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第27章 少女時代の夢
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その日は、まるで春の夢のような午後でした。
陽だまりの射す応接間に、見慣れない風貌の男が通されてきたのです。
レオニードさまの代理で、女官長の私が客人の対応をします。
旅装をまとったその絵師は、椅子に腰かけるなり、ぽんと膝を打って言いました。
「あなたの夢を、絵に描かせてください!」
───とんでもないことを言い出すではありませんか。
「……夢、ですか?」
わたくし──フィオナは、まばたきをしながら絵師を見つめました。
「ええ。寝て見るほうじゃなくて、心に描く方の夢です」
「…………」
しばらく黙ってから、わたしはやんわりと微笑みました。
「もう、持っていませんの。夢なんて」
言ってから、自分の声が少しだけ淋しげだったことに気づきました。
けれど、彼は意に介さず、にんまりと笑って続けます。
「じゃあ、お話を聞かせてください。子どもの頃、なりたかったもの。好きだったもの。なんでもいいんです。言葉の端からすくい取ってみせますから!」
なにやら情熱的です。
──まるで、野に咲く花を描くつもりでわたしを見ている。
ああ、この方はきっと、わたしではなく「誰かの憧れ」を描きに来たのだと察しました。
なのに、わたしのような、夢の欠片も持ち合わせていない人間に向かって。
「小さな店を、やってみたいと思ったことはあります」
気づけば、そんなことを口にしていました。
「お菓子を並べて、猫がいて、縁側に日が差して……。あれは夢というより、空想ですわ。まだ、十にもならない頃だったかしら」
絵師は、なにやら満足そうにうなずいています。
「いいですね。店、猫、縁側、陽だまり──はい、もうできました!」
「え?」
「描けました、あなたの夢。心の中に、ちゃんと残っていましたね」
彼はそれから夢中で筆を走らせ、数時間後、一枚の絵を差し出してきました。
見た瞬間、わたしの胸の奥で、なにかが小さく弾けました。
小さな木造の菓子屋。
窓辺にはスコーンやパイが並び、陽のあたる縁側には、ふてぶてしく丸まる三毛猫が。
お店の看板には、幼い字で「ふぃおなのおかしやさん」と描かれていました。
「…………」
声が出ませんでした。
ああ、そういえば。こんな夢、たしかに、持っていたのです。
「女の子は皆、お嫁さんかお菓子屋さんか猫になるのが夢なのよ」などと笑われた日もありましたっけ。
「それが、お前の幸せか」
低く、落ち着いた声。
その瞬間、わたしはようやく気づいたのです。
いつの間にか部屋に入っていたレオニード様が、わたしの肩越しに絵をのぞき込んでおられることに。
「レ……レオニード様!」
絵を隠そうとしても、もう手遅れでした。
殿下はわたしの手元の絵を一瞥して、それだけ呟くと、くるりと踵を返し、
「叶えてやる」
とだけ言い残して、部屋を出て行かれたのです。
え? 叶えてやる、って?
「……あの、どこまでご覧に……?」
残されたわたしは顔を真っ赤にして、絵の中の猫に向かって問いかけるほかありませんでした。
……まさか、縁側のすみっこにこっそり描かれていた「レオにいどくん」までお気づきだったのでしょうか。
(※当時、フィオナが勝手に描いた空想の、赤いマントを羽織った正義の味方の名前である)
ぎゃああ。
今すぐ破り捨てたい。
なのに、手が震えて絵に触れられません。
心臓が跳ねるような言葉を残して立ち去った殿下に、追いつけるはずもなく、わたしはただ、ぽつねんと絵を抱いて座っておりました。
絵の中の猫が、にやにやと笑っているように見えたのは、気のせいではない気がします。
──そして、その翌日。
屋敷の厨房では、まさかの事件が起こっていたのです。
つまり、使用人が揃って風邪で寝込んだのでございます。
陽だまりの射す応接間に、見慣れない風貌の男が通されてきたのです。
レオニードさまの代理で、女官長の私が客人の対応をします。
旅装をまとったその絵師は、椅子に腰かけるなり、ぽんと膝を打って言いました。
「あなたの夢を、絵に描かせてください!」
───とんでもないことを言い出すではありませんか。
「……夢、ですか?」
わたくし──フィオナは、まばたきをしながら絵師を見つめました。
「ええ。寝て見るほうじゃなくて、心に描く方の夢です」
「…………」
しばらく黙ってから、わたしはやんわりと微笑みました。
「もう、持っていませんの。夢なんて」
言ってから、自分の声が少しだけ淋しげだったことに気づきました。
けれど、彼は意に介さず、にんまりと笑って続けます。
「じゃあ、お話を聞かせてください。子どもの頃、なりたかったもの。好きだったもの。なんでもいいんです。言葉の端からすくい取ってみせますから!」
なにやら情熱的です。
──まるで、野に咲く花を描くつもりでわたしを見ている。
ああ、この方はきっと、わたしではなく「誰かの憧れ」を描きに来たのだと察しました。
なのに、わたしのような、夢の欠片も持ち合わせていない人間に向かって。
「小さな店を、やってみたいと思ったことはあります」
気づけば、そんなことを口にしていました。
「お菓子を並べて、猫がいて、縁側に日が差して……。あれは夢というより、空想ですわ。まだ、十にもならない頃だったかしら」
絵師は、なにやら満足そうにうなずいています。
「いいですね。店、猫、縁側、陽だまり──はい、もうできました!」
「え?」
「描けました、あなたの夢。心の中に、ちゃんと残っていましたね」
彼はそれから夢中で筆を走らせ、数時間後、一枚の絵を差し出してきました。
見た瞬間、わたしの胸の奥で、なにかが小さく弾けました。
小さな木造の菓子屋。
窓辺にはスコーンやパイが並び、陽のあたる縁側には、ふてぶてしく丸まる三毛猫が。
お店の看板には、幼い字で「ふぃおなのおかしやさん」と描かれていました。
「…………」
声が出ませんでした。
ああ、そういえば。こんな夢、たしかに、持っていたのです。
「女の子は皆、お嫁さんかお菓子屋さんか猫になるのが夢なのよ」などと笑われた日もありましたっけ。
「それが、お前の幸せか」
低く、落ち着いた声。
その瞬間、わたしはようやく気づいたのです。
いつの間にか部屋に入っていたレオニード様が、わたしの肩越しに絵をのぞき込んでおられることに。
「レ……レオニード様!」
絵を隠そうとしても、もう手遅れでした。
殿下はわたしの手元の絵を一瞥して、それだけ呟くと、くるりと踵を返し、
「叶えてやる」
とだけ言い残して、部屋を出て行かれたのです。
え? 叶えてやる、って?
「……あの、どこまでご覧に……?」
残されたわたしは顔を真っ赤にして、絵の中の猫に向かって問いかけるほかありませんでした。
……まさか、縁側のすみっこにこっそり描かれていた「レオにいどくん」までお気づきだったのでしょうか。
(※当時、フィオナが勝手に描いた空想の、赤いマントを羽織った正義の味方の名前である)
ぎゃああ。
今すぐ破り捨てたい。
なのに、手が震えて絵に触れられません。
心臓が跳ねるような言葉を残して立ち去った殿下に、追いつけるはずもなく、わたしはただ、ぽつねんと絵を抱いて座っておりました。
絵の中の猫が、にやにやと笑っているように見えたのは、気のせいではない気がします。
──そして、その翌日。
屋敷の厨房では、まさかの事件が起こっていたのです。
つまり、使用人が揃って風邪で寝込んだのでございます。
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