呪ぱんの作者

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 ああ、よく来てくださいました。
 狭い家ですが、どうぞお上がりください。

 まあ、手土産ですか。
 こちらが突然お誘いしたのに、気を遣わせてしまいましたね。

 どうしても、お会いしたかったのです。
 私の可愛い妹の婚約者である貴方に。


 まずはこちらに座って、お茶を召し上がってください。
 香りがとても良いでしょう? 
 ちょっと奮発して、海外の有名なお茶を取り寄せてみました。
  
 気に入って頂けてよかったです。

 そう。少し苦いですが、このお茶は健康に良いらしくて、体内にある毒を洗い流してくれる効果があるそうです。貴方には、長生きして欲しいので。

 それにしても、随分とお痩せになりましたね。
 
 ふふふ。確かに、私も人のことは言えませんね。だいぶやつれてしまったので、周りの人達には随分と心配をかけてしまいました。

 あの子が死んでしまったことが、本当にショックで……。
 あれから、世界の何もかもが色褪せたように感じます。仕事も手に付かず、先月末に退職してしまいました。
 
 ああ、大丈夫です。貯金はありますので、生活には当分困りません。
 実は、妹の結婚式の費用を出そうと思って、内緒で貯めていたんです。
 それも無駄になってしまいましたが……。 

 そう。貴方にとっても絶望的なことだったでしょうね。唯一愛した女性を失ってしまったのですから。
 

 貴方は私達の家の事情を知っておいででしたよね。

 私と妹は、両親にとって要らない子でした。
 親から愛情をもらった記憶はありません。両親からの愛と関心とお金も、全ては兄が独り占めしていましたから。

 両親は世間体を守ることには抜かりなかったので、大怪我を負わされることがなかったのは幸いでした。ですが、両親や兄は気に食わないことがあると、私と妹に暴力を振るいました。食事を抜かれた事も数えきれない程あります。
 
 私と妹の部屋は物置の中。
 暖房もないので、冬の日は妹と二人で一枚の毛布にくるまって眠りました。
 妹がいなかったら、きっと私はとっくの昔に絶望の中で死んでいたでしょう。妹の存在が、私の唯一の心の支えだったのです。

 妹が高校を卒業して、二人で実家を飛び出した時は牢獄から解放された気分でした。
 もちろん、最初の頃は苦労しましたし、怖い目にも遭いましたけど。それ以上に、暴力に怯えることもない自由を手に入れられたのが嬉しかった。

 私の夢は、妹と穏やかに暮らすことでした。それが叶った私は、世界一の幸せ者だったと思います。

 妹も私を一番大事に思っていてくれました。まあ、会社の上司である貴方に出会う前までですが。

 妹から貴方を紹介された時、私は嫉妬しました。大事な妹を奪ってしまうク……いえ、何でもありません。

 そう。くしゃみが出そうになっただけです。

 とにかく、貴方と出会ってからの二年間、妹はとても幸せそうでした。
 貴方から貰ったワンピースを着て、頬をバラ色に染めながら鏡の前でクルクルと回る姿は、もう最高っ!!

 失礼。妹への愛が溢れました。

 貴方は、とてもたくさんの物を妹に与えてくれましたね。
 花束、ブランド品のバッグ、綺麗なアクセサリー、可愛い洋服。

 まるでお姫様になった気分だと、妹は本当に嬉しそうでしたよ。

 大袈裟ではありません。私達の今までの生活では考えられないことばかりでしたから。ドラマの世界だけの話じゃないのかと、私も妹と一緒に驚きましたよ。
  
 え? 
 
 そんな、私の彼の話はいいでしょう。
 もう彼と私には何の関係もありませんから。

 実は、妹が亡くなった後に彼とは別れたんです。

 確かに、彼との結婚も考えていましたよ。
 ですが、彼は貴方とは対照的な人物でしたからね。お互いの将来を考えてやめたんです。

 本当、私と妹の相手が逆だったら良かったのにと思います。


 あら、とても驚かれていますね。

 私の想いに気づいていなかったのですか?
 それは良かったです。私、嘘をつくのは得意なんです。

 自分の気持ちに素直に従って、貴方と妹の仲を邪魔しておけば良かったと後悔しましたよ。そうしたら、妹の婚約を解消することができたかもしれません。

 ふふふ。そんなに挙動不審にならなくても大丈夫です。
 貴方が心配しているようなことは起きませんから。

 もし、この場に妹がいたら、泣きながら私を止めるでしょう。
 
 そう。私は悪魔になる気はありませんよ。
 
 私にとって一番大事なものが妹であることは、今でも変わらない絶対的なことなんです。

 それに、私はもう恋愛する気はないんです。
 妹と違って、私は結婚に夢を見れない人間みたいです。
  
 そういう貴方は、これからどうなさるおつもりだったんですか?
 喪が明けたら、妹の代わりとなる女性を探される予定は?

 そう。今は考えられないでしょうね。貴方はお優しい方ですから。

 ですが、貴方の周りの女性達は放ってはおかないでしょうね。
 貴方は会社内や取引先の女性達から人気が高く、とてもモテると妹から話を聞いていますよ。

 そんな謙遜なさらず。

 顔もカッコ良い上に人当たりが良い。高学歴で高収入。会社の方達からの信頼厚く、地位も実績もある。実家も絵に描いたような裕福で幸せな家庭。結婚相手として理想的。

 そう。まさに、全てを持っている人と言っても過言ではありませんよ。
 
 ふふふ。照れていらっしゃるのですか? 
 てっきり、言われ慣れていると思っていました。
 妹の口から、貴方の自慢話が出なかった日は無かったので。

 そう。私も妹と同じように思っていましたよ。


 妹はいつも心配していました。
 貴方が素晴らしい人だから、自分と付き合うことに物足りなさを感じて離れていってしまうのではないか。周りにいる他の女性達に、貴方を取られてしまうのではないかと。

 貴方が女性社員達から頻繁にボディタッチをされたり、食事に誘われていたことも、妹を不安にさせていました。
 
 浮気はしていないって。
 そんなの信じるわけがありませんよ。

 ああ、落ち着いてください。そう大声を出さなくても、わかっていますから。

 そう。貴方は浮気なんてしていません。私は、貴方を信じています。

 それに、妹は貴方を心から信じていました。


 カップが空になっていましたね。
 お茶のおかわりはどうですか?

 よかった。気に入ってもらえて嬉しいです。


 ああ、テーブルに飾っている花ですか?
 お恥ずかしながら、あまりに質素な家なので、見栄えを良くしようと思って飾ってみました。

 マリーゴールド。
 綺麗でしょう。あの子のイメージに似合うお日様のような花。
 
 それに、貴方のイメージにもピッタリだと思いました。
 貴方とあの子は、まるで正反対ですけど。

 
 あの……。
 貴方は、何故妹が死んだと思いますか?
 
 突然こんなことを聞いてしまって申し訳ありません。
 実は、今日貴方を家に呼んだのは、妹の死について話したいと思ったからなんです。

 何を考えて、自分から真冬の夜の冷たい川に飛び込んだのか。

 あの子は、貴方との結婚を望んでいました。
 やっと、幼い頃から夢見てた幸せな結婚をして温かな家庭を築くことが叶う幸せな時に。
 あの子は、今までの辛い時間の分も幸せになるべき子だったのに……。自分から、あんなに寂しくて悲しい最期を選ぶなんて!


 ……すみません。
 もう三ヶ月も前のことなのに、あの子が死んだことが受け入れられないんです。どうしても、忘れられない。


 確かに、妹は会社の方達との人間関係がうまくいっていないようでした。
 妹が仕事から泣きながら帰ってきた日、他の社員達から誤解されて嫌われてしまったと言っていました。
 何があったかは、会社の守秘義務に反することだからと教えてくれませんでしたが。

 その日から、随分と塞ぎ込んでしまって。精神的に不安定になって、布団から起き上がれない日も次第に増えていきました。会社の方達にご迷惑をお掛けすることになって申し訳ないと、いつも自分を責めていました。

 謝らないでください。

 そう。貴方のせいではないとわかっていますから。

 あの子が最期に私に送ったメッセージには、誰かに対する恨みは書かれていませんでした。自ら死を選ぶことに対する謝罪と、今までの感謝の言葉が書かれていました。


 ですが、私は妹の死が自殺だとは思っていません。

 これは、他殺です。
 
 
 驚くのも無理はないですね。
 貴方の言うように、周囲の目撃証言と状況的にも、妹の自殺で間違いないと警察の方は言っていました。

 ですが、人の悪意によって妹が自殺に追いやられたのだとしたら?
 これを他殺と言わずに何と言いましょう?

 世の中には、救いようのない程に悪い人間がいます。

 心優しくて疑うことを知らない人間を騙して悪事の片棒を担がせて、発覚しそうになったら責任を押し付けて自分は知らんぷりをする。

 自分を守る為に、相手を貶める悪意ある噂を流し、周囲の人間の同情を買う。
 弱い者のフリをして、味方になった周囲の人間達に一人の人間を攻撃させる。
 
 本当に虫唾が走るクズ野郎がいるものだと思いませんか? 
 
 まあ、顔が真っ青。
 申し訳ありません。貴方には刺激が強すぎるお話でした。

 そう。今のお話は、貴方には関係ないことですものね。
 
 そう。貴方は、妹に対する悪意のある噂にも、妹の死にも無関係ですからね。
 

 貴女は何が言いたいのか、ですって?
 あらあら、こんなにヒントを与えたのにお分かりになりませんか?

 そう。貴方は妹を愛していた。
 そう。貴方は妹に一途で周りの女性達など目に入らない。
 そう。貴方は妹をとても大切な存在だと思っていた。
 そう。貴方は妹の死を悲しんでいる。

 そして、貴方は今、目の前にいる婚約者の姉に怯えている。

 ふふふ。可哀想に。手が震えていますよ。

 貴方は嘘の反対は何だと思いますか?

 真実……。
 それもありますが、もう一つあるでしょう?

 わからないですか? それではヒントをあげましょう。
 嘘という言葉を逆から読むと、どうなります? 


 そう。
 
 改めて、私との会話を最初から思い出して考えてみてください。
 私の言いたいことがわかると思いますよ。

 ああ、もう私の声は聞こえていませんね。

 ゆっくりと休まれてください。

 あの子は寂しがりやなので心配していましたが、もう大丈夫ですね。
 大好きな貴方と一緒に眠れるのですから。 

 どうか、これからは妹だけを愛して、大切にしてください。

 あの世で末長く、妹をよろしくお願いします。

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