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一章ー荒巻の依頼ー
宇吉と江吉の依頼
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昼下がりにどこからか涼しくなり始めた風が吹く。暑い季節が終わろうとしている。
「だから俺が先にあげたんやから俺んとこのや!」
「でも俺んとこに来たんやから今は俺のとこのや!」
将軍が江戸に幕府を開いて長い年月が経つ。
京で有名な呉服屋、桜着屋の長男にして跡取りとならず家を出た町人優之助は、季節を感じるのも束の間、現実に引き戻された。
「まあ二人とも落ち着きましょ」
優之助は溜息交じりに言い争う男二人を、自宅の居間にて宥める。
その様子を薩摩の侍、大山伝之助は居間の隅で茶を啜って見ている。
そう、見ているだけだ。
何とも下らない事に巻き込まれた。
なぜこんな事になったのか、いや、そもそもなぜこんな事をしているのか。
それは一年前、元薩摩の侍である伝之助が、優之助の家に無理矢理住み始めた事から始まっている。
それまでの優之助は親の脛をかじり、代わりに実家の跡取りとなった弟の勇次郎の脛もかじり、毎日毎日遊び歩きふしだらな生活を続けていた。
そんなある日の夜、侍達の斬り合いを目撃した。
斬り合いをしていたのは伝之助とならず者の浪人達で、伝之助が皆斬り倒した。
優之助は一目散に逃げ帰ったが呆気なく追い付かれて家を知られた。
伝之助は斬り合いを目撃した優之助を見張ると言って居つくようになった。
優之助は馴染みの料亭鈴味屋に通っていた。
鈴味屋では金を出せば女がお酌につく。
お酌について話し相手になるだけだがこれが評判で、それに料理もおいしいと言う事も重なり、京の町でも有名な料理屋である。
今のこの状況は、鈴味屋の一番人気で優之助贔屓の女、おさきが優之助に相談事を持ちかけた事がきっかけだった。
おさきの依頼を伝之助と二人で解決すると、瞬く間に二人は町で評判となった。
それからと言うもの、優之助と伝之助はおさきを介し、人々から依頼を受けて解決し、金をもらってそれを仕事としてきた。
大きな事件に巻き込まれて一度はこんな仕事辞めようと中断していたがまた始め、ついこの夏に一通り溜まった依頼を片付けて落ち着いたところでこの騒ぎである。
依頼内容は大きな事から小さな事まで様々だ。
今回の依頼は実に小さな依頼だった。
京の町で隣り合って住まう町人、宇吉と江吉。
二人は、いや、二人の家族はよく助け合い仲睦まじく暮らしていた。
そう、あの日までは。
ある日、宇吉の家に江吉が尋ねると、宇吉が三毛猫を抱いていた。
「おう、江吉か。こいつか?可愛いやろ。たまって言うんや。二日前にうちに現れてみゃあみゃか鳴くもんやから飯の残りもんくれたったら懐いてな。可愛くて今では大事な家族や」
たまは宇吉から離れてみゃあみゃあ鳴くと、江吉の足にすりすりと顔を擦り付ける。
「これはまた人懐っこいやっちゃな」
江吉はたまを抱き上げ、喉元を撫でてやる。
たまはごろごろと気持ちよさそうにする。
それから一月程経った。
宇吉は暫くたまの姿を見ていなかった。
妻や子に聞いても見ていないと言う。
知るはずもないと大した期待もせず江吉の家に行くと、江吉がたまを抱いていた。
たまは喉元を撫でられごろごろと気持ちよさそうである。
宇吉の怒りは瞬時に爆発した。
「この猫泥棒が!たまは俺のや!」
江吉は一瞬驚いたが、すぐさま同じ勢いで言い返す。
「盗んだんやない!たまが住み着いたんや!お前んとこが嫌やから来たんと違うんか!」
「なんやと!」
二人は取っ組み合いの喧嘩をし、近隣の人々が止めに入るまで殴り合い、罵り合った。
それからと言うもの今までの仲睦まじい様子は嘘のように、顔を合わせばたまを巡って喧嘩が起こるようになった。
救いなのは仲が悪いのはこの二人だけで、妻や子は変わらず仲が良い事だ。
今回の依頼は、そんな様子に呆れた二人の妻からの依頼だった。
基本的に仕事の依頼を断る事は無いが、断ろうかとさえ思った依頼であった。
優之助が宥めた二人は睨み合うと、また罵り合う。
「お前は俺があれだけ可愛がってるのを知ってたのに俺からたまを盗ったんや!」
「盗ったんやない!たまがお前のとこが嫌や言うて俺んとこ来たんや」
「お前は猫の言葉がわかるんか!」
「わかるわ!たまは『宇吉さんはご飯はくれるけどしつこうて敵いませんねん。俺は江吉さんとこで世話なりたいですわ』言うてたがな!」
「たまは雌や!そないな喋り方するかい!」
「わ、わかっとるわ!阿保のお前にわかりやすうに言うたんや!」
「なんやと!」
先程から変わらずこの有様だ。
伝之助は我関せずと言う様子で、しかし優之助が困っているのを見たいのか、わざわざ居間にて様子を見ている。
茶はもう飲み干したのか何をするわけでもなくぼーっとこちらを見ている。
「宇吉さん、江吉さん。そないに熱くなって言い合ったら解決するもんもしませんから」
もう何度目だろうか。再び二人を宥める。
いや、そもそも解決するのかこれ。
どちらか片方を選ぶ選択はまずない。
互いの話を照らし合わせ、理論的に答えを導いたところでまず解決しない。
これは人と人との問題だ。
どちらか一方にとなると必ずもう一方が異を唱える。
では共同で管理をしてはと言う提案はどうだろうか。
いや、ここまで拗れては無理だろう。
優之助は実に下らない依頼だが、実に難しい依頼だと言うことに気付いた。
どないしよう……
優之助の武器は二つある。
一つは容姿端麗と言う事だ。
この顔のお蔭で伝之助と出会う前までは女を取っ替え引っ替えしてきた。
しかし今この顔は使えそうにない。
相手は男だ。
もう一つの武器は口が達者な事だ。
よく回る口のお蔭で切り抜けてきた事も多々ある。
居間に座って茶を飲むこの伝之助も幾度となく言い包めてきたのだ。
優之助は二人に言った。
「せやなぁ、たまに選ばせるのはどないです?」
たまが選んだのなら文句は言えない。
だが片方を選べば双方の家族はうまくいかない。
それでは依頼を蔑ろにしてしまう。
うまく言い包めてたまが両方を選んだ事にして互いで管理するように仕向ければいい。
そうすれば亀裂が入った二人の関係も、たまを介して元通りだ。
「たまが選ぶんですか?それはちょっと……」
宇吉が言った。
たまが出て行ったものだから自信がないのだろう。
「猫に意思はありませんか。それともたまが自分の所に戻ってくる自信がありませんか」
少し挑発してみた。
宇吉の顔に朱が差す。
「そんなことありません!たまはきっとうちを選ぶはずです!」
宇吉はむきになって返す。
「優之助さんは評判通りやわ。ようわかってはる。たまの意思を尊重するのが一番大切や。たまに選ばせるのは名案ですわ」
たまが現在自分の所にいるからか、江吉は自信満々だ。
「そうとなれば決まりです。三日後、正午に互いの家の境目で白黒はっきりさせましょう」
優之助の言葉を合図に細かい段取りを詰めると、二人は小競り合いをしながら帰っていった。
「伝之助さん、ほんまに見てるだけでしたね」
この薩摩の糞侍は一切手助けをしなかった。
今回の報酬は独り占めにしてやる。
「お前が立派にやり遂げるか見ちょった」
腕を組んで深く頷いて言った。
尤もらしい事を言って面倒事を避けただけだ。
伝之助は薩摩を追われたが、京の薩摩屋敷に勤める薩摩の家老、松尾幸則から数年後、松尾が薩摩に帰る際共に薩摩へ帰ってくれと持ち掛けられている。
そう言う訳で今後優之助が一人でも仕事を完遂できるようにと体よく様子を見ると言うが、伝之助が様子を見るのは決まって取るに足らない面倒な仕事だけだ。
「はいはいそうですか。それは誠に有難い事でございます」
嫌味を込めて返す。
伝之助は特に意に介す訳でもなく外を眺める。
こいつぐらい気楽ならいいのだがと思うも、伝之助には幾度も窮地を救われているのでこれ以上言えない。
しかしどのようにしてたまに二人を選ばせるか、優之助は三日後に向けて調査に出る事にした。
「だから俺が先にあげたんやから俺んとこのや!」
「でも俺んとこに来たんやから今は俺のとこのや!」
将軍が江戸に幕府を開いて長い年月が経つ。
京で有名な呉服屋、桜着屋の長男にして跡取りとならず家を出た町人優之助は、季節を感じるのも束の間、現実に引き戻された。
「まあ二人とも落ち着きましょ」
優之助は溜息交じりに言い争う男二人を、自宅の居間にて宥める。
その様子を薩摩の侍、大山伝之助は居間の隅で茶を啜って見ている。
そう、見ているだけだ。
何とも下らない事に巻き込まれた。
なぜこんな事になったのか、いや、そもそもなぜこんな事をしているのか。
それは一年前、元薩摩の侍である伝之助が、優之助の家に無理矢理住み始めた事から始まっている。
それまでの優之助は親の脛をかじり、代わりに実家の跡取りとなった弟の勇次郎の脛もかじり、毎日毎日遊び歩きふしだらな生活を続けていた。
そんなある日の夜、侍達の斬り合いを目撃した。
斬り合いをしていたのは伝之助とならず者の浪人達で、伝之助が皆斬り倒した。
優之助は一目散に逃げ帰ったが呆気なく追い付かれて家を知られた。
伝之助は斬り合いを目撃した優之助を見張ると言って居つくようになった。
優之助は馴染みの料亭鈴味屋に通っていた。
鈴味屋では金を出せば女がお酌につく。
お酌について話し相手になるだけだがこれが評判で、それに料理もおいしいと言う事も重なり、京の町でも有名な料理屋である。
今のこの状況は、鈴味屋の一番人気で優之助贔屓の女、おさきが優之助に相談事を持ちかけた事がきっかけだった。
おさきの依頼を伝之助と二人で解決すると、瞬く間に二人は町で評判となった。
それからと言うもの、優之助と伝之助はおさきを介し、人々から依頼を受けて解決し、金をもらってそれを仕事としてきた。
大きな事件に巻き込まれて一度はこんな仕事辞めようと中断していたがまた始め、ついこの夏に一通り溜まった依頼を片付けて落ち着いたところでこの騒ぎである。
依頼内容は大きな事から小さな事まで様々だ。
今回の依頼は実に小さな依頼だった。
京の町で隣り合って住まう町人、宇吉と江吉。
二人は、いや、二人の家族はよく助け合い仲睦まじく暮らしていた。
そう、あの日までは。
ある日、宇吉の家に江吉が尋ねると、宇吉が三毛猫を抱いていた。
「おう、江吉か。こいつか?可愛いやろ。たまって言うんや。二日前にうちに現れてみゃあみゃか鳴くもんやから飯の残りもんくれたったら懐いてな。可愛くて今では大事な家族や」
たまは宇吉から離れてみゃあみゃあ鳴くと、江吉の足にすりすりと顔を擦り付ける。
「これはまた人懐っこいやっちゃな」
江吉はたまを抱き上げ、喉元を撫でてやる。
たまはごろごろと気持ちよさそうにする。
それから一月程経った。
宇吉は暫くたまの姿を見ていなかった。
妻や子に聞いても見ていないと言う。
知るはずもないと大した期待もせず江吉の家に行くと、江吉がたまを抱いていた。
たまは喉元を撫でられごろごろと気持ちよさそうである。
宇吉の怒りは瞬時に爆発した。
「この猫泥棒が!たまは俺のや!」
江吉は一瞬驚いたが、すぐさま同じ勢いで言い返す。
「盗んだんやない!たまが住み着いたんや!お前んとこが嫌やから来たんと違うんか!」
「なんやと!」
二人は取っ組み合いの喧嘩をし、近隣の人々が止めに入るまで殴り合い、罵り合った。
それからと言うもの今までの仲睦まじい様子は嘘のように、顔を合わせばたまを巡って喧嘩が起こるようになった。
救いなのは仲が悪いのはこの二人だけで、妻や子は変わらず仲が良い事だ。
今回の依頼は、そんな様子に呆れた二人の妻からの依頼だった。
基本的に仕事の依頼を断る事は無いが、断ろうかとさえ思った依頼であった。
優之助が宥めた二人は睨み合うと、また罵り合う。
「お前は俺があれだけ可愛がってるのを知ってたのに俺からたまを盗ったんや!」
「盗ったんやない!たまがお前のとこが嫌や言うて俺んとこ来たんや」
「お前は猫の言葉がわかるんか!」
「わかるわ!たまは『宇吉さんはご飯はくれるけどしつこうて敵いませんねん。俺は江吉さんとこで世話なりたいですわ』言うてたがな!」
「たまは雌や!そないな喋り方するかい!」
「わ、わかっとるわ!阿保のお前にわかりやすうに言うたんや!」
「なんやと!」
先程から変わらずこの有様だ。
伝之助は我関せずと言う様子で、しかし優之助が困っているのを見たいのか、わざわざ居間にて様子を見ている。
茶はもう飲み干したのか何をするわけでもなくぼーっとこちらを見ている。
「宇吉さん、江吉さん。そないに熱くなって言い合ったら解決するもんもしませんから」
もう何度目だろうか。再び二人を宥める。
いや、そもそも解決するのかこれ。
どちらか片方を選ぶ選択はまずない。
互いの話を照らし合わせ、理論的に答えを導いたところでまず解決しない。
これは人と人との問題だ。
どちらか一方にとなると必ずもう一方が異を唱える。
では共同で管理をしてはと言う提案はどうだろうか。
いや、ここまで拗れては無理だろう。
優之助は実に下らない依頼だが、実に難しい依頼だと言うことに気付いた。
どないしよう……
優之助の武器は二つある。
一つは容姿端麗と言う事だ。
この顔のお蔭で伝之助と出会う前までは女を取っ替え引っ替えしてきた。
しかし今この顔は使えそうにない。
相手は男だ。
もう一つの武器は口が達者な事だ。
よく回る口のお蔭で切り抜けてきた事も多々ある。
居間に座って茶を飲むこの伝之助も幾度となく言い包めてきたのだ。
優之助は二人に言った。
「せやなぁ、たまに選ばせるのはどないです?」
たまが選んだのなら文句は言えない。
だが片方を選べば双方の家族はうまくいかない。
それでは依頼を蔑ろにしてしまう。
うまく言い包めてたまが両方を選んだ事にして互いで管理するように仕向ければいい。
そうすれば亀裂が入った二人の関係も、たまを介して元通りだ。
「たまが選ぶんですか?それはちょっと……」
宇吉が言った。
たまが出て行ったものだから自信がないのだろう。
「猫に意思はありませんか。それともたまが自分の所に戻ってくる自信がありませんか」
少し挑発してみた。
宇吉の顔に朱が差す。
「そんなことありません!たまはきっとうちを選ぶはずです!」
宇吉はむきになって返す。
「優之助さんは評判通りやわ。ようわかってはる。たまの意思を尊重するのが一番大切や。たまに選ばせるのは名案ですわ」
たまが現在自分の所にいるからか、江吉は自信満々だ。
「そうとなれば決まりです。三日後、正午に互いの家の境目で白黒はっきりさせましょう」
優之助の言葉を合図に細かい段取りを詰めると、二人は小競り合いをしながら帰っていった。
「伝之助さん、ほんまに見てるだけでしたね」
この薩摩の糞侍は一切手助けをしなかった。
今回の報酬は独り占めにしてやる。
「お前が立派にやり遂げるか見ちょった」
腕を組んで深く頷いて言った。
尤もらしい事を言って面倒事を避けただけだ。
伝之助は薩摩を追われたが、京の薩摩屋敷に勤める薩摩の家老、松尾幸則から数年後、松尾が薩摩に帰る際共に薩摩へ帰ってくれと持ち掛けられている。
そう言う訳で今後優之助が一人でも仕事を完遂できるようにと体よく様子を見ると言うが、伝之助が様子を見るのは決まって取るに足らない面倒な仕事だけだ。
「はいはいそうですか。それは誠に有難い事でございます」
嫌味を込めて返す。
伝之助は特に意に介す訳でもなく外を眺める。
こいつぐらい気楽ならいいのだがと思うも、伝之助には幾度も窮地を救われているのでこれ以上言えない。
しかしどのようにしてたまに二人を選ばせるか、優之助は三日後に向けて調査に出る事にした。
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