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8 秘密の言葉、心の扉
しおりを挟む「おばけ、かぁ……」
しばらくして帰ってきた健斗が、亜蘭から詳細を聞き、そうつぶやいた。
「日本人とは違うもの。異質なものに映るのは仕方がないと思うわ。子どもは正直だし」
それを聞いたルシアーナの声は、元気がない。隣のリビングでは、まだ元気のないミッシェルが兄の腕の中で絵本を開いている。
こちらの声が聞こえているのかいないのか、反応はない。ただ、顔は今も暗いまま。それに、ルシアーナの方には近づいてもこない。怒っているのだろうか。
「僕は綺麗だと思うけどね」
健斗も弟と同じことを言った。ベールのないルシアーナの姿は初めて見たはずなのに、特別な反応はなく、ただ自然なものとして受け入れてくれた。
「こんなに綺麗なら、魔女が狙うのも仕方ないかも」
前に教えた物語を覚えていた健斗が、そんなことを言ってからかう。ルシアーナを元気づけようとしてくれているのだろう。だから、彼女はふっと笑った。
「兄ちゃん、ミミ、どうやったら元気でるかなぁ。もう泣いてないけど、ずっと黙ってて……」
亜蘭もミッシェルの方が気になってそわそわと落ち着かない。なんとか元気づけようとしているのだろう。
「ゲームを見せてあげたら? 映像はミミちゃんたちの国にはなかったみたいだから、いつも真剣に見てるよね」
「わかった!」
健斗の助言を受けて、亜蘭がさっそくリビングに戻っていく。
「こういうことを聞いていいのかわかんないけど」
2人だけになったリビングで、健斗の方から口を開いた。
「ルシアーナさんたちは、貴族なの?」
そうか、健斗は知らないのか。
「正確には王族よ」
隠せるものでもない。身内なら身分を明かしても大丈夫だろうと、ルシアーナは正直に答えた。
「お、王族って……」
「お兄様は王太子だし、わたしとミミはプリンセス……日本語だと、王女、になるのかしら」
健斗は驚いていた。そんなに驚くことでもないと思うが。
「わたしたちの国には、宗教がない分、国王とその家族が信仰の対象。だから、お父様はいつも仰っていらしたわ。いついかなる時も、国民の模範になるために完璧であれ、と」
幼い頃から聞かされていた言葉は、今もルシアーナの芯を支えるものとなっている。
「完璧か……。厳しいね」
「そうかしら」
自分で考え動くことを、物心ついた時から求められた。それは、ごく当たり前のこと。国民から信頼されるためには、必要なことだった。
「ってことは、やっぱりルシアーナさんたちにとっては、学校に行くだけできついのかな」
「……そうね。わたしはそういうものだと受け入れられるけど、ミミにはつらいのかもしれないわ」
頑固というよりも、妥協を知らない年齢。しかたがない、という言葉を理解できない年齢。それが、今のミッシェルだ。
ルシアーナは、日本については母に教えられたことしか知らない。だから、妹を納得させる言葉を知らなかった。
「常に完璧を求められるのもきついけど、完璧な王族を目指してきたからこそ、思うところはきっと多いよね。義務教育とはいえ、無理に行かせるべきじゃないかも」
「甘やかしたくないわ」
ほんの数時間前、兄と話したこと。国に帰るために、荒んだ国を立て直すために、今は日本での生活が必要なのだ。この時間は、きっといつか活かせる。
「ルーシャは昔から器用だったからね」
そこへ、兄がダイニングの方に入ってきた。リビングを見ると、ミッシェルが亜蘭の隣でテレビを見つめていた。少しは落ち着いたのだろうか。
「求められることは、ある程度できた。できないことがわからないんだ」
「……お兄様には言われたくありません」
完璧だったのはどっちだ。ルシアーナの記憶がある頃にはもう既に、兄は優秀だった。そんな兄を支えられる人間になれと、ルシアーナは育てられてきたのに。
「ミミなら大丈夫だよ。さっき話をしたから」
「どんなお話を? ミミは納得したのですか?」
「納得はどうかな。でも、理解はしていると思うよ」
また難しい話を。幼い子どもが、そんな器用なこと、できるわけないではないか。
「ミミが言っていたんだ。日本語は秘密だって。だから、外では喋らなかったんだって」
「……!」
その言葉に、ルシアーナはハッとした。
母との日本語の勉強の時間は、あくまで秘密だった。公然の秘密、という感じではあったものの、表向きには禁止されていた。
そもそも、海の外について知るのは法律で禁止されていた。だから、日本について知ることも、本来はできなかった。
それでも3兄妹が日本語を勉強できたのは、父が黙認してくれていたことと、母の優しい教え。『いつか必ず、必要になる時が来るから』
そんな母が教えてくれたのは、日本語だけではない。ミッシェルはまだ完全ではないものの、兄とルシアーナは英語まで教えてもらっていた。
まるで、1年前に亡くなった母が、1年後の今の状況を予見していたかのように。
今思えば、父から聞いていたのかもしれない。いつか国を開くつもりであることを。
その時に、王族として立派にやっていけるように、他国と対等な関係を築けるように、母は外国語を教えたのだろう。
「ルーシャはなんとなく察してくれていたけど、そういえばミミには説明していなかったと思い出してね。説明不足は私の責任だ」
「違いますわ。ミミのことは、わたしに任せてくださるはずです。であれば、ミミが理解できていなかったのは、わたしが説明できていなかったということ」
「ルーシャにそこまで求めてないよ」
一国を背負う兄に、余分な責任がいかないように。兄を支えるとは、そういう意味ではなかったのか。
「責任の所在って、そんなに大事?」
健斗が無邪気に笑う。無責任だ、とルシアーナはムッとした。
「それとね、私も学校に通うことにした」
「え……」
兄の発言に、ルシアーナは一瞬思考が止まった。
「来年からだけどね。大学という大人も行ける学校があるらしい。今は大学に入る資格がないらしいから、できるだけ早く資格を取ってからになるかな」
「お兄様」
淡々と説明する兄の声を止める。
「お兄様まで学校に通う必要は」
「ルーシャ、日本の学校は平民向けじゃないよ」
無意識に思考が凝り固まる妹に、ジェラードが笑った。
「わかっています。ですが……」
「王太子であっても、学校に通う権利はある。日本は素晴らしいね」
学校に行くのを楽しみにしているらしい兄に、ルシアーナはわずかに呆れる。
そういえば兄は、本来好奇心が旺盛な性格だった。普段は王太子らしい落ち着きで隠しているが。
「それに、ミミに言われたんだ。私は学校に行かないから、ミミの気持ちはわからないって。確かにその通りだと思ったよ。国の未来のためにもだけど、まずはミミが前向きになるために、ミミと約束したんだ」
そんな話があったのか。
「……わかりました。反対はしませんが、くれぐれもお気をつけください。お兄様に何かあれば、イースデイルは終わりですから」
「ルーシャとミミがいるじゃないか」
妹たちに任せる気など、微塵もないくせに。ルシアーナよりも厳しい教育を受けて育った兄こそが、王位にふさわしい。
その日の夜のことだった。
いつも通りの時間にベッドに入ったルシアーナは、寝付けなかった。下のベッドに眠る妹が気になって仕方がない。
拗ねているのか怒っているのか、今日は寝かしつける前にベッドに入ってしまっていた。
おかげで、まだ妹と話せていない。明日になったら忘れているだろうか。
そんなことを考えるルシアーナの耳に、小さな嗚咽が聞こえた。
ハッと身体を起こす。その声は、ミッシェルのベッドから聞こえていた。
「ミミ……?」
ルシアーナはベッドから出て、下段の妹のベッドのカーテンを開ける。
「……!」
小さな身体をさらに小さく折りたたんだミッシェルが、枕を抱きしめて泣いていた。
「ミミ……」
姉が来たことに驚いていたミッシェルも、ルシアーナを見て、みるみる目に涙を溜めて手を伸ばす。そんな妹を、ルシアーナはしっかり抱きしめてあげた。
「ミミ、どうしたの?」
「“……たい”」
「え?」
「“父さまに会いたい……母さまに会いたい……!”」
初めて聞いた。国を出てから、一度も聞いたことがなかった。
我慢していたのか。兄と姉を困らせないように、と。この小さな身体いっぱいに、ため込んでいたのか。
「“……ごめんね”」
大人の都合に巻き込まれただけ。本当なら、両親に甘える年齢。今回の出来事が、強引に大人にさせていた。
「“ごめんね、ミミ”」
ルシアーナのせいでもない。しかし、今ミッシェルに謝れるのは、ルシアーナだけ。
母国を荒らした大人たちの代わりに。我が子を手放す決意をした父の代わりに。我が子を残して旅立ってしまった母の代わりに。
もし母がいたら、どんな風に抱きしめてくれたのだろう。どんな言葉をかけてくれたのだろう。完璧に代わりになれるわけではないが、それでも、せめて母の温もりを伝えてあげたい。
嗚咽しながら揺れる肩を、ルシアーナはしっかりと抱きしめた。
その日、姉妹は1つのベッドで身を寄せあって眠った。
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