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第八章 執着する呪いの話
第39話 気づいていた想い
(ここは何処?)
日和は何もない真っ暗闇の世界にいた。娶リ神がいる気配も無く、辺りは静寂に満ちている。
(私、娶リ神に捕まったよね? どうして、今ここに一人でいるの? もしかして、逃げる事が出来たの?)
淡い期待を抱いたが、すぐに”違う”と頭の中で否定する。
あんなにも追い詰めてきた娶リ神が、簡単に諦めてくれるとは思えない。
自分の体を見下ろして、日和はハッと息を呑む。日和の体は薄らいで、今にも消えかかっていた。
「碧真君! 俐都君! 篤那さん!」
不安に駆られ、声の限り叫ぶ。誰もいない世界で、ひとり消えかかっていることが怖くて堪らない。
『諦めろ』
娶リ神の言葉が蘇る。日和は俯き、ギュッと掌を握りしめた。
(……諦められる訳が無い。だって、私を助けようとしてくれる人がいる)
『俺も行くからな』
縁切り神社へ出発する前。
俐都と篤那が離れて二人になった時に、隣にいた碧真はそう言った。
断る理由なんて、いくらでもある。逆に行く理由なんて一つも無いのに。
視線も合わせずに言われた言葉が、心の底から嬉しかった。
一人きりなら、きっと諦めてしまった。でも、狛犬達や碧真達が、日和を助けてくれようとした。それなのに、日和が諦めては意味がない。
(まだ、消えてない。私が生きているなら、まだ終わってない!)
諦めないと強く思った時、足元から温かい山吹色の光が溢れ出した。
「これ、俐都君の力?」
日和は顔を上げて周囲を見回す。残念ながら俐都の姿はなかったが、日和の胸に希望が生まれた。
俐都の力が届いているのなら、まだ娶リ神に全てを奪われてはいないのだろう。
日和は足元の光をジッと見つめる。
(俐都君の力を分けてもらって、私も怪力になれたりしないかな? 娶リ神も好下さんのことも、拳で解決出来たらいいのに。ついでに、今までの軽い復讐として、碧真君をお姫様抱っこ出来たら最高かも)
『ああ、よかった。見つけられた』
「わばああっ!?」
突如聞こえた声に、日和は悲鳴を上げて飛び上がる。周囲を見回しても誰の姿も見当たらないが、暗闇の中からクスクスとおかしそうに笑う女性の声が聞こえた。
「えっ、だ、誰!?」
『私は、とある御方に頼まれて、貴女を迎えに来た者よ。見つけられなくて困っていたけれど、この光のお陰で見つけられたわ』
「とある御方?」
『今は教えられない。今の状態で、また縁が繋がると困ったことになるから。それにしても、上手に隠していたわね。あの御方の言う通り、悪戯好きの逆転の神様らしい守り方だわ』
混乱する日和に構わず、女性は話を続けた。
『貴女は、本当は娶リ神の隷属にされる筈だった。だけど、アイツの神気に完全に飲み込まれてしまう前に、貴女に気を分けた人間と守り神の力が働いて、隷属化を防いだ。そして、貴女を精神世界の奥底に避難させて、娶リ神に見つからないように隠していたの。……さあ、あまり時間もないみたいだから始めましょうか』
周囲の空気が変わる。
地面がヒビ割れ、目の前に幅三十メートル程の川が現れた。流れ行く川の水面には金色の梅の花が浮かび、周囲には蛍に似た幻想的な青い光が明滅している。
『赤間日和さん。貴女に選択が与えられたわ。誰かが終わらせてくれるまで、ここで待つか。心身共に傷ついても、前に進んで自分でケリをつけにいくか。選びなさい』
前に進むなら、目の前の川を渡らなければならない。激しくはないが、川の流れは早いように見えた。
『どちらを選んでも、誰も貴女を責めない。自由に、後悔しないように。貴女の心で選びなさい』
突然選択を迫られ、日和は戸惑いながらも考える。
(心身共に傷つくって、どういう事なんだろう?)
この川を進んだ先に何があるのか。目を凝らして前を見ても、何も見えなかった。川の深さも分からない。少しは泳げるが、服を着たままで、流れが早い川を泳いで渡る自信など無い。
恐怖心がジワジワと増していき、前に踏み出すのを躊躇した。
『ここに居れば安全よ。辛い思いも、怖い思いもしなくていい。少し眠っていれば、全て終わるわ。何も知らないままでいられる』
平和で安全な場所。それは、日和がずっと求めているものだ。
ここで待つことにしようかと思った日和は、ふと女性の言葉を反芻する。
(”他の誰かが終わらせてくれるのを待つ”って、私の代わりに、誰かが傷つけられるってこと?)
日和はサッと青ざめる。
誰かが日和を助ける為に傷つく。その相手は……。
「碧真君!」
日和は川に足を踏み入れる。川は深く、すぐに胸まで水の中に浸かった。
黒いドロリとした藻が体に絡みついてくるが、日和は構わずに真っ直ぐに川を歩く。
あと一歩で向こう岸に上がれるという所で、進むのを止めるように、腰に黒く重たい物が纏わりついていることに気づく。それを振り払うように、日和は足に力を込めて、前に踏み出した。
日和の腰に纏わりついていたモノが剥がれ落ち、川に流されていく。
黒い塊は、金色の梅の花に覆い尽くされて見えなくなった。
日和が岸に上がると、周囲の黒い景色にヒビが入る。
上を見上げれば青い空、目の前には色とりどりの花が咲き誇る美しい景色が広がった。
『これにて解放。さあ、行きなさい。ここからが、貴女の本当の試練だから』
女性の声が遠のく。光に包まれて、日和は眩しさに目を閉じた。
***
行燈から零れた油に引火して生まれた炎は、注がれた水に反応して、一気に燃え上がる。
引火した油の中に水を入れると、消火どころか余計に燃え広がって危険だという事を、好下は知らなかったのだろう。
「~~っ!!」
好下は声にならない悲鳴を上げながら、自分の顔を押さえて畳の上でのたうち回る。
炎は畳の上から布団へ燃え移り、容赦なく日和を飲み込もうとしていた。
碧真は体が訴える痛みを無視して立ち上がり、炎の中に飛び込む。体が炎に包まれることを覚悟をしたが、熱さすら感じない。目を開けると、服も燃えておらず、火傷ひとつ負っていなかった。
違和感を感じながらも、碧真は左腕で日和を抱き起こした。
日和の体に傷ひとつ無いことに安堵する。
(早く、日和を安全な場所に……)
立ち上がろうとした碧真の背中に痛みが走る。殴られたのかと思ったが、身体の中から何かが引き抜かれ、背中にジワリと液体が滲む感覚がした。
碧真が首を回して後ろを見ると、縁切刀を持った好下が立っていた。
縁切刀の刀身が赤い血で染まっている。好下は醜悪な顔で碧真を見下ろし、縁切刀を振り上げた。
「死ね! 死ね! 死ね!!」
縁切刀が振り下ろされ、碧真は何度も背中を刺された。
「っはは、トドメを……あっちぃっ!!」
縁切刀を振り上げた好下は、悲鳴を上げて後ずさる。大きくなった炎が、好下の着物の袖に燃え移っていた。
好下が炎に気を取られている内に、碧真は日和を左腕に抱えたまま、膝で這い進みながら外へ連れ出そうとする。
火や好下の魔の手から日和を守らなければいけないのに、もどかしい程に体が動かない。血が止めどなく流れていく。
障子戸を開けて縁側まで辿り着いた所で、碧真は力尽きて倒れた。
(日和……)
守りたいのに、もう指先の感覚が無い。視界がぼやけて、目を開けていられなかった。
このまま、死ぬのだろう。
(天翔慈なら、日和を守り切れたんだろうな)
『君では、日和ちゃんを守りきれないでしょ?』
篤那に取り憑いていた亡霊の言葉は、憎い程に正しい。
碧真には、日和を救う術がなかった。
壮太郎に頼り、日和が弱っていく姿に耐えきれず、周囲に怒りをぶつける事しか出来なかった。そんな無力な自分が、何より一番腹立たしかった。
自分では、日和を助けることも、不安を和らげて笑わせてやることも出来ない。
それでも、日和が頼ってくれる人間が、自分だけであって欲しいなんて欲があった。他の誰かに任せるなんて嫌だと思った。
本当は、とっくに気づいていた。
日和を探して必死に走る理由も。目を逸らしたくても、何度突き放そうとしても。その手を取るのは、いつも自分からだった。
もっと早く、自分から会いに行けばよかった。もっと沢山、馬鹿な話をすればよかった。もっと長く、一緒にいたらよかったのに。
(俺は、日和のことが……)
「碧真君?」
薄れていく意識の中、日和が呼ぶ声が聞こえた気がした。
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