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7.高尾明日香編①

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「あーすーかー!」

「お、エミ!」

友人の声に、明日香は軽く手を振る。

明日香あすか、今日、部活は?いかないの?」

「ごめん!今日用事あって!」

「いいよ、いいよ。いつも真面目すぎるんだから、たまにはサボりな。先生には上手く言っておく!」

「だからサボりじゃないって!」

そう笑い合いながら、明日香は学校を出た。

用事というのは、ゲームのイベント。

サボりではない。大切なゲームイベントは、立派な用事の1つ、と自分に言い聞かせる。

特に今回のイベントは、明日香の推しキャラ、『澤山さわやま和馬かずま』のイベントだ。

学校から少し離れて、ようやくスマートフォンを取り出せる。

過去の経験から、今の学校ではゲームが好きだということは隠していた。

必死に勉強して地元から離れたのも、過去と決別するため。

イベント5分前。アプリを開き、そのまま待機。

足早に歩きながら、イベントのスタートを待つ。

わくわくと高鳴る胸。どんなスチルが見られるのだろう。

そんな時だった。

ドンッ

「きゃっ」

人にぶつかってしまった。

「すみません!」

スマートフォンばかり見ていたための前方不注意だ。

バランスが取れなくて、尻もちまでついてしまった。

「すみません、大丈夫ですか?」

低い声とともに、手が伸びてきた。

その顔を見て、明日香は固まってしまう。

似ている……。

気のせいかとも思った。

他人の空似とも。

しかし、それにしては似すぎている。

声優さえも不明のあのゲームと、声も似ている気がする。

「君は……」

相手の男は、明日香を見て、何かに気づいたようにハッとする。

「どこに行った?!」

「まだ近くにいるはずだろう!探せ!」

怒号が聞こえてくる。

その瞬間、目の前の男はハッと身体を強張らせる。

この人は追われているらしい。

それはわかったが、なにをすればいいかわからない。

「怪我は?」

男性は明日香に手を伸ばす。

「あ、大丈夫です」

明日香はその手を借りて立ち上がった。

「よかった。ここで俺に会ったこと、誰にも言わないでほしい」

「え、わ、わかりました……?」

追われている人間からのお願いだ。

当然のことだが、明日香は混乱していた。

「それから……。これも、お願いしていいかな」

「え?」

小さな茶色い封筒を差し出される。

「これを“東郷紗奈”という人に渡してほしい。この先君が必ず出会う人だから」

「えっ、え?!」

「それじゃあ」

それ以上何も言わず、彼は走り去ってしまった。

困っている人を放ってはおけない。

それが明日香の長所でもあった。

でも、不確実な情報だけで託された手紙など、重いだけ。

せめて特徴くらいの情報は聞いておきたい。

明日香は男を追って路地に入っていった。

パンっ

次の瞬間、短い銃声が響いた。

ハッと足が止まる。

「……っ」

声は出なかった。

銃声?

本当に銃声だったのだろうか。

銃声なんて聞いたことがない。

しかし、ドラマで見るそれと、よく似ている音だった。

声も何も聞こえない。

その時、かさかさっと小さな音がして、

「ひ……っ」

明日香は驚いて声が出てしまった。

「誰だ!」

再び怒号が聞こえてくる。

慌てて周囲を見回し、室外機の裏に隠れた。

「……気のせいか」

すぐにそんな声が近くで聞こえた。

間一髪、とはまさにこのことだろう。

両手で息を殺し、その声の会話に耳を澄ます。

「一度離脱しよう」

「し、しかし……!」

「念のためだ」

足音が遠ざかっていく。

ダメだ。

これ以上ここにいてはいけない。

慌てて来た道を引き返していく。

とにかくここから離れなきゃ、と。

「……っ!」

横断歩道を渡る手前で、誰かとぶつかった。

「あ、すいません」

男の人の声だ。

明日香がハッと見上げると、近くの公立高校の制服が見えた。

ダメだ。

逃げなければ。

もっと遠くに。

横断歩道をタタタっと走り、最後の一歩。

それは、黒い地面を踏んだ。

その瞬間、地面がぐにゃりと曲がる。

「きゃあっ!」

空と地面がひっくり返るように、彼女は闇の中に入っていった。



「……ん……?」

「あ、目、覚めた?」

まぶしかった。

太陽を手で隠しながら起き上がる。

「明日香ちゃん!」

甲高い声が耳に飛び込んできた。

「え……だれ?」

明日香は訝し気な目を向ける。

ゲーム好きということを隠すようになってから、確かに友達はたくさんできた。

しかし、友達を忘れるような薄情なことは、していないつもりだ。

「何言ってるの?リンだよ~」

「リン……?」

そんな名前は知らない。

太陽の下で、その顔をじっと見る。

なんとなく、誰かに似ている気がした。

しかし、彼女はゲームの中の人間。

きっと他人の空似だ。

「……ここ、どこ?」

そう尋ねてみる。

「え?白櫻学園でしょ?」

白櫻学園。

「まさか、……長谷川リン……?」

「うん!そうだよ!」

ありえない。

明日香は首を振る。

夢?

頬をつねってみる。

痛い。現実だ。

ここは、ゲームの世界?

そう考えたところで、明日香の思考はパニックを起こした。

「……意味わかんない」

ポツリとつぶやく。

「え?どうしたの?明日香ちゃん」

「どうしたの、じゃないでしょ!いきなりゲームの世界に連れて来られて!いったいなんなの?!」

パニックになった明日香は止まらなかった。

「ゲームの世界?何言ってるの?あ、さっきまで“飛んでた”から?」

「はやく帰してよ!」

その時、屋上のドアが勢いよく開いた。

黒滝くろたき紅蓮ぐれんだと、すぐにわかる。

どうやらここは、本当にゲームの世界らしい。

高尾たかお明日香あすかだな?」

「は?」

「来い。紗奈様がお呼びだ」

紗奈様。

ここでそう呼ばれるのは1人だけ。

それを明日香は知っている。

そして、思い出した。

『これを”東郷紗奈”という人に渡してほしい』

という、彼の言葉を。

「紅蓮様、わたしは……」

「お前は呼ばれていない」

「わかりました」

長谷川リンがそれだけ聞いて黙った。

助けなさいよ、と心の中で抗議する。

こんなにも強引に連れていかれているのに。

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