呪いの一族と一般人

守明香織

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第十章 呪いを返す話<鬼降魔編>

第41話 御伽話を夢見る少女

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「ごめんなさい! ごめんなさいぃっ!!」

 震えながら必死に絞り出した声は、体に走る強い衝撃で無惨に散った。

 鉛のような重たい鈍痛に呼吸すらできない。腹を抑えながらうずくまった幼いゆうの背中に、追い打ちをかけるように再び痛みが走った。
 
 父の顔は怒りに満ちていた。恐怖と痛みで悲鳴すら上げられない娘の背中を、父は容赦無く何度も踏みつける。

 裕奈がテレビを観て笑った。それだけのことが、仕事から帰ってきた父の癇に障ったのだ。父が帰ってきたら、暴力を振るわれないように静かにしないといけなかったのに、テレビが面白くて見入ってしまっていた。父の足先が顔に当たり、歯が取れて、床の上に転がる。

 口の中に広がる血の味を感じながら、裕奈は救いを求めて母を見る。
 手を伸ばせば届く距離だが、母は手を伸ばさない。殴られる裕奈を『無い物』として扱い、夕飯の支度を整えていた。

 裕奈は泣きながら、一秒でも早く父の気が済むのを祈って耐え続けた。


 裕奈が物心ついた頃には、父からの日常的な暴力があった。この家では、父は怪物であり、絶対的な支配者だ。
 父はごうの家の生まれ。母は一般人。一般人の母は、呪いの力を持った父に逆らえない。
 裕奈は鬼降魔の力を受け継いでいたが、父に逆らおうとする思考は生まれなかった。

 抵抗できない期間が長く続くと、人間の脳は『諦め』を学習する。裕奈も母も、自分を守るために耐えることに必死で、『抵抗する』という選択肢が頭から消えていた。

 学校が嫌いで行きたくないという子がいるが、裕奈にとっては安全地帯だった。友達と呼べる子はいなかったが、大人しくしておけば大人に殴られることはない。休日は父にこき使われるので、平日の学校が待ち遠しかった。

 ひとりぼっちの裕奈は、小学生の頃から図書室が好きだった。
 両親には絶対に買ってもらえない本を自由に何冊も読める。嫌な現実から逃れるように物語の世界に没頭した。

(物語に出てくる男の人は、こんなに素敵なのに……)

 物語に出てくる男性は、好きな女性のことを大事にしている。いつも優しくして、好きな人を笑顔にして、守って、変わらぬ愛の言葉を囁く。

(……御伽話だからか)

 本に書かれた『この物語はフィクションです』という言葉がまさに物語っている。現実に、こんな素敵な男性はいない。

 男の人は気に食わないことがあると暴力で女を踏みにじり、自分が上の存在なのだと偉そうに振る舞う。自分に都合が悪くなると、責任を押し付けて逃げようとする。それでも、女は耐えるしかない。父と母を見て学んだことだった。

(物語から素敵な男の人が出てきてくれないかな。それで、私を迎えにきて、こんな現実から連れ出して、素敵な世界に連れて行ってくれないかな?)

 そんなことあるわけないという思いと、もしかしたらという期待。そんな惨めさと共に生きてきた。


 一九九九年、二月七日。
 
 中学二年生の冬。裕奈は父から命令されて、鬼降魔の本家で女中として働く伯母のりつに会いに行くことになった。
 
 今にも雪が降りそうな暗い灰色の空の下、皮膚を裂くような冷たい風が吹く。向かい風を受けながら、裕奈は自転車を漕いで本家を目指した。

 自転車のカゴには、父から持たされた物が入った風呂敷包みがある。途中で自転車を下りて、屋敷に繋がる勾配のある坂道を上る。駐車場の隅に自転車を停めた時には、指先が真っ赤になって、感覚がなくなっていた。

 自宅から近所ではあるが、本家に来たのは初めてだった。母屋に辿り着き、緊張しながらインターホンを鳴らして、伯母の律子に会いに来たことを告げる。
 寒さに震えて歯をカチカチ鳴らしながら待っていると、律子が出迎えてくれた。

 裕奈は風呂敷包みを両手で差し出す。

「これ、伯母さんにと」
 
 あまり会ったことがないので緊張して、ぶっきらぼうな感じになってしまった。父の姉なのだから、きっと怖い人なのだろう。態度が悪くて怒られやしないかとハラハラとする。律子が風呂敷包みを受け取った後、裕奈は「それでは」と逃げるようにきびすを返そうとした。

「待って、裕奈ちゃん。せっかく届けてくれたんだから、お茶くらい出させて頂戴」
「え? あ、いえ。いいです」

 裕奈は遠慮して首を横に振る。あまり長居して父に怒られるのも怖い。

「お鼻が真っ赤になるくらい寒かったんでしょう。少しでも温まっていって」

 裕奈は恥ずかしくなり、両手で鼻を隠す。律子は優しく笑っていて、想像していた怖い人ではなさそうだった。

(……このまま帰るのも悪いよね。お茶を一杯もらって、自転車を急いで漕いで帰れば大丈夫かも?)

 裕奈は迷った末に、律子の厚意に甘えることにした。母屋に入って廊下を進んでいくと、途中にある一室に通される。

「ここは女性従業員用の休憩室よ。今の時間は他の人が来ることはないから、くつろいでいても大丈夫」

 本家にいる人達には近寄りがたい雰囲気があるので、会わなくていいことに胸を撫で下ろした。

「お茶を持ってくるから少し待っていてね。ストーブもつけていいから」

 律子はそう言って部屋を去る。裕奈は敷いてあった座布団の上に座った後、寒さに勝てずにストーブの電源を入れる。ジーという振動音と共に灯油の独特の匂いが鼻を掠める。ボッと火が灯る音がした後にストーブの前に手を翳せば、温かい風がゆっくりと肌を撫でていく。冷えた指先にじわじわと熱が戻ってくるのを感じて、裕奈はホッと息を吐いた。

(いつもはお父さんがストーブを独り占めしているから、ちょっと嬉しいかも)
 
 普段は味わえない贅沢に気分が高揚する。暫く喜びを噛み締めた後、裕奈は周囲を見回した。
 本家は威圧感を感じるほど綺麗に整えられているが、休憩室ということもあってか生活感があった。

 座卓の上には、出しっぱなしのファンデーション、洗濯バサミで留めた食べかけの菓子の袋、飲み残しのコップや空のペットボトルが置いてある。
 休憩室の中にある沢山の物の中で、裕奈の目に留まったのは、女性向けのファッション誌だった。

(ちょっとだけ読んでみてもいいかな?)

 裕奈だって年頃の女の子だ。オシャレにとても興味がある。父が女の贅沢は許さないと怒るので、裕奈の服は母が選んだ地味で安い物ばかりだが、同級生の女の子達が着るような可愛い服を着てみたい。

 そろっと手を伸ばした時、座卓の上に置いてあった化粧ポーチに肘が当たってしまった。ポーチがコロンと畳の上に転がる。チャックがしまっていなかったのか、中に入ってあった化粧道具が畳の上に散らばった。

(やってしまった)

 裕奈は青ざめる。誰かが来る前に片付けなければと焦りながら、落ちてしまった物をかき集める。その中で、異様な物を一つ見つけた。

(何これ?)

 親指サイズの竹筒。上下に分かれて開けられる物なのか、中間部分に切れ込みがある。表面には何かの紋様が彫られていた。
 
 裕奈が父から暴力を振るわれていても現れない加護のいぬが自ら顕現する。
 戌は、まるで敵のように竹筒に向かって吠えた。裕奈は「静かにして」と小声で怒り、戌を強制的に消す。周りに戌の声を聞かれたのではないのかとヒヤヒヤするが、幸いにも誰も近くにいないようだ。

 裕奈は何かに導かれるように、竹筒の蓋に手をかける。思ったより蓋が固い。少し蓋を上にずらせた時、竹筒の中から『ニャー』と猫の鳴き声がした。
 
 竹筒に入る大きさの猫がいるのかと、裕奈はワクワクしながら両手に力を込める。
 ポンと空気が抜ける音がして蓋が開いた時、裕奈の心臓が今まで感じたことのないほどにドクンと大きく跳ね上がった。

「かっ……は」
 
 何かに胸を押されたように、うまく息ができない。父に殴られる時よりも強い痛みが後頭部に走る。ぐらぐら揺れる視界の中で、自分が倒れたのだと遅れて気づく。脳が掻き回されているように気持ち悪い。重たい瞼を必死に持ち上げる。

 涙の滲む目を薄く開けると、空中に金色に光る猫の目が見えた。猫の目がどろりと溶けて、裕奈の体の上に落ちる。

「ゆ…… なちゃん!!」

 律子の悲鳴と騒がしい足音が聞こえてくる。裕奈は思うように動かない体を必死に動かして、律子へ手を伸ばす。

「たす……」

 言葉の代わりに、喉元に不快なものが迫り上がってくる。裕奈は堪えきれずに吐き出してしまった。

「うわ!! 汚ねっ!!!」

 律子と一緒に来ていた見知らぬ男性が声を上げる。父と同じ年代の男性が放つ嫌悪感を含んだ声に、裕奈の顔から血の気が引いた。気持ち悪さでグラグラする頭に浮かぶのは、裕奈を叱責する父の顔。きっと、父がこの場にいたら、裕奈は容赦無く物を投げつけられていただろう。

「す……せん」
 
 涙がボロボロ流れる。汚した物を片付けないといけないのに、気持ち悪くて更に吐き出してしまった。喉が焼かれたように熱く、水が欲しくてたまらない。人の目があるからちゃんとしないといけないのに、近づいてくる死への恐怖しか考えられなくなった。

(私、このまま死ぬの?)

 頭の中にバッドエンドの文字が浮かぶ。

 自分の人生は生まれてから死ぬまで、ずっと不幸なままなのだろうか。不遇な時が続いても、物語の主人公のように、いつか幸せがくると信じていたのに。

(誰か助けて!!)

 繰り返し何度も願ったこと。それが叶えられることは今まで一度もなかった。
 きっと、今回も助けてくれる人はいないだろう。苦しみに溺れて死ぬ自分を可哀想だと思うこと以外、裕奈には何もできなかった。

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