丁寧に、けれども自信をもって応答を続けました。
貴婦人の役目は、主の顔に泥を塗らぬこと。
今日はそれに徹しましょう。
そして夕暮れ。
使者が去ったあと、廊下の突き当たりで、レオニードさまが壁にもたれて立っていました。
「お、お疲れさまでした。ご覧になってました?」
「……ああ、途中からな」
「やはり、お堅いお方でしたね。氷みたいでした。きっと朝ごはんに氷をかじっている方に違いありません」
わたしが肩をすくめて笑うと、彼はなぜか目を伏せて、しばらく黙ったままで。
それから、ぽつりと。
「……お前の言葉は、俺を救うな」
「……え?」
聞き返すと、彼は少し顔をそらして、まるで小さな子どもが照れたような声で言いました。
「……あれを聞いたら、誰だって、俺が無能だとは思えなくなる」
「まさか。そんな、私こそ救われてます」
「……褒めすぎると調子に乗るな?」
「ええ、ええ、もう乗っておりますとも。今日の私は、完璧な貴婦人でしたから!」
わたしが得意げにドレスの裾を翻してみせると、彼はようやく、ほんのすこしだけ口元をほころばせました。
ほんの少し――でも、確かに。
春の光のなかで咲く、薄紅の蕾のような、そんな笑顔でした。
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