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第1章 犬と狼
Bird cage 2
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「さぁどうぞ」
「あ、ありがとう……ございます」
差し出された紅茶を眺める。アンティークなのだろう、カップの値段も高そうだ。
「ダージリンよ、お嫌いかしら?」
「あ、いえ! いただきます!!」
口をつけないのは失礼だと慌てて流し込む。
「とても、おいしいです!」
正直に言うと味は分からなかった。カナリアからの迫力と妙な緊張感が、犬飼に押し寄せているから。
「あらそう? ……よかった。クッキーもあるから食べてね」
「鳥を型どってるんですか?」
一枚手に取る。ピンク色のクッキーからストロベリーの香りがほのかにした。
「狼子さんもどうです? 美味しいですよ?」
「いや、いい。それよりもカナリア」
「ちょっと兄さん! 狼子が来てるんだって?」
──バァン!!
観音開きのドアが勢いよく開けられ、甲高い声の主が部屋へと入ってきた。
「誰が兄さんよ!! 姉さんとお呼び!!」
コツコツとピンヒールの音を鳴らして近づいてくる。腰元まで伸びる緩いウェーブの髪、青から黒へのグラデーションが妖しい色気を放っていた。
「久しぶりね、元気そうでよかった」
「ルリノも」
「ちょっと無視してんじゃないわよ!!」
着る人を選ぶようなボディコンスーツからは、一切無駄のない美しいラインが。軽く挨拶すると、無遠慮に空いているイスへと腰を下ろした。
「ごめんなさいね~、うちの妹ガサツで」
カナリアとはまた違った迫力で呆気にとられる。
「あ、いえ!」
「ルリノ、こちら犬飼賢士くん。本国から来られた警察の方なのよ」
「犬飼です、よろしくお願いします」
「へぇ~……あんたが」
体を乗りだし顔を近づけられる。海よりも深い碧の瞳に犬飼の姿が映るほど。
「……童貞なんだってね」
「グフッ!?」
飲んだ紅茶が吹き出しそうになり思わず両手で塞き止める。
「え? なになに何の話し!?」
キラキラと瞳を輝かせるカナリア。犬飼はなぜ知っているんだとルリノを見た。
「女は口が軽いからね~。あっという間に噂の的よ」
とどのつまりあそこにいた見物客たちそれぞれが、面白おかしく触れ回って遊廓屋全体に広まり、彼女の耳に入ったということ。
(な、んて……いうことだ!!)
「あらま、賢士くんてばまだハツモノなのね! ……だったら私なんてどう?」
カナリアもまた身を乗りだし犬飼に迫る。
「冗談じゃないわよ。四十手前のおっさんが初めての相手なんてトラウマもんよ! ……あたしが貰ってあげるわ。お・ま・わ・りさん!」
「若作りした年増のどの口が言ってるのかしら? ほらおどき! あんたのその面の皮も化粧も厚いの見せられて、賢士くんが困ってるでしょ?」
カナリアが左手でルリノの顔を押し退けようとする。
「ちょっと、痛っいじゃないの! クソ、ピート!!」
それを払いのけ逆に押し退ける。
「その名で呼ぶんじゃないわよ! ブス、フーイ!!」
ピートとフーイ。どうやらこの名が二人の本名らしい。
「ピートなんてありきたりな名前が兄さんにはお似合いよ。このモブ!!」
「フーイなんて地味な名前に言われたかないわよ!!」
「あ、あの……ふ、たりとも落ち着いて!!」
面前で交わされる兄妹喧嘩におろおろするしかない。何とか間に入ろうとするが二人のパワーに圧されどうすることもできない。取っ組み合いの喧嘩に発展しかねない事態に終止符を打ったのは、
「二人ともいい加減にしろ!」
それまで傍観していた狼子の一声だった。
「くだらない喧嘩をするなら後でしろ、あたしたちが帰った後にな……こっちは急ぎの用件で来てるんだ」
話を早く進めさせろ、でなきゃ殺すぞ。言葉にしなくても発せられるオーラがそう物語っている。彼女に叱られた兄妹はもちろん、なぜか関係のない犬飼も大人しく席に座り直すのだった。
◇
「あらましは鹿ちゃんから聞いてたけど、このマリアって子を探してんのね」
「そうだ。南に向かったのが最後、それからは姿を見せていない」
机に置かれた写真を覗き見る。
「南にねぇ……けど、うちには来てないと思うけど?」
何百もの遊女が在籍するため、全てを把握しているわけではないが。
「ここに潜り込むなんて不可能だわ。それに知らない顔が紛れていたなら、誰かが気づいて私の耳に入るはず」
しかも極楽鳥にくる客の半分は本国からのVIP客。父親が有名人で尚且つ大物ならば、発見されやすい場所に出入りするとは考えにくい。
「そうか……」
ここへ来れば何かしら情報が掴めると思ったのだが、諦めムードの二人にそういえば……と、ルリノが口を開いた。
「一昨日だったかしら、変な客が来たって遊女の一人が言ってたわね」
「『変な客』?」
「最近変わったことはないかとか、新しく入った遊女の中で毛色の違う少女はいなかったかとか……内情をしつこく聞いてくるもんだから気味悪がって廻し方を呼びにいったら、その間に消えてたらしいわ」
「どんな男だったか分かるだろうか?」
「さぁ……遊女に聞いてみないと」
「どういうことでしょうか? 僕たち以外にもマリアを探している人が……?」
「おそらく。雅家に話が来るより先に誰かに依頼していたんだろう。……ルリノ、悪いがその遊女の所へ連れて行ってはもらえないだろうか?」
「かまわないわよ」
案内するとルリノが席を立つ。犬飼も立とうとしたが狼子が制した。
「お前はここで待っててくれ」
「えっ? あ! ちょっ、」
すぐ戻る、そう言い残し彼女たちは部屋を出ていった。
(き、気まずい……カナリアさんと二人はすごく気まずい!!)
チラリと隣を見た。頬杖をついたカナリアがフワリと微笑んでいる。
「ふふっ…そんな緊張しなくても取って食べたりしないわよ。それよりお話ししましょ?」
その笑顔があまりにも綺麗だったもんで、多少なりとも変わってはいるが悪い人間ではないのかもしれないと、警戒心を解く。
「カナリアさんは昔からここの楼主なんですか?」
「えぇ、そうよ。我が家は昔からこの遊廓屋を仕切っててね、先代の父親が早くに亡くなったものだから、それを私が引き継いだのよ」
「そうなんですか~! ここは人も建物もすごく綺麗ですね!」
「ありがとう。そう言っていただけて嬉しいわ。私、綺麗なモノが大好きなの。見ているだけで心が落ち着くのよ」
美人は三日で飽きるなんて言葉もあるが。
「そんなの嘘よね。だって私、自分の顔に飽きたりしないもの」
カナリアはふと手を伸ばす。狼子の席に置かれたカップへと。
「美しいモノは全て手にいれたい。けれども中には手に入らないモノもあってね……」
一口もつけられていない紅茶、それを手に取ると自らの口へと運ぶ。
「……どうすればいいのかしらね」
それを飲み干すと赤い舌で唇をペロリと舐めた。
「いっそ壊してしまおうと思うけど、それすら叶わない……悲しいことよね」
──ゾクッ、
背筋を這う感覚。
「特別に美しいモノの中には『毒』があるの。触れてしまえば最後、命もろとも奪い尽くされる」
それは外見の美しさだけではなく、意思の強さだったり崇高な魂だったりと……人それぞれだが。恍惚とした表情でカナリアは語る。
「私はその『毒』を食べたいの」
犬飼の手にカナリアの手が重なる。赤く光るマニキュアが血のようだ。スルリと甲を撫でながら彼女は言った。
「真っ白で無垢、汚れを知らない。私には分かるわ、貴方の『毒』は誰よりも美味しいって。……いつか食べさせてね」
約束だとそっと小指を絡め取られた。
「あ、ありがとう……ございます」
差し出された紅茶を眺める。アンティークなのだろう、カップの値段も高そうだ。
「ダージリンよ、お嫌いかしら?」
「あ、いえ! いただきます!!」
口をつけないのは失礼だと慌てて流し込む。
「とても、おいしいです!」
正直に言うと味は分からなかった。カナリアからの迫力と妙な緊張感が、犬飼に押し寄せているから。
「あらそう? ……よかった。クッキーもあるから食べてね」
「鳥を型どってるんですか?」
一枚手に取る。ピンク色のクッキーからストロベリーの香りがほのかにした。
「狼子さんもどうです? 美味しいですよ?」
「いや、いい。それよりもカナリア」
「ちょっと兄さん! 狼子が来てるんだって?」
──バァン!!
観音開きのドアが勢いよく開けられ、甲高い声の主が部屋へと入ってきた。
「誰が兄さんよ!! 姉さんとお呼び!!」
コツコツとピンヒールの音を鳴らして近づいてくる。腰元まで伸びる緩いウェーブの髪、青から黒へのグラデーションが妖しい色気を放っていた。
「久しぶりね、元気そうでよかった」
「ルリノも」
「ちょっと無視してんじゃないわよ!!」
着る人を選ぶようなボディコンスーツからは、一切無駄のない美しいラインが。軽く挨拶すると、無遠慮に空いているイスへと腰を下ろした。
「ごめんなさいね~、うちの妹ガサツで」
カナリアとはまた違った迫力で呆気にとられる。
「あ、いえ!」
「ルリノ、こちら犬飼賢士くん。本国から来られた警察の方なのよ」
「犬飼です、よろしくお願いします」
「へぇ~……あんたが」
体を乗りだし顔を近づけられる。海よりも深い碧の瞳に犬飼の姿が映るほど。
「……童貞なんだってね」
「グフッ!?」
飲んだ紅茶が吹き出しそうになり思わず両手で塞き止める。
「え? なになに何の話し!?」
キラキラと瞳を輝かせるカナリア。犬飼はなぜ知っているんだとルリノを見た。
「女は口が軽いからね~。あっという間に噂の的よ」
とどのつまりあそこにいた見物客たちそれぞれが、面白おかしく触れ回って遊廓屋全体に広まり、彼女の耳に入ったということ。
(な、んて……いうことだ!!)
「あらま、賢士くんてばまだハツモノなのね! ……だったら私なんてどう?」
カナリアもまた身を乗りだし犬飼に迫る。
「冗談じゃないわよ。四十手前のおっさんが初めての相手なんてトラウマもんよ! ……あたしが貰ってあげるわ。お・ま・わ・りさん!」
「若作りした年増のどの口が言ってるのかしら? ほらおどき! あんたのその面の皮も化粧も厚いの見せられて、賢士くんが困ってるでしょ?」
カナリアが左手でルリノの顔を押し退けようとする。
「ちょっと、痛っいじゃないの! クソ、ピート!!」
それを払いのけ逆に押し退ける。
「その名で呼ぶんじゃないわよ! ブス、フーイ!!」
ピートとフーイ。どうやらこの名が二人の本名らしい。
「ピートなんてありきたりな名前が兄さんにはお似合いよ。このモブ!!」
「フーイなんて地味な名前に言われたかないわよ!!」
「あ、あの……ふ、たりとも落ち着いて!!」
面前で交わされる兄妹喧嘩におろおろするしかない。何とか間に入ろうとするが二人のパワーに圧されどうすることもできない。取っ組み合いの喧嘩に発展しかねない事態に終止符を打ったのは、
「二人ともいい加減にしろ!」
それまで傍観していた狼子の一声だった。
「くだらない喧嘩をするなら後でしろ、あたしたちが帰った後にな……こっちは急ぎの用件で来てるんだ」
話を早く進めさせろ、でなきゃ殺すぞ。言葉にしなくても発せられるオーラがそう物語っている。彼女に叱られた兄妹はもちろん、なぜか関係のない犬飼も大人しく席に座り直すのだった。
◇
「あらましは鹿ちゃんから聞いてたけど、このマリアって子を探してんのね」
「そうだ。南に向かったのが最後、それからは姿を見せていない」
机に置かれた写真を覗き見る。
「南にねぇ……けど、うちには来てないと思うけど?」
何百もの遊女が在籍するため、全てを把握しているわけではないが。
「ここに潜り込むなんて不可能だわ。それに知らない顔が紛れていたなら、誰かが気づいて私の耳に入るはず」
しかも極楽鳥にくる客の半分は本国からのVIP客。父親が有名人で尚且つ大物ならば、発見されやすい場所に出入りするとは考えにくい。
「そうか……」
ここへ来れば何かしら情報が掴めると思ったのだが、諦めムードの二人にそういえば……と、ルリノが口を開いた。
「一昨日だったかしら、変な客が来たって遊女の一人が言ってたわね」
「『変な客』?」
「最近変わったことはないかとか、新しく入った遊女の中で毛色の違う少女はいなかったかとか……内情をしつこく聞いてくるもんだから気味悪がって廻し方を呼びにいったら、その間に消えてたらしいわ」
「どんな男だったか分かるだろうか?」
「さぁ……遊女に聞いてみないと」
「どういうことでしょうか? 僕たち以外にもマリアを探している人が……?」
「おそらく。雅家に話が来るより先に誰かに依頼していたんだろう。……ルリノ、悪いがその遊女の所へ連れて行ってはもらえないだろうか?」
「かまわないわよ」
案内するとルリノが席を立つ。犬飼も立とうとしたが狼子が制した。
「お前はここで待っててくれ」
「えっ? あ! ちょっ、」
すぐ戻る、そう言い残し彼女たちは部屋を出ていった。
(き、気まずい……カナリアさんと二人はすごく気まずい!!)
チラリと隣を見た。頬杖をついたカナリアがフワリと微笑んでいる。
「ふふっ…そんな緊張しなくても取って食べたりしないわよ。それよりお話ししましょ?」
その笑顔があまりにも綺麗だったもんで、多少なりとも変わってはいるが悪い人間ではないのかもしれないと、警戒心を解く。
「カナリアさんは昔からここの楼主なんですか?」
「えぇ、そうよ。我が家は昔からこの遊廓屋を仕切っててね、先代の父親が早くに亡くなったものだから、それを私が引き継いだのよ」
「そうなんですか~! ここは人も建物もすごく綺麗ですね!」
「ありがとう。そう言っていただけて嬉しいわ。私、綺麗なモノが大好きなの。見ているだけで心が落ち着くのよ」
美人は三日で飽きるなんて言葉もあるが。
「そんなの嘘よね。だって私、自分の顔に飽きたりしないもの」
カナリアはふと手を伸ばす。狼子の席に置かれたカップへと。
「美しいモノは全て手にいれたい。けれども中には手に入らないモノもあってね……」
一口もつけられていない紅茶、それを手に取ると自らの口へと運ぶ。
「……どうすればいいのかしらね」
それを飲み干すと赤い舌で唇をペロリと舐めた。
「いっそ壊してしまおうと思うけど、それすら叶わない……悲しいことよね」
──ゾクッ、
背筋を這う感覚。
「特別に美しいモノの中には『毒』があるの。触れてしまえば最後、命もろとも奪い尽くされる」
それは外見の美しさだけではなく、意思の強さだったり崇高な魂だったりと……人それぞれだが。恍惚とした表情でカナリアは語る。
「私はその『毒』を食べたいの」
犬飼の手にカナリアの手が重なる。赤く光るマニキュアが血のようだ。スルリと甲を撫でながら彼女は言った。
「真っ白で無垢、汚れを知らない。私には分かるわ、貴方の『毒』は誰よりも美味しいって。……いつか食べさせてね」
約束だとそっと小指を絡め取られた。
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