あの日、あの場所で

いまさら小次郎

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第六章 夢であり、幻であっても

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放たれた欲望は、孝之の腹と手を濡らした。
右手に吐き出されたそれは、
降り注ぐシャワーの水と共に指の間から流れ落ちていく。
その様子をじっと見つめながら、
尚も治まらない熱に身を焦がす。

"俺も…お前の夢を見るよ……"

電話口で最後に告げられた龍司の言葉に
ドクンと、心臓が大きく一打ちする。
頭を壁に強く擦り付けて、再び右手を腰元に添えた。

夢でも良い。
幻でも良い。
嘘でも良い。
なんだって、良い。

シャワーの口を強く捻った。
一層強く吹き出した水を身体全体に受けながら、
添えた手を滑らせる。

"タカユキ……タカユキ……"

夢の中の天使の白いリネンのシャツを、
強引に引き剥がした。
風と桜の花びらの舞う、霞がかったその世界。
緑香るその世界で、天使は無抵抗に寝転がっている。

剥き出しになった白い肌に唇を当てると
天使は背中を反らせた。
両膝の間に孝之を収め、甘えるように孝之を抱き寄せる。
唇から覗く赤い舌を貪るように絡めると、
天使は少し苦しそうにそれを受け入れた。

自分の名前を呼ぶあの声が、こだまする。 

長い薄茶色の髪ごと頭を掴んで抱き寄せ、
身体を乱暴に押し進めた。
天使の顔を見ることもせず、腰を打ち付けた。
天使はしがみつくように孝之の背中に手を回した。
時折爪を立てるその仕草は、まるで猫のようだった。

「タカ…ユキ…ぁ…ぁっ…タカユキ…」

「龍司…龍司……っ…」

許してくれ。

そう呟いて、また天使の唇を貪った。
止められない。
欲望が暴走する。

「龍司…龍…司…」
『……っ孝之……っ…』

繰り返し吐き出される欲望は
孝之の身体を汚す間もなく
シャワーが全て洗い流してくれる。

浅い呼吸に含まれた喪失感だけが
孝之の身体にいつまでも張り付いていた。
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