“お飾り王女”は、召喚された死に戻り勇者と同居中

朝日みらい

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第1話 王女のクローゼットから、死にかけの勇者が出てきた件

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 その夜、私はもう二度と、クローゼットの扉を開けたくないと思いました。  
 ──まさか、あんなものが出てくるなんて。

 昼間に魔王級ダンジョン出現の報告を受けてから、ずっと胸の奥がざわめいていました。王城中が緊張していて、衛兵の足音さえ耳につきます。  
 けれど私は、三番目の王女でしかない。決定権なんて何ひとつありません。  
 姉のリリス殿下は外交の天才、兄のレオン殿下は軍略の申し子。  
 私、セレスティア・アルヴェーンに求められるのは、いつも〈穏やかに微笑む飾り〉の役割だけです。  

 「……勇者ノア・ルシフェル、召喚完了、ですか」  
 報告を聞いたときも、理知的な笑顔を崩しませんでした。  
 王女たるもの、感情を表に出さない。それが私の基本姿勢です。  

 しかし、その夜。  
 部屋の明かりを落とし、書きかけの報告書を閉じた瞬間──。

 「……あ、セレスティア姫。今日も綺麗だね。死んだ直後だけど」

 聞き慣れない声が、クローゼットの中からしました。

 わたしは反射的に立ち上がり、椅子を蹴ってしまいました。  
 カタン、と音が静寂に響きます。  
 まさか、空耳? 疲れて幻聴でも──と思ったのですが、次の瞬間。

 ガタリ、と。扉が、内側から開いたのです。

 「……っ、きゃ──!」  
 悲鳴を上げかけた私の目の前に、ひとりの青年が崩れ落ちました。  
 金ではなく、銀に近い淡い髪。血塗れの胸。けれどその顔は、まるで眠るように穏やかで。

 「……勇者、ノア・ルシフェル……?」  
 よく覚えています。昼間、召喚儀式の場で見たその姿を。

 「え、なんで、どうして。なぜクローゼットから……!?!」

 あわてて駆け寄り、声をかけるけど、返事は微弱なうめきだけ。  
 私は無意識のまま、震える指で彼の頬に触れてしまっていました。  
 ひどく冷たい。血の臭いと、ほんのかすかな森林の香りが混ざっています。

 「……姫、手……綺麗だね」  
 瀕死のくせに、そんなことを言う余裕があるなんて。  
 思わず、言葉を失いました。  
 なにこの人、死にかけの状態で口説くの?

 「……少しだけ、休ませて」  
 目を閉じながらそう告げた彼は、そのまま意識を手放しました。

 そして、私の寝室の床の上に、勇者が倒れたまま動かなくなったのです。

 ──王女のクローゼットから勇者が出てきて倒れる。  
 なにこの状況。史上最悪にもほどがあります。


 * * *


 それから二時間後。  
 従者たちを誤魔化して、私はこっそりノアを自室に匿っていました。  

 寝台の下敷きにしたシーツを畳んで簡易ベッドにし、傷の応急処置を済ませ、魔力ヒールを流したところで、息をつきます。  
 彼の傷は深手だったはずなのに、驚くほど回復が早い。  
 救護班を呼ばずにすんだのは幸いですが……。

 「……なんで私の部屋に、なんですか、あなた」

 問いを呟くけれど、彼は静かに寝息を立てていました。  
 睫毛が長くて、目じりがやわらかく、息をするたび胸元で淡く光る小さな紋章が見えます。女神の加護――死亡地点の祭壇印だと見てわかりました。

 「……死に戻り、ってやつですね。リターン・アルター」

 召喚説明で聞いた能力です。好きな祭壇を復活地点に設定できる。  
 でも、なぜ私の部屋を?


 * * *


 翌朝。  
 朝日がカーテン越しに差し込む中、私は衝撃的な光景に遭遇しました。

 「……何してるんですか、あなた」
 「おはよう、姫。あのね、床、意外と寝心地いいんだよ」

 ベッドの下で、勇者が丸まっていました。  
 なんというか──犬、でした。高貴な勇者犬。

 「落ち着くんだよね。姫の匂いするし」  
 ……爆弾発言。朝イチで理性を試されるなんて?  
 顔が一瞬で熱くなりました。  

 「な、なにを言って──っ、出てください!床は禁制区域です!」  
 「え、禁制?じゃあ壁際に移動しようかな」  
 「そういう問題ではありませんっ!」

 目が合った瞬間、ふわりと笑うその顔が、反則でした。  
 清潔感のある好青年──だけど無意識に距離を詰めてくるあたり、タチが悪い。  
 しかも、わざとじゃないのが余計に困ります。

 私は戦略的に理性を総動員し、深呼吸しました。  
 「……とにかく。あなたは勇者ノア・ルシフェル殿。王に報告を──」  
 「やだなぁ、そんなに他人行儀に呼ばないで。ノアでいいよ」  
 「わ、私は王女です。呼び捨ては……!」  
 「じゃあ、“セレ”。」

 ハッと息が止まりました。  
 幼い頃、父や兄にだってそう呼ばれたことはないのに。  
 この異界の青年の口から、それが自然にこぼれ落ちる。

 「……あ、怒った? ごめん。でもさ、セレって呼ぶと、なんか頑張れる気がするんだ」

 また、それ。  
 まるで計算された恋文みたいな言葉を、何の悪気もなく言ってのける。  
 私の中の理性が、頭を抱えました。  

 「……あのですね、勇者様。ここは私の部屋です。女子の部屋に勝手に出入りするのは──」  
 「でも、クローゼットが一番、落ち着くんだよね。なんか、“帰ってきた”って感じで」  
 「帰ってこないでください」  
 「えぇっ、そんな冷たい……」  

 しょんぼりと項垂れるその背中を見て、なぜか胸がちくりとしました。  
 ──だめです、情けは禁物。  
 彼は英雄、私は王女。線を引かなくては。

 でも。  
 彼の肩がかすかに震えて、小さな声で「……もう少し、ここにいちゃダメ?」と呟いた時。  
 私は、もう何も言えなくなっていました。


 * * *


 数分後。  
 簡単な朝食を用意し、彼を椅子に座らせました。  
 思考を整理するためにも、食事で落ち着きたかったのです。

 「毒は、入っていません」  
 「じゃあ安心だ。姫が淹れてくれたなら、毒でも飲むよ」

 ……。
 返答不能。思考停止。  
 いったいどんな口がそんなセリフを……!  

 スプーンを握る手がぴくりと震えました。  
 自覚のない攻撃が飛んでくるたび、私の精神が削られます。ほんとうにダンジョンより危険。

 「……そ、そのような軽口はお控えください」  
 「軽口じゃないよ。本気で、姫にだけは生きててほしいって思ったんだ」

 ふわりと微笑む顔は、ほんとうに穏やかでした。  
 ……ずるい。ずるすぎます。

 胸の鼓動が、痛いほど。  
 私は冷静さを取り戻そうと紅茶を口に運び、視線を逸らしました。  
 彼の目に映る自分が、少しでも動揺していたら嫌だから。

 けれど、彼はそっと手を伸ばしてカップを支え、笑いました。

 「熱いから、気をつけてね。……セレ」

 触れたのは、指先だけ。  
 それでも胸が跳ねて、紅茶が一滴こぼれました。

 なんですかこの勇者、戦闘でなく恋愛兵器ですか。


 * * *


 その夜、ベッドの下でなにやらゴソゴソする音が聞こえました。  
 「……寝てないのですか?」  
 「いや、寝るけどさ……床って、ほんと落ち着くんだよね」  
 「……変人ですね」  
 「褒め言葉として受け取っておくよ」

 おそらく、その柔らかい口調のひとつひとつが、私の心をほどいてゆくのを、本人はまったく知らないのでしょう。  
 気を抜けば彼の隣にしゃがみ込んで、あの穏やかな寝顔を覗いてしまいそう。  
 そんな自分が信じられません。

 「……まったく、世話の焼ける勇者様です」

 小さく呟いて、寝具に身を沈めました。  
 夜の静寂の中で、床から響く彼の寝息が、不思議と心地よくて。  
 瞼が落ちる寸前、ぽつりと口にしていたのです。

 「――おやすみなさい、ノア」

 どこか遠くで、「おやすみ、セレ」と囁かれた気がしました。



 * * *


 翌朝の私はというと──完全に寝不足でした。  
 だって、勇者がベッド下で寝返りをうつたびに、気になって眠れないんですもの!

 「……勇者対策、考えないと」

 けれど、それ以上に。  
 胸のどこかで、あの声をまた聞きたいと思ってしまった自分がいて。  
 その感情に気づいた瞬間、私は慌てて紅茶を飲み干しました。

 まだ、ダメ。まだ理性を失えません。  
 私は王女で、彼は英雄。  
 せめてこの距離くらいは、守らなくては。

 でも。  
 クローゼットの方を見て、思い出してしまうんです。  
 血塗れで倒れた彼が、それでも笑って私を見上げた夜を。  

 ──あの笑顔を、もう一度見たい。  

 王女としてではなく、一人の人間として。  
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