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第三章:村の暮らしと小さな幸せ
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薪を抱えて歩く道すがら、ふと空を見上げると、雪の隙間から柔らかな陽がこぼれていました。
エルミナの森。王都とは違う、静かで朴訥な空気。
朝には凍った道をすべりながらパンを焼き、昼には村の子どもたちと雪合戦。夜はひとりの灯りで編み物をする──そんな日々は、どこか夢のようで。
「お前、パン、上手くなったな」
カイが不意に言ってくれた時、私は手の粉を慌てて拭いながら真っ赤になってしまいました。
「い、いえ、まだ焦がすことも多くて……!」
「それでも、焼けるようになった。前は、小麦の袋持ってくるだけで逃げてたじゃないか」
「し、仕方ないでしょう!袋が、重いんですもの!」
笑いながら、彼がそっと私の頭に手を乗せる。その手が、薪よりも大きくて、じんと温かかったのです。
村人たちは私を“聖女さま”と呼ばない。ただ「レーネさん」「お姉さん」と声をかけてくれます。
鶏の卵を分けてくれたり、編みかけのマフラーを見て「うちの子にも作って」と頼まれたり、村の祭りでは「踊れる?」と冗談まじりに誘われたり。
それが、なんだかくすぐったくて嬉しくて──初めて、自分が“人としてここにいてもいい”と感じられるようになりました。
ある日、教会の前で、カイがぽつりと呟いたのです。
「……お前、笑うと綺麗だな」
え。
あまりにも唐突で、私は手に持っていた花籠を落としそうになりました。
「な、なに言って……!そ、そういうのは急に言わないでください!」
「急にじゃなきゃ、言えないだろ」
ぶっきらぼう。でも、その横顔が少し照れているようで。
私の心臓は跳ねてしまって、なんだか村の鐘みたいに鳴ってる気がしました。
──好き、かもしれない。
そんな風に思う自分に驚きました。
だって私は、聖女でした。誰かを愛してはいけないと、勝手に思い込んでいたんです。
でも今は、違う。誰かのためじゃなく、自分の感情で笑える。
そんな日々が、こんなにも嬉しくて、愛おしいものだったのだと、初めて気づいたのです。
教会のベンチで、村の子どもたちが「レーネ姉ちゃん、雪だるま競争しよ!」と手を引いてくる。
「負けませんよ?聖女だったんですからね!」
「あー!ずるいー!聖女パワー反則!」
そんなやりとりに混ざってくるカイがまたひとこと。
「もう聖女じゃないんだろ。だったら、手加減しろよな」
「むぅ……じゃあ、“パン焼きの女”として全力で!」
笑い合う時間が、どこまでも優しく流れていきます。
* * *
ですが──王都では、別の風が吹き始めていました。
エリザベータが新聖女となったものの、癒しの力は思うように発揮できず、王侯貴族からの不満が噴き出しているとか。
高圧的な態度、病を癒せぬままの儀式、そして民からの失望。
そのうちの一報が、村にまで届いた時──私は、ほんの少しだけ、胸を押されるような気持ちになりました。
あの王都の人々が、私の名前を口にしはじめたと。
噂の断片だけでなく、正式な嘆願書が王宮を騒がせていると。
「レーネ様を返して!」
──私は、戻りたいとは思いませんでした。
でも、少しだけ気になったのです。あの時、私を偽りと呼んだ人たちは、今、何を思っているのか。
カイの横顔を見ながら、私は心に問いかけました。
「このまま、ここにいていいのかな……」
答えはまだ出ません。
でも、今は小さな幸せに身を委ねて──雪の中、咲き始めた春の蕾を見つけながら、私は微笑むことができました。
エルミナの森。王都とは違う、静かで朴訥な空気。
朝には凍った道をすべりながらパンを焼き、昼には村の子どもたちと雪合戦。夜はひとりの灯りで編み物をする──そんな日々は、どこか夢のようで。
「お前、パン、上手くなったな」
カイが不意に言ってくれた時、私は手の粉を慌てて拭いながら真っ赤になってしまいました。
「い、いえ、まだ焦がすことも多くて……!」
「それでも、焼けるようになった。前は、小麦の袋持ってくるだけで逃げてたじゃないか」
「し、仕方ないでしょう!袋が、重いんですもの!」
笑いながら、彼がそっと私の頭に手を乗せる。その手が、薪よりも大きくて、じんと温かかったのです。
村人たちは私を“聖女さま”と呼ばない。ただ「レーネさん」「お姉さん」と声をかけてくれます。
鶏の卵を分けてくれたり、編みかけのマフラーを見て「うちの子にも作って」と頼まれたり、村の祭りでは「踊れる?」と冗談まじりに誘われたり。
それが、なんだかくすぐったくて嬉しくて──初めて、自分が“人としてここにいてもいい”と感じられるようになりました。
ある日、教会の前で、カイがぽつりと呟いたのです。
「……お前、笑うと綺麗だな」
え。
あまりにも唐突で、私は手に持っていた花籠を落としそうになりました。
「な、なに言って……!そ、そういうのは急に言わないでください!」
「急にじゃなきゃ、言えないだろ」
ぶっきらぼう。でも、その横顔が少し照れているようで。
私の心臓は跳ねてしまって、なんだか村の鐘みたいに鳴ってる気がしました。
──好き、かもしれない。
そんな風に思う自分に驚きました。
だって私は、聖女でした。誰かを愛してはいけないと、勝手に思い込んでいたんです。
でも今は、違う。誰かのためじゃなく、自分の感情で笑える。
そんな日々が、こんなにも嬉しくて、愛おしいものだったのだと、初めて気づいたのです。
教会のベンチで、村の子どもたちが「レーネ姉ちゃん、雪だるま競争しよ!」と手を引いてくる。
「負けませんよ?聖女だったんですからね!」
「あー!ずるいー!聖女パワー反則!」
そんなやりとりに混ざってくるカイがまたひとこと。
「もう聖女じゃないんだろ。だったら、手加減しろよな」
「むぅ……じゃあ、“パン焼きの女”として全力で!」
笑い合う時間が、どこまでも優しく流れていきます。
* * *
ですが──王都では、別の風が吹き始めていました。
エリザベータが新聖女となったものの、癒しの力は思うように発揮できず、王侯貴族からの不満が噴き出しているとか。
高圧的な態度、病を癒せぬままの儀式、そして民からの失望。
そのうちの一報が、村にまで届いた時──私は、ほんの少しだけ、胸を押されるような気持ちになりました。
あの王都の人々が、私の名前を口にしはじめたと。
噂の断片だけでなく、正式な嘆願書が王宮を騒がせていると。
「レーネ様を返して!」
──私は、戻りたいとは思いませんでした。
でも、少しだけ気になったのです。あの時、私を偽りと呼んだ人たちは、今、何を思っているのか。
カイの横顔を見ながら、私は心に問いかけました。
「このまま、ここにいていいのかな……」
答えはまだ出ません。
でも、今は小さな幸せに身を委ねて──雪の中、咲き始めた春の蕾を見つけながら、私は微笑むことができました。
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