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第十章 呪いを返す話<鬼降魔編>
第4話 屋敷に走る異変
しおりを挟む碧真と日和が鬼降魔の本家の駐車場に辿り着いたのは、十二時五十分を過ぎた頃だった。
(だいぶ時間が掛かったな……)
車内時計を確認した碧真は小さく溜め息を吐く。休日の渋滞に巻き込まれてしまい、予想の倍以上の時間がかかってしまった。
駐車場の一番手前には、依頼人の物であろう他県ナンバーの紫色の軽自動車が駐まっている。碧真は一台分空けて車を駐めた。
本家の屋敷には駐車場が二ヶ所ある。坂道から手前側にある駐車場は本家所有の車と来客用、その先を曲がった所にある駐車場が屋敷で働く従業員用となっていた。
車を降りると、日和が寒そうに首を竦めながら碧真の隣に来る。
「うう。やっぱり寒い。碧真君は寒くないの?」
「そんなにガタガタ震える程じゃない」
「本当に謎なんだけど。脂肪がないのに、一体何を燃やして体温作り出してんの? もしかして、腹黒の黒い部分って石炭なの?」
「もしかして、また坂道を転がり落ちたい願望が出たのか? 条件は揃っているから、今すぐ簀巻きにして転がしてやってもいいが?」
「そういう変態願望は所持してないから! てか、簀巻きに出来る道具がないから完全じゃないし、条件揃ってないからやめよう! ね!」
「拘束術式で縛ればいいから条件を満たしている」
碧真が腕を掴んで引きずっていくと、日和は「ヒイッ!」と悲鳴を上げて逃げようとする。
「待って! ここの坂道は急だし、長いし、冗談抜きで死ぬよね!?」
「は? 簀巻きは死刑法の一種だ。死ぬのは当たり前だろう?」
「そんな怖い当たり前なんて知らないから! 何かで巻いた物って意味でしか知らないし、巻き寿司くらいしか連想しないから!」
「ほら、早く行くぞ」
「死刑執行されると分かっていて行くと思う!? 全力で抗ってやるから!!」
「アホか。本気でそんな面倒なことをすると思っているのか? 総一郎の所に行くぞという意味だ」
「あ、なんだ。よかった。そうだよね。いくら碧真君でも本気で……いや、やりかねなくない? なんなら嬉々として実行した後に悪どい笑みを浮かべてそうだよね」
「そんなに望むなら、本当にやってやろうか?」
「すみませんでした! 早く総一郎さんの所へ行こう!」
碧真達は駐車場から屋敷へ繋がる石段を上り、門の前に辿り着いた所で繋いでいた手を離す。飛び石の上を歩いて母屋の玄関の引き戸を開ける。碧真が靴を脱いで上がろうとした時、日和が慌てたように袖を掴んで止めた。
「勝手に上がっていいの? お出迎えしてくれる人を待った方がいいんじゃない?」
「向こうから連絡しているんだから、俺達が来ることは知っているだろう。それに、屋敷の連中がわざわざ出迎えに来るわけがない」
本家で働く人間は、『呪罰行きの子』に関わろうとしない。総一郎と丈が一緒にいる時は最低限の対応はするが、それ以外は露骨に睨んでくるし、陰口を叩かれている。総一郎達が見ていないところで歓迎したり、世話する筈がない。
「そっか。碧真君は鬼降魔の人だし、方向音痴じゃないからか。私は部外者だし、誰かの案内無しに部屋まで辿り着ける気がしないもん」
「いい加減、部屋の場所を覚えろ。つうか、間違える方が難しくないか? どんだけ残念な脳みそしてるんだよ」
玄関から見える五つの廊下。一番左端の廊下を除けば、残り四つの廊下は一般客の対応に使う奥の広間に辿り着ける。方向音痴以前の問題だ。
「……碧真君。地球は丸く繋がっているよね。全部の道が世界の何処かに繋がっていて、間違った道なんて一つもない。つまり、私の行く道は全部オールOKってことで!!」
「ドヤ顔で言ってるが、意味不明すぎだろう。ちなみに、全部とオールは同じ意味だ。残念な語彙力を誤魔化す為に英語を使っても、余計に馬鹿が露呈するだけだな。ああ、その残念な脳みそじゃ、それを理解するのも無理か」
「ちょっと! 残念残念言うと、本当に残念になるじゃん! 暗示かけるの禁止!」
「暗示じゃなくて事実だろう。それに、すでに手遅れだ」
碧真は呆れつつ、左から三つ目の廊下へ進む。日和はムッとした顔をしながらも碧真の後ろに続いた。
廊下の三分の二を通り過ぎた所で、碧真は言いようのない違和感を覚える。
少し歩みを遅めながら進んでいくと、奥の方から、禍々しさを孕んだ嫌な気配が強風のようにドッと押し寄せてきた。ゾワリと肌が粟立つのを感じながら、碧真は咄嗟に右手で銀柱を取り出して構える。
体を隠すようにして廊下の曲がり角の先を覗けば、広間の襖が廊下の壁に斜めに立てかけられるように倒れていた。誰かが襖の下敷きとなって廊下に倒れているのか、黒髪の頭部が見える。
碧真が周囲の様子を伺っていると、広間の入口の下の方からニュッと黒い小さな手が出てきた。
ゆっくりと持ち上がった手が、倒れていた襖の上に載る。襖を揺らしながら、何かがゆっくりと室内から這いずり出てきた。
碧真は息を呑む。
現れたのは、黒く焼け焦げた子供のような姿をした異形のモノだった。
全身に邪気と穢れを纏った異形のモノが、折れ曲がった首を持ち上げる。眼球の代わりに埋め込まれた深く不気味な闇が碧真を捉えた。
小さな二つの闇が笑むように形を歪める。それと同時に、目と鼻を刺すような火災臭が漂ってきた。
煙も火の気配もないのに体に纏わりついてくる強烈な臭い。
顔を顰めながらも注視していると、異形のモノの上空に邪気と穢れの塊が浮かび上がった。粘土のように歪な形をした塊は、何かの手に捏ねられでもしているかのように蠢き出す。
塊から一気に噴き出すように黒く長い髪が生え、炎のように宙にゆらゆらと揺れる。一瞬で作り出されたように、髪の隙間から青白い肌と黒く塗りつぶされた無感情の目が現れる。喪服のような黒いワンピースの裾が風もないのにふわりと揺れる。長袖から伸びていた青白い指先は不自然に折れ曲がり、異質さを際立たせていた。
成人女性の姿をした異形は、ゆっくりと碧真の方へ視線を向ける。
光ではなく、禍々しい狂気を宿した目。皮膚を裂くほどに口角を上げた歪な笑みを浮かべた女を見て、碧真は日和の手を掴んだ。
「走るぞ」
「へ?」
間抜けな声を上げる日和の手を引き、碧真は来た道を戻る。廊下の角を左に曲がって玄関前まで辿り着いた時、右側の廊下から誰かが走ってくる足音が聞こえた。
振り向くと、屋敷で働く従業員の女が、手に持ったナイフを振り翳して迫ってきていた。碧真は右手に持っていた銀柱を足元の床に投げて壁型の結界を生成する。女の攻撃が弾かれると思った時、結界がフッと消失した。
「なっ!?」
驚く碧真の心臓に向かって、女は躊躇いなくナイフを突き刺そうとする。咄嗟に反応出来ずに思考が『間に合わない』と告げた時、日和が碧真の腕を思い切り後ろに引っ張った。
コートの表面を浅く掠めるような小さな音が鳴る。紙一重のところでナイフの鋒を躱せた。体勢を立て直す間も与えないというように、女が手首を返して再びナイフを振るう。
「わえっ!?」
日和が間の抜けた声を上げ、碧真の視界がガクリと揺れる。足を滑らせた日和に引っ張られて一緒に床の上に倒れると、間近でドスリと嫌な音がした。
「日和!?」
横向きに倒れた日和の背中にナイフが突き刺さっているのが見えて、碧真はサッと血の気が引く。
従業員の女がナイフを引き抜こうとする。碧真は女の鎖骨付近を思い切り蹴りつけた。
前のめりに屈んでいたことで体勢が不安定だったのか、女は大きく数歩後退して仰向けに転がる。玄関前のスペースに置かれていた花瓶と飾り棚が女の体の上に倒れて、ガシャリと大きな音を立てた。
碧真は直ぐに日和に視線を戻して驚く。
ナイフは日和の体ではなく、背負っていたリュックに刺さっていた。あと数センチずれていれば、脇腹に刺さっていただろう。放心状態だった日和も「あっぶな」と小さく呟いて自分の背中を見ていた。
安堵したのも束の間、ドンと激しく床を叩く音がした。
飾り棚の下敷きになった女が手足をバタつかせて暴れている。棚の引き出しに手足が挟まっているのか、簡単には抜け出せないようだ。
碧真は立ち上がり、日和の手を引っ張って立たせる。靴をつっかけるように履いて玄関の引き戸を開けると、鎌や枝切り鋏を手にした従業員の男二人が玄関前に立っていた。二人とも白目を剥いて口から泡を吹いており、一目で異常だとわかる。
碧真は舌打ちして、玄関の引き戸を閉めて鍵をかける。すぐに日和の手を引き、左端の廊下に向かって走り出した。
後ろからガラスの割れる大きな音がする。
獲物を喰らおうとする獣のような獰猛な足音が、碧真達に迫ってきた。
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