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第49章 風の通り道
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春の陽射しがやわらかく庭を包み、私はしゃがみこんで、小さな花壇の草をむしっていました。
「……ふう。あなたたちはなぜ、そんなに逞しいのですか」
声をひそめて草に問いかけても、返事が返ってくるわけではありませんが、妙に誇らしげな雑草のたたずまいに、私はため息をひとつ。
けれど、そんなときでした。
ふわり。
風が、ふと私の頬をなで、懐かしい香りを運んできました。
「……え?」
思わず、手を止めました。
その香りは、ほんのり甘くて、少し青くて……どこか、切ない。
「……お母様の……香り……?」
そう、確かに覚えています。
母が好きだった香草――ルナミントと呼ばれる、銀色の小さな葉をつけるあの植物。
今でも時折、夢の中でその匂いを感じることがあります。
でも、まさか実際にこの庭で出会うなんて。
私は立ち上がり、風の流れに導かれるように、香りのするほうへ足を向けました。
陽だまりを通り抜け、花木の間を縫うように歩いていくと、やがてそこに、小道が現れました。
まるで、私のために用意された秘密の抜け道のように。
そして、その先に――。
「……あ」
木陰のベンチに、ひとり腰かけている姿が見えました。
片膝を立てて、本を読んでいるレオニード様。
まるで絵画の一場面のように、静かで、美しくて、そして……ちょっとだけ猫背でした。
(……肩こりそう)
そんな余計な心配をしつつも、私はそっと近づきました。
足音を立てぬように、できるだけ静かに、そろりそろりと……
「……そんなにこっそり来るなら、背後から脅かせばいいのに」
「えっ、気づいてました!?」
「お前の足音は、落ち葉よりにぎやかだ」
「失礼な! 今朝からずっと静かに歩く練習してたんです!」
「努力は認めよう」
そう言って微笑む彼の横に、私は少し遠慮がちに腰を下ろしました。
風が、ふたたび吹き抜けて、木々の葉がさらさらと音を立てます。
「……いい風だな」
ぽつりと、彼がつぶやきました。
その声が心地よくて、私は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じました。
「この風……母の香りがするんです」
「……香り?」
「はい。お母様が、よくお部屋で煎じていた香草の……。今、風に乗って……懐かしくて」
そう言うと、彼はゆっくりと本を閉じて、私の顔を見ました。
目元がやわらかくて、けれど、どこか哀しみをたたえていて。
「お前は、こうして……誰かを思い出せるところが、いい」
「……」
「風の匂いでも、道端の花でも。そういう感受性は、簡単には手に入らない」
私は言葉が出せなくて、ただ黙ってうなずきました。
だって、ずるいんです。そんなふうに優しいことを言われたら。
少し沈黙が流れました。
私は膝の上に手を置いて、うつむいたまま、ぽつりと。
「レオニード様は……誰かを、思い出す香りって、ありますか?」
「あるぞ」
「……どんな?」
「酒精の匂いだ。親父殿がいつも酒臭かったからな」
「……それ、いい話ですか!?」
「いや、酒臭い記憶の代表例だ」
くっくっと笑う彼につられて、私もつい笑ってしまいました。
「でも、それも……ちょっと、あったかいですね」
「……そうだな」
風がまた、ふたりの間を通り抜けました。
香草の匂いと、どこか懐かしい記憶と、彼の静かな笑顔。
私は、ふと思ったのです。
この人の隣にいる時間が、こんなにも心地よいなんて。
……こんな風が通る場所に、ずっといられたらいいのに。
それが、ただの幻想であっても――。
そう願ってしまったことを、少しだけ後悔しながら、私はそっと目を閉じました。
「……ふう。あなたたちはなぜ、そんなに逞しいのですか」
声をひそめて草に問いかけても、返事が返ってくるわけではありませんが、妙に誇らしげな雑草のたたずまいに、私はため息をひとつ。
けれど、そんなときでした。
ふわり。
風が、ふと私の頬をなで、懐かしい香りを運んできました。
「……え?」
思わず、手を止めました。
その香りは、ほんのり甘くて、少し青くて……どこか、切ない。
「……お母様の……香り……?」
そう、確かに覚えています。
母が好きだった香草――ルナミントと呼ばれる、銀色の小さな葉をつけるあの植物。
今でも時折、夢の中でその匂いを感じることがあります。
でも、まさか実際にこの庭で出会うなんて。
私は立ち上がり、風の流れに導かれるように、香りのするほうへ足を向けました。
陽だまりを通り抜け、花木の間を縫うように歩いていくと、やがてそこに、小道が現れました。
まるで、私のために用意された秘密の抜け道のように。
そして、その先に――。
「……あ」
木陰のベンチに、ひとり腰かけている姿が見えました。
片膝を立てて、本を読んでいるレオニード様。
まるで絵画の一場面のように、静かで、美しくて、そして……ちょっとだけ猫背でした。
(……肩こりそう)
そんな余計な心配をしつつも、私はそっと近づきました。
足音を立てぬように、できるだけ静かに、そろりそろりと……
「……そんなにこっそり来るなら、背後から脅かせばいいのに」
「えっ、気づいてました!?」
「お前の足音は、落ち葉よりにぎやかだ」
「失礼な! 今朝からずっと静かに歩く練習してたんです!」
「努力は認めよう」
そう言って微笑む彼の横に、私は少し遠慮がちに腰を下ろしました。
風が、ふたたび吹き抜けて、木々の葉がさらさらと音を立てます。
「……いい風だな」
ぽつりと、彼がつぶやきました。
その声が心地よくて、私は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じました。
「この風……母の香りがするんです」
「……香り?」
「はい。お母様が、よくお部屋で煎じていた香草の……。今、風に乗って……懐かしくて」
そう言うと、彼はゆっくりと本を閉じて、私の顔を見ました。
目元がやわらかくて、けれど、どこか哀しみをたたえていて。
「お前は、こうして……誰かを思い出せるところが、いい」
「……」
「風の匂いでも、道端の花でも。そういう感受性は、簡単には手に入らない」
私は言葉が出せなくて、ただ黙ってうなずきました。
だって、ずるいんです。そんなふうに優しいことを言われたら。
少し沈黙が流れました。
私は膝の上に手を置いて、うつむいたまま、ぽつりと。
「レオニード様は……誰かを、思い出す香りって、ありますか?」
「あるぞ」
「……どんな?」
「酒精の匂いだ。親父殿がいつも酒臭かったからな」
「……それ、いい話ですか!?」
「いや、酒臭い記憶の代表例だ」
くっくっと笑う彼につられて、私もつい笑ってしまいました。
「でも、それも……ちょっと、あったかいですね」
「……そうだな」
風がまた、ふたりの間を通り抜けました。
香草の匂いと、どこか懐かしい記憶と、彼の静かな笑顔。
私は、ふと思ったのです。
この人の隣にいる時間が、こんなにも心地よいなんて。
……こんな風が通る場所に、ずっといられたらいいのに。
それが、ただの幻想であっても――。
そう願ってしまったことを、少しだけ後悔しながら、私はそっと目を閉じました。
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